第30話 振り子
飛ばした泥団子は1つも当たっていなかった。
週明けの終業後、実験室の隅のモニターで、三島さんがおとといの配信のアーカイブを1コマずつ送っている。
俺は丸椅子に座り、包帯を巻いた右のふくらはぎを伸ばしていた。胸の固定帯も、まだ取れない。
ホワイトボードには三島さんの字で2行。泥団子が当たった数と、飛ばした数だ。
実験室の的 35/48(73%)
第11層のおおかみ 0/4(0%)
「先に、私の用件からいいですか」
三島さんは画面から目を離さずに言った。
「試料の泥団子、6つとも映ってました。階段の下の床に、転がったままでした」
持って帰ると、俺が約束した物だ。
「作り直して、測り直します。試験の枠はもう切れていたので、班長に判をもらって、今週だけ延ばしました」
「……そうか」
「毎晩、私の測り直しが先です。先輩の練習は、残りの時間でお願いします」
責める言葉は1つもない。事実と条件だけだ。そのほうがよほど刺さる。
言い訳は出てこなかった。置いてきたのは俺だ。
コマが進むたびに、俺を囲むおおかみの影が少しずつずれていく。
俺の飛ばした泥団子は、どのコマでも、おおかみがさっきまでいた所を抜けていた。
7割当たるのは、この部屋の中だけの話だったらしい。
あるコマで、三島さんの指が止まった。
泥団子の通り道のすぐ内側で、おおかみが宙に浮いている。その横腹に、泥団子が1つ食い込んでいた。第11層で1匹だけ倒した、あのおおかみだ。
「……たぶん」
三島さんはそこで口を閉じた。
今、たぶんと言ったか。測っていないことは口にしない人が。
「たぶん、何だよ」
「何でもありません。測っていないので、言いません」
「言いかけてやめるなよ。気になるだろ」
「気にしていてください」
三島さんはストップウォッチを握ったまま、モニターから半歩下がった。続きを言う気はないらしい。
おおかみが1匹倒れているようにしか、俺には見えない。
しかたなく、止まったコマに顔を寄せた。
このおおかみは横へ走っていない。鼻先を俺に向けて、まっすぐ跳び込んできている。
跳んでいるあいだは足が床に着かないから、曲がりようがない。
当たらなかった泥団子の先のおおかみは、どれも床を蹴って向きを変えている。
当たったのはまっすぐ来たやつだけだ。
似た場面なら、前に一度ある。
初めてゴブリンを倒した日、行き止まりに隠れた俺は、塞いだ土壁を外から刃で削られていた。だから塞ぐのをやめて、ゴブリン1匹分だけすき間を開けた。開けた所からしか、あいつは入ってこられない。
あの頃の俺のほうがよっぽど賢い。
「三島さん。向きを変えるやつを追うのは、もうやめる」
当たる所へ、来させる。
マーカーを取って、ホワイトボードの数字の下に階段の下の通路を描いた。
通路の脇の土で壁を2枚立て、あいだにおおかみ1匹分のすき間を残す。すき間の向こうの壁には土を固めて、泥団子を飛ばす先にする。
俺に来たければ、おおかみはこのすき間を通るしかない。
ただ、すき間に着いてから切り替えたのでは遅い。《引力》で泥団子を引き寄せる先を、俺から的へ切り替えても、泥団子が実際に曲がるまでには0.49秒かかる。そのあいだに、おおかみはすき間を抜けてしまう。
「だから切り替えるのは、おおかみがすき間へまっすぐ向かってきたときだ」
三島さんが図の壁をペンの尻でつついた。
「この壁も、固めた土ですよね。なんで別に土を固めるんですか」
「壁はおおかみの手前にある。引き寄せる先を壁にしたら、泥団子は壁に当たるだけだ」
「……なら、動く的が要りますね」
三島さんは天井のはりを見上げた。
「明日、私の測り直しのあとで、つるしておきます。測りましょう」
◇
次の日の終業後。三島さんの測り直しが済むと、はりから的がぶら下がっていた。
土を詰めた袋を、縄でつるしただけの振り子だ。安い試しから、ということらしい。
的は、俺と奥の壁に固めた土とのあいだを、行ったり来たりして横切っていく。
振れている的の先を予測して、飛ばす。泥団子は的が通り過ぎたあとの宙を、律儀に抜けていった。
「10回で、当たりが2回。20%です」
「振り子にも負けるのか、俺」
「おおかみより、ずっと遅いんですけどね」
