第25話 実験室
コーヒーを取りに立って戻ったら、俺の机で後輩が俺のノートに書き込んでいた。
白衣を着て、首からストップウォッチを下げている。研究所の後輩の三島くるみさんだ。
ホブゴブリンとの決着の切り抜きに、当たらなかった岩の行き先を赤い線で描き込んで送ってきたのも、この人だった。
「三島さん。それ、俺のノート」
「おはようございます、先輩。お借りしてます」
借りている人はペンを走らせない。
きのう家で弱点を書いた方眼ノートだ。開いたページに4行が並んでいる。
回せるのは5つ
替えられるのは1回
当たったのは5つのうち2つ
回している間は動けない
4行の横に、定規で区切った欄が3つずつ足されていた。見出しは「何秒」「何回」「何%」。
4行に3つずつ、12の升目の全部に、きれいな字で「未計測」と書いてある。
「これ、どれも測ってないですよね」
「測ってないけど」
「『5つのうち2つ』は、本番1回分の数です。1回なら、まぐれでも出ます」
掲示板の「まぐれ」と同じことを、丁寧語で言われた。
「人のノートに、勝手に欄を足すなよ」
「足さないと、埋まらないので」
三島さんはノートを閉じて俺に返し、それから思い出したように付け足した。
「あ。昇格、おめでとうございます」
お祝いの言葉より、欄のほうが先だった。
「それで、実験室は今日の終業後に取ってあります」
「『実験室を空けておく』ってメッセージ、本気だったのか。予約はどうしたんだ」
「私が出している物性試験の課題の枠です。固めた土の硬さを測る試験なので、先輩の練習も入れました」
三島さんの専門は、土や岩の硬さと固まり方を測ることだ。
実験室は業務の試験の課題を出して予約する部屋で、俺も仕事で月に何度も入っている。
自分の検証に使おうと思ったことは一度もない。毎週わざわざダンジョンの第2層の行き止まりまで潜っていたのに。
人の試験の段取りなら、いくらでも思いつくくせにな。
「ただし、条件があります」
三島さんがノートの表紙を指でとん、とたたいた。
「先輩が足首を固定する土と、岩がぶつかって柱や壁に残る跡は、私の試料です。毎回、私が先に測ります。先輩の練習は、その残りの時間です」
「残りって、どのくらい」
「測ってみないと分かりません。それと、枠は来週の金曜までです」
あと2週間もない。
◇
終業後の実験室は白い。
教室ほどの広さで、床の半分は試験用の土だ。奥の壁にも、同じ土を厚く塗り固めた跡がある。
入口の脇には透明な板で仕切った測定室があって、三島さんはそこから測る。ダンジョンに入ったことのない人を、岩の飛ぶ部屋に立たせるわけにはいかない。
資料庫のサンプル棚から、ラベル付きの岩を台車で5つ運んできた。
土の区画の真ん中に立つ。体が振られないよう、まず足を留める。
「《硬化》」
乾いた試験用の土が足首まで盛り上がり、靴ごと固まった。
すぐに三島さんが測定室から出てきて、俺の足元にしゃがんだ。細い針のついた器具を足首のまわりの土に1か所ずつ押し当てて、目盛りを確かめていく。
「動かないでください」
「岩を回らせてる間は、どうせ動けない」
「回らせる前から動かないでください」
8か所を測るのに15分かかった。俺の練習は本当にその残りの時間らしい。
「《土操作》」
手をついた先の土が盛り上がり、胸ほどの高さの柱になった。今日の的だ。
柱の向こう、奥の壁には、土を丸く固めた玉を作っておいた。岩を飛ばす先だ。
やることはダンジョンと同じだ。岩を体の周りで回らせておき、引き寄せる先を自分から壁の土の玉に切り替える。切り替えた瞬間に岩は列を離れて玉へ飛び、途中で柱に当たる。
5つを引き寄せると、腰の高さで岩が回り出した。
土の匂いのしない部屋で回らせるのは、妙な気分だ。
いつもどおり5つを片側に集めて飛ばす。それを5回、合わせて25個。
飛ばすたびに三島さんが柱と壁の跡を測り終えるのを待ち、岩を掘り出して柱を立て直す。
スピーカーから、三島さんが数える声が淡々と続く。
「当たり。外れ。外れ。当たり。外れ」
測定室から出てきた三島さんが、ホワイトボードに数字を書いた。
「25個中、当たりは9個。36パーセントです」
数字の下には大きな円が描いてある。俺の岩が通る道筋だ。当たらなかった岩が飛び出した所には赤い点があり、点ごとに、柱のどちら側へ抜けたかを示す矢印が添えてある。
16本の矢印が全部右を向いていた。
「全部右だ」
「なんで声が明るいんですか」
