第28話 替えて、戻す
「切り替えにかかる0.6秒で、おおかみは体3つ分先へ行きます」
三島さんが、第10層の階段の上でおおかみの群れを見た日のアーカイブを、タブレットの上で止めた。
週明けの終業後、研究所の実験室だ。三島さんは自分の測定を先に済ませて、階段の下を横切った影をコマ送りで数えてきたらしい。
「先輩が岩を引き寄せる先を変えようと決めてから、岩の動きが変わるまでのあいだに、数メートル走ってます」
画面の中を灰色の背中が流れていき、1コマ送るともう端に消えかけていた。
階段の上から見たあの速さを数字にすると、こうなる。
ホブゴブリンと戦ったときは、あいつが立ち止まる所を先に読み、その向こうの壁の土を固めて的にした。引き寄せる先を俺からその的へ切り替えると、体の周りを回っていた岩は的へ飛び、途中のあいつに当たる。
「あのときのやり方は、使えないな」
「どうしてですか」
「こいつら、一度も足を止めてない。止まる所がないと、的をどこに作ればいいか決められない」
それに、切り替えると回っていた5つはまとめて飛んでいく。手元に1つも残らないから撃てるのは1回きりで、外れたらそこで終わる。
群れ相手に1回きりでは、とても足りない。
「じゃあ、先に先輩の0.6を測りましょう」
三島さんが台車で押してきたのは、ハイスピードカメラだった。1秒を何百枚にも切って撮れるやつだ。
「別の班の備品なので、借りられたのは今日と3日後だけです。それと、私がこの部屋を使えるのは今週いっぱいです」
研究所の中なのに、締め切りだらけだ。
俺は区画の土で足首を固定し、資料庫の岩を5つ、腰の高さで体の周りに回らせる。止めると決めた瞬間に左手を握り、その手と落ちていく岩をカメラが一緒に撮る。
機材は立派なのに、俺の合図だけやけに原始的だ。
三島さんは透明な板の向こうの測定室で、モニターを1コマずつ送った。
「0.61秒です」
ホワイトボードに「効くまで 0.61秒」と書き足される。
俺のノートの「約0.6秒」は、動く岩を見ながらの目分量だった。当たっていたことより、小数点の下まで出てきたのがおかしくて、笑ってしまう。
三島さんは俺のノートを開き、自分で足した「未計測」の升目の1つに線を引いて、0.61と書き込んだ。
「1つ埋まりました」
人のノートで、うれしそうにしないでほしい。
◇
切り替えると5つがまとめて飛んでいくなら、全部が飛ぶ前に止めればいい。
引き寄せる先を的に移しても、俺が岩を引き寄せる力は0.61秒残る。そのあいだに自分へ戻せば、まだ飛んでいない岩は周りを回り続けるはずだ。
投石紐を回したまま、石を2つだけ放すようなものだ。
「試すか」
体の周りを一列になって回る岩5つを、列の片側に寄せ、その先頭が奥の壁の的を向く手前で切り替える。飛ばすのは先頭の2つだけのつもりだった。
5つとも列を離れた。
ひとかたまりのまま奥の壁へ飛んで、的の土のまわりにまとめてめり込む。
「先輩。2つって言いましたよね」
「言った」
隙間なく寄せた5つは、俺の目には1つのかたまりに見えていた。
小石を引き寄せたら足元の砂までついてきたのと同じだ。俺がひとかたまりと見たものは、まるごと引き寄せられる。
だったら、飛ばす2つだけが1つのかたまりに見えるようにすればいい。
列の中で、先を行く2つをくっつけ、後ろの3つとは岩2つ分ほど離して回らせる。
切り替える。
今度は2つだけが列を離れた。ここまではいい。
すぐに、引き寄せる先を自分へ戻す。
戻ったときには、残りの3つが床の土に転がっていた。
「……遅いか」
測定室のスピーカーが鳴った。
「岩を自分へ戻すのが、0.3秒遅いです」
ホワイトボードの0.61の横に、0.3が書き足される。
まばたき1回分。詰まりそうで、詰まらない数字だ。
◇
火曜と水曜も、終業後に同じことを繰り返した。
カメラはもうないが、間に合ったかどうかは床を見れば分かる。残りの3つは毎回、土の上に落ちている。
自分へ戻すたびに足を据えて踏ん張り、そのたびに胸の固定帯の下でひびが鳴った。
一晩に試せる回数は、思っていたよりずっと少ない。三島さんには言っていない。
