第278話 早い人は早かったと思いだした時の事
そろそろ年越祭の事も考えなきゃなーという頃。
「軽い腹痛がする、産気? 定期的にあるアレの軽い症状に似てる……」
夕食時、スズランが肉を飲みこんでから、軽くそんな事を言った。そして俺とラッテの持っていたスプーンの動きが止まった。
「……産婆さんを呼んだほうがいいか?」
「まだ最初だし、間隔がわからない。波が少し短くなったら呼んで」
「あ、あぁ……。夜中でも遠慮なく言ってくれ。ってか夕食が終わったら産婆さんの所に行って来るわ」
「初産だったら結構早いらしいけど、一回出産を経験したら、産気が来てから、結構余裕あるって言うし。けど油断はダメだよ?」
「わかってる。その時は叩き起こす」
そう言ってスズランはまた肉を食べだした。なんだろうこの余裕は? 焦ってるのは俺だけなのか?
◇
そして翌日、心配に思いながらも、産まれそうになったら呼ぶからと言われ、いつも通りの時間に執務室に入り、書類を片付けるが全然集中できない。リリーの時は初産で、陣痛の兆候がわからなかったっぽいし、いきなりだったらアレだけど、今回はそろそろってわかってるしなー。
そんな事を思いながら、一時間で五回目のミスをして、今日は駄目だと思い、ガラスのティーセットを出し、カモミールティーを淹れて飲み始める。
「駄目だ……。落ち着かねぇ……」
そう呟き、ウルレさんに一声かけてから自宅に戻ろうとしたら叱られた。こういう時は休んでください。って。うん、いい職場だ。まだ人が少ないけど。
そしてガラスのカップを洗ってから棚に戻し、フルールさんにお願いして、北川に理由を言って休む事を言ってもらい、自宅に帰った。
「ただいま。帰ってきたよ」
誰もいないので寝室に入ると、スズランがベッドで安静にしており、ラッテが隣に付き添っていた。
「おかえり。仕事は?」「おかえりー」
「そわそわしてて手付かず。ウルレさんに言ったら帰れって怒られた」
「近いのに」
「距離の問題じゃないんじゃない? 奥さんの出産に、最初から立ち会えているかどうかとか?」
「多分そうだろうね。自分が言うのもなんだけど良い職場だよ」
「あ、そうそう。感覚が短くなってきてるから、そろそろ産婆さんをお願い」
「早く言ってくれよ! なんで普通にしてんの!?」
「んー? 慣れ? 一回産んでるから、この痛みに耐性が付いてると思う」
「慣れちゃ駄目! カーム君お願い! あとシスターも!」
俺とラッテが大声を上げつつツッコミを入れ、俺はドアを開けっぱなしで外に飛び出し、産婆さんの所にアスリート走りで駆け込み、妻が産気付いたと言い、そのままの足で教会に行き、アドレアさんに声をかけ、アントニオさんの病院からポーションを強奪してから、自宅まで戻った。まだ村が狭くて助かった!
