第32話 棚
「兄ちゃん、そこに立ってもう30分だよ」
テーブルから、陽菜の声が飛んできた。
昨日、第11層でおおかみの群れを退けた。今日はその翌日の日曜だ。
第11層の土は2本の瓶に採ってきて、研究所に預けた1本は明日の会議の前に三島さんが測る。今握っているのは家に置くもう1本で、ふたに陽菜が「第11層」と書いてある。
置き場所がない。
立ちっぱなしのせいで、右のふくらはぎに巻いた包帯の下がじんわり熱い。
居間の棚では、陽菜の段がすっきり片付いている。
俺の段は、上層の土の瓶で端から端まで埋まっている。
陽菜がこのふたに字を書いた日には、第10層の瓶の先がまだ空いていた。そこにも今は、平日の調査のついでに採った上層の瓶が並んでしまった。
1本どかせば済むのは分かっている。
「どれか捨てなよ。いっぱいあるじゃん」
「捨てていいのが、ない」
陽菜が立ってきて、段の真ん中の2本を指でつついた。
「この2本、どっちも第2層って書いてある」
「左は行き止まりの床。右は、初めて小石が止まった所の土」
「同じ所じゃん」
「1メートル違う」
陽菜があからさまに、うわ、という顔をした。
言いながら、自分でも重症だと思う。
陽菜は段の左端から1本を持ち上げた。
「じゃあこれ。ラベル、取れてるよ」
「それは第5層の、通路の曲がり角」
「なんで分かんの」
「色と、粒で」
陽菜はもう一度、うわ、という顔をした。
どの瓶にも、ちゃんと理由がある。1本捨てたら、その日にノートへ書いた何行かまで一緒に捨てることになりそうだ。
だから困っている。
「あと、脚。包帯の上から30分立ってるの、やめな」
「座ったら、決まらない気がする」
「決まんないのは座ってないからでしょ」
正論だ。それでも俺は立ったまま棚をにらんでいた。
陽菜はため息をついて、スマホをこっちへ向けた。
「はい、気分転換。昨日のやつ、もう切り抜かれてる」
題は、〔土Fなのに異常に強い人 泥リボルバーでおおかみの群れ〕。
「……前の題に、つぎ足しただけじゃないか」
「いいじゃん。スレも伸びてるよ」
陽菜が画面を送る。
土F兄の引力検証を見守るスレ part41
312:名無しの冒険者
先週、自分で配信の題に「外れ」って付けて帰ってきた人が
1週間で群れ追い返してて草
315:名無しの冒険者
>>312
昨日の配信の題が「もう一度」だったの、ちゃんと回収してきたな
「せめて頭の土Fを取ってくれ」
「無理でしょ。もう名前だもん」
切り抜いてくれと頼んだ覚えはない。俺は土を採りに行っただけだ。
テーブルの上で、今度は俺のスマホが震えた。三島さんからのメッセージだ。
土曜の配信の録画で、弾の当たりを数えました。6発中4発、67%です。
当たってます、ちゃんと当たってます、と感嘆符まで付いて続く。
瓶と持ち帰った弾は、明日の会議の前に測ります、で終わっていた。
当たりが好きな人の、当たったときの文面だ。
「67って、いいの?」
陽菜が横から画面をのぞきこむ。
実験室で、止まった的に投げたときの当たりは73%だった。
昨日、走ってくるおおかみに投げた当たりが67%。
「かなり。実験室の数字に、ほぼ届いた」
三島さんの文面を下まで送る。数字と予定のあとには、何も続いていない。
先週、三島さんは動画のコマを止めて「たぶん」と言いかけ、続きを言わなかった。その続きは今日の文面にもない。
もう一度、棚に向き直った。
よく見ると、瓶と瓶のあいだに、指1本分ずつ隙間が空いている。
捨てなくていい。詰めればいい。
左の端から順に、瓶を隣へ寄せていく。瓶どうしが当たって、ガラスが小さく鳴る。
陽菜がつついた第2層の2本も、ぴたりとくっつけた。1メートル離れた所の土でも、棚の上なら隣でいい。
ノートの背表紙まで寄せきると、段の右の端に、瓶1本分の隙間ができた。
そこへ第11層の瓶を置いた。
ふたの字が前を向くように、瓶を回す。
上層の湿った茶色の土が、ずらりと並んでいる。
その端に1本だけ、乾いた色の土がある。
「……浮いてる」
いつの間にか、陽菜が俺の肩越しにのぞきこんでいた。
陽菜が指を伸ばして、ふたの丸っこい字をとん、と叩いた。
この瓶を空のまま第10層の隣に置いたのは、陽菜だ。
「空っぽで置いたのにさ」
ふたに指を置いたまま、陽菜が続ける。
「……ちゃんと、入って帰ってきた」
すぐには返事が出てこなかった。
陽菜は棚と俺の顔を見比べて、にやっと笑った。
「おめでと、兄ちゃん。30分かけて、端っこに1本」
「端っこしか空いてなかったんだよ」
つられて笑ったら、胸の固定帯の下でひびが鳴った。
痛みに顔をしかめながら、俺はもう第11層の瓶のふたを回していた。
ひとつまみ出して、指の腹でほぐす。隣の第10層の瓶も開けて、同じようにつまむ。両手の指先をこすり合わせると、違いが皮膚に残った。
これより下の土は指にどう残るんだろう。自分の指で確かめるまで、たぶん落ち着かない。
陽菜はソファへ戻りかけた足を止めて、黙って俺の手元を見ていた。
「中層のはさ、上層より乾いてて、粒の大きさも揃ってて――」
「あ、説明はいい」
まだ何も聞かれていなかった。
陽菜はソファの背にもたれて、棚の端を眺めたまま言った。
「で、次はCランクだね」
「Dの次か。Cは、何を倒せばいい」
「中層の後半で、協会が指定してるモンスター」
「指定って、どのモンスターだ」
「教えたら兄ちゃん、今夜それの動画ばっか見るでしょ。脚治すのが先」
図星すぎて、何も言えない。
中層の後半。昨日の第11層より、ずっと下の土だ。第11層の瓶の隣に並べる土は、そこまで自分で採りに行くことになる。
「先に言っとくけど」
陽菜の声が少しだけ平らになった。ダンジョンの話をするときの、先輩の声だ。
「中層の後半は、1人で潜る所じゃないからね。昨日のおおかみがかわいく見えるのが、普通に出てくるから」
言い返す材料を探して、すぐにやめた。
持って下りられる弾は6つまでだ。昨日は階段の下の群れ1つで、6つとも使い切っている。
6つの弾で、中層の後半の奥までもつわけがない。
「うちのパーティ、盾の子が治るまで休みだからさ。そのあいだなら、あたしが一緒に――」
「いい」
陽菜が言い終わる前に、俺はもう断っていた。
陽菜が、言いかけた口の形のまま固まる。
まばたき1回分、間があいた。
「……じゃあ、誰と行くの?」
答えようとして、口を開ける。
何年も、第2層の行き止まりの入口を土壁で閉じて、中で1人で土をいじってきた。下りるときも上がるときも、ずっと1人だった。
組んだことのある相手を、指を折って数えようとする。
親指が、曲がらなかった。
いない。
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知識で先回りして元の職場を見返す話がお好きなら、同じ作者名のページから『俺のスマホのAIだけ、ダンジョンの答えを全部知っている〜クビにされた配信の裏方、元職場が狙うボスを先に倒してバズる〜』も読めます。