「当たりは当たっただけだろ。当たらなかった岩には、どこから飛んでどこへ抜けたかが残る」
三島さんは心底わからないという顔をした。俺にはそっちのほうがよほど分からない。
先週、第2層の行き止まりで練習したあと、ノートには「もっと片側に詰めて集める」と書いた。
けど、集め方がゆるいせいなら、それた岩は右にも左にも散るはずだ。16個が16個とも右へ抜けるなら、話が違う。
「三島さん。集め方と、切り替える瞬間。どっちから直すと思う?」
「測ってからにしましょう」
即答だった。
「見立てでいいんだけど」
「見立ては、数字が出てから言います」
三島さんのマーカーの先が、円の上の赤い点のあたりで止まっている。
何か見えている手つきだった。口に出さないだけで。
「なら、そっちから直す。全部右なら、切り替えが遅いんだ」
「じゃあ、また5回です」
集めた5つが土の玉のほうを向くより一呼吸早く切り替えて、また5回。
「……25個中、当たりは7個。28パーセントです」
36の下に書く三島さんのマーカーが、重たそうに動いた。書き終えても、ふたを閉めない。
「下がりました……」
声まで数字と一緒に下がっている。
見当違いだった。俺の見立てのほうが。
ボードの円に近寄った。今度の矢印は右と左に分かれている。
そこまでは、早めた分だけ飛ぶ向きがずれた、で説明がつく。
おかしいのは点の場所だ。左へ抜けた点は集めた5つの先頭の端に、右へ抜けた点は最後尾の端に記してある。
声が勝手に明るくなった。
「三島さん、見てくれ。列の真ん中からは、1つも外れてない」
「下がったのに、なんでうれしそうなんですか」
切り替えじゃない。集め方が甘いんだ。
ゆるく集めた5つは、先頭から最後尾までが長い。16個とも右だったのは、遅れて離れる最後尾の岩が、毎回同じ右へ抜けていたからだ。
答えは、先週の俺がノートにちゃんと書いていた。
「詰める。もっと片側に詰めて集める」
「……測りましょう」
三島さんはしおれたまま測定室へ戻っていった。
5つを片側に集める。いつもなら、集まったところで止める。
今日はそこから、さらに引き寄せた。
岩と岩がこすれて、ごり、と鳴る。
隙間が消えた。
詰めた分だけ、引き寄せる力が余計に要る。足首の土に体重を預けて踏ん張ると、ホブゴブリン戦でひびの入ったあばらが、胸の左の奥できしんだ。
息を浅くする。透明な板の向こうには見せない。
詰まった5つが、1つの大きな岩みたいに回ってくる。
先頭が壁の土の玉を向きかける。
引き寄せる先を壁の玉へ切り替えた。
5つが、ひとかたまりのまま列を離れた。
柱の上の角と真ん中が、続けざまに弾ける。
「当たり、3!」
スピーカーの声の調子が変わった。
柱を立て直して、また詰める。踏ん張るたびに胸がきしむ。
次の5つでは4つが柱を削った。
「当たり、4! 先輩、4です!」
板の向こうで三島さんが、数を言うたびに小さく跳ねている。
淡々と数えていた声はどこへ行ったんだ。
残りの3回も、スピーカーから当たりの声が途切れなかった。
最後の5つが、立て直した柱をなぎ倒し、奥の壁に刺さる。
三島さんが測定室から飛び出してきた。ボードにマーカーを走らせ、途中で手が止まる。
振り向いた顔は、朝とは別人だった。
「測りました、先輩! 25個中、13個! 52パーセントです!」
三島さんはボードに書いた52をマーカーで丸く囲んだ。囲み終えてから、もう1周足した。
「28から52ですよ! ほとんど倍です!」
俺の当たりが、半分を越えた。
それから、その下の円を見た。
新しい点は、もう列の端にたまっていない。右も左も少しずつで、あとはばらばらだ。
「見てくれ。外れが揃ってない」
「52の話をしてるんですけど」
「残りの12個は、何で外れたんだ」
こっちのほうがよほど面白い。
「当たりが増えたんですよ。喜んでください」
「喜んでるよ」
「赤い点を見ながら言わないでください」
片付けは、壁から岩を掘り出して台車へ戻すだけで30分かかった。
ダンジョンでは、小さなモンスターのハズレが外れた数を言う。ここでは三島さんが当たりを数える。
数える人が後輩なのも悪くない。
台車を押して戻ると、三島さんはまだボードの前にいた。52の横で、マーカーのふたを閉めたり開けたりしている。
「先輩。この柱、止まってますよね」
「柱だからな」
「ダンジョンの相手は、止まってくれますか」
答えようとして、口が開いたまま止まった。
動く相手は、まだ未計測だ。




