【第9話】試練の幕開け
午前9時。
再レベル分け審査当日。
練習生たちはスタジオで撮影の開始を待っていた。
目の下に隈を作り、眠気を隠しきれない練習生たちも多い。
それでも、その目だけは爛々と光っていた。
ざわざわとしている会場。
その時――
扉が開く音が響いた。
一瞬で静まり返り、会場の入り口へ視線が集中する。
零とトレーナー陣がさっそうと入ってきた。
ステージへ上がると零は練習生たちをゆっくり見渡す。
その視線だけで、練習生たちは息を呑んだ。
「それでは再レベル分け審査を始める」
「練習生にはすでに説明があったと思うが改めて説明する」
「今からFクラス、Cクラス、Sクラス、Gクラスの順番に一人ずつパフォーマンスを行ってもらう」
「もちろん歌とダンス両方を審査する」
「クラスごとの順番は決まっているが、クラス内での順番は決まっていない
」
「先に名乗り出た者から始める」
「私たちは別室でそのパフォーマンスを評価する」
「昇格する者もいれば降格する者もいる」
「心して臨むように」
説明が終わると零とトレーナー陣は移動した。
零たちが去っても誰一人として口を開かなかった。
そして、スタッフから開始の合図が出た。
「それではFクラスの皆さん、準備をお願いします」
Fクラスの練習生たちは誰が先陣を切るか、互いの様子をうかがっていた。
張り詰めた空気が漂う。
その時一人の練習生がスッと立った。
白琉だった。
周りの視線を受けながら前だけを見て白琉は進んでいく。
「あいつって下手だったやつじゃん」
「あぁ、ガッツだけあったやつね」
周りからひそひそと話している声が聞こえる。
白琉の握り締めた拳はわずかに震えていた。
ステージの中央に立つと、白琉はふっと息をついた。
にらみつけるように正面を見据える。
練習生たちの視線が白琉に集まる。
それは応援だけでなく、失敗を願う視線も混ざっていた。
曲をかける合図をする前に、白琉は一瞬目を閉じる。
そして目を開けたとき、璃桜と目が合った。
璃桜の瞳には期待も、失敗を願う色もなかった。
ただ、見ているだけだった。
白琉はそれに少し安心した。
張り詰めていた緊張がほどけ、知らないうちに強張っていた身体の力が抜ける。
白琉は軽く手を上げ、合図を出した。
曲が始まる。
白琉が踊り始めると会場がざわついた。
まだぎこちなさは残っている。
それでも、以前の白琉を知る者なら、誰もが目を見張るほどの変化だった。
白琉の顔は笑顔だった。
全身で楽しいと伝えているような、見ているだけでも楽しくさせる力があった。
練習生たちの緊張で引きつっていた表情が少し緩む。
歌声はまだまだ未熟で、音程もところどころ揺れていた。
それでもパフォーマンスを邪魔するほどではなかった。
白琉は歌詞を一度も間違えずに歌い切った。
最後にポーズを決めて曲が終わると練習生たちから歓声が上がった。
白琉はパフォーマンスの間は必死で周りを見る余裕はなかった。
突然、湧き上がった歓声に目を丸くした。
しかし、歓声が自分に向けられていることに気づくと、照れくさそうに手を振って応えた。
璃桜は静かに拍手を送っていた。
(……わるくない)
その姿を見て、白琉の口元に笑みが浮かぶ。
「次の方、準備をお願いします」
スタッフの声で我に返る。
白琉は慌ててステージから降りた。
入れ替わるように次の練習生がステージに上がる。
Fクラスの練習生たちは次々とパフォーマンスを披露する。
数日前まではまるで踊れていなかった練習生も、必死に食らいついて最後まで踊り切っていた。
一方で、練習を怠った者はその差を隠しきれなかった。
短期間でも、努力の差は確かに表れていた。
そしてFクラスの審査が終了した。
続くCクラスではさらに空気が張り詰める。
練習生の基礎はできている。
だからこそ、一つのミスが評価を分ける。
