ルネ編第10話「悪魔の弱さ」
悪魔にも。
弱いところはある。
そんな当たり前のことを。
僕は今まで、考えたことがなかった。
悪魔は強いものだと思っていた。
人間よりもずっと大きな力を持っていて。
怖いものなんてなくて。
何が起きても平気な顔をしていられる。
少なくとも。
ルネはそういう存在なのだと思っていた。
口が悪くて。
偉そうで。
いつも誰かを突き放して。
自分一人で何でもできるような顔をしている。
でも。
昨日。
僕は見てしまった。
揺らぐ輪郭。
足元から溢れた黒い靄。
消えることを恐れる声。
そして。
僕がいなくなることを怖がる目を。
あれを見た後では。
もう。
ルネは何でもできるなんて。
思えなかった。
◇
次の日。
朝から雨が降っていた。
窓ガラスを細かく叩く音。
曇った空。
薄暗い教室。
蛍光灯の白い光だけが、机の上を冷たく照らしている。
いつもより静かなはずなのに。
雨音が近いせいか。
妙に落ち着かなかった。
「真白、おはよう」
「おはよう」
教室へ入ると。
昨日と同じように返事が返ってくる。
僕は少しだけ頭を下げて、自分の席へ向かった。
席に座る。
鞄を机の横へ掛ける。
教科書を机の中へ入れる。
深呼吸。
ここまでは大丈夫。
昨日よりも、少しだけ自然にできた。
でも。
胸の奥に引っかかっているものは消えない。
昨日。
ルネが壊れかけた。
その事実が。
ずっと頭から離れない。
今も。
教室の中を見回す。
窓際。
後ろの扉の近く。
教壇の横。
でも。
ルネはいない。
「……まだ来てないのかな」
「誰が?」
「え」
隣の席の生徒が、こちらを見ていた。
「いや、なんでもない」
「そう?」
「うん」
笑って誤魔化す。
もちろん。
ルネの姿が見えるのは、限られた人だけだ。
普通の生徒には見えない。
教室でルネを探している姿は。
他の人から見れば。
誰もいない場所を気にしているだけに見える。
分かっているのに。
つい。
目で追ってしまう。
昨日までは。
いつもいるのが当たり前だと思っていた。
でも。
消えるかもしれないと知った途端。
姿が見えないだけで、不安になる。
「晶」
耳元で声がした。
「うわっ」
肩が跳ねる。
振り返る。
ルネがいた。
机のすぐ横。
不機嫌そうな顔。
長い薄紫色の髪。
赤紫の瞳。
昨日よりは。
姿がはっきりしている。
「驚きすぎだろ」
「急に出てくるからだよ」
「声掛けた」
「耳元で言わないで」
「面倒くせぇな」
いつもの態度。
いつもの声。
でも。
目の下の影は消えていない。
肌の色も少し悪い。
普段より、肩が僅かに下がっている。
「大丈夫?」
「朝一番でそれかよ」
「だって」
「平気だ」
「昨日もそう言ってた」
「今日は昨日よりマシだ」
「本当?」
「ああ」
ルネが短く答える。
それでも。
僕は顔を見つめた。
「何だよ」
「ちゃんと確認してる」
「見ても分かんねぇだろ」
「昨日よりは顔色いい」
「なら聞くな」
ルネが顔を逸らす。
でも。
怒ってはいない。
少しだけ。
困っているように見えた。
心配されることに、慣れていないのかもしれない。
「ルネ」
「あ?」
「今日は無理しないでね」
「オマエに言われたくねぇ」
「昨日言われたから、今日は僕が言う」
「返さなくていい」
「でも」
「晶」
ルネがこちらを見る。
「オマエは自分のことだけ考えろ」
その言葉に。
胸が少し痛んだ。
「それ、ルネが言う?」
「何がだ」
「ルネも自分のこと考えてないじゃん」
「オレはいい」
「よくない」
「悪魔は丈夫なんだよ」
