表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/14

ルネ編第6話 「似ている」


 ――朝から最悪だった。


 目が覚めた瞬間から、頭の奥が重い。


 まぶたの裏に、まだ昨夜の夢の色が残っている。


 赤い空。


 黒い炎。


 崩れていく世界。


 そして、ルネと並んで立っていた誰か。


 男だった。


 顔は見えない。


 名前も分からない。


 でも、笑っていた。


 ルネと肩を並べて、軽口を叩いて、楽しそうに。


 今のルネからは想像できないくらい、自然な空気だった。


 その最後に聞こえた声。


『逃げろ』


 あれが頭から離れない。


 ただの夢のはずなのに。


 声だけが妙に生々しかった。


 まるで本当に耳元で聞いたみたいに。


「……気持ち悪い」


 小さく呟く。


 ベッドから起き上がるだけで、体が重かった。


 鏡を見る。


 ひどい顔だった。


 目の下に薄い隈ができている。


 髪も寝癖で跳ねている。


 寝不足だ。


 最近ずっとこんな感じだ。


 夢を見るたびに疲れる。


 眠っているはずなのに、起きると前より疲れている。


 それなのに、夢の内容だけは少しずつ鮮明になっていく。


 忘れたいのに。


 忘れられない。


 むしろ、どんどん近づいてくる。


 赤い空も。


 黒い炎も。


 ルネの隣にいた、あの誰かも。


     ◇


「顔色悪ぃな」


 教室へ入った瞬間だった。


 窓際。


 ルネが腕を組んで立っていた。


 相変わらず目立つ。


 長い淡い紫ピンクの髪。


 小さな黒い羽。


 整いすぎた顔。


 こんな人が普通に教室にいたら、大騒ぎになるだろう。


 でも、見えているのは僕だけだ。


 他の生徒たちは何も気にせず、朝の準備をしている。


 その普通さが、逆に少し怖い。


「おはよう」


「死にそうな顔してんな」


「挨拶返してよ」


「死にそうな顔してんな」


「二回言った」


「重要だからな」


 ルネはそう言って、僕の顔を覗き込んだ。


 近い。


 思わずのけぞる。


「寝てねぇだろ」


「……ちょっと」


「ちょっとじゃねぇ顔だ」


 図星だった。


 ルネは露骨に嫌そうな顔をする。


「だから言ったろ」


「近付くなって」


「それとこれ関係ある?」


「ある」


 即答だった。


 でも、その理由は教えてくれない。


 ルネはいつもそうだ。


 危ない。


 近付くな。


 忘れろ。


 そこまでは言う。


 でも、肝心な理由は絶対に言わない。


「夢見ただけだよ」


「どんな夢だ」


「……」


 言葉に詰まる。


 話していいのか分からない。


 でも、隠しても無駄な気がした。


 ルネはたぶん、僕が何かを見たことに気づいている。


 それに。


 あの夢の中に出てきたのは、ルネの過去だ。


 本人に黙っている方が、逆に変な気がした。


「誰か出てきた」


「あ?」


「ルネと一緒にいた人」


 その瞬間。


 ルネの表情が凍った。


 本当に一瞬だった。


 でも、確かに。


 空気が変わった。


 周りの教室の喧騒だけが遠のいて、僕とルネの間だけが冷たくなる。


「……何見た」


 低い声。


 思わず背筋が冷える。


「顔は見えなかった」


「他は」


「赤い空と」


「……」


「黒い影」


 沈黙。


 ルネは何も言わない。


 ただ、少しだけ顔色が悪くなった。


 夢の中で見た黒い炎よりも、今のルネの沈黙の方が怖かった。


「忘れろ」


 ぽつりと言う。


「え?」


「その夢だ」


「でも」


「忘れろ」


 今度は強かった。


 拒絶。


 それに近い響き。


 僕は黙るしかなかった。


「……忘れられたら苦労しないよ」


 小さく言う。


 ルネの眉がぴくりと動く。


「何か言ったか」


「何も」


「聞こえてんだよ」


「じゃあ聞かないでよ」


 少しだけ、いつもの空気に戻る。


 でも、ルネの目は笑っていなかった。


 赤紫の瞳の奥に、見たことのない影が沈んでいた。


     ◇


 昼休み。


 屋上。


 結局、ルネは来なかった。


 一人でフェンスにもたれる。


 風が吹く。


 空は青い。


 なのに、気分は重い。


 ルネは明らかに何かを知っている。


 僕の夢のことも。


 あの男のことも。


 赤い空のことも。


 でも、何も話してくれない。


 忘れろ。


 近付くな。


 そればかりだ。


 そんなの、余計に気になるに決まっている。


 あの男は誰なんだろう。


 ルネの友達?


