第2話 土魔法F
多摩ダンジョンの入口に、報道の車が並んでいた。
研究所の前からタクシーで15分。
妹の配信が切れてから、まだ1時間たっていない。
歩道は人で埋まっているのに、建物を見ている人がいない。
全員が手元のスマホをのぞきこんでいた。
平日の昼過ぎだぞ。
週末ごとに潜りに来ているけど、この入口で人が足を止めているのは初めて見る。
人垣に肩をねじこむと、手の甲が誰かのかばんをこすった。かばんに、乾いた土が白く移る。
服も実験室の作業着のままで、胸元にはいつものカメラが留まっている。
前の人のスマホに、『多摩ダンジョン上層で崩落』の赤い帯が出ていた。
中継車の脇のモニターには『配信者パーティ4人取り残される』の文字があり、その下を『協会が救助の緊急依頼』の字幕が流れていく。
「取り残されたの、陽菜ちゃんのとこだって」
「配信まだ戻んないの?」
戻っていない。
歩きながら陽菜のページを開き直したけど、配信中の印は消えたままだった。
4人。陽菜とパーティの3人だ。
自動ドアの中は、外よりさらに騒がしかった。
協会の職員が何本ものマイクに囲まれている。その奥に、改札型のゲートが横一列に並んでいた。
「取り残された4人の安否は!」
「確認中です! 下がってください、ここは通路です!」
ゲートの上の表示板に、『Cランク以下:立入禁止』の赤い文字。
Cランクから下は入れない、ということだ。
俺の冒険者証はFランク。Cよりさらに3つ下になる。
表示板の真下、ゲートのすぐ手前だけは、記者も職員も避けて丸く空いていた。
その輪の中で、冒険者の4人組が装備を確かめている。
1人だけ、周りより頭ひとつ背が高い。
赤の入った防具には傷ひとつなく、留め具の金具まで光っていた。
火野陸。火魔法のAランクだ。
D-Tubeを開けばおすすめ欄のどこかに必ずいる人気配信者で、陽菜ともよくコラボしている。
その隣で肩を回している金髪の男は、雷堂誠。火野の配信の相方だ。
防具は軽く、顔の横には手のひらほどのドローンが浮いている。
ドローンの赤いランプが点いている。
雷堂はレンズに対して、顔をきっちり同じ角度に保っていた。
「はいどうも、予定変更ね。今日は普通に潜る回だったけど、救助行きます」
「多摩の上層で崩落。取り残されてんの、陽菜ちゃんのパーティ。みんなもう知ってるっしょ」
雷堂はスマホの画面をのぞくと、口の端を上げた。
「で、今何人見てんの。……おー、跳ねてる跳ねてる。こういうときは伸びんのよ」
「『陸、陽菜ちゃん助けて』? はいはい、助けに行きますって。な、陸」
火野は答えない。
自分の手元から目を上げなかった。
世の中には妹の事故で伸びる数字もあるらしい。
盾を背負った大柄な男と、端末をのぞく後衛。残りの2人は黙って支度を続けていた。
救助に行くのはAランクだ。
俺の出る幕はない。
なのに気づけば、4人のほうへ歩きだしていた。
火野の横に立つと、見上げる形になった。
傷ひとつない赤い防具の隣に、土の粉をふいた作業着が並ぶ。
雷堂は背を向け、ドローンにコメントを読み上げている。
その声の陰で、火野にだけ届く低さで言った。
「妹が中にいます」
火野は手甲の留め具を締める手を止めなかった。
「だから、俺たちが行く」
短い。
「俺も、一緒に――」
ぱちん、と金具が鳴った。
火野はもう次の留め具に指をかけていて、顔を上げない。
「土Fは連れていけない。足手まといになる」
土魔法のFランク。つまり、俺のことだ。
笑う声ではなかった。
留め具の数を確かめるのと、同じ声だ。
俺を連れていけば、守る手間が1人分増えるだけだ。
俺が火野でも、同じ答えを出す。
反論を探した。
1つも、見つからなかった。
コメントを読み上げていた雷堂の声がふっと止む。
「え、なになに。救助ついてきたいって人?」
雷堂がこっちを振り返っていた。
ドローンが肩越しに回りこんでくる。レンズは俺の顔に寄り、それから土で白い手まで下りた。
「土Fだって、土F。マジで?」
俺は両手を作業着のポケットに入れた。
指先にサンプル瓶のガラスが当たる。
「行って何すんの。岩の前で土こねんの?」
雷堂はスマホの数字に目を落とし、声を立てて笑った。
それからカメラに顔の角度を決め、親指で俺を差す。
「映えないし、映っても誰も見ないって。土Fは入口で待機。それが仕事っしょ」
雷堂のほうは見なかった。
火野の赤い肩当てに目を置いたまま、答える。
「……そうですね」
火野は何も言わない。
雷堂はもうドローンに向き直り、次のコメントを読んでいた。
最後の留め具を締め終えると、火野が顔を上げた。
「行くぞ」
4人がゲートへ向かうと、報道のカメラが一斉にそっちを向いた。
ゲートの手前で、雷堂がドローンに手を伸ばす。
「じゃ、配信ここまで。救助、行ってきまーす」
赤いランプが消えた。
4人が順に冒険者証をかざし、ゲートを抜けていく。
最後の1人が抜けると、扉はまた閉じた。
赤い防具の背中が通路の奥で小さくなっていく。
火野は、一度も振り返らなかった。
表示板の赤い文字の下に、俺だけが残っている。
ポケットの中で、まだ瓶を握ったままだった。
入口で待機。
言われたとおりの持ち場に、ちゃんと立っている。
少し待った。
待っているあいだに、勝手に周りを測りはじめていた。
「今のパーティ、救助ですよね!」
「お答えできません、線から出ないで!」
「担架出ます! あけてください!」
声がしたのは、ゲートの列の端にある灰色の扉だった。
改札のない扉が1枚だけある。救助の人が通る通用口だ。
扉の脇に職員が1人立っていて、内側から担架が来ると扉を押し開けた。
担架が抜けると、すぐに閉める。
開けっぱなしにする気はないらしい。
担架に乗っていたのは、知らない男の人だった。
陽菜じゃない。あいつはまだ、中だ。
扉の脇の壁際には、ライト付きのヘルメットが並んでいた。
隣には銀色のケースが腰の高さまで積んである。救助の道具を詰めて、中へ運ぶケースだろう。
「ちょっと、そっちは関係者だけです!」
スマホを掲げて扉に寄った野次馬が、職員の腕に止められた。
手ぶらで近づくと、ああなる。
入れ替わりに、ヘルメットをかぶってケースを提げた救助の人が2人来て、職員は黙って扉を開けた。
職員は2人の頭と手元を見ただけで、顔までは見なかった。
道具のケースを提げていれば、止められない。
自分を見下ろす。上も下も、実験室の作業着。
さっきの2人も作業着だった。
違うのは、頭の上と手元だけだ。
ただ、ヘルメットとケースは職員の目の前にある。
手ぶらで取りに行けば、さっきの野次馬と同じだ。
「担架出ます!」
もう1台、担架が出てきた。
記者たちが規制の線へいっせいに押し寄せる。
けが人の数より、カメラの数のほうがずっと多い。
「けが人の容体は!」
「崩落の現場からですか!」
「線から出ないで! 下がって!」
職員は扉を押さえたまま、記者のほうへ向き直っていた。
中へ入っていく救助の人の背中を、見てもいない。
さっきの担架のときも、同じだった。
担架が出るたび、あの職員は扉に背を向ける。
2回見て、2回とも同じだった。この動きには再現性がある。
次の担架が出てくる数秒なら、手ぶらで壁際まで行っても止められない。
観察して、予測を立てる。研究所でやるのと同じ、真面目な手順だ。
ただ、出てきた結論が無断侵入なだけで。
「……まあ」
ヘルメットの列から目を離せない。
「見るだけなら」
どこまで見に行くつもりなのか、自分には聞かないでおいた。
胸のカメラに指を当てる。
カメラの側面の電源ボタンを押しこみ、頭の中で2つ数えた。
実験を始めるときと同じ手つきだ。
小さなランプが緑に点いた。
スマホで、自分の実験記録のチャンネルを開く。
小さな枠に、閉まった通用口が映った。
扉の向こうで、車輪の音がした。
「担架出ます!」
扉が開き、記者たちが線へ押し寄せる。
職員がそっちを向いた。
今だ。
壁際のヘルメットを1つ取って、頭に載せる。ケースの山から、いちばん上の1つを提げた。
見た目より重い。中身は知らない。
中へ入っていく救助の人の、最後尾についた。
前の背中と同じ速さで、扉へ歩く。
「下がって! 線から――」
職員の声が途中で切れた。
職員がこっちへ振り向く。
見られる。
職員はまず、俺の提げたケースを見た。
それから視線を上げてくる。
ヘルメットの縁の下で、その視線が止まりかけた。
俺の顔だ。
職員が口を開く。
「次の担架、こっち回して!」
自動ドアのほうから、声がかかった。
職員は俺の顔から目を外し、そっちを向いた。
シャツが汗で背中に張りついている。
担架が出ているあいだ、職員は背を向けている。その予測より、こっちへ向き直るのが早かった。
あとで記録に書いておく。
手の中のスマホに目を落とす。
小さな枠の中で、開いた扉が揺れていた。
画面の隅の数字を読んだ。
「視聴者数は0。いつもどおりだ」
ケースを提げたまま、救助の人の背中について、俺は通用口を抜けた。