俺は肩で息をし、ポーションをテーブルに置いて寝室に入ると、産婆さんが既に準備に動いており、アドレアさんはまだ来ていなかった。
「いいからお湯を沸かすんだよ! 三人目だろ!」
「うっす!」
俺は綺麗に洗ってある風呂と、キッチンの鍋に【熱湯】を入れ、適温にできるように【水】も用意して、産婆さんの為にぬるま湯を手桶に入れて持って行く。
その頃にやっとアドレアさんがやって来た。相変わらず足が遅い。
「奥の寝室です。お願いします!」
「はい!」
そして肩で息をしているアドレアさんを見ると、全速力で来たみたいだった。まぁ、仕方ない。
そして思いつく、できる事を全てではないが、それらを済ませて、それ以降何もできずに腕を組んでイスに座っていると、キースとルッシュさんがやって来た。多分走っている俺を見かけたから来たんだろう。
「何か手伝えることは……。なさそうですね」
テーブルの上にはポーションと軽食、洗ってある清潔な布やタオル。竈には火が入っており、熱湯と水が用意され、それを見たルッシュさんは軽くため息を吐いた。
「流石三人目なだけはあるな。余裕そうじゃないか」
「そう思うか? 何があるかわからないから不安で仕方がないんだ……。産まれる時にヘソの緒が首に巻きついてたり、子袋の入り口が開かずに母と子供に影響があったり。挙げたらきりがない。だから男の俺は、できる事は思いつく限り済ませ、自分自身の不安を取り除く。それしかできないのが悔しい……」
少しだけ声を落として言うと、キースが少しだけ申し訳なさそうな顔になり、俺の向かいにパトロナちゃんを抱いたまま座った。
「すまない」
「気にすんな。自分への言い訳みたいなもんだ。ルッシュさん、申し訳ないけど、スズランに会ってきてくれませんか? 少しは気がまぎれると思うんで。呼んでるなら言ってください」
「えぇ、わかりました」
俺が笑顔で言うと、ルッシュさんは返事をして、寝室にノックをして入って行った。
「子供が五歳になって、三回季節が巡るまで学校。それからの子供だから、大体八回前の冬以来だ。あの頃は若かった。子供が作れる様になってからほとんど直ぐだったからな」
はぁ、中身はそろそろ五十歳か。本当感慨深いな……。
「その頃にクラヴァッテに呼ばれたんだったな。もう腹の中に子供がいたんじゃないのか? よく受けたな」
「断ったら罰があるかも。ってギルド長に言われたからな。だからあの一回だけだ。町に戻ったらそのまま故郷。それから子供を強請られたから、戦場では問題はなかった」
俺はティーポットに茶葉と【熱湯】を入れ、蒸れてから二つ分のカップにお茶を注ぎ、パトロナちゃん用に、麦茶用の炒った麦を戸棚から出して、そっちも別のポットで淹れる。
「そうか。名前とか考えてんのか?」
「あぁ、俺は馬鹿だからな。名前を付けるセンスが圧倒的にない。だから母親と関係のある名前とかしか付けられねぇ」
「ってーと、あの二人もスズランとラッテさんと、何か関りがあるのか?」
「遠い国の言葉で名付けた。だから似た感じのを、今回も四つ考えている。男でも女でも良い様に」
「はっ! 小洒落てんな。そういうのは嫌いじゃないぜ」
キースはにやけながらパトロナちゃん用のカップに水を注し、口をつけてからスプーンで掬って、口元に運んでいる。良い父親してんじゃねぇか。
そんな事を話していたら、寝室から赤ちゃんの泣き声が聞こえ、俺は慌てて立ち上がった。
「はぁ? なんでもう産まれてんだよ!」
「いいから座れ。どんな時でも落ち着いてろ馬鹿」
俺は、ルッシュさんの出産時に言った言葉を、そのまま返された形になった。
「あ、あぁ。そう、そうだったな……。な、なんでだ? 初産の時はあんなに苦しんでいたのに」
俺は口元を抑え、右の方を見ながら少しだけ考える。
「そういや陣痛が来た時に、痛みに慣れたとか言ってたな……。月の物の痛みも重くなさそうだし……。痛みに対しての耐性が? いや、早い人は早いって聞くし……陣痛室で産んだとか……」
そんな事をボソボソと言い、顔を上げたら、キースが変な目で俺の事を見ていた。
「落ち着け馬鹿」
そしてまたそんな事を言われ、大きくため息吐き、お茶を飲む。
「だな。考えても仕方ない。無事に産まれた。これが事実だ。後は産湯で綺麗に洗ってあげて、後産か」
そう笑顔で言い、大きく深呼吸そして自分を落ち着かせ、カップを置いた。
そしてしばらくして、産婆さんが赤ちゃんを抱いて寝室から出てきた。男の子だろうか? 女の子だろうか?
