344 議会対策
皇暦八三六年十二月二十八日、景紀と貴通は皇都へと帰還した。
有馬貞朋公と斯波兼経公も、同様に皇都へと到着している。
伊丹・一色両家を降伏させ、三家が皇主の発した追討の勅旨を果たしたことを奏上するためであった。
宮城へと参内した四人はそれぞれ皇主よりの御嘉賞に与り、また結城・有馬・斯波三家の追討軍に対する勅語も賜った。
皇主は特に貴通について、女性であることが露見してしまった件、代わりの人質として一色公直の元に赴いた件について、慰労の言葉をかけている。
また、拝謁の中で皇主は内戦が短期間で終結したことをことのほか喜んだ一方、四人に対してこの内戦で被害を受けた民に対する救恤を万全なものとするよう希望した。この際、皇主は皇室からも救恤金を出す意向を四人に伝えている。
加えて、皇主は伊丹・一色両家の処遇やその領地をどのように扱うかという点について、四人に種々の下問を行った。
これらの問題については先日の媛丘城会談や皇都へ向かう汽車の中である程度の腹案が出来上がっていたことから、景紀が四人を代表してそれらの内容を皇主に奏上した。
しなしながら、内戦終結後は中央政府の権限を拡大していくべきと考えていた景紀たちにとっては皮肉なことに、この謁見は皇主・皇室と三家との繋がりが改めて強固なものであることを示す結果となったといえよう。
皇主が六家体制崩壊後の国内統治の方針について、内閣ではなく旧六家当主たちに下問しているのである。
これは、六家が皇主を盟主とする盟約を結んで、戦国時代を終結させた二〇〇余年前と状況的には同じといえた。旧六家に代わり、六家相克の内戦を制した結城・有馬・斯波の三家が、改めて国家の元老としての地位を確固たるものにしたに過ぎなかったのである。
六家体制が崩壊してもなお、依然として皇国は封建制を強固に内包したまま、近代化を進めようとしていた。
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「陛下への拝謁を終えて肩の荷が一つ下りたとはいえ、我らにとってはむしろこれからが本番といえるかもしれんな」
参内を終えた四人は、ひとまず結城家皇都仮屋敷(旧佐薙家皇都屋敷)の談話室へと移動した。
冬花が従者としての振るまいで四人の茶菓を用意する中、有馬貞朋公は疲労を滲ませた声で言う。
十二月二十四日に行われた媛丘城会談以降、四人は戦後処理などに忙殺されて十分な休息をとる時間がなかったのである。皇都へ向かう汽車の中ですら、四人は旧伊丹・一色家領の処理方針の具体化、追討軍の復員問題などについて意見を交わし合っていたほどであった。
伊丹・一色両家の追討を果たし、皇主への奏上を終えたとしても、それで国内のすべての問題が解決したわけではない。
依然として解決しなければならない国内問題は多く、皇国が国際情勢へと積極的に関わっていくには、いま少しの時間が必要であった。
「伊丹・一色両家の解体と領地行政の円滑な引き継ぎ、両家領軍の再編、議会における来年度予算の査定、ある程度の腹案はまとまったとはいえ、いざ実行しようとすると問題も多いでしょう」
景紀も、溜息交じりにぼやいた。
「ただ、伊丹・一色両家の件は、正直なところ僕たち四人が方針を確定して陛下に奏上、御裁可を得られればそれで進められます」
そんな同期生の様子を横目で見つつ、貴通が続ける。
「そう考えれば、直近一番の難関は、衆民院も関わってくる来年度予算の方かもしれません」
上院にあたる列侯会議、下院にあたる衆民院という両院によって成り立つ議会制度が一応は確立している以上、景紀たちも議会を完全に無視することは不可能であった。
特に議会は次年度予算を査定する場である。
もちろん、六家体制下で整えられた議会制度である以上、六家の持つ拒否権を除き、国政における議会の権限は限定的であった。
皇国議会においては内閣の提出した次年度予算を査定することが出来るものの、それを議決によって否決することが出来ないのだ(六家が拒否権を発動した場合を除く)。議会に認められているのはあくまで予算の減額のみであり、内閣の予算に協賛(同意)する立場でしなかったのである。
