第27話 泥団子
床に手をついて《土操作》を唱えても、指の下でざらりと動いたのは砂がひとつまみだけだった。
第10層の広間の奥、中層へ下りる階段の上にある、岩盤がむき出しの踊り場だ。ボスを倒した冒険者が毎日踏んで下りるので、床は固く土が薄い。
奥の暗がりには、1週間でまた現れたホブゴブリンが座っていて、目だけで俺を追ってくる。
それでも立ち上がりはしない。一度ここのボスを倒した俺には、もう向かってこない。
水曜に勤め先の班長へ地質調査を受けると返事をしたら、研究所の印刷ラベルが付いた空の瓶を箱ごと渡された。
木曜と金曜はその調査で上層を回り、瓶に土を詰めてきた。ラベルの層の欄を自分の手で埋めていくのは、思っていたよりずっと楽しい。
ただ、調査を業務と認めてもらうには、来月頭の会議までに中層の土が1本要る。
「改めて、今日の題は『第10層 岩のない所で弾を作る』です」
同時接続数、20,000。
『題がもう実験ノート』
『ほんとに岩ないな』
『床つるつるじゃん』
『今日は地味回?』
「階段の下も、たぶんこういう床です。岩の代わりになる物さえあれば、いつもみたいに周りを回らせられるんですけど」
階段のいちばん上の縁には、俺が着く前からハズレが座っていた。石のヘルメットの小さなモンスターで、俺の失敗を数えるからこの名がついた。
ハズレは半分まぶたを下ろしたまま、俺の指先のひとつまみを眺めている。期待されていないのはよく分かる。
最初の30分はコメントの案を安い順に試した。
『壁削って岩にすればよくね』
「一応、やります」
壁に手を当てて《土操作》を唱えても、何も動かない。指の下は岩盤で、岩盤に《土操作》が効かないのは知っている。
それでも、言われたら試さずにはいられない。
「外れ。22回目」
『知ってた』
『ハズレ容赦ない』
『やる前から分かってたろ』
《硬化》を何度重ねても、踏み固められた土はそれ以上固くならなかった。
砂だけを《硬化》で固めた玉は、持ち上げたとたんに崩れた。砂どうしをつなぐ土が足りないのだ。
しくじるたびに足りないものが1つ分かって、声が勝手に弾む。
『外れるたび元気になってない?』
『この人テンションおかしい』
ハズレの数える失敗はもう24回目だ。
そこへ、階段の下から足音と話し声が上がってきた。中層帰りの冒険者が4人、泥のついたブーツで段を上ってくる。
縁に目をやると、ハズレはヘルメットの中に体を引っ込めていた。石のドームだけが残っていて、階段の縁の小石にしか見えない。
『ハズレ石になった』
『擬態うますぎ』
4人のうちの1人が、しゃがみこんで砂をいじる俺を不思議そうに見下ろして通り過ぎていった。
小石のふりなら、ハズレのほうがよっぽどうまい。
足音が遠ざかると、ハズレはヘルメットの下から目をのぞかせた。何事もなかった顔をしている。
『おかえり』
『人見知りなの?』
知らない。訊いても、こいつは答えない。
床に目を戻す。
1か所から取れる砂はひとつまみしかない。けれど、踏み散らされた砂なら床一面に薄く残っている。
1か所で足りないなら、まわりからまとめて引き寄せればいい。
階段の脇の隅から砂まじりの土をかき集めて両手で握り固めると、親指ほどの芯ができた。
それを床に置いて指先で触れる。この芯へ向けて、床じゅうの砂を《引力》で引き寄せる。
「試すか」
弱めに引き寄せる。
床の砂がふわりと浮き、細い筋になって芯へ寄ってきた。
寄ってきた砂は芯のまわりに積もっただけで、固まらなかった。指でつつくと、さらりと崩れる。
「外れ。25回目」
「惜しい! 今の、すごく惜しいです」
