↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/21

ルネ編第10話「悪魔の弱さ」


 悪魔にも。


 弱いところはある。


 そんな当たり前のことを。


 僕は今まで、考えたことがなかった。


 悪魔は強いものだと思っていた。


 人間よりもずっと大きな力を持っていて。


 怖いものなんてなくて。


 何が起きても平気な顔をしていられる。


 少なくとも。


 ルネはそういう存在なのだと思っていた。


 口が悪くて。


 偉そうで。


 いつも誰かを突き放して。


 自分一人で何でもできるような顔をしている。


 でも。


 昨日。


 僕は見てしまった。


 揺らぐ輪郭。


 足元から溢れた黒い靄。


 消えることを恐れる声。


 そして。


 僕がいなくなることを怖がる目を。


 あれを見た後では。


 もう。


 ルネは何でもできるなんて。


 思えなかった。


     ◇


 次の日。


 朝から雨が降っていた。


 窓ガラスを細かく叩く音。


 曇った空。


 薄暗い教室。


 蛍光灯の白い光だけが、机の上を冷たく照らしている。


 いつもより静かなはずなのに。


 雨音が近いせいか。


 妙に落ち着かなかった。


「真白、おはよう」


「おはよう」


 教室へ入ると。


 昨日と同じように返事が返ってくる。


 僕は少しだけ頭を下げて、自分の席へ向かった。


 席に座る。


 鞄を机の横へ掛ける。


 教科書を机の中へ入れる。


 深呼吸。


 ここまでは大丈夫。


 昨日よりも、少しだけ自然にできた。


 でも。


 胸の奥に引っかかっているものは消えない。


 昨日。


 ルネが壊れかけた。


 その事実が。


 ずっと頭から離れない。


 今も。


 教室の中を見回す。


 窓際。


 後ろの扉の近く。


 教壇の横。


 でも。


 ルネはいない。


「……まだ来てないのかな」


「誰が?」


「え」


 隣の席の生徒が、こちらを見ていた。


「いや、なんでもない」


「そう?」


「うん」


 笑って誤魔化す。


 もちろん。


 ルネの姿が見えるのは、限られた人だけだ。


 普通の生徒には見えない。


 教室でルネを探している姿は。


 他の人から見れば。


 誰もいない場所を気にしているだけに見える。


 分かっているのに。


 つい。


 目で追ってしまう。


 昨日までは。


 いつもいるのが当たり前だと思っていた。


 でも。


 消えるかもしれないと知った途端。


 姿が見えないだけで、不安になる。


「晶」


 耳元で声がした。


「うわっ」


 肩が跳ねる。


 振り返る。


 ルネがいた。


 机のすぐ横。


 不機嫌そうな顔。


 長い薄紫色の髪。


 赤紫の瞳。


 昨日よりは。


 姿がはっきりしている。


「驚きすぎだろ」


「急に出てくるからだよ」


「声掛けた」


「耳元で言わないで」


「面倒くせぇな」


 いつもの態度。


 いつもの声。


 でも。


 目の下の影は消えていない。


 肌の色も少し悪い。


 普段より、肩が僅かに下がっている。


「大丈夫?」


「朝一番でそれかよ」


「だって」


「平気だ」


「昨日もそう言ってた」


「今日は昨日よりマシだ」


「本当?」


「ああ」


 ルネが短く答える。


 それでも。


 僕は顔を見つめた。


「何だよ」


「ちゃんと確認してる」


「見ても分かんねぇだろ」


「昨日よりは顔色いい」


「なら聞くな」


 ルネが顔を逸らす。


 でも。


 怒ってはいない。


 少しだけ。


 困っているように見えた。


 心配されることに、慣れていないのかもしれない。


「ルネ」


「あ?」


「今日は無理しないでね」


「オマエに言われたくねぇ」


「昨日言われたから、今日は僕が言う」


「返さなくていい」


「でも」


「晶」


 ルネがこちらを見る。


「オマエは自分のことだけ考えろ」


 その言葉に。


 胸が少し痛んだ。


「それ、ルネが言う?」


「何がだ」


「ルネも自分のこと考えてないじゃん」


「オレはいい」


「よくない」


「悪魔は丈夫なんだよ」


