第3話 追いついた
ヘルメットのライトを消して、息を止めた。
壁のくぼみに入り、手前を土で塞いで隠れている。
目の高さに、指1本ぶんの隙間だけ残した。
隙間の向こうは苔がぼんやり光る通路で、小さな足音がいくつか近づいてくる。
多摩ダンジョンの上層。救助の人のふりをして入るために提げてきた道具のケースは、入口近くの置き場に下ろした。借りたヘルメットだけかぶったまま、救助の人たちともそこで離れた。
崩落の場所までは、まだ半分も来ていない。
苔の明かりが薄い所で、足元が見えなかったからライトを点けた。そうしたら、曲がり角の先で目が光った。
光った目は2つじゃ済まない。
上層のゴブリンは、物音と明かりに寄ってくる。
手近なくぼみに飛び込み、床に手のひらをつけた。息だけで《土操作》と《硬化》を唱える。
床の土がうねりながらくぼみの手前へ集まり、下から積み上がって固まる。
光らず、音もほとんど立たない。地味だの映えないだのと散々言われてきた魔法が、隠れるのにはこれ以上なく向いている。
笑える。でも笑ったら見つかる。
足音が隙間の正面で止まった。
3匹。
子どもくらいの背丈で、緑がかった肌に尖った耳。手にさびの浮いた短い刃物を下げている。
しゃがんだ俺の目の前に、先頭のやつの腹がある。
そいつが首を傾け、尖った耳をこっちへ向けた。何か聞こえたらしい。
くぼみに土でかぶせたこの蓋は、外から見ればただの通路の壁だ。
……はずだ。
そいつの耳がひくりと動く。
もう一度。
止めた息で、胸の内側が張ってくる。
こめかみで脈がうるさい。
それでもゴブリンは動かない。
さびた刃先が隙間のすぐ向こうで揺れている。
冒険者になりたいと言った妹の背中を押したのは、俺だった。
先頭のやつがふいに向き直った。
そいつが喉の奥で短く鳴くと、3つの足音が隙間の前を過ぎていった。
音を立てないように、止めていた息を細く吐いた。
でも、くぼみからはすぐには出ない。
水の滴る音を10回数えてから、床に手のひらをつけた。
「《土操作》」
蓋はほどけて床へ流れ、平らに戻った。
そこからは、ライトを消したまま苔の明かりで歩いた。
分かれ道でも足は止めない。何年も潜ってきた上層の大きな通路なら、道順は体が覚えている。
途中で床が割れ、膝の高さの段差になっていた。崩落の揺れのせいだろう。
飛び降りれば音が出るので、しゃがんで小声で《土操作》と《硬化》を唱えた。盛り上げて固めた土の段を踏んで降りる。
魔法2回で、段が1つ。Fランクの土魔法でできるのは、だいたいこの規模だ。
奥へ進むと、苔の明かりが途切れた。
壁が苔ごと剥がれ落ち、その先は真っ暗だ。ライトを点けても手探りで転んでも、どっちみちゴブリンは寄ってくる。
なら、転ばないほうを選ぶ。
ヘルメットのこめかみにある、ライトのスイッチを押す。
白い光の中を、上から砂がひとすじ落ちた。
頭の上で、ぱき、と乾いた音。
見上げるより先に、手が床についていた。
「《土操作》」
手の前の床がひと山盛り上がる。
「《硬化》」
固まった山に拳ほどの石が落ち、半分めり込んで止まった。
どす、と鈍い音が1つ。床の石に当たっていたら、通路じゅうに響いていた。
来た道に耳を向ける。水の音しか返ってこない。よし。
ただ、あれが頭ほどの石だったら、止まっていたのは俺の頭のほうだ。
ライトを上へ向けた。
天井のひびから、砂が細い筋になって途切れずに落ちている。
昼にスマホで陽菜の配信を見たとき、画面の天井から落ちていた砂と、そっくり同じ落ち方だった。
崩落はまだ終わっていない。
先へ進むほど、粉っぽい匂いが濃くなった。息を吸うたびに、喉の奥へ砂ぼこりが残る。
通路の先で明かりが揺れていた。人の声もする。
俺はライトを消し、壁から張り出した岩の陰にしゃがんだ。
すぐ横の壁に、人ひとりがしゃがめるくぼみがある。今日の俺はくぼみに縁がある。
