第33話 踊り場
中層の後半へ下りる人間は、必ずこの踊り場を通る。
場所は第10層、中間ボスの広間の奥だ。第11層からの中層へ下りる階段の上にある、岩盤の出た狭い床になる。中層は第20層まで、後半は第16層からだ。
今朝、病院であばらのひびは治ったと言われて、胸の固定帯を外した。妹の陽菜に「中層の後半へ、誰と行くの」と訊かれてから6日たって、今日は土曜だ。
胸のカメラはもう回っている。背中の暗がりでは、座ったままのホブゴブリンが目だけで俺を追っていた。
『兄、月曜の会議どうなった』
「通りました。調査は研究所の仕事になって、平日は上層を回ってます。それで、レベルも1つ上がりました」
『ついでみたいに言うな』
『Cの相手は?』
「Cランクに上がるために倒す相手なら、第17層の奥のミノタウロスです。協会の資料で調べました」
『でかいおの持って突っ込んでくるやつじゃん』
研究所の決まりでは、Dランクの俺は第20層まで入れる。それでも1人で行くのは、この階段の上までにしている。中層の後半は1人で潜る所じゃない、と陽菜に言われたからだ。
息を胸いっぱいに吸っても、もう鳴らない。それにまだ慣れない。
「今日は、ここで待ちます」
胸のカメラに向かって言った。
「中間ボスを倒した人は、入口の近くの転移陣から、一瞬でここに出てこられます。後半へ行く組は、みんなこの踊り場に出てくる。ここに立っていれば、全部の組に会えます」
ちなみに俺は転移陣に乗らず、50分歩いて下りてきた。
『出待ちだ』
『転移陣の出待ち』
『兄、組む相手探してるの?』
「……はい。後半へ連れていってくれる組を」
『ホブずっとこっち見てる』
『背中こわ』
一度倒した相手に、ホブゴブリンは向かってこない。座って見ているだけだ。見られるこっちは落ち着かないが。
転移陣からは、まだ誰も出てこない。
ただ待つのはもったいないし、踊り場の隅には砂が溜まっている。
「待つあいだに、1つ測ります。弾にする泥団子が、ここの砂でいくつ作れるか」
腰の袋に入れた泥団子は、前の日に第2層で作った6つだ。一度に扱えるのは6つまでだ。先週は階段の下の群れ1つで、6つとも使い切った。
その場で作れるなら、話が変わる。
隅の砂を、指で固めた芯へ引き寄せて、拳ほどの泥団子にする。
2つ目までは、MPの減りもわずかで済んだ。
3つ目ができあがったとき、MPがごっそり減って、目の前が暗くなる。
気づけば、膝に手をついていた。
『顔色』
『無理すんな』
『待ち時間に内職してて草』
『兄、膝』
「……大丈夫です。座れば戻ります」
測りたいのはここからだ。泥団子を作ったあとでも、袋の6つをいつもの秒数だけ回していられるか。
重い物を振り回すと、腕だけでなく体ごと持っていかれる。ハンマー投げの選手と同じだから、足を床に留めておく。
その場に座って、隅に残った砂へ両足を入れ、土魔法で足首まで固めた。
袋の6つを体のまわりに回し始めると、上半身が弾のほうへぐいと持っていかれかける。それを、固めた足首が床に引き止めてくれる。
頭の中で、秒を数えた。
いつもなら回していられる秒数まで、数えきれなかった。MPが足りずに頭が割れそうに痛み、弾が勢いをなくす。6つとも床に転がってしまう。
『落ちた』
『秒で終わった』
作れる。でも、作るほど戦えない。
◇
それから長い待ちになった。
転移陣のまわりの床には白線が引いてあって、脇に協会の札が立っている。
札の文面は、『白線の内側で立ち止まらないでください。転移してくる方とぶつかるおそれがあります』だ。
白線は踏んでいない。その際に立って、もう3時間になる。