「昨日、消えかけてたのに?」


 ルネの表情が止まる。


 一瞬。


 周囲の音が遠くなった気がした。


 雨音だけが。


 窓の向こうで強くなる。


「……忘れろ」


「無理だよ」


「忘れろ」


「無理」


 言い返す。


 ルネが眉を寄せる。


「本当に生意気になったな」


「ルネのおかげだね」


「褒めてねぇ」


 そう言いながら。


 ほんの少し。


 口元が緩んだ。


     ◇


 一時間目。


 今日は最後まで教室にいられた。


 二時間目も。


 途中で苦しくなったけれど。


 すぐには出なかった。


 机の下で手を握る。


 ゆっくり呼吸を整える。


 黒板を見る。


 先生の声を聞く。


 大丈夫。


 全部やらなくていい。


 完璧じゃなくていい。


 少しだけ。


 昨日より少しだけ。


 ルネがそう教えてくれた。


「晶」


 教室の後ろから。


 小さな声が飛んでくる。


「無理すんな」


 僕は振り返らず。


 小さく頷いた。


 それから五分。


 あと五分だけ。


 そう思って。


 また五分。


 気付けば。


 二時間目も最後まで残れた。


 授業終了の鐘が鳴る。


 緊張していた身体から、急に力が抜ける。


 僕は机に手をついて、ゆっくり息を吐いた。


「できた」


 小さく呟く。


「見てた」


 ルネが隣に立つ。


「今日は最後までいたな」


「うん」


「悪くねぇ」


 それだけ。


 でも。


 嬉しかった。


「ありがとう」


「だから礼言うな」


「でも、ルネのおかげだから」


「違ぇよ」


「え?」


「残ったのはオマエだ」


 ルネが僕を見る。


「オレは何もしてねぇ」


「そんなことない」


「ある」


 言い切る。


「オマエが決めて」


「オマエが残った」


「なら、それはオマエのもんだ」


 胸の奥に。


 温かいものが広がる。


 以前なら。


 何かできても。


 偶然だと思っていた。


 今日はたまたまだと。


 誰かに助けられただけだと。


 自分の力じゃないと。


 そうやって。


 できたことまで、自分から手放していた。


 でも。


 ルネは。


 僕がやったことを。


 僕のものだと言ってくれる。


「ルネって」


「あ?」


「人を褒めるの上手だよね」


「は?」


「言い方は最悪だけど」


「殺すぞ」


「それも含めて」


「何がだよ」


 ルネが睨む。


 その顔が。


 少しだけ元気そうに見えて。


 安心した。


     ◇


 昼休み。


 屋上は雨で使えなかった。


 仕方なく。


 僕たちは使われていない階段の踊り場に座っていた。


 古い校舎の端。


 普段はほとんど誰も通らない場所だ。


 窓の外。


 雨が降っている。


 灰色の校庭。


 水溜まりに雨粒が落ちるたび、小さな波紋が広がる。


 遠くでは運動部の生徒たちが、荷物を抱えて屋内練習へ移動していた。


「ここ、落ち着くね」


「暗ぇだけだろ」


「人が少ないから」


「屋上も少ねぇだろ」


「雨だから行けない」


「オマエ、濡れんの嫌いだもんな」


「誰でも嫌じゃない?」


「オレは別に」


「風邪ひかないから?」


「悪魔だからな」


 ルネが壁にもたれる。


 今日は黒い靄は出ていない。


 姿も揺れていない。


 でも。


 完全に大丈夫とは思えなかった。


 昨日のことを思い出す。


 熱かった腕。


 揺らぐ輪郭。


 消えるかもしれないという言葉。


 そして。


 僕の手を振り払えなかったルネ。


「……なあ」


 ルネが言う。


「何?」


「昨日見た夢」


 胸が跳ねる。


「うん」


「どこまで見た」


「……男の人が」


 言いかけて。


 止まる。


 名前を。


 僕はまだ知らない。


 夢の中でも呼ばれていなかった。


「その人が、ルネに手を差し出してた」


 ルネの目が僅かに揺れる。


「他には」


「もし自分がいなくなったら、別の誰かの手を取れって」


「……そうか」


「それと」


「もういい」


 遮られる。


 強い声ではなかった。


 ただ。


 聞きたくないのだと分かった。


「ごめん」


「謝んな」