岩陰から頭だけ出す。
ほんの数メートル先に、ライトが4つ。救助で先に入った火野のパーティだ。
4つの光の先で、通路が終わっていた。
大きな岩がいくつも折り重なり、天井の近くまで通路を埋めている。
いちばん下の岩は軽自動車ほどもある。
これが陽菜の配信を切った崩落か。
岩と岩のあいだの奥に、薄い明かりがにじんでいる。
4人のライトとは色が違うので、向こう側から漏れているらしい。
4人のうち、岩のいちばん前に立つ長身の赤い防具が火野だ。
火野の後ろに立つ金髪の肩口に、撮影用ドローンが浮いている。
岩の向こうから、くぐもった声がいくつか届いた。
その中に、知っている声が混じる。
「聞こえますかー! こっちです!」
何枚も布をかぶせたような声だった。
だけど、毎日聞いている妹の声を聞き違えるわけがない。
陽菜は、生きてる。
膝から力が抜け、岩陰の縁をつかんだ。
陽菜、と喉まで出かかったところで口を閉じた。
呼んでどうする。
土魔法Fの兄ちゃんが来たぞと叫んだところで、岩は1つもどかない。
それに、声を出せば先に振り向くのは火野たちだ。見つかったら、入口まで連れ戻されて終わる。
火野が岩の前で右手を上げた。
手のひらから赤い炎が噴き出す。
ごう、と通路が鳴った。
熱が岩陰の俺の頬まで届き、目の表面がひりつく。
通路じゅうが炎の色に変わり、岩の影が壁で大きく揺れた。
Aランクの炎だ。
これなら、あの岩だって――
炎の明かりが崩落の上の天井を照らし出した。
ひびが、何本も入っている。
ひびから砂がこぼれた。
岩のどこかが低く鳴る。
炎が消えた。
「火力を上げれば、天井ごと落ちる。ここからは無理だ」
火野は岩から一歩下がり、向こう側まで届く声で続けた。
「別ルートへ回る」
迷いのない声だった。
岩の向こうの声がいったん止んだ。
少しして返ってきた声は、さっきより低かった。
俺もひびを見ていた。
何本あるのか、数える気にもならない。
火野の言うとおりだ。
陽菜を助けに来たAランクが無理だと言って引き返す。
責める相手はどこにもいない。
火野が岩に背を向けた。4つのライトが一斉にこっちを向く。
岩陰じゃ足りない。
ライトが1本でも横を向けば、丸見えだ。
だから横のくぼみに体を押し込み、床に手のひらをつけた。
「《土操作》」
崩落でこぼれた足元の砂と土が、くぼみの手前へ這い上がっていく。
下から積み上がり、目の高さに細い隙間だけが残った。
「《硬化》」
蓋が固まる。息を止めるのは今日2回目だ。
足音が近づいてくる。
4つのライトが照らすのは足元と進む先で、横の壁には向かない。
明かりが1つずつ、隙間の前を横切っていく。
ドローンの羽音がすぐそこを過ぎる。
赤い肩当てが、一瞬だけ。
火野は、こっちを見なかった。
足音が遠ざかる。明かりは通路の先で小さくなり、消えた。
「《土操作》」
蓋を崩してくぼみを出る。
ライトを点けると、崩落の前の砂に4人ぶんの靴の跡が残っていた。
火野が無理だと言った岩の前に、今度は俺が立つ。
火野たちのあとから、ほかの救助が来るかもしれない。来るなら、この通路を通るはずだと思った。
だから、その誰かを待った。
でも来た通路は暗いままで、誰も来ない。
岩の向こうの声はまだ続いている。ときどき陽菜の声が混じる。
ひびから落ちる砂がライトの光の中を細く通っていく。止まる気配はない。
「……無理、か」
喉に残った砂ぼこりで、声がかすれた。
岩に手を置く。冷たい。押してもびくともしない。
俺の《土魔法》で動かせるのは、小石までだ。
ライトを足元へ下ろした。
岩の根元に、ひびから落ちた砂が溜まっている。岩と岩の継ぎ目にも同じ砂が詰まっている。
踏みしめると、靴の下がここまで歩いたどの床よりも沈む。
岩は無理でも、砂なら俺にも動かせる。
俺は岩から手を離し、足元の地面に手をついた。