「昨日、消えかけてたのに?」
ルネの表情が止まる。
一瞬。
周囲の音が遠くなった気がした。
雨音だけが。
窓の向こうで強くなる。
「……忘れろ」
「無理だよ」
「忘れろ」
「無理」
言い返す。
ルネが眉を寄せる。
「本当に生意気になったな」
「ルネのおかげだね」
「褒めてねぇ」
そう言いながら。
ほんの少し。
口元が緩んだ。
◇
一時間目。
今日は最後まで教室にいられた。
二時間目も。
途中で苦しくなったけれど。
すぐには出なかった。
机の下で手を握る。
ゆっくり呼吸を整える。
黒板を見る。
先生の声を聞く。
大丈夫。
全部やらなくていい。
完璧じゃなくていい。
少しだけ。
昨日より少しだけ。
ルネがそう教えてくれた。
「晶」
教室の後ろから。
小さな声が飛んでくる。
「無理すんな」
僕は振り返らず。
小さく頷いた。
それから五分。
あと五分だけ。
そう思って。
また五分。
気付けば。
二時間目も最後まで残れた。
授業終了の鐘が鳴る。
緊張していた身体から、急に力が抜ける。
僕は机に手をついて、ゆっくり息を吐いた。
「できた」
小さく呟く。
「見てた」
ルネが隣に立つ。
「今日は最後までいたな」
「うん」
「悪くねぇ」
それだけ。
でも。
嬉しかった。
「ありがとう」
「だから礼言うな」
「でも、ルネのおかげだから」
「違ぇよ」
「え?」
「残ったのはオマエだ」
ルネが僕を見る。
「オレは何もしてねぇ」
「そんなことない」
「ある」
言い切る。
「オマエが決めて」
「オマエが残った」
「なら、それはオマエのもんだ」
胸の奥に。
温かいものが広がる。
以前なら。
何かできても。
偶然だと思っていた。
今日はたまたまだと。
誰かに助けられただけだと。
自分の力じゃないと。
そうやって。
できたことまで、自分から手放していた。
でも。
ルネは。
僕がやったことを。
僕のものだと言ってくれる。
「ルネって」
「あ?」
「人を褒めるの上手だよね」
「は?」
「言い方は最悪だけど」
「殺すぞ」
「それも含めて」
「何がだよ」
ルネが睨む。
その顔が。
少しだけ元気そうに見えて。
安心した。
◇
昼休み。
屋上は雨で使えなかった。
仕方なく。
僕たちは使われていない階段の踊り場に座っていた。
古い校舎の端。
普段はほとんど誰も通らない場所だ。
窓の外。
雨が降っている。
灰色の校庭。
水溜まりに雨粒が落ちるたび、小さな波紋が広がる。
遠くでは運動部の生徒たちが、荷物を抱えて屋内練習へ移動していた。
「ここ、落ち着くね」
「暗ぇだけだろ」
「人が少ないから」
「屋上も少ねぇだろ」
「雨だから行けない」
「オマエ、濡れんの嫌いだもんな」
「誰でも嫌じゃない?」
「オレは別に」
「風邪ひかないから?」
「悪魔だからな」
ルネが壁にもたれる。
今日は黒い靄は出ていない。
姿も揺れていない。
でも。
完全に大丈夫とは思えなかった。
昨日のことを思い出す。
熱かった腕。
揺らぐ輪郭。
消えるかもしれないという言葉。
そして。
僕の手を振り払えなかったルネ。
「……なあ」
ルネが言う。
「何?」
「昨日見た夢」
胸が跳ねる。
「うん」
「どこまで見た」
「……男の人が」
言いかけて。
止まる。
名前を。
僕はまだ知らない。
夢の中でも呼ばれていなかった。
「その人が、ルネに手を差し出してた」
ルネの目が僅かに揺れる。
「他には」
「もし自分がいなくなったら、別の誰かの手を取れって」
「……そうか」
「それと」
「もういい」
遮られる。
強い声ではなかった。
ただ。