「でも」


「オマエが悪いわけじゃねぇ」


 ルネが窓の外を見る。


 雨。


 灰色の空。


 その横顔は。


 いつもより幼く見えた。


 強がることに疲れているようにも見えた。


「……アイツは」


 ぽつり。


 ルネが言う。


「昔から」


 一度、言葉を切る。


「勝手だった」


「勝手?」


「ああ」


「何でも一人で決める」


「誰かを助ける時も」


「危ねぇ場所へ行く時も」


「最後まで」


 ルネの指が。


 僅かに震える。


「全部」


「勝手に決めやがった」


 怒っている。


 でも。


 その怒りの奥にあるものが。


 今なら少し分かる。


 悲しい。


 寂しい。


 置いていかれた。


 たぶん。


 そう言いたい。


 なのに。


 そんな言葉を使うことさえ、ルネには難しい。


「ルネは」


 僕は慎重に聞く。


「その人のこと、嫌いだった?」


「殺すぞ」


 即答。


「違うんだ」


「当たり前だろ」


「じゃあ好きだった?」


「言い方考えろ」


「友達として」


「……」


 ルネは答えなかった。


 でも。


 その沈黙が。


 答えみたいだった。


「相棒だった」


 しばらくして。


 小さく言う。


「契約者とか」


「主人とか」


「そういうんじゃねぇ」


「アイツは」


 ルネの声が少しだけ掠れる。


「オレの隣にいた」


 その言葉。


 僕がルネに言った言葉と重なる。


 隣にいたい。


 隣にいる理由。


 だから。


 ルネはあの時。


 あんな顔をしたんだ。


「大切だったんだね」


「……うるせぇ」


 否定しない。


 それだけで。


 十分だった。


     ◇


「晶」


「なに?」


「オマエは」


 ルネがこちらを見る。


「同情してんのか」


「え?」


「オレが可哀想だから」


「傍にいるのか」


 突然の問い。


 でも。


 ずっと聞きたかったのかもしれない。


 僕が過去の男を知るほど。


 ルネの弱さを知るほど。


 僕の気持ちが、哀れみへ変わるのを恐れている。


「違うよ」


 すぐに答える。


「じゃあ何だ」


「放っておけないから」


「それが同情だろ」


「違う」


「何が違ぇ」


 ルネの声が少し荒くなる。


「可哀想って思ってない」


「……」


「苦しそうだとは思う」


「でも」


 言葉を探す。


 上手く言えない。


 それでも。


 伝えたい。


「ルネは」


「僕を前へ進ませてくれた」


「教室へ戻れたのも」


「少しずつ変われたのも」


「全部、ルネがいたから」


「全部じゃねぇ」


「うん」


「僕がやったこともある」


「でも」


 ルネを見る。


「僕一人じゃ無理だった」


「だから」


「今度は僕も」


「ルネが一人じゃ無理な時に、隣にいたい」


 沈黙。


 雨音だけが響く。


 ルネは僕を見ていた。


 赤紫の瞳。


 いつもより。


 ずっと近く感じた。


「……オマエ」


 低い声。


「そういうこと平気で言うよな」


「平気じゃない」


「顔に出てねぇ」


「すごく緊張してる」


「嘘つけ」


「本当だよ」


 胸がうるさい。


 手も少し震えている。


 でも。


 逃げたくなかった。


「ルネ」


「あ?」


「弱くてもいいんじゃない?」


 その瞬間。


 空気が変わった。


「……何?」


「ルネが」


「弱くても」


「いいんじゃないかって」


 ルネの目が細くなる。


「オレが弱いって言いてぇのか」


「うん」


 答えた瞬間。


 自分でも。


 少し怖くなった。


「……晶」


「はい」


「今なら謝れば許してやる」


「ごめん」


「早ぇな」


「でも、言ったことは変えない」


「オマエな」


 ルネが睨む。


 でも。


 怒鳴らなかった。


「ルネは強いよ」


「悪魔だし」


「僕よりずっと」


「でも」


「全部一人で抱えられるほど、強くはない」


「それは弱いってことじゃない?」


 ルネは何も言わない。


「僕も弱い」


「教室にいるだけで苦しくなる」


「人の目が怖い」


「逃げたくなる」


「何もできなくなる」