緊張に打ち勝ち完璧なパフォーマンスを披露した者もいれば、緊張から歌詞を飛ばしてしまった者。
思うように体が動かず、唇をかみしめるしかなかった者もいた。
昇格を確信したのか笑みがこぼれていた練習生もいれば、降格を悟ったのか思わず涙を流す練習生もいた。
わずかなミスが練習生たちの命運を分けた。
「いったん休憩に入りまーす」
スタッフの声がかかると、練習生たちはその場で姿勢を崩す。
「前の方にお弁当を置くので順番に取って下さい」
「一人一つまでです」
白琉はFクラスだったため、最後の方に弁当を受け取ると食べる場所を探してあたりを見渡した。
すると、端の方で弁当を食べている璃桜が目に映った。
自然と足が璃桜の方に向かっていく。
近づくと、璃桜は白琉に一瞥を向ける。
けれど何も言わず、弁当に視線を落とし黙々と食べ始めた。
(座っていいってことかな)
そう思い璃桜の隣に腰を下ろそうとした。
その時璃桜の隣にはすでに一人座っていることに気づいた。
碧斗だった。
レベル分け審査の時、白琉が璃桜の次に印象に残っていたのが碧斗だった。
白琉が碧斗に会釈をすると、碧斗はにこっと笑って会釈を返す。
その後、三人は話すこともなく黙々と食事を続けた。
短い休憩の時間はあっという間に過ぎ去った。
スタッフが前方に歩み出ると、マイクを口元に近づける。
その様子を見た練習生たちは崩していた姿勢を正す。
「次はSクラスの皆さん、準備をお願いします」
合図がかかると同時に一人の練習生が前に出た。
光輝だった。
全てをにらみつけるような視線を向けた。
その気迫に周囲は静まり返る。
まるで瀕死の獣と相対したような鋭さだった。
音楽が流れだす。
光輝のパフォーマンスは途中までは完ぺきだった。
しかし、『Prism Flare』という曲に込められた燃え上がるエネルギーや儚さを感じることはなかった。
ただ重苦しくナイフを常に突きつけられているような緊張感があった。
曲のサビ終わりにある難関なダンスブレイクに突入したとたんだった。
光輝の動きが止まった。
顔は蒼白になり、次の振りを思いだそうと目が左右に忙しなく泳いでるが何も見ていないようだった。
そして曲が終わった。
会場は静まり返っていた。
実力者と知られていた光輝でさえ、たった一度のミスで頭が真っ白になった。その現実を練習生たちは目の当たりにした。
光輝は肩を落としたまま、スタッフの指示が入る前にステージから降りた。
スタッフの指示が入る。
しかし、誰も舞台に上がろうとしない。
練習生たちは光輝の失敗を目の当たりにした直後だった。
実力者でさえ本番では崩れるという事実が、練習生たちの足をすくませている。
その空気を切り裂くようにパンっと音がした。
練習生たちはいきなりの音に振り返ると、頬を赤くした晴希がいた。
晴希はそのまま勢いよくステージに向かった。
一度目を閉じるとすぐ開いた。
片手をあげて合図を送る。
曲が流れ始める。
晴希のダンスには重い会場の空気を吹き飛ばすほどのエネルギーがあった。
しかし、勢い任せではなかった。
曲が静かになると動きも抑え、曲の解釈を表現に落とし込んでいた。
レベル分け審査の時に自分のエネルギーに振り回されていた姿はもうなかった。
歌はまだまだ未熟だった。
それでも未熟なところが気にならないほど見る者をダンスに夢中にさせた。
あっという間に感じるパフォーマンスが終わった。
始まる前の重苦しい空気は完全に消えていた。
晴希は小さくガッツポーズをすると、そのままステージを降りた。
スタッフは次に移るよう指示を出す。
その声を待っていたかのように、緋凪が間髪なく立ち上がる。
晴希と入れ替わる瞬間、軽く拳を合わせる。
言葉はなかったがそれだけで十分だった。
緋凪は静かにステージに上がる。
軽く足首や手首をほぐすと、合図を出した。
緋凪のダンスもエネルギーを持っていたが晴希とはまた違った。