『立ち止まらないでください(3時間)』
ハズレは、石のヘルメットをかぶった小さなモンスターだ。今は階段の上から2段目で、小石に化けている。
最初に転移陣から出てきたのは、4人の組だった。同行を頼むと、先頭の若い前衛が俺の胸のカメラを見て苦笑いする。
「土F兄ですよね。すみません、組むと何が起きるか、分からないんで」
土魔法Fの、陽菜の兄、という意味で視聴者が付けた呼び名だ。
うちは4人で回してるんで、と付け足して、前衛たちは階段を下りていった。次の組も4人で、同じような顔で同じことを言った。
2組続けて満員だ。
『土F兄は有名すぎて逆に組めない』
『切り抜きのせいで』
『何が起きるか分からないは草』
「次の組は、乗ってくれます」
◇
夕方近くになって、転移陣から次の組が出てきた。
また4人。先頭の男は、左の頬から顎にかけて古い傷跡が引きつれている。
「第16層で一度止める」
「了解」
短い言葉で、それだけ確かめ合っている。後半へ行く組だ。
「あの、すみません」
声をかけると、4人が足を止めた。
「中層の後半へ行かれるなら、連れていってもらえませんか。5人目でいいです」
傷跡の男が俺の胸のカメラを一度見て、それから顔を一度見た。
「土Fが回す弾が次にどこへ飛ぶか、うちの誰にも分からない」
笑ってはいない。天気でも言うような、平らな声だった。
「何をするか分からないやつは、後半に連れていかない」
話はそれで終わりだった。
どこへ飛ぶかなら、俺には分かる。弾は、引き寄せるのをやめた瞬間の向きへ飛ぶ。その向きも、飛びきるまでの秒数も、俺は全部数えてある――そこまで、喉元に出かかった。
「……そうですね」
『土Fで切るのかよ』
『言い方』
『いや、パーティの判断としては正論』
『後半だぞ、何するか分からない奴は入れない』
『正論なのが一番きつい』
男が振り返らずに、後ろの3人へ言った。
「2歩空けろ」
それだけで、3人が前の背中から2歩ずつ離れ、並びが組み直される。手慣れている、なんてものじゃない。
誰も聞き返さない。階段を下りていく足音は、最後まで乱れなかった。
腹は立つ。なのに、言い返せる言葉が1つも見つからない。
踊り場には誰もいなくなった。
階段の上から2段目で、小石がもぞりと動いた。ヘルメットの下から、ハズレの丸い体が出てくる。
ヘルメットはいつもより目深だ。
「外れ。29回目」
俺の読みが外れるたびに、こいつは数を言う。
『ハズレも今日は追い打ち』
『数えるなよ』
『29回目……』
笑おうとした。
胸は、鳴らなかった。
ひびはもう治っている。痛む所はどこにもないのに、笑いが出てこない。
階段のいちばん上に腰を下ろす。
断られたのは、呼び名のせいだけじゃない。何年も第2層の行き止まりを土壁で閉じて、1人で潜ってきた。誰かと組んで歩く方法を、俺は知らない。
『元気出せ兄』
『次があるって』
『妹に頼めば?』
『陽菜ちゃんいるじゃん』
そのコメントには答えなかった。
背中の広間のホブゴブリンは、1人で倒した。
その広間の奥から、1人では下りられない。
同時接続数は27,000まで増えている。こんな日に限って。
階段の下から、足音が上がってきた。
軽い足音だ。下から上がってくる人は今日初めてだ。
気づくと、ハズレはもう小石に戻っていた。
踊り場に上がりきったのは、女の人だった。
青緑の薄い上着の裾がまだはためいている。上がったままの前髪を直しもせず、膝に手をついて息を整えていた。さっきの俺と同じ格好だ。
左の手首には細い布が結んである。
「あの」
顔を上げた彼女と、目が合った。
「中層なら、私、案内できます」