「でも」


「弱いからって」


「生きちゃいけないわけじゃない」


 自分へ言い聞かせるように。


 言葉が出る。


「誰かに助けてもらっても」


「いいんだと思う」


「……綺麗事だ」


 ルネが呟く。


「そうかも」


「助けられねぇ時もある」


「うん」


「手を伸ばしても」


「届かねぇこともある」


「うん」


「信じても」


「裏切られる」


「それでも」


 僕は言う。


「一人よりはいい」


 ルネの表情が。


 ほんの少しだけ歪んだ。


「……オレは」


 声が掠れる。


「アイツに」


 言葉が止まる。


 ルネの手が。


 強く握られる。


「助けてって」


 そこで。


 完全に声が途切れた。


 僕は何も言えなかった。


 ルネは俯いたまま。


 肩を僅かに震わせている。


「言えなかった」


 小さな声。


「最後まで」


「逃げろって言った」


「来るなって言った」


「オレに構うなって」


「それで」


 呼吸が乱れる。


「アイツは」


「死んだ」


 初めて。


 ルネが。


 はっきりと口にした。


 死んだ。


 その言葉は。


 階段の踊り場に。


 重く落ちた。


 雨音さえ。


 一瞬、止まったように感じた。


「オレが」


「助けてって言ってれば」


「違ったかもしれねぇ」


「オレが」


「もっと早く」


 黒い靄が。


 足元から滲み始める。


「ルネ」


「来るな」


 反射的な言葉。


 でも。


 昨日ほど強くない。


「今は」


 僕は立ち上がる。


「近付く」


「やめろ」


「嫌だ」


「晶」


「一人にしない」


 ルネの前へ行く。


 黒い靄。


 冷たい空気。


 靄が足元へ絡みつく。


 怖い。


 でも。


 手を伸ばす。


 ルネの手首を掴む。


 熱い。


 昨日と同じ。


 いや。


 昨日より。


 もっと熱い。


「っ……」


「離せ」


「嫌だ」


「オマエまで」


「大丈夫」


「何が大丈夫だ!」


 ルネが叫ぶ。


「何も分かってねぇくせに!」


「分からないよ!」


 僕も叫び返す。


 自分でも驚くほど。


 大きな声が出た。


 階段に声が響く。


「分からない!」


「その人がどんな人だったかも」


「ルネが何をしたのかも」


「本当は何が起きたのかも!」


 ルネが目を見開く。


「でも」


 息を吸う。


「今、ルネが苦しいのは分かる」


「助けてって言えないのも」


「分かる」


「僕も言えなかったから」


 ずっと。


 苦しいのに。


 助けてほしいのに。


 大丈夫だと言っていた。


 迷惑を掛けたくなくて。


 嫌われたくなくて。


 一人で壊れかけていた。


「だから」


 手を離さない。


「言えないなら」


「僕が勝手にいる」


 黒い靄が揺れる。


 僕の足元まで広がる。


 でも。


 少しずつ。


 弱くなっていく。


「勝手にすんな」


 ルネが言う。


 声が震えている。


「ルネも勝手だから」


「意味分かんねぇ」


「お互い様」


「……クソガキ」


「同い年くらいでしょ」


「オレの方が上だ」


「見た目は同じくらい」


「殺すぞ」


 いつもの言葉。


 でも。


 その言葉の奥で。


 何かがほどけた気がした。


     ◇


 しばらく。


 僕たちはそのままだった。


 雨音。


 薄暗い階段。


 握った手首。


 ルネは。


 僕の手を振り払わなかった。


「……晶」


「なに?」


「オマエ」


 一度、言葉を切る。


「怖くねぇのか」


「怖いよ」


「なら離せ」


「それは嫌」


「なんでだよ」


「ルネが怖がってるから」


「……」


「一人で怖がるより」


「二人の方が少しマシでしょ」


 ルネが。


 僅かに俯く。


 長い髪が顔を隠す。


 表情は見えない。


 でも。


「オレが」


 小さな声。


「怖がってるように見えるか」


「見える」


「即答すんな」


「だって見えるから」


「……最悪だ」


「何が?」


「オマエに」


 ルネが歯を食いしばる。


「見抜かれんのが」


「そんなに嫌?」


「嫌だ」