特徴的な動きや大きなアレンジがあるわけではない。
それでも不思議と妖艶さを感じさせた。
誰にもまねできない緋凪の色が会場とカメラの向こうに強烈な印象を残した。
歌も圧倒的な技術があるわけではない。
けれど記憶に残る独特な声音だった。
その声音がダンスの妖艶さをより一層際立てていた。
曲が終わる。
緋凪のパフォーマンスは見る者に不思議な余韻を与えた。
スタッフが次のパフォーマンスを急かす声で練習生たちは我に返った。
その後もSクラスの練習生たちは次々とステージへ上がった。
誰もが完成度の高いパフォーマンスを披露していった。
しかし、上手いことと記憶に残ることは別であった。
その差は他の練習生のリアクションにも表れていた。
パフォーマンスが終わるたびに拍手は起こる。
けれど心を動かしたときや魅了された後に起こっていた歓声は上がらなかった。
会場は次のパフォーマンスへと静かに移り変わっていく。
そして――
Sクラス最後の一人となった。
「次の方、準備をお願いします」
「はーい」
明るく返事をすると、翠は笑顔で立ち上がる。
ステージに向かう途中、カメラを見つけるたびにウインクをし、知り合いの練習生と目が合うと手を振り笑いかける。
仕草一つ一つが様になっていた。
これまでの練習生たちの多くは緊張で表情をこわばらせていた。
けれど翠は違った。
審査の場に向かう時間さえ、自分を魅せる舞台にしてしまった。
ステージに上がると、スタッフに笑いかけながら、軽く手を挙げて合図を送る。
イントロが始まる。
正直言って技術としては歌もダンスも他のSクラスの練習生には遠く及ばない。
Cクラスにも翠より上手な実力者はいた。
けれど、魅せるべきところは決して外さない。
ただどの瞬間を切り取っても表情は完璧だった。
あっという間に時間が過ぎ去る。
そしてウインクとともに曲が終わった。
練習生たちから歓声が上がる。
その声に翠が笑顔で手を振って応えている。
するとスタッフからステージを降りるよう指示が入り、手を振りながら席に戻っていった。
「最後にGクラスの皆さん、準備をお願いします」
スタッフから合図がかかる。
スタッフの声によって練習生たちは長い一日の終わりを感じていた。
体をほぐし始めるものや、隣の人と小声で話し始める者も出始める。
終わりが見えたことで皆少し気がそれている。
そんな中、碧斗はふっと息を吐きだした後立ち上がりステージへ向かう。
ステージに立つと笑顔を浮かべて手を上げ、合図を出した。
音楽がかかる。
碧斗のダンスが始まった瞬間、緩んでいた空気が一気に引き締まった。
一つ一つの動作に力強さと儚さの相反する魅力がこもっていた。
歌が始まる。
激しいダンスの中でもかすれない声。
ロングトーンでは緻密に計算されたビブラートが途中で途切れることなくかかっている。
無理やり世界に飲み込まれる感覚ではない。
それでも気づけば見る者の視線を奪ってしまう不思議な引力があった。
サビではそれまでのパフォーマンスの記憶がかすむほど、見る者を引き込んだ。
踊るたびに汗が髪から飛び散る。
けれど碧斗は最後まで笑顔で踊り続けた。
そして最後の決めポーズとともに音楽が終わった。
一瞬間があった後、歓声と拍手が会場を包んだ。
ふと視線を落とすと、璃桜が静かにこちらを見ているような気がした。
軽く手を上げ歓声に応えた後、すぐにステージを降りた。
歓声が収まるのを少し待ってスタッフが次の練習生を促す。
緊張した面持ちで北尾がステージに上がる。
ステージ上で合図を出す。
北尾は必死に踊っている。
下手ではない、むしろ他の練習生と比べても上手い。
しかしレベル分け審査の時に評価された必死さは、今は違って見えた。
北尾の意識は自分自身に向いてしまっていた。
彼のパフォーマンスから今感じられることは見ている人を楽しませようという思いではなかった。