仮に議会において予算の協賛が得られなかった場合、内閣は前年度予算を踏襲することが慣習となっていた。
しかし、六家の拒否権を除き権限が限定的な議会であるとはいえ、議会の存在を完全に無視した政権運営は事実上、不可能であった。予算や法律の制定に議会の協賛が必要である以上、その“協賛”が一種の政治的正統性を帯びるようになっていたからである。
「下手に議会を無視した政権運営を行えば、自由民権運動が再び激化する危険性もあろう」
有馬貞朋公も、そうした懸念を示す。
「旧伊丹・一色家領は、我らや中央政府による統治が安定するまでは、権力の空白地帯になりかねん。そこで民権派の者どもが騒擾事件を引き起こせば、国内の安定化が遠のいてしまう」
民権派に譲歩するわけではないが、景紀たちも中央集権体制への移行を徐々に進めていかなければならない以上、議会を議会として機能させる必要があった。
「議会を開く上での問題は、皇都内乱と引き続いた内戦によって、来年度予算の編成が事実上のやり直しになってしまったことでしょう」
そう指摘して、貴通は続ける。
「一連の内戦における戦費は現状、結城・有馬・斯波三家がそのほとんどを負担している形になっています。これを、賞典禄(戦功に対して支払われる俸禄)の増額などで補塡してもらわなければならない他、戦災に遭った地域の復興予算なども必要となってきます」
「それに、旧伊丹・一色家領からの税収がどれだけ得られるかも不透明です」
貴通の言葉に、景紀が被せた。
「確かに、伊丹・一色両家とも、本来であれば領内で徴集した国税は中央政府に納めるべきところを、そのまま挙兵のための戦費に充てていたようだからな。今から領民にその分の税を改めて納めよと言うのは、流石に無理があろう」
貞朋公も、次年度予算の編成の難しさに頭痛を堪えきれないようであった。
「まあ、そのあたりは我らだけが頭を悩ませていても仕方ありますまい」
一方の兼経公は、楽天的な表情を見せている。
「そのために財務担当の家臣がいるのですし、中央政府には大蔵省もある。私も、財務の細かいことは側用人に任せておりましたからな」
その側用人である萱橋玄基は現在、景紀が兼経公を口説き落として大蔵大臣として入閣させている。
側用人から大蔵大臣になったことで、斯波家だけでなく結城・有馬の両家からも財務問題を押し付けられる形になってしまったことに、景紀は内心で同情した。
もっとも、そうした立場に追いやったのは景紀自身なのであるが。
「まあ、ちょうど斉からの賠償金もあることですし、旧伊丹・一色家領からの税収が大幅に減ろうとも、多少は凌げると思います」
貞朋公を慰めるように、貴通がそう言った。
「そうなると、議会をどの段階で召集するかですね」景紀は続ける。「例年であれば次年度予算を審議する常会は十二月に開会しますが、皇都内乱に始まる内戦の結果、今年は未だ議会を召集出来ずにいます。しかし、今召集したところで審議すべき予算案が出来上がっていない。今年度は常会を開かず、臨時議会で次年度予算を審議する形にしましょうか?」
「衆民院が開設されて以来、総選挙が重なった以外の理由で常会が開かれないのは、これが初めてであろうな」
「非常時ですから、やむを得ないでしょう」
貞朋公の言葉に、景紀はそう返した。
「いっそ今回も総選挙を行ってしまうか?」貞朋公が景紀に尋ねる。「伊丹・一色両家を降したとはいえ、衆民院には攘夷派政党が残ってしまっている。これを、総選挙で一掃してしまうのも手ではないか?」
前回の衆民院総選挙は、対斉戦役の最中である昨年十一月に行われた。結果、六家の影響力の強い吏党勢力が衆民院の三分の二以上を占めるに至っている。
しかし、六家の後援を受ける吏党勢力も決して一枚岩ではない。衆民院最大会派である皇民協会は吏党の中でも中道的存在(悪く言えば六家の傀儡的存在)であるが、伊丹・一色両家が支援していた護国党や蓬莱倶楽部は吏党の中でも明確に攘夷を掲げる対外硬派であった。
もしこれら対外硬派勢力が民党側に合流した場合、衆民院の議席勢力図が変化することになる。
