第35話 二人
「今、石が喋りました?」
天野さんは階段の上で本当に跳び上がった。
祝日の月曜。俺たちは第10層の、中層へ下りる階段の上に立っている。今日は配信をせず、胸のカメラで録画だけ回している。
喋った小石の正体はハズレだ。俺の読みが外れるたびに回数を言うモンスターで、今のも俺の外れだ。
「前回3匹減らしたから、今日の群れは小さいはずです」
そう言って見下ろした通路の奥に、灰色の背中が6つ、きっちりそろっていた。
「外れ。30回目」
足元の小石が、平らな声でもう一度言った。
「ほら! また!」
「……ハズレです」
「え、配信の? どれですか!」
天野さんが探しているのは、配信で見たヘルメット姿のほうだ。
天野さんがしゃがみこんで、段の上の小石を1つずつ見ていく。上から2段目の丸い小石は、顔を近づけられても、ぴくりともしない。
「……石ですね」
「今は、石です」
初めて組んだ人の前で、さっそく数えられた。
「あの、黒沢さん」
天野さんは立ち上がって、俺の顔を一度うかがった。
「今日は、あれを相手にしないで抜けましょう。私が連れていくので、黒沢さんは下を抜けて、先で待っててください」
「連れていくって、6匹ですよ」
「6匹だから、です」
天野さんは階段を半ばまで下りて、しゃがんだ。
段の隅の砂へ手のひらを向ける。
天野さんの吹いた風が砂を巻き上げ、いちばん手前のおおかみの顔に吹きつけた。
6つの頭がいっせいにこっちを向いた。
いや、天野さんを。
天野さんはもう背を向けていた。
走らない。早足だ。
おおかみが詰めてくると半歩速め、離れると緩める。追いつかせず、振り切りもしない。
群れはその背中を追って、ぞろぞろと階段の下を横切っていく。
通路の脇の、枝道へ。
最後の尻尾が暗がりに消えた。
階段の下は空っぽだ。
俺を2回も噛んだ群れが、1匹も残っていない。
爪の音が遠ざかるのを待って、階段を下りた。群れのいた通路を早足で抜ける。
先の分かれ道で待っていると、しばらくして、別の通路から天野さんが戻ってきた。前髪は風で上がったままで、息も切らしていない。
「これ、釣りっていうんです。わざと気づかせて、連れていきたい所まで連れていくんです。今のは、奥の行き止まりまで」
「……俺、毎回まともに相手してました」
「知ってます。見てたので」
◇
第12層の通路は天井が高く、床はほとんど岩盤だった。靴底に土の手応えがない。
だから、壁の根元のくぼみで足が止まった。
そこだけ色が白っぽい。
しゃがんで指を差し込むと、白い砂がさらさらと崩れた。
「《硬化》」
ひとつかみの砂を壁に押しつけて固めると、拳ほどの土が壁に張りついた。
その土に指で触れて《引力》をかけると、くぼみの砂が細い筋になって、するすると壁の土へ這い上がった。途中で一度も止まらない。
「中層は床に土がないぶん、壁際にたまるんです。それで粒が――」
「あの、私の砂の話もしていいですか」
まだ半分も話していなかった。
「私もいつも、こういう所で拾ってます」
天野さんが横から手を伸ばして、くぼみの砂をひとすくい、手のひらに乗せた。
「岩ばっかりの所だと、風に混ぜる砂がないので。中層の壁際は、だいたい覚えてます」
「じゃあ、取り合いになりますね」
「半分こしましょうよ」
半分は天野さんの分なので、研究所に頼まれた調査用の瓶には1本分だけ詰める。
ラベルの層の欄には、第12層と書き込む。
壁の土にはまだ砂を引き寄せさせたまま、くぼみの前で少し休んだ。
「泥団子、近くで見てもいいですか」
「どうぞ」
腰の袋から泥団子を1つ出して、天野さんへ軽く投げる。
泥団子は途中で横へ曲がった。
天野さんの指先を素通りして、壁へ。
こつん、と壁に固めた土に当たって跳ね、床に転がる。
「……私、嫌われてます?」
天野さんは空っぽの両手を見下ろした。
「すみません。俺が壁に固めた土に、俺の泥団子を取られました」
天野さんが噴き出した。
壁の土には《引力》がかかったままだった。指で触れて止める。拾った泥団子を、今度は手渡しした。
◇
第13層の通路の奥から、ホブゴブリンが2体、縦に並んで棍棒を提げて歩いてきた。
前に第10層で一人で倒したホブゴブリンより、ひと回り小さい。それでも2体だ。
迎える前に、右の壁際の土へ手をつく。
「《土操作》」
土が壁を這い上がって、数歩先で止まった。
「《硬化》」
土は拳ほどの玉に固まって、壁に張りついた。
俺は通路の真ん中に立って足首まで土で固め、6つの泥団子を体の周りでぐるりと回らせる。《引力》が届くのは、俺から7メートルほどだ。
「天野さんは、俺の左の壁際に。1体ずつ、俺の前まで連れてきてください」
「はい」
1体目は話が早かった。
砂を顔に浴びたホブゴブリンが、天野さんを追って俺の前へ出てくる。振り下ろした棍棒が回る泥団子の列の端を打ち、1つがはじき出された。
構わず残りを2つずつ、右の壁に固めた土へ引き寄せて飛ばす。2回とも、飛んだそばから引き寄せるのを止める。胸と頭を打たれて、1体目が崩れた。
天野さんはもう奥へ数歩出て、2体目へ手のひらを向けていた。次を釣る一吹きの間を計っている。
はじき出された泥団子は左へ飛んだ。天野さんのすぐ脇を通って、左の壁に当たって落ちるはずだった。
その泥団子が、何にも触れずに、天野さんの真横でふっと向きを変えた。
壁と平行に、通路の奥へ。
《引力》の届く距離の、外へ。
まだ、落ちない。
ごっ。
通路の奥で、2体目が肩を押さえてよろめいた。
「……今の、何ですか」
天野さんは手のひらを向けたまま固まっている。
俺は天野さんの足元から目が離せなかった。
床の砂がぐるりと回っている。さっき泥団子が曲がったのと同じ向きに。天野さんは今、風を吹いていないのに。
「あ」
俺の泥団子が、俺の力の届かない所で当たった。
2体目は肩をかばいながら、天野さんを追って俺の前まで来た。床に散った泥団子を手元へ引き寄せ直して、まとめて飛ばす。それで終わりだった。
【レベルアップ。Lv16からLv17になりました】
天の声を聞き流して、ノートを開く。
吹いてもいない風で泥団子が曲がった。なら、ちゃんと吹いた風なら、押して――。
一昨日『天野さん 風魔法C』と見出しを書いたページに、1行だけ書き足した。
風で、遠くまで運べる?
「何、書いたんですか」
天野さんが横から首を伸ばした。
「まだ分からないので」
ノートを閉じる。
「それより、この層の壁際の土、さっきと色が違いませんか」
しゃがんで、もう1本の瓶に土を詰める。ラベルには第13層と書いた。
天野さんは返事をしなかった。閉じたノートの表紙をじっと見ている。
帰りも、階段の下の群れは天野さんが釣ってくれた。
第10層まで上りきった所で、天野さんが足を止める。
「あの」
天野さんは手首の布に一度だけ目を落とした。前のパーティの話を打ち切ったときにも見ていた布だ。
「さっき書いたの、私の風のことですか」
答えずに、録画を止めた。
ポケットの上から、ノートを指で押さえる。