聞きたくないのだと分かった。
「ごめん」
「謝んな」
「でも」
「オマエが悪いわけじゃねぇ」
ルネが窓の外を見る。
雨。
灰色の空。
その横顔は。
いつもより幼く見えた。
強がることに疲れているようにも見えた。
「……アイツは」
ぽつり。
ルネが言う。
「昔から」
一度、言葉を切る。
「勝手だった」
「勝手?」
「ああ」
「何でも一人で決める」
「誰かを助ける時も」
「危ねぇ場所へ行く時も」
「最後まで」
ルネの指が。
僅かに震える。
「全部」
「勝手に決めやがった」
怒っている。
でも。
その怒りの奥にあるものが。
今なら少し分かる。
悲しい。
寂しい。
置いていかれた。
たぶん。
そう言いたい。
なのに。
そんな言葉を使うことさえ、ルネには難しい。
「ルネは」
僕は慎重に聞く。
「その人のこと、嫌いだった?」
「殺すぞ」
即答。
「違うんだ」
「当たり前だろ」
「じゃあ好きだった?」
「言い方考えろ」
「友達として」
「……」
ルネは答えなかった。
でも。
その沈黙が。
答えみたいだった。
「相棒だった」
しばらくして。
小さく言う。
「契約者とか」
「主人とか」
「そういうんじゃねぇ」
「アイツは」
ルネの声が少しだけ掠れる。
「オレの隣にいた」
その言葉。
僕がルネに言った言葉と重なる。
隣にいたい。
隣にいる理由。
だから。
ルネはあの時。
あんな顔をしたんだ。
「大切だったんだね」
「……うるせぇ」
否定しない。
それだけで。
十分だった。
◇
「晶」
「なに?」
「オマエは」
ルネがこちらを見る。
「同情してんのか」
「え?」
「オレが可哀想だから」
「傍にいるのか」
突然の問い。
でも。
ずっと聞きたかったのかもしれない。
僕が過去の男を知るほど。
ルネの弱さを知るほど。
僕の気持ちが、哀れみへ変わるのを恐れている。
「違うよ」
すぐに答える。
「じゃあ何だ」
「放っておけないから」
「それが同情だろ」
「違う」
「何が違ぇ」
ルネの声が少し荒くなる。
「可哀想って思ってない」
「……」
「苦しそうだとは思う」
「でも」
言葉を探す。
上手く言えない。
それでも。
伝えたい。
「ルネは」
「僕を前へ進ませてくれた」
「教室へ戻れたのも」
「少しずつ変われたのも」
「全部、ルネがいたから」
「全部じゃねぇ」
「うん」
「僕がやったこともある」
「でも」
ルネを見る。
「僕一人じゃ無理だった」
「だから」
「今度は僕も」
「ルネが一人じゃ無理な時に、隣にいたい」
沈黙。
雨音だけが響く。
ルネは僕を見ていた。
赤紫の瞳。
いつもより。
ずっと近く感じた。
「……オマエ」
低い声。
「そういうこと平気で言うよな」
「平気じゃない」
「顔に出てねぇ」
「すごく緊張してる」
「嘘つけ」
「本当だよ」
胸がうるさい。
手も少し震えている。
でも。
逃げたくなかった。
「ルネ」
「あ?」
「弱くてもいいんじゃない?」
その瞬間。
空気が変わった。
「……何?」
「ルネが」
「弱くても」
「いいんじゃないかって」
ルネの目が細くなる。
「オレが弱いって言いてぇのか」
「うん」
答えた瞬間。
自分でも。
少し怖くなった。
「……晶」
「はい」
「今なら謝れば許してやる」
「ごめん」
「早ぇな」
「でも、言ったことは変えない」
「オマエな」
ルネが睨む。
でも。
怒鳴らなかった。
「ルネは強いよ」
「悪魔だし」
「僕よりずっと」
「でも」
「全部一人で抱えられるほど、強くはない」
「それは弱いってことじゃない?」
ルネは何も言わない。
「僕も弱い」