実際問題、対斉戦役直後の三国干渉やルーシー帝国の回疆侵攻などで国民の間に対外危機意識が強まっており、伊丹・一色両家から資金などの援助を受けられなくなったにもかかわらず、攘夷派政党が国民からの支持で勢力を維持することは十分に可能と考えられた。
「いえ、止めておきましょう」
結局、景紀はそう結論付けた。
「今解散総選挙に打って出たところで、旧伊丹・一色家領で我々の息のかかった候補者を擁立するすることは難しいですし、何より先ほど貞朋公がおっしゃったように旧伊丹・一色家領で民権派が勢力を拡大しようとする可能性もあります。むしろ、我々の方で攘夷派政党を懐柔することを考えて、吏党勢力で三分の二以上の議席を維持することを目指すべきでしょう」
「対ルーシー戦役も考えられる以上、むしろそちらの方が現実的か」
貞朋公も、景紀の意見に納得したようであった。
「ただ、列侯会議の方は議員の入れ替えが必要となってくるだろうな」
「ええ、むしろそちらはやらねばならないでしょう」
議会上院にあたる列侯会議は、すべての将家・公家の当主が議員として議席を持っているわけではない。
公爵・侯爵は終身議員(ただし歳費は支払われず)であるが、伯爵・子爵・男爵は任期七年の互選制であった。伯爵・子爵・男爵議員には家禄・賞典禄とは別に列侯会議議員としての歳費が支給されるため、領財政が厳しい諸侯ほどこの歳費目当てに列侯会議議員になりたがる傾向があった。
しかし勿論、任期七年とはいっても高齢により当主の座を退いたり、在任中に死去したりするなどして欠員が生じる場合があり、そうした場合は補欠選挙が行われる。
皇都内乱では、列侯会議に備えて早めに上京していた諸侯の一部が伊丹・一色両家に(兵学寮、学士院、女子学士院にいる子女を人質に取られる形になっていたとはいえ)便宜を図るなどし、さらには伊丹直信の婚約者・理都子の実家である桜園子爵家など一部公家からも叛乱に与した者を出している。
また、伊丹・一色両家と姻戚関係にある中小諸侯も、何名かが列侯会議議員として議席を持っていた。
こうした者たちを列侯会議から追放し、結城・有馬・斯波三家に近しい華族で列侯会議の過半数を占めることを、景紀たちは目論んでいるわけである。
「なかなか難しいのが、列侯会議における五摂家の扱いであるが……」
そこで貞朋公は、ちらりと貴通を見遣る。貴通は、特に気にした様子も見せず先を促した。
「……現状、五摂家の処遇は伊丹・一色両家の追討などもあって宙に浮いた形となっている。そろそろ、明確にせねばならんだろう」
皇都内乱において伊丹・一色両家を支持して皇主の不興を買った五摂家当主たちであるが、彼らは未だに当主の地位を追われていなかった。
これは、皇后を輩出する家系であるが故に皇室とも繋がりの深い五摂家の政治的責任を公に追及するのを皇主が望んでいないことが原因であった。五摂家の権威が損なわれれば、必然的に五摂家と繋がりの深い皇室の権威にも傷が付くことになるからである。
そのため宮中としては、皇都内乱における責任は五摂家という“家”ではなく現当主にあるという形にすることで、五摂家そのものの権威は守り抜くつもりのようであった。
実際、皇都内乱で唯一明確に結城家陣営についていた貴通に対し、皇主は今後も景紀を支えることで五摂家としての権威を守り抜くよう、言葉をかけているほどである。
貴通自身も五摂家の権威を以て景紀を支えることが出来るわけであるから、五摂家の権威は守るという点について、宮中勢力と貴通、そして結城家の利害は一致しているといえた。
しかし、だからといって五人の当主の地位を現状のままにしておくことも出来ない。
伊丹・一色両家には追討令が下り、皇都内乱でこの両家を支持した以上、五当主もまた責任を問われるべき立場にあるからだ。
皇主は、五摂家の当主陣が皇都内乱の責任を取って自ら当主の地位を退くことを望んでいるという。しかしながら、未だに五摂家当主たちはその地位にしがみついているのが現状である。
そのことに対する皇主の不満が宮中より漏れ伝わってくるのは、明らかに宮中側から五摂家当主陣への圧力であろう。