 仲間?


 家族?


 それとも、もっと別の何か。


 夢の中のルネは、今より少し若く見えた。


 今みたいに誰かを突き放すような顔じゃなかった。


 あの男の隣で、普通に笑っていた。


 それが妙に胸に引っかかる。


 ルネにも、あんなふうに笑える時間があった。


 それなのに今は、いつも一人で、近付くなとばかり言う。


「珍しいね」


 声がした。


 振り返る。


 久苑だった。


 金髪の髪を三つ編みにして、にこにこと笑っている。


 いつも通りの軽い表情。


 でも、その目の奥は相変わらず読めない。


「ルネいないんだ」


「……」


「へぇ」


 にやりと笑う。


「ケンカ?」


「違う」


「じゃあ避けられてる?」


「……」


「図星だ」


「うるさい」


 久苑は楽しそうに笑う。


 この人は本当に人の心が好きだ。


 悪い意味で。


「でも仕方ないかもね」


 ふと、そんなことを言った。


「え?」


「ルネ」


 久苑はフェンスにもたれて、空を見る。


 珍しく真面目な顔だった。


「昔からそうだし」


「何が」


「大事なものから逃げるの」


 心臓が鳴る。


 その言葉は妙に重かった。


「……ルネが?」


「うん」


 久苑が頷く。


「怖いから」


「怖い?」


「失うのが」


 風が吹く。


 金髪の三つ編みが揺れる。


「だから近付かない」


「だから一人で抱える」


「だから壊れる」


 どこか寂しそうな声だった。


 いつもの軽薄な久苑じゃない。


 笑っているのに、目だけが笑っていない。


「知ってるの?」


「少しね」


「その……夢に出てきた人のことも?」


 久苑の笑みが、ほんの少しだけ深くなる。


「見たんだ」


 答えになっていない。


 でも、否定もしない。


「誰なの」


「ボクが言うことじゃない」


「じゃあルネが話してくれると思う?」


「今のルネなら無理だね」


 あっさり言う。


「じゃあどうすればいいの」


「追いかければ?」


 軽い声。


 でも、目だけは真面目だった。


「ルネが逃げてるなら」


「うん」


「追いかけた方がいいよ」


「……なんで」


「だって」


 久苑は笑う。


「晶くんも放っておけないんでしょ?」


 否定できなかった。


「それにさ」


 久苑は少しだけ声を落とす。


「ルネは、追いかけてほしくないって顔をするくせに」


「本当に誰も追いかけてこないと、勝手に傷つくタイプだから」


「面倒くさいね」


「めちゃくちゃ面倒くさい」


 久苑は楽しそうに笑った。


 でも、その言葉はどこか優しかった。


 たぶん久苑も、ルネを放っておけないのだ。


 やり方はかなり歪んでいるけれど。


     ◇


 放課後。


 校舎裏。


 昨日と同じ場所。


 ルネはいた。


 壁にもたれて、空を見ている。


 夕方の光が、淡い紫ピンクの髪を赤く染めていた。


 その姿は綺麗だった。


 どこか現実離れしていて。


 手を伸ばしたら消えてしまいそうで。


「また来たのか」


 第一声がそれだった。


「来ちゃダメ?」


「ダメだ」


「でもいるじゃん」


「……」


「帰らないけど」


 ルネが盛大にため息を吐いた。


「オマエな」


「うん」


「本当に人の話聞かねぇな」


「ルネに言われたくない」


「それもそうか」


 少しだけ笑う。


 その笑顔はすぐ消えた。


「夢見たんだろ」


「……うん」


「また見るぞ」


「なんで分かるの」


「分かる」


 それだけだった。


 説明になっていない。


 でも、ルネ自身も同じものを見ている気がした。


 あるいは。


 ずっと見続けてきたのかもしれない。


 眠っていても。


 起きていても。


 忘れられない夢を。


「その人」


 思い切って聞く。


「大事な人だったの?」


 ルネが黙る。


 風が吹く。


 長い沈黙。


 倉庫の錆びた扉が、風に鳴る。


「……なんでそう思う」


「顔」


「あ?」


「夢の話した時」


「……」


「すごく嫌そうだった」


 違う。


 嫌そうじゃない。