「教室にいるだけで苦しくなる」
「人の目が怖い」
「逃げたくなる」
「何もできなくなる」
「でも」
「弱いからって」
「生きちゃいけないわけじゃない」
自分へ言い聞かせるように。
言葉が出る。
「誰かに助けてもらっても」
「いいんだと思う」
「……綺麗事だ」
ルネが呟く。
「そうかも」
「助けられねぇ時もある」
「うん」
「手を伸ばしても」
「届かねぇこともある」
「うん」
「信じても」
「裏切られる」
「それでも」
僕は言う。
「一人よりはいい」
ルネの表情が。
ほんの少しだけ歪んだ。
「……オレは」
声が掠れる。
「アイツに」
言葉が止まる。
ルネの手が。
強く握られる。
「助けてって」
そこで。
完全に声が途切れた。
僕は何も言えなかった。
ルネは俯いたまま。
肩を僅かに震わせている。
「言えなかった」
小さな声。
「最後まで」
「逃げろって言った」
「来るなって言った」
「オレに構うなって」
「それで」
呼吸が乱れる。
「アイツは」
「死んだ」
初めて。
ルネが。
はっきりと口にした。
死んだ。
その言葉は。
階段の踊り場に。
重く落ちた。
雨音さえ。
一瞬、止まったように感じた。
「オレが」
「助けてって言ってれば」
「違ったかもしれねぇ」
「オレが」
「もっと早く」
黒い靄が。
足元から滲み始める。
「ルネ」
「来るな」
反射的な言葉。
でも。
昨日ほど強くない。
「今は」
僕は立ち上がる。
「近付く」
「やめろ」
「嫌だ」
「晶」
「一人にしない」
ルネの前へ行く。
黒い靄。
冷たい空気。
靄が足元へ絡みつく。
怖い。
でも。
手を伸ばす。
ルネの手首を掴む。
熱い。
昨日と同じ。
いや。
昨日より。
もっと熱い。
「っ……」
「離せ」
「嫌だ」
「オマエまで」
「大丈夫」
「何が大丈夫だ!」
ルネが叫ぶ。
「何も分かってねぇくせに!」
「分からないよ!」
僕も叫び返す。
自分でも驚くほど。
大きな声が出た。
階段に声が響く。
「分からない!」
「その人がどんな人だったかも」
「ルネが何をしたのかも」
「本当は何が起きたのかも!」
ルネが目を見開く。
「でも」
息を吸う。
「今、ルネが苦しいのは分かる」
「助けてって言えないのも」
「分かる」
「僕も言えなかったから」
ずっと。
苦しいのに。
助けてほしいのに。
大丈夫だと言っていた。
迷惑を掛けたくなくて。
嫌われたくなくて。
一人で壊れかけていた。
「だから」
手を離さない。
「言えないなら」
「僕が勝手にいる」
黒い靄が揺れる。
僕の足元まで広がる。
でも。
少しずつ。
弱くなっていく。
「勝手にすんな」
ルネが言う。
声が震えている。
「ルネも勝手だから」
「意味分かんねぇ」
「お互い様」
「……クソガキ」
「同い年くらいでしょ」
「オレの方が上だ」
「見た目は同じくらい」
「殺すぞ」
いつもの言葉。
でも。
その言葉の奥で。
何かがほどけた気がした。
◇
しばらく。
僕たちはそのままだった。
雨音。
薄暗い階段。
握った手首。
ルネは。
僕の手を振り払わなかった。
「……晶」
「なに?」
「オマエ」
一度、言葉を切る。
「怖くねぇのか」
「怖いよ」
「なら離せ」
「それは嫌」
「なんでだよ」
「ルネが怖がってるから」
「……」
「一人で怖がるより」
「二人の方が少しマシでしょ」
ルネが。
僅かに俯く。
長い髪が顔を隠す。
表情は見えない。
でも。
「オレが」
小さな声。
「怖がってるように見えるか」
「見える」
「即答すんな」
「だって見えるから」
「……最悪だ」