「あくまで現当主陣の責任のみを追及するとなりますと、列侯会議からの除名処分という形が一番適当かと思います」
景紀は貞朋公に対してそう提案した。
列侯会議、衆民院とも、議員に対する懲罰として出席議員の三分の二以上の賛成があれば議員資格を剥奪することが可能であった。実際、二年前の列侯会議では佐薙成親伯が議員資格を剥奪されている。
ただし、公爵・侯爵議員が除名処分となった事例は、ほとんどない。
それは、公爵・侯爵議員の辞職には皇主の勅許が必要とされていたため、議員資格の剥奪についてもこの規定が適用されると考えられていたからである。公爵・侯爵議員の除名処分は、列侯会議が皇主の大権を犯すことにも繋がりかねなかった。
そのため、明確に皇主の不興を買った人物でない限り、懲罰動議すらかけられることがないのである。
しかし今回、五摂家当主陣は皇主からの信任を完全に失っている。
「公爵・侯爵議員を辞めさせるには陛下の勅許が必要ですが、すでに五当主は陛下の信任を失っています。公爵・侯爵議員の定員が定められていませんから、そのまま五当主の議席が空席となっても何も問題はありません」
だから景紀は、強気な調子でそう断言することが出来た。
列侯会議にて五摂家当主陣の議員資格剥奪が認められ、皇主がそれに勅許を与えれば、未だ当主の地位にしがみついている五人も観念せざるを得ないだろう。現当主陣が皇主からの信任を失ってしまったことが、誰の目にも明らかになるからだ。
「加えて、御用新聞などを使って、陛下が未だ五摂家当主の地位に恋々とする五人に対する不満を側近たちに漏らしておられることを広めます」
「景くんは容赦がありませんね」
むしろおかしそうに、五摂家出身の貴通が言った。
「当然だろうが。お前の父親が、これまでお前にしてきた仕打ちを考えれば、これでも手ぬるいくらいだぞ?」
貴通の父である穂積通敏への憤りが再燃してきて、景紀は剣呑な声で返す。
これまでずっと娘に男子として振る舞うよう強要してきたかと思えば、貴通の性別が暴露されるや否や娘を通じて最初から結城家と繋がっていたと記者たちに弁明して皇都内乱の責任から逃れようとした。
五摂家という御家自体が取り潰しにならないだけ、感謝して欲しいとすら景紀は思っている。
「……では、列侯会議における五摂家当主陣への対応は、それでよかろう」
目の前で見せつけられた惚気を極力無視した声で、貞朋公は景紀の方針への同意を示した。
「ちなみに景紀殿、臨時議会の召集時期はいつ頃にする腹積もりかな?」
もう一人、斯波兼経公は景紀と貴通のやり取りにさして関心のなさそうな口調であった。
「まあ、このあたりは今次内乱に我ら三家が費やした戦費の試算を出したり、旧伊丹・一色家領の税収予想の見直しと、いろいろと次年度予算を組み直すための作業がありますから、来年二月以降が適当かと」
「今から二ヶ月程度で税収の見直しに次年度予算の組み直しか。大蔵省や財務・税務担当の家臣たちには激務を強いることになろうな」
貞朋公が、いささか同情的な声で言う。
「とはいえ、年度が変わるまでに予算を成立させませんと、それはそれで厄介なことが起きます」
景紀も自分の提示した期間があまりに短すぎることを自覚しつつも、年度を跨いでしまうことの方を危惧していた。
議会において予算の協賛が得られなければ、政府は前年度予算を踏襲しなければならなくなる。それは結城閥系内閣である小山朝綱内閣にとって政治的打撃となり、ひいては結城家の権威そのものが損なわれる恐れがあるのだ。
もちろん、結城家と共に内戦を制した有馬・斯波家にとっても、新たな皇国の統治者として鼎の軽重を問われる事態となる。
「では最低限、来年三月の一ヶ月の審議で次年度予算の成立を目指すしかあるまいな」
貞朋公も、景紀と同じことを考えていたようである。
「衆民院の民権派議員からは六家による強引な議会運営だと批判も来ようが、やむを得ん」
「はい」
貞朋公の言葉に、景紀は頷く。
議会を尊重してその召集を決めておきながら、実際には強引な議会運営を目指すという矛盾を、四人は呑み込まざるを得なかった。
彼らは、封建制から近代的な中央集権体制へと移行していくための過