第37話 向き
やっぱり、って、何がやっぱりなんだ。
訊けないまま、俺は通路の床に座り込んでいた。
第17層の、ミノタウロスがいる広間を出てすぐの通路だ。隣では天野さんが膝を抱えて、床を見ている。
胸のカメラに向かって「今日はここまでにします」とだけ言い、配信を切った。天野さんの顔を見たら、それ以上は映せなかった。
広間の入口の向こうでは、ミノタウロスがまだ真ん中に立って、こっちを見ている。
俺の泥団子は6つとも、その足元に転がったままだ。取りに行けば、また突進が来る。
「あの、天野さん。さっきの、やっぱりって」
天野さんは床から目を上げなかった。
「前に、片桐さんのパーティにいたって、言いましたよね」
片桐さんは、先週の踊り場で俺と組むのを断った、傷跡のある男だ。
「私のまわりには、いつも風が回ってるんです。《つむじ風》っていうスキルで、自分では止められません」
「第20層の中間ボスに挑んだとき、仲間の一撃を逸らしたのは、その風です」
「それで、引き返しました」
「何をするか分からないって前から言われてたのは、この風のことです。帰り道に、ひと言でパーティを出されました。澪の風は当てにならない、って」
自分の下の名前を、天野さんは片桐さんの口ぶりのまま言った。俺はひと言も挟めないまま、それを聞いていた。
「それからは、1人です。誰にも誘われなかったし、自分からも探さなかった」
天野さんがいつも1人で中層の前半に潜っていると知ったとき、1人が好きな人なんだろうと俺は勝手に思っていた。
天野さんは手首の布を指でつまむ。
「明日からは、また朝に1人で、中層の前半に潜ります」
「黒沢さんは、ほかの誰かと組んでください」
「私が横にいなければ、黒沢さんの泥団子は外れません」
声は平らだった。前から決めてあった言葉を、順番に読み上げているみたいに。
違う、と言いたかった。
でも、言える材料がひとつもない。飛ばした泥団子は2つとも、天野さんが一歩出た直後に外れている。俺の目の前で起きたことだ。
違うと言えるのは、外れた理由を知っている人間だけだ。今の俺はその理由を知らない。
天野さんが立ち上がって、上着の裾を払った。
「戻りましょう。オーガの出ない道、まだ覚えてないですよね」
帰り道、天野さんは前を歩き、角を曲がるたびに一度だけ振り返った。
ほかには2人とも、何も話さなかった。
◇
夜、居間のソファでスマホを開いた。陽菜はもう自分の部屋にいる。
天野さんの言うとおりにすれば、また俺1人が前に立つ戦いに戻れる。
一瞬だけ、それでいいと思った自分がいた。
それでも気づけば、今日の録画を開いていた。
外れたら、録画で外れた理由を見に行く。何年もそうやってきた癖は、今さら直らない。
胸のカメラの録画は揺れてばかりで、床とおのの刃しか映っていない。
ドローンの録画を開くと、細長い広間が上からまるごと映っていた。
あいつが走り出す。俺の腰のまわりを回る泥団子の、すぐ外まで来る。壁際から天野さんが一歩出る。
そこで思わず再生を止めて、1コマずつ送った。
天野さんの手のひらから出た風は、あいつの顔へまっすぐ走っている。泥団子のほうへは行っていない。
泥団子をずらしたのは、あの風じゃない。
天野さんの足元の床で、砂が輪を描いて動いていた。
上から見ると、砂は時計の針と同じ向きに、天野さんのまわりを回っている。
コマを戻しても送っても、回る向きは変わらない。天野さんを芯にした、小さな渦だ。止められないと言っていた風は、これか。
回った砂は床をこすって、筋になって残っていた。
筋は何本もある。
どれも、同じ向きに寝ていた。
ほうきで一度に掃いたみたいに、どの筋も同じほうへ流れている。
渦なんて毎回でたらめに回るもの、と俺は思い込んでいた。
画面の上で、筋が流れていくほうへ指でなぞってみる。
指先は、広間の奥の壁に行き着いた。
コマを送る。
俺の飛ばした泥団子が2つ、その壁に当たる。
壁に残った当たり跡は、2つとも筋が指す先にあった。ほとんど重なるくらい、すぐ隣どうしだ。
「……何だこれ」
筋がいつも同じ向きに寝るなら、天野さんが同じ所にいるかぎり、泥団子も毎回同じだけ横へ持っていかれる。
方眼ノートを開いて、天野さんの名前を見出しに書いたページに、1行だけ書き足した。
同じ所に立てば、同じだけ流れるはず。
はず、だ。確かめてはいない。コマの中の2つだけで言い切れるほど、俺はこの渦を知らない。
◇
翌朝、日曜の入口の建物は、もう人で混んでいた。
改札みたいなゲートの列の前で、俺は天野さんを待った。朝に1人で潜ると言っていたのだから、この時間には来る。
何十回も、冒険者証を通す音が鳴った。そのたびに顔を上げて、違う人だと分かって、また下を向く。
人の流れの向こうに、青緑の上着が見えた。
天野さんは俺に気づいて、足を止めた。
「……黒沢さん。どうして」
「昨日のは、俺の見込み違いです」
天野さんは少しだけ目を見開いた。
「天野さんを壁際に立たせて、何もしなくていいと言ったのは俺です。天野さんのまわりの風に泥団子が入ったらどうなるか、考えもしなかった」
「でも、外したのは私の風で」
「昨日の録画を、1コマずつ見ました」
俺は一度、息を吸った。
「天野さんの《つむじ風》を、今日、測らせてください」
「泥団子が毎回同じだけ横へ流れるなら、その分、最初からずらして狙えます」
天野さんが顔を上げた。
まっすぐに俺を見ている。昨日の通路では、一度も上がらなかった顔だ。
何か言いかけて、やめる。
それから、ゆっくり目を伏せた。
天野さんは手首の布を見ていた。
誰かの冒険者証に、ゲートが短く鳴る。
人がまた1人、俺たちの横を通り過ぎていく。
俺は、待った。