自分でも分かるくらい、声が上ずっていた。
『なんでうれしそうなの』
『25回目でいちばんいい顔』
『実に面白いって顔してる』
『外れたときのほうが楽しそう』
「……引き寄せる力が足りないんだ」
強く引き寄せればMPがごっそり減ることは、もう知っている。
もう一度、芯に触れた。
今度は強く引き寄せる。
床の砂が、一斉に浮いた。
何本もの筋が手元の一点へ吸い込まれていく。
MPがずしりと減っていく。
さっき積もった砂まで、芯へぎゅっと押し込まれた。
筋は止まらずに芯のまわりへ詰まり、丸くふくらんでいく。
床の砂を残らず引き寄せたところで、最後の筋が途切れた。
床の上に、拳ほどの丸い玉が1つ残っていた。
持ち上げると、見た目よりずっと重い。表面はつるりとしていて、親指で押してもへこまない。
ポケットから、いつもの丸い小石を出す。何年も、これを土に落とし、へこみの大きさで硬さを測ってきた。
いつもの高さから落とす。
かつん。
小石が、跳ね返った。
『え』
『跳ねた』
『固っ』
『石じゃん』
『砂だったよね今の』
小石の当たった所には、針でつついたような点が残っているだけだった。
定規を当てて、へこみの径を測る。
「へこみは2ミリです。俺が《硬化》で固めた壁は、6ミリでした」
『数字で言われても分からん』
『つまり固いってこと?』
『測り方が研究者すぎる』
何年もつけてきたノートの中で、いちばん小さい数字だ。
ハズレは何も言わなかった。
『泥団子だ』
『小学生のとき磨いてたやつ』
『ピカピカの泥団子』
『泥団子で草』
「泥じゃなくて、砂です」
『泥団子』
『泥団子』
『もう泥団子だよ』
『諦めろ土F兄』
陽菜の兄だから、視聴者は俺をそう呼ぶ。岩を体の周りで回らせる使い方を、惑星みたいだと「公転」と名付けられたときも、こうして押し切られた。
「……泥団子で、いいです」
同時接続数、26,000。
壁にもたれて休むあいだに、床の隅に残った砂を研究所の瓶に詰め、ラベルの層の欄に「第10層」と書いた。
MPが少し戻ってから、2つ目と3つ目を作った。強く引き寄せるたびに、戻ったMPがまた削られていく。
3つ目を作ったあとは、しばらく天井の苔の明かりを見上げていた。
床の隅の土を両足首に盛って固め、体を床に留めてから、3つの泥団子を腰より低い高さで体の周りに回らせる。
踏ん張ったとたん、ひびの入ったあばらが、胸の固定帯の下でずきりと痛んだ。息を細くして、こらえる。
拳ほどの泥団子が3つ、低くうなりながら俺の周りを回り出した。
『団子が回ってる』
『絵面かわいい』
『けど当たったら痛いやつ』
岩がなくても、周りを回らせる物は作れる。
泥団子を回らせたまま、階段の下をのぞきこんだ。
段の先では、下の通路が青白く光っている。
かち、かち、と軽い音が上がってきた。
爪が岩を叩く音だ。1つじゃない。
光の中を灰色の背中が横切った。
1つ、2つ。数えきる前に、もういない。
おおかみの群れだ。
『今の何』
『ウルフ?』
『はっや』
『群れじゃん』
『下りるなよ土F兄』
班が欲しがっている中層の土は、あの通路の先にある。
《引力》は、念じてから効くまでに0.6秒かかる。
そのあいだに、あのおおかみはどこまで行く。
前のホブゴブリンは、棍棒を肩の後ろで一度止めてから振った。その0.6秒を待ってくれた。
あいつらは待たない。
腰より下では、3つの泥団子がのんきに回っている。
さっきまであんなに頼もしかったのに、急に小さく見えた。
あの速さには当てられない。今日は、下りない。
群れの消えた通路は、もう静かだった。
あの群れに当てるのか、俺は。




