第22話 手前
重い岩を思いきり引き寄せた。
ホブゴブリンから逃げ帰った翌日、第2層のいつもの行き止まりで、俺はまた配信をつけていた。
目の前に立てた土の人形は、背丈だけならホブゴブリンと同じだ。代わりにしては、ずいぶん細い。
ゆうべ陽菜と約束した。今日の配信で人形に岩を当てられなければ、陽菜も第10層の広間へ一緒に来る。陽菜はこの配信をどこかで見ているはずだ。
引き寄せたのは、人形の脇の床にあった頭ほどの岩だ。人形の真後ろの壁に固めた的の土へ岩を引き寄せて、途中の人形にぶつける試しだった。でも《引力》が届くのは岩のある辺りがぎりぎりだ。
岩はのろりと床を滑り出す。
「ゆうべ考えたとおりなら、ここから速くなります」
速くなる前に、MPがごっそり減った。
まだ1歩分も動いていない。
引き寄せる力がぷつりと切れ、岩は人形の足元にごろりと転がって止まった。
膝が勝手に折れて、床についた。
「外れ。19回目」
壁際から、ハズレの平たい声がした。
『転がっただけで草』
『おっそ』
『人形まで届いてない』
『土F兄が先に倒れてる』
速さが出る前に、俺のほうが先に尽きた。
左肩の打ち身まで、ついでのようにうずく。床に座り込んで、MPが戻るのを待った。
長い休みのあいだ、頭に浮かぶのは昨日の第8層だ。
体の周りを回る岩の列に、ゴブリンソルジャーが踏み込んだだけで、盾ごと転がった。あのとき俺は、岩を強く引き寄せたわけじゃない。
体の周りを回ってる岩なら、もう速い。
あの岩は、俺の体へ引き寄せ続けているから回っている。なら、その引き寄せる先を、俺から人形の後ろにある的の土へ切り替えればいいだけだ。岩は速さを持ったまま、そっちへ飛んでいく。
ハズレに岩を飛ばしかけた日に覚えた止め方と、やることは同じだ。
足首を土で固め、岩を2つ体の周りに巡らせては、近いほうの壁の的へ飛ばす。めり込んだ岩を《土操作》で掘り出して、また巡らせる。
MPが減るたびに、壁にもたれて休む。岩を浮かべている間は、MPが少しも戻らない。
研究所の実験だって、ここまでしつこくはない。
【《引力》がLv3になりました】
ステータスを開く。
スキル:《土魔法》 Lv8/《引力》 Lv3
『引力Lv3きた!』
『おめでとう』
『上がるの早くない?』
『あんだけやってればな』
「ありがとうございます。ちょっと試します」
さっきまで届かなかった人形の後ろの的へ、1つ飛ばしてみる。岩は人形の脇を曲がって、的の土にめり込んだ。5メートルは届く。
列に岩を1つずつ足していくと、5つまでは浮いた。6つ目は列に乗る前に床へ落ちる。止めようとしてから止まるまでの間も、前より短い。
数字だけなら、倍以上だ。
逃げ帰った日の録画で、広間の歩数は数えてある。
あいつは、入口から広間の真ん中を14歩進んだ者がいると、立ち上がって向かってくる。その14歩目で待てば、あいつの後ろの壁は、届く5メートルをまだ3歩はみ出す。
上がったのに、届かない。
しかも、あの壁に的の土を作ろうにも、14歩目で床に手をついたのでは、土を送れる所に壁がない。
『どした?』
『固まってる』
届かないなら、的は置きに行くしかない。
今ある的を崩して、置き直してみた。人形の脇を走り抜けて壁際の床に手をつき、床の土を壁に這い上がらせて、人形の頭より高い所で固める。
最初は急いだせいで固め方が甘く、土は壁をずるずるとずり落ちた。手をついたまま固めきった2つ目で、やっと持った。
置いて戻ってくるまでが、思ったよりずっと長い。そのあいだ、背中はずっと人形に向いていた。
あそこでこれをやるなら、あいつのすぐそばだ。
それでも、当てられなければ距離の話も始まらない。
元の場所へ戻って足首まで固め、岩を5つ浮かべて、体を巡る列の片側に寄せて集める。寄せた5つが回って的の方角に来たとき、引き寄せる先を切り替えれば、5つがまとめて飛ぶ。
「集めた側が的を向いた瞬間に、切り替えます」
腰の下で、5つが低くうなって回り出す。MPの減り方は、2つのときとは比べものにならない。
寄せた5つが回ってきて、的の方角に来る。
今。
5つの岩は人形の脇をするりと抜け、的をそれて壁にがつがつ当たった。
人形を間に立たせたのに、かすりもしない。
「外れ。20回目」
『全部よけた』
『ホブ(細)つよい』
『風あるんじゃね?』
『ハズレが近いせい説』
風なんかないし、ハズレは壁際で落ちた岩を眺めているだけだ。
膝に手をつく。5つを浮かべていられるのは1分ほどで、そのたびに長く休むことになる。
外れるたびに、画面の向こうで見ている陽菜の顔がちらついた。
さっきの合わせは雑だった。今度は黙って、集めた側が的とぴったり並ぶのを待つ。