「元気そうな男の子だよ。角は母親、肌の色は父親似、髪は二人共黒だから黒だよ! いやー、あんなに早く産むのを見たのは、若い頃に見た一回きりだったよ。ずいぶんと強い奥さんだね。ほら、早く入って来な!」
「はい。ありがとうございます」
「それは奥さんに言うんだよ! いいから来な!」
産婆さんに、顎で寝室を指され、立ち上がるとキースが拳を出してきたので、俺も拳を突き出して、軽く突き合わせてから寝室に入った。
「ごめん。少し力んだら直ぐだった」
「謝る必要なんかないよ。母親も子供も元気。それだけで嬉しいよ。ありがとう」
そう話していたら、産婆さんがスズランの横に子供を寝かせ。部屋の隅に行って、腕を組んで笑顔でこっちを見ていた。一応見守っていてくれているんだろうか?
「聞いた? 男の子なんだって?」
「あぁ、イチイさんみたいな一本角に俺と同じような肌だ。鬼神族の男は、角が一本なのかな?」
「お爺ちゃんを知らないからわからない。ねぇ。名前は考えてあるんでしょ?」
スズランは、優しい笑顔で話しかけてきた。
「うん。男の子だからコルキス」
「コルキス……。また遠い国の言葉?」
「そうだよ。スズランもリリーも花の名前だ。だから響きが男の子っぽい物を考えた。元々は国の名前で、その地域にたくさん生えていた花だから、その名前が付いた」
「国の名前が付いた花……。強くなりそうね」
「リリーだって強かったんだ。男の子だし、きっと強くなるよ」
俺とスズランは笑顔で言い、気が付いたら寝室には二人だけになっていた。気を利かせてくれたのかもしれないな。
「ちょっとだけ寝るね。産まれるまで早かったけど、なんか疲れちゃった」
「あぁ、ゆっくり休んでくれ。コルキスは隣のベビーベッドに移しておくよ」
「ありがとう」
俺はスズランの頭を軽く撫で、コルキスを優しく抱き、その温かさを実感しながら笑顔でベビーベッドに、起こさないようにゆっくりと寝かせた。
「元気に育ってくれよ。けど強くなり過ぎると俺が困るから、程々で頼むぞ」
その言葉にスズランが少しだけ笑い、目を瞑ったので、足音を立てずにダイニングの方へ戻ると、耳をドアに付けていたのか、開けたらラッテとキース、ルッシュさんが変な格好で中腰になっていた。
「なにやってんの?」
「んー。子供の名前とか気になるじゃん? ってか国の名前が付いた花の名前かー。これは絶対に強くなるね!」
「本当小洒落てんな。俺だったらそんなの考え付かねぇよ」
「いい名前ですね。今後、家族同士のお付き合いを、よろしくお願いします」
「あ、そうだな。よろしくな!」
そして俺が出ると同時に、アドレアさんと産婆さんが寝室に入っていき、スズランと子供を見守る様に、イスに座った。
看護師みたいな事もやってくれるんだな。前回は故郷で産んで、母さん達がいたから、やってくれてたけど……。
「産後は色々と母親と子供の体調とかが不安定だし、授乳もある。悪いけど俺は軽食とかを持って中に戻るよ」
なら俺達が、母さん達の代わりになるしかない。
「あ、はい。スズランさんによろしくお伝えください。キース、帰ろう」
「おう。悪かったな」
「二人共。ありがとう」
俺はお礼を言い、軽食を持ったら玄関からヴォルフとターニャとソーニャが、キース達と入れ違いで入って来て、寝室に入ってしまった。
俺は急いで寝室に入ると、コルキスのベッドの脇で鼻をスンスンとやっており、ベッドを守る様に三匹で伏せた。
「そうかそうか。お前達はコルキスを守ってくれるのか。ありがとな」
「ワフン!」
ヴォルフが短く吠えると、顎を床に付け、上目使いで俺の方を見ていたので、軽く頭を撫でてやった。
その様子を、三人が微笑みながら見ていてくれた。