水曜の夜も半分が過ぎ、この部屋を使えるのはあと2晩になった。
床に落ちた3つを拾いながら、さっきの自分を思い返す。
俺は毎回、飛ばした2つを最後まで目で追っていた。当たったか。外れたなら、どっちへそれたか。
見届けてから、やっと戻す。
0.3秒の遅れは、俺が見届けていた時間だった。
外れの行き先を見るのが、昔から好きだった。ノートの何年分かは、それで埋まっている。
「三島さん」
「はい」
「行き先は、そっちで見ててくれ」
透明な板の向こうで、三島さんがまばたきした。
5つを回らせる。先を行く2つをくっつけ、後ろの3つとは離す。
俺は周りの岩から目を上げない。
くっつけた2つが的を向きかける。
引き寄せる先を的へ切り替え、すぐ自分へ戻す。
2つが、目の端から消えた。
ごっ、と奥で的の柱が鳴る。
見ない。
俺の周りを3つが回り続けていた。
「残ってます!」
スピーカーが割れそうな声だった。
「先輩、残ってます! 3つとも落ちてません!」
残った3つのうち、先を行く2つをくっつける。
もう一度、的へ移して自分へ戻す。
また、柱が鳴った。
俺の周りに残ったのは1つ。
岩が俺の周りを一回りするあいだに、2つずつ2回飛ばせた。
「……替えて、戻す、か」
外れの行き先を見なかったのは、たぶん初めてだ。
「行き先は」
「4つのうち2つが柱に当たって、2つは右にそれました! ちゃんと見てました!」
◇
カメラが戻ってきた日も、同じやり方を繰り返した。
何十回目かで、頭の中に天の声が鳴った。スキルが上がったことを告げる、あの声だ。
【《引力》がLv4になりました】
浮かべた岩の重さが一段軽くなった気がした。
「先輩、今の! 測ります!」
「0.49秒です」
ホワイトボードの0.61の下に、0.49が並んだ。
「0.12秒も縮んでます! レベルって、ちゃんと数字に出るんですね」
体の周りに浮かべておける岩も6つになった。部屋の隅から反対の隅の的まで、7メートルほどなら楽に届く。
「6つなら、2つずつ3回だな」
三島さんは動かない的で、当たった数を数えはじめた。6つを2つずつ3回で飛ばし切るのを、8回やる。飛ばした岩は全部で48個だ。
「48個中35個! 73%です、先輩!」
ボードには、前に測った当たりの割合の52が残っている。三島さんはその下に73と書いた。ペンを握ったまま、両手を上げている。
「3割近くは、まだ外れるけどな」
「7割当てる人の台詞じゃないです」
外れた13個の行き先を、今度はゆっくり1つずつ見た。ばらけてはいないが、まだ揃ってもいない。
直す所が残っているのは、悪くない。
◇
片付けながら、タブレットのおおかみをもう一度見た。
「走っていく先の壁に的を作って飛ばせば、当たると思う」
三島さんはすぐには何も言わなかった。
「……ダンジョンの中は、私には測れません」
「うん」
「なので、アーカイブで数えます。1個残らず」
三島さんは、当たるかどうかには最後まで触れなかった。
部屋を使える最後の日に、試験用の土で泥団子を6つ作った。
1つ作るたびにMPがごっそり減る。ダンジョンで作っていたら、岩を回らせる前に尽きてしまう。
三島さんは6つを先に測ってから、袋に入れてくれた。
「この土、私の試料ですから。使ったら、持って帰ってきてくださいね」
「全部か」
「全部です」
袋は腰に重くぶら下がった。下りる道の長さを考えると、6つより多くは持てない。
◇
次の土曜。第10層の、中層へ下りる階段の上。
腰の袋の中で、泥団子が6つ、ごつごつと当たる。ベルトには、研究所のラベルの瓶と、陽菜がふたに「第11層」と書いた瓶を下げてきた。
どっちもまだ空だ。
配信をつける。題は「第11層 中層の土を採る」。
『中層きた』
『階段の上?』
『泥団子持ってる?』
『ハズレもう座ってる』
ハズレは階段の上から2段目に座っていた。今日も俺より先にいる。
来月頭の会議までに潜れる土曜は、今日を入れてあと2回。
胸の固定帯はまだ外れていない。
この暗がりの先を、あの灰色の背中が走っている。
1段目に足をかけた。