ただ失敗しないように、上手くできるようにといった消極的なパフォーマンスになってしまっていた。
それゆえ褒められていた北尾の長所が消えてしまっていた。
曲が終わっても拍手は起こるが歓声は沸きあがらなかった。
北尾もその反応の違いを悟ったのか、小さく目を伏せてステージを後にした。
残る二人に動く様子がないことを確認すると、葵は静かに立ち上がりステージに向かう。
すぐパフォーマンスが始まる。
葵のパフォーマンスには突出した才能はない。
けれど歌もダンスも高い水準でまとめ上げていた。
静かに自分という存在を確実に刻み込んだ。
派手さはないが、気づけばグループの土台になっている存在だった。
静かにパフォーマンスを終える。
拍手が巻き起こると葵は満足げにステージを下りた。
その直後、スタッフから次の指示が出る前に西ヶ谷が立ち上がった。
最後の一人になることを嫌ったのか、足早にステージに向かう。
よく見ると西ヶ谷の額には脂汗が浮かんでいた。
そして焦った表情のまま手を上げ合図を出す。
曲が流れる。
最初はミスなく踊れていた。
しかし、サビに入る前に一拍ズレた。
たった一拍のずれだが西ヶ谷の顔から血の気が引いていく。
頭の中がミスしたことでいっぱいになり、他の事は何も考えられなくなった。
周囲の視線がまるで自分をあざ笑っているような気もしてきた。
それでも西ヶ谷は必死に身体を動かしていた。
パフォーマンスをしている最中なのに涙がにじんでくる。
必死に泣くのを我慢しながら最後の決めポーズを決めた。
足早にステージを下り座って顔を伏せた。
隣に座っている葵には西ヶ谷の押し殺した泣き声が聞こえてきていた。
葵は何も言わず、そっと西ヶ谷の頭に手を置いた。
とうとう長かった再レベル分け審査も終わりを迎える。
少し周りを見渡し、誰もたつ様子がないことを確認すると、璃桜はすっと音もなく立ち上がった。
静かにステージへ向かう。
その後ろ姿を百人の練習生たちがじっと見つめていた。
百人分の視線の圧を受けながらも璃桜はまるで気に留める様子がない。
涼しい表情のまま、璃桜はスタッフへ静かに合図を送った。
璃桜のダンスが始まった。
振り入れをした日よりさらにブラッシュアップされている。
難しい動きも全く難しそうに見えない。
そして歌が始まる。
璃桜の澄み渡るような歌声が聞く者の心を深く沈めていく。
歌とダンスが合わさった瞬間だった。
見る者は抵抗する間もなく璃桜の世界に引きずり込まれた。
そこには何か具体的なイメージや感情があるわけではなかった。
それでもいつまでもこの世界にいたいという感情に支配された。
いつの間にか、練習生たちはライバルであることを忘れ、璃桜という存在に夢中になっていた。
璃桜のパフォーマンスが終わる。
会場からは拍手しか起こらなかった。
しかし徐々に拍手の音が大きくなりはじめ最後には大きな歓声が上がった。
スタッフが前に出る。
しかし、練習生たちは今の璃桜のパフォーマンスに気を取られ気づかない。
騒がしい中で、指示を出そうとスタッフが声を張る。
「お疲れさまでした!」
「今日の撮影は以上です」
「明日の朝、クラスのレッスン室で今日の評価を発表します」
「そのため、いつもより早い8時にそれぞれのレッスン室へ集合してください」
「お疲れさまでした」
璃桜は長い一日がやっと終わったとため息をついた。
その様子に碧斗も疲れた顔をしていたが苦笑いしている。
「部屋に戻ろうか」
「……ん」
二人は並んで歩きだす。
しばらくは二人の間には沈黙が流れていた。
部屋が近づいてきたとき、碧斗がぽつりとつぶやいた。
「勉強になった」
「遠いな……」
「……悪くなかった」
「やっぱり見てくれてた!」
「まぁ……」
璃桜と碧斗はたどたどしく会話を続けながら少しずつ親睦を深め始めた。