岩はまた人形の脇を抜けていった。
ハズレは何も言わない。口に出さなかった分は、数えないらしい。
『ホブ(細)無敗』
『今のは惜しい……くもないな』
あと何回やれるか。残りのMPで数えると、両手どころか片手も要らない。
壁にもたれて、さっきの2回を頭の中で巻き戻した。
合わせたのは、集めた側が的を向いた所。岩が列を離れたのは、そこから少し進んだ所だ。
切り替えてからも、列はまだ回っている。
「……向く手前で、切り替えればいいのか」
休んでも、MPが戻りきらない。
やれるのはあと1回だ。
「これで、今日は最後です」
『ラスト』
『頼む』
『当てろ』
『ホブ(細)倒せ』
あの棍棒の前に、陽菜が立つ。
5つを浮かべ、片側に集める。
MPがさっきより早く減っていく。
集めた側がぐるりと巡ってくる。
的の、手前。
切り替える。
列はそこからほんの少しだけ進み、5つが離れた。
4つは人形の脇を抜けていく。
1つが、人形の肩へ向かった。
ごっ。
人形の肩が、欠けた。
岩はそのまま、後ろの的の土に着いた。
肩の欠けた人形は倒れずに立っている。
一拍おいて、スマホの画面が流れ出した。
『当たった!』
『肩! 肩いった!』
『人形の肩欠けてる』
『きたあああ』
『いや1個だけな』
『5分の1で草』
ハズレは何も言わなかった。
『ハズレが数えてない』
『1個でも当たりは当たりだろ』
コメントの上に、メッセージの通知が重なった。陽菜だ。
1個だけだったの、ちゃんと見たからね。
約束は約束。あたしは行かない。
行かない。
肩から、すとんと力が抜けた。自分がずっと息を詰めていたことに、そこで気づいた。
画面の中はまだ『1個だけ』で盛り上がっている。こっちは、それどころじゃなかった。
足首の土をほどき、人形の前まで歩く。欠けた肩に手を当てると、拳の半分ほどがえぐれていた。
指先に引っかかるざらつきが、やけにうれしい。
ただ、当たったのは5つのうち1つだ。残りの4つは列の上でばらけたまま飛んで、脇を抜けた。片側への集め方が甘い。
そこでMPが底をついた。今日はもう1つも浮かべられない。平日は研究所で、次に潜れるのはもう本番の土曜だ。
座り込んで方眼ノートを開き、「切り替えの遅れ、約0.6秒」と「もっと片側に詰めて集める」を書き足す。
届かない3歩は、俺の足で詰めるしかない。
そのぶん、あいつが俺の所に着くまでの間は縮み、逃げ込む広間の入口は遠くなる。5つ浮かべきれるかは、分からない。
的のほうは、あいつが座って動かないうちに置きに行くしかない。14歩で立つことまでは、冒険者なら誰でも知っている。まだ倒したことのない奴が壁沿いに奥まで入った話は、誰からも聞いたことがない。
◇
本番の土曜。第10層へ下りる途中の第8層で、逃げ帰った日と同じ通路に寄った。
肩の打ち身はもう押しても痛まない。ただ、踏ん張ってどうかは、あいつの前で試すことじゃない。
足首を土で固め、岩を2つ体の周りに巡らせる。盾を構えて寄ってきたソルジャーが、岩の列に入るなり、盾の外から打たれて転がる。
肩はうずきもしない。
2匹目が転がったところで、天の声が鳴った。
【レベルアップ。Lv10からLv11になりました】
『E帯きた』
『免許はFのままで草』
冒険者証のランクはFのままなのに、Lvで強さを分ける帯のほうは、Lv11でFからEに上がった。
帯が1つ違う相手には、正面ではまず勝てない。あいつは昨日まで俺より帯2つ上で、今日から1つ上になっただけだ。
だから、正面には立たない。
第10層へ下り、広間の入口の前で座り込んで、MPを戻した。
中間ボスの広間の入口は、人2人分の幅しかない。その奥の暗がりで、ホブゴブリンが座っている。
「第10層の、広間の前です。始めます」
同時接続数、18,000。
『リベンジ回きた』
『今日は逃げないで』
『がんばれ』
『土F兄、顔こわい』
ハズレは前と同じ入口の縁に座り、中へは来ない。
「先に、壁沿いに奥まで行きます。あいつの後ろになる壁に、的の土を固めてくる」
『は?』
『奥まで行くの!?』
『座ってるホブの横通るってこと?』
『正気?』
「壁沿いなら、あいつは立たないはずです」
『はずって何』
『やめとけ』
「戻ったら真ん中を14歩。あいつが立ったら、3歩踏み込んで岩を回します。あいつは上から長く振りかぶるので、その間に切り替えます」
『近づくんかい』
『やめとけって』
入口の脇の壁に、左手を添えた。ざらついた岩の冷たさが、手のひらに貼りつく。
この壁が奥の暗がりまで続いている。
横から、ハズレが見上げていた。
「試すか」