「何が?」
「オマエに」
ルネが歯を食いしばる。
「見抜かれんのが」
「そんなに嫌?」
「嫌だ」
「なんで」
「弱ぇって思われる」
「思ってるよ」
ルネが顔を上げる。
睨むような目。
でも。
そこに怒りはなかった。
「でも」
僕は続ける。
「嫌いにはならない」
赤紫の瞳が揺れた。
「弱いルネも」
「ルネだから」
何も言わない。
怒らない。
ただ。
しばらく。
僕を見ていた。
それから。
「……バカ」
小さく呟く。
「知ってる」
「知らねぇよ」
「ルネが毎日言うから」
「それでも足りねぇ」
「じゃあもっと言って」
「何でだよ」
少しだけ。
ルネが笑った。
本当に。
ほんの少し。
でも。
今まで見た中で。
一番。
弱い笑顔だった。
そして。
たぶん。
一番。
本当のルネに近い笑顔だった。
◇
放課後。
雨はまだ降っていた。
朝より少し強くなっている。
昇降口の屋根を叩く雨音が、校舎の中まで響いていた。
僕は傘を開く。
「ルネは?」
「何が」
「傘」
「いらねぇ」
「濡れるよ」
「悪魔だから平気だ」
「そういう問題じゃない」
僕は傘を少し傾ける。
「入って」
「嫌だ」
「なんで」
「狭ぇ」
「二人なら入れるよ」
「オマエが濡れる」
「ルネも濡れる」
「オレはいい」
「よくない」
しばらく睨み合う。
雨だけが。
二人の間を埋めるように降り続ける。
結局。
ルネが折れた。
「……少しだけだぞ」
「うん」
「近ぇ」
「傘小さいから」
「押すな」
「ルネの髪が傘から出てる」
「気にすんな」
「濡れてる」
「触んな」
長い髪を傘の中へ入れようとして。
手を払われる。
「痛い」
「勝手に触るからだ」
「風邪ひいたらどうするの」
「悪魔は風邪ひかねぇ」
「本当?」
「多分」
「多分なんだ」
並んで歩く。
雨。
狭い傘。
近い距離。
ルネの肩が。
時々僕に触れる。
少し前なら。
きっと。
こんな距離を許してくれなかった。
近付くな。
離れろ。
そう言っていたはずだ。
でも今は。
文句を言いながらも。
傘から出ようとはしない。
「晶」
「なに?」
「今日のこと」
「うん」
「誰にも言うな」
「サーシャにも?」
「特にあいつには」
「怒られるから?」
「閉じ込められる」
「それは困るね」
「だろ」
「でも」
「何だよ」
「本当に危なくなったら言うよ」
「オマエな」
「だって、消えたら困る」
「……」
「僕が困る」
ルネが足を止める。
雨音の中。
僕も立ち止まる。
「どうしたの」
「いや」
ルネは顔を逸らす。
「何でもねぇ」
耳が。
少し赤い気がした。
雨で冷えているはずなのに。
◇
悪魔は強い。
人間よりずっと。
力も。
身体も。
存在そのものも。
でも。
だからといって。
心まで壊れないわけじゃない。
失えば悲しい。
置いていかれれば寂しい。
同じことが起こるのが怖い。
助けてと言えない。
弱いと思われたくない。
それは。
僕と同じだった。
だから。
たぶん。
ルネに必要なのは。
弱さを消してくれる誰かじゃない。
何でも解決してくれる誰かでもない。
弱いままでも。
怖いままでも。
隣にいる誰か。
逃げろと言われても。
少しだけ踏みとどまる誰か。
そして。
僕も。
そういう誰かを。
ずっと探していたのかもしれない。
「晶」
「なに?」
「傘、もう少しこっち寄せろ」
「ルネが寄ればいいじゃん」
「濡れてんだよ」
「悪魔は平気なんでしょ」
「うるせぇ」
少しだけ。
傘を傾ける。
ルネの肩が。
また。
僕の肩に触れた。
今度は。
どちらも離れなかった。




