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最弱の土魔法Fで戦えない地質研究員ですが、Aランクが引き返した崩落を岩ひとつ壊さずに通ってバズりました  作者: 月見まっちゃ
第3章 検証

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第34話 風

 しゃがんだ女の人の手のひらから、床の砂が一筋、こっちへ走ってくる。

 踏み固められた踊り場の床に、こんな量の砂が残っていたのか。砂は細い筋になって、階段に座り込んだままの俺の靴の先で止まった。

 女の人の前髪は、そのあいだずっと風にあおられてはためいていた。


 まっすぐだ。

 砂は筋の途中で、一粒も横へこぼれていない。土の人間の悪い癖で、人の顔より先に砂の流れ方を目で追ってしまう。

 俺の《引力》は、触った物へほかの物を引き寄せる。それで砂を集めると、砂は引き寄せた先で山になる。この砂は風に後ろから押されて、細い線のまま俺の足元まで来た。


 古参のパーティに断られたのは、ついさっきだ。ハズレにまで、小石の姿から出てきて「29回目」と言われた。

 ハズレはヘルメットをかぶった小さなモンスターで、俺の読みが外れるたびに回数を言う。

 中層から上がってきた女の人に「あの」と声をかけられたのは、その直後だ。

 落ち込む暇もない。


『誰』

『え、今の風?』


 女の人は立ち上がって、膝の砂を払った。肩はまだ小さく上下している。

 耳の下で切りそろえた黒髪に、青緑の薄い上着。手のひらはもう下りているのに、上着の裾はまだはためいている。忙しい上着だ。

 足元の砂も止まっていなかった。靴のまわりを薄く這って、上から見て時計の針と同じ向きに、ぐるりと回っている。

 見ているあいだ、その向きは一度も変わらなかった。風の吹き残しにしては律儀すぎる。


「風魔法C、天野澪(あまのみお)です。中層の前半を1人で回りながら、黒沢さんの配信、ずっと見てました」


『C!?』

『澪さんっていうのか』


 Cランク。陽菜の1つ下で、俺の1つ上だ。

 第2層で砂をいじる配信の何を面白がって見ていたのかは、ちょっと怖くて訊けない。


「あの、いつも隣にいる、ヘルメットの子は……」


 天野さんが踊り場をきょろきょろと見回す。

 階段の上から2段目では、ハズレが小石に化けたまま動かなかった。


「中層なら、私、案内できます。それで、黒沢さんと一緒に――」

「いえ、大丈夫です」


 天野さんが言い終わる前に、俺は断っていた。


『また断った』

『兄の悪い癖』

『妹ちゃんにもやってそう』

『最後まで聞いてあげて』


 天野さんはぱちりと一度まばたきした。


「今、私が言い終わる前に断りましたよね」

「……はい」

「まだ何も頼んでいません」


 ……確かに。

 俺は頼まれてもいないものを断っていた。


 天野さんは俺の顔を一度うかがってから、口を開いた。


「あの。階段を上がってくる途中で、聞こえたんです。さっきの人が、黒沢さんを断るの」


 踊り場で俺を断った、あの短い声のことだ。

 下から聞かれていたとは思わなかった。言い返さずに引き下がったところまで、全部聞かれていたことになる。耳の後ろが熱くなる。


「そのあと、片桐(かたぎり)さんたちが下りてきたので。壁に背中をつけて、やり過ごしました。それから、走ってきました」


『かたぎりさん?』

『さっきの傷の人か』


 天野さんは上着の背中を払った。壁に付いていた白い粉が少し落ちた。


「私も、あの人に、何をするか分からないって言われてきたので」


『え』

『同じ人に?』


 言い方は軽いのに、天野さんはこっちから目を逸らさなかった。


「何をするか分からないって言われた同士だから、来ました」


 天野さんは小さく首を横に振った。


「黒沢さんがかわいそうで来たんじゃないです。私が、来たかったので」


 「かわいそう」のほうは、言われてみると少し刺さる。

 さっきまで階段でしょげていたのは、確かに俺だ。


 俺は階段の下を一度だけ見た。

 青白い苔の光の中へ、段が続いている。あそこへ、誰かと一緒に下りる。


「それに、あの。私も第20層の先へ行きたいんです。でも、第20層には中間ボスがいて、1人じゃ越えられなくて」


 2人なら、中層の後半まで行ける。俺はそう踏んだ。


「何があって、あの人に――」

「前は、あのパーティにいました」


 天野さんはそれだけ言って、左の手首に結んだ細い布へ一度目を落とした。


『元パーティ?』

『あの傷の人の?』


 訊くのはやめた。

 布を見たときの天野さんの顔で、この話はここまでだと分かった。


 天野さんは黙って、俺の返事を待っている。

 さっきは布を見ていたのに、今は俺の顔から目を離さない。


『受けろ兄』

『今度は最後まで聞いたぞ』


 喉の奥で、言葉を1つだけ選んだ。


「……組みましょう」


 天野さんがぱっと顔を上げた。


「はい! じゃあ、いっぱい外しましょうよ。2人で」


『相方きた』

『組んだ!』

『兄が受けた!?』

『土と風だ』

『澪さんよろしく』


 同時接続数は31,000に跳ね上がっていた。


 これまで組んだ相手の人数を指折り数えてみたら、折ったのは親指1本だった。


 それだけで、さっきまで座り込んでいた階段が少し低く見える。

 外すのを楽しみにされたのも、生まれて初めてだった。


「中層の後半なら、第17層のミノタウロスを見ておきたいんです。協会の資料で、部屋の場所と、おのを持って突っ込んでくることまでは調べました」

「あの、資料に載ってないこと、言っていいですか」


 いいも何も、聞きたいに決まっている。

 俺がうなずくと、天野さんは少しだけ胸を張った。先輩の顔だ。


「あいつ、突っ込んでくるのはすごく速いです。でも、走り出したら曲がれません。よけられると、いったん止まって、向き直ります」


 跳びかかったおおかみが宙で向きを変えられないのと、同じだ。

 まっすぐ来るものなら、来る道の上に泥団子を置いておける。


「部屋の広さは」

「細長くて、狭いです。横に逃げる幅は、あんまりないと思ってください」

「それ、どの動画にも映ってませんでした」


 名前を調べた夜は、陽菜が言い当てたとおり、あいつの動画ばかり見た。どれも部屋の入口から撮った遠い画だった。


「映るくらい近くまで行く人、少ないので」


 さらっと言われた。


『澪さん先輩だ』

『ミノ曲がれないの初耳』


「月曜、祝日ですよね。まず中層の前半を、2人で歩きましょう。私が案内します」


 「案内」のところだけ、声が少し大きい。

 先輩風、というやつだ。風魔法の人が吹かせると、言葉どおりになりそうで怖い。


「下りるのは、こっちから――」


 天野さんは先輩らしく階段の下を手で指して、勢いよく一歩踏み出した。

 指した手のひらから風が漏れて、壁で跳ね返った分が本人の前髪を派手にあおった。


「わっ」


 先輩の風に、先輩があおられた。


「え、あ、今のは、外れに数えないでください」

「数えるのは、俺じゃないです」


 外れを数えるのは、階段の上の小石のほうだ。


『自爆した』

『かわいい』


 天野さんは前髪を直さないまま、何もなかった顔で振り向いた。直さないのか。


 月曜は2人で中層の前半を歩く。

 配信を切る前に、方眼ノートの新しいページを開いた。

 何年分もあるノートの中で、自分以外の名前をページの頭に書くのは、これが初めてだ。


 見出しには『天野さん 風魔法C』と書いた。


 書いた字が少し跳ねた。

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