「なんで」


「弱ぇって思われる」


「思ってるよ」


 ルネが顔を上げる。


 睨むような目。


 でも。


 そこに怒りはなかった。


「でも」


 僕は続ける。


「嫌いにはならない」


 赤紫の瞳が揺れた。


「弱いルネも」


「ルネだから」


 何も言わない。


 怒らない。


 ただ。


 しばらく。


 僕を見ていた。


 それから。


「……バカ」


 小さく呟く。


「知ってる」


「知らねぇよ」


「ルネが毎日言うから」


「それでも足りねぇ」


「じゃあもっと言って」


「何でだよ」


 少しだけ。


 ルネが笑った。


 本当に。


 ほんの少し。


 でも。


 今まで見た中で。


 一番。


 弱い笑顔だった。


 そして。


 たぶん。


 一番。


 本当のルネに近い笑顔だった。


     ◇


 放課後。


 雨はまだ降っていた。


 朝より少し強くなっている。


 昇降口の屋根を叩く雨音が、校舎の中まで響いていた。


 僕は傘を開く。


「ルネは?」


「何が」


「傘」


「いらねぇ」


「濡れるよ」


「悪魔だから平気だ」


「そういう問題じゃない」


 僕は傘を少し傾ける。


「入って」


「嫌だ」


「なんで」


「狭ぇ」


「二人なら入れるよ」


「オマエが濡れる」


「ルネも濡れる」


「オレはいい」


「よくない」


 しばらく睨み合う。


 雨だけが。


 二人の間を埋めるように降り続ける。


 結局。


 ルネが折れた。


「……少しだけだぞ」


「うん」


「近ぇ」


「傘小さいから」


「押すな」


「ルネの髪が傘から出てる」


「気にすんな」


「濡れてる」


「触んな」


 長い髪を傘の中へ入れようとして。


 手を払われる。


「痛い」


「勝手に触るからだ」


「風邪ひいたらどうするの」


「悪魔は風邪ひかねぇ」


「本当?」


「多分」


「多分なんだ」


 並んで歩く。


 雨。


 狭い傘。


 近い距離。


 ルネの肩が。


 時々僕に触れる。


 少し前なら。


 きっと。


 こんな距離を許してくれなかった。


 近付くな。


 離れろ。


 そう言っていたはずだ。


 でも今は。


 文句を言いながらも。


 傘から出ようとはしない。


「晶」


「なに?」


「今日のこと」


「うん」


「誰にも言うな」


「サーシャにも?」


「特にあいつには」


「怒られるから?」


「閉じ込められる」


「それは困るね」


「だろ」


「でも」


「何だよ」


「本当に危なくなったら言うよ」


「オマエな」


「だって、消えたら困る」


「……」


「僕が困る」


 ルネが足を止める。


 雨音の中。


 僕も立ち止まる。


「どうしたの」


「いや」


 ルネは顔を逸らす。


「何でもねぇ」


 耳が。


 少し赤い気がした。


 雨で冷えているはずなのに。


     ◇


 悪魔は強い。


 人間よりずっと。


 力も。


 身体も。


 存在そのものも。


 でも。


 だからといって。


 心まで壊れないわけじゃない。


 失えば悲しい。


 置いていかれれば寂しい。


 同じことが起こるのが怖い。


 助けてと言えない。


 弱いと思われたくない。


 それは。


 僕と同じだった。


 だから。


 たぶん。


 ルネに必要なのは。


 弱さを消してくれる誰かじゃない。


 何でも解決してくれる誰かでもない。


 弱いままでも。


 怖いままでも。


 隣にいる誰か。


 逃げろと言われても。


 少しだけ踏みとどまる誰か。


 そして。


 僕も。


 そういう誰かを。


 ずっと探していたのかもしれない。


「晶」


「なに?」


「傘、もう少しこっち寄せろ」


「ルネが寄ればいいじゃん」


「濡れてんだよ」


「悪魔は平気なんでしょ」


「うるせぇ」


 少しだけ。


 傘を傾ける。


 ルネの肩が。


 また。


 僕の肩に触れた。


 今度は。


 どちらも離れなかった。


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。