追い打ちが的確すぎる。
足を固めていた土をほどいて、試験用の土に手をついた。
「《土操作》、《硬化》」
床の土が盛り上がり、振り子の通り道をふさいで、壁が2枚立った。
あいだに残ったおおかみ1匹分のすき間の向こうに、奥の壁の土が見える。
これなら、追わなくていい。
もう一度足を床に固定し、6つの泥団子を体の周りに回らせた。
三島さんが袋を手で横へ持ち上げて放し、入口の脇の、透明な板で仕切った測定室へ駆け込む。
的が、戻ってくる。
すき間へ向かって、まっすぐ。
切り替えた。
2つが列を離れて飛ぶ。
的はもうすき間を抜けていて、泥団子は奥の壁にぼそりと埋まった。
「外れ」
板の向こうから三島さんの声が届く。
すき間を狙ったのは合っている。遅れたのは、俺の切り替えのほうだ。
次は早すぎた。泥団子はすき間の手前の宙を抜けて、的はそのあとから悠々とすき間を通っていった。
「外れ」
引き寄せる先を壁の土へ切り替えて、すぐ自分へ戻す。
的がすき間へ向かうたびに、それだけを繰り返す。
「外れ。……外れ」
三島さんは1つも飛ばさずに数えていく。
数えられるたびにMPが減っていく。周りの泥団子が少しずつぶれ始めた。
持つのは、あと1回分だけだ。
的が、戻ってくる。
すき間へ向かって、まっすぐ。
切り替えた。
ごっ。
すき間の中で、的が大きく揺れた。
「……当たり」
外ればかり数えていた声が、それだけ言った。
引き寄せる先を自分へ戻したとたん、MPがごっそり減った。列がほどけ、残りの泥団子が床に転がる。
限界だ。足の土をほどいて、その場に座り込む。
【取得可能なスキルに、《MP自動回復》が加わりました】
……今か。
岩を周りに回す練習を始めてから、俺は毎回、頭が割れる手前まで続けてきた。その分がやっと積もったんだろう。
座ったまま、ステータスを開いて取得可能なスキルの欄を見た。
取得可能なスキル:《MP自動回復》(5)
スキルpt:18
回している間もMPが戻るなら、欲しい。
「三島さん。払う前に、測ってもらえるかな。回してる間に、MPがどれだけ戻るか」
「今は戻らないんですよね」
「たぶん。だから、測ってほしいんだ」
「……それ、私が言うやつです」
翌日、6つを1分回し、始めと終わりに俺がMPを読み上げた。三島さんが引き算する。
1分で戻ったMPは0。知っていた数字だ。
その場で取得を選ぶと、本当に取得するかを訊く文字が出た。頭の中ではいと答えた。
【《MP自動回復》を取得しました】
スキル:《土魔法》 Lv8/《引力》 Lv4/《MP自動回復》 Lv1
スキルpt:13
払っても、体は何も変わった気がしない。勝手に働くスキルだから、確かめるには翌日もう一度測るしかない。
その次の日、同じように測ると、板の向こうで三島さんの声が跳ねた。
「MPの戻り、3です。1分で3! 出ましたよ、先輩」
6つを回していられる時間が、数秒延びるだけの数字だ。MPが減っていく感じは、昨日と少しも変わらない。
それでも、0よりは3だ。
頼まれてもいないのに、俺はもう一度6つを周りに回らせていた。
この2日も、三島さんの測り直しが済んでからの短い時間で、すき間と振り子の練習を続けた。
2日目の最後の1回を数え終えて、三島さんがボードに書き足す。
4/10(40%)
「追うより、倍です」
「6回は外れてるけどな」
おおかみは振り子ほど素直に戻ってこない。
金曜は試験用の土で泥団子を6つ作る。
三島さんは1つずつ重さと硬さを測ってから袋に入れ、口を縛って俺に渡した。
「今度は、持って帰ってきてください」
「……ああ」
片付けのとき、三島さんが振り子の縄をほどくのを手伝った。
「そういえば、アーカイブを見てたとき。何を言いかけたんだ」
「測ってからにします」
三島さんは縄を巻く手を止めなかった。
測る人に、測る前のことを訊いた俺が悪い。
帰る前に、ホワイトボードの図を方眼ノートに写した。
すき間の横には『振り子 4割』『泥団子6つ』と書き足す。
来月頭の会議の前の、最後の土曜。もう一度、第11層へ下りる。
おとといの第11層の配信では、切る前に題の末尾へ〔外れ〕と足した。
今度の題は、〔第11層 中層の土を採る もう一度〕。