 本当は。


「苦しそうだった」


 その瞬間。


 ルネの瞳が揺れた。


「……オマエ」


 低い声。


「本当に似てるな」


「え?」


 初めて聞く言葉だった。


「似てる?」


「……」


「誰に?」


 ルネは答えない。


 ただ空を見上げる。


 夕焼けが始まっていた。


 赤い光が横顔を照らす。


「昔」


 ぽつりと言う。


「いたんだよ」


 心臓が跳ねる。


「オレの近くに」


「……」


「バカが」


 ルネが少しだけ笑う。


 優しい笑顔だった。


 今まで見たことがないくらい。


「放っておけばいいことに首突っ込んで」


「助けなくていいやつ助けて」


「無茶ばっかして」


 その顔が、ひどく寂しかった。


 優しいのに。


 痛そうで。


 懐かしんでいるのに。


 今にも壊れそうで。


「晶」


「なに」


「オマエも似てる」


 その言葉に胸がざわつく。


 知らない誰か。


 見たこともない誰か。


 なのに、ルネはその人を見ているみたいだった。


 僕を見ながら。


 僕じゃない誰かを。


「だから近付くな」


 静かな声。


「また失うのは」


 そこで言葉が止まる。


 ルネ自身も気づいたのだろう。


 言いかけたことに。


 僕も気づいてしまった。


 今の言葉に。


「……ルネ」


「忘れろ」


「今の」


「忘れろ」


 強引に話を切る。


 でも、もう遅かった。


 分かってしまったから。


 ルネは僕を嫌っているんじゃない。


 怖がっているんだ。


 昔失った誰かと、僕を重ねて。


 また同じことになるんじゃないかと。


 怯えている。


「……僕は」


 気づけば口を開いていた。


「その人じゃないよ」


 ルネがこちらを見る。


「当たり前だ」


「でも」


 言葉を探す。


 うまくまとまらない。


「僕は僕だから」


 それしか言えなかった。


 あまりにも単純で。


 何の慰めにもならない言葉。


 でも、今の僕にはそれしかなかった。


「その人の代わりにはなれない」


「なりたいわけでもない」


「でも」


 喉が震える。


「今ここにいるのは、僕だから」


 ルネはしばらく黙っていた。


 赤い夕焼けが二人の間に落ちる。


 長い沈黙。


 それから。


「そういうとこだよ」


 小さく笑った。


「え?」


「似てるの」


 その声は、ひどく優しかった。


 だから余計に苦しかった。


「ルネ」


「あ?」


「似てるなら」


 僕は少しだけ迷ってから言う。


「余計に、ちゃんと見てよ」


 ルネの表情が止まる。


「僕を」


「……」


「その人じゃなくて」


「……」


「僕を見てよ」


 言った瞬間、自分でも驚いた。


 こんなことを言うつもりはなかった。


 でも、言ってしまった。


 ルネは黙っている。


 怒ると思った。


 突き放されると思った。


 でも。


「……生意気」


 返ってきたのは、それだけだった。


「ごめん」


「謝んな」


「怒った?」


「怒ってねぇ」


「ほんと?」


「しつけぇ」


 ルネは顔を逸らす。


 耳が少し赤い。


 でも、その横顔はさっきより少しだけ穏やかだった。


 夕焼けが沈んでいく。


 赤い空の下。


 ルネはどこか遠くを見ていた。


 きっと、僕じゃない誰かを。


 昔失った誰かを。


 でも。


 その視線は少しずつ。


 確実に。


 僕の方へ向き始めていた。


 そして僕はまだ知らない。


 その「似ている」が。


 ルネにとって救いであると同時に、最大の恐怖でもあることを。


 近付けば近付くほど。


 ルネの中で閉じ込めていた記憶が、また軋み始めることを。


 それでも。


 この時の僕は、ただ思っていた。


 逃げるなら追いかけよう。


 突き放されても、もう少しだけ隣にいよう。


 ルネが僕を誰かと重ねているのなら。


 いつかちゃんと、僕を見てくれるまで。


 何度でも名前を呼ぼう、と。


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