第1話 妹の配信が止まった
「今朝もね、兄ちゃんに玄関で見送られて来ました」
『また兄の話』
『ブラコン配信』
見送った兄ちゃんというのは俺のことだ。
昼休みの研究所の実験室で、スマホから妹の配信を流している。
「私の朝ごはんはちゃんと作るくせにさ、自分は立ったままパンかじってんの。それで、いってらっしゃいって」
『兄、自分のことは雑』
余計なことまで言うな。
ほかの研究員はみんな昼を食べに出ていった。俺の昼飯はまだ机の端で、袋に入ったままだ。
スマホの画面では、撮影用ドローンが多摩ダンジョンの上層の奥を映している。今日は配信向けの軽い探索らしい。
右上の同時接続数は18,204。
陽菜は後ろ向きに歩きながら喋り、足元の岩を見もしないでまたいでいく。パーティの3人は映ってもせいぜい肩くらいだ。
俺のほうは実験台で土をいじっている。スキルはダンジョンの外だと働かない。でも、この実験室はダンジョンの環境を再現しているので、研究所の中でもここだけは《土魔法》が使える。
「でね、うちの兄ちゃん、土魔法Fなんだけど」
「土の話になると、急に早口になるの。こないだも晩ごはんのあいだ、ずっと土のひびの話してた」
40分しか話してない。
『土Fって何ができるの』
『兄の話で配信もたせてる』
『前見て前』
Fは冒険者のランクで、FからSまで7段あるうちのいちばん下だ。その土魔法Fにできることなら、ちょうど今から、土のひびをふさいでみせるところだ。誰も見てないけど。
「……でもさ」
「私が冒険者になるって言ったとき、応援してくれたの、兄ちゃんだけだったんだよね」
土をいじっていた指が止まった。
コメント欄を開きかけ、やめる。何を打てばいいのか分からなかった。
手元に目を戻した。
実験台の真ん中に、乾かした土を詰めた透明なケースがある。土の表面に、ひびが1本斜めに入っていた。
この割れ方の話を始めると40分かかるので、今日は黙ってやる。
作業着のポケットから、土のサンプル瓶を出す。
財布は忘れても、これだけは忘れたことがない。
瓶の土をひびの上に細く盛り、人差し指を当てて、土魔法の技を一つずつ呼ぶ。
「《土操作》」
指の下で、盛った土がさざ波のように寄っていき、ひびの中へ流れ込む。光らない。音もほとんどしない。
「《硬化》」
ひびの中で、土がきゅっと縮んで固まった。
閉じたのは、指1本分だけだった。
残りのひびは閉じる気配もなく、端まで開いたままだ。
長さを測ってノートに書きつける。
何度やっても閉じる長さが変わらないことだけは、誰にも負けない。
画面の中の陽菜が、ドローンに両手を振っている。
画面が揺れた。
「え?」
陽菜が足を止める。
少し遅れて、腹に来るような低い音がスピーカーから鳴った。
『揺れた?』
『今の音なに』
『地震?』
『画面揺れてる』
ドローンのライトが天井へ振れる。
岩の継ぎ目から、砂が細く流れ落ちている。
まずい。
パーティの仲間の1人が、画面の端から陽菜をかばうように腕を伸ばす。
『やばいやばい』
『上!』
『逃げて』
陽菜が口を開いた。
画面が横に傾き、岩の天井が斜めに流れる。
声より先に、轟音が来た。
スピーカーが割れる。
映像が白く濁って、ざらざらの四角に砕ける。
そのまま、動かなくなった。
『陽菜ちゃん?』
『え』
『陽菜ちゃん落ちた?』
そこでコメント欄が止まった。
画面の真ん中に、『配信が切断されました』の文字が出た。
文字の向こうで、最後の一コマが固まっている。
砂ぼこりで白い通路に、誰かの肩が端だけ。
陽菜の姿はどこにもない。
最後に流れたコメントが、欄の底に貼りついている。
『陽菜ちゃん落ちた?』
落ちたのは配信だけだ。
読み込み直す。指で画面を引き下ろし、もう一度。戻らない。
同時接続数は18,377で止まっている。
陽菜の番号を押す。
呼び出し音の前に、女の人の声が出た。
「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません」
でも電波なら、ついさっきまで届いてた。
もう一度かける。
同じ声が同じ文を最初から読む。
あいつは毎回、ドローンに手を振って配信を終える。
時刻は12時34分。切れてから5分もたっていないのに、SNSは検索しなくても陽菜の話でいっぱいだった。
『陽菜ちゃんの配信落ちた』
『最後の音やばくなかった?』
『上からなんか降ってきてた』
『多摩の上層だよね』
画面のこっち側の人間はみんな、同じものしか見ていない。音がして、切れた。それだけだ。
12時37分、冒険者協会の公式アカウントが投稿した。
『多摩ダンジョン上層で崩落事故。現在確認中』
これで、配信のトラブルでは済まなくなった。
『公式きた』
『崩落事故って』
『陽菜ちゃんのとこ?』
協会のページを更新し続けて7分、12時44分にようやく続報が出た。
『多摩ダンジョン上層の崩落事故につき、上位ランクの冒険者へ救助の緊急依頼を出しました』
『緊急依頼きた』
『上位って誰』
『Sランク来る?』
誰が行くかは書いていない。でも見当はつく。毎週末潜っていれば、事故のあとの協会の動き方くらい嫌でも耳に入るからだ。
上層の事故なら、協会はまず近くの上位のパーティを呼ぶ。Sランクまでは出てこないから、呼ばれるのはSの一つ下だ。
さっきの砂の落ち方を見るかぎり、上の土が動いたのだと思う。それなら通路はもう岩で塞がっていて、岩を割れる人間が要る。
救助はAランクが行く。
Aランクが岩を割って陽菜たちを連れ出すのを、俺はここで画面を更新しながら待てばいい。
スマホを実験台に置き、目を上げる。さっきのケースがそこにある。
閉じたのは指1本分。残りはまだ開いている。
潜りはじめて何年もたつのに、俺のランクはずっといちばん下のFのままだ。
俺の《土魔法》で動かせるのは土と砂と小石までで、岩には手も足も出ない。
岩を割れない人間は救助の頭数に入らないから、俺が行ったらどうなるかも計算するまでもない。
Fの俺が行ったところで、岩の前でできることなんて――
気づくと、右手がサンプル瓶を握っていた。握った覚えはない。
「……何だ、これ」
右手が瓶を作業着のポケットに押し込む。左手はケースに蓋をし、実験台の奥へ寄せる。
見覚えのある片付けだ。週末、潜りに行く前の。
「昼飯なら、そこにあるぞ」
手は返事をしない。
実験台の上で、スマホの画面がまだ点いている。さっきまで、あの中で陽菜がドローンに両手を振っていた。
まだ、あいつの終わりの挨拶を聞いていない。
止めなかった。
さっきまで実験の土をいじっていた手は、手首まで乾いた土で粉をふいている。
洗面台は3歩先にある。この手で外を歩けば、さすがに人に見られるだろう。
でも、その3歩が惜しかった。足はそっちへ向かない。
スマホを取ると、画面はもう暗くなっていた。
何度も画面を引き下ろした指の跡が、黒いガラスに土の色で残っている。
ガラスの奥に、俺の手が映っていた。
スマホは瓶と逆のポケットへ入れた。
昼飯の袋は机の端に置いたまま、開けてもいない。
椅子から腰を上げた。
「行くか」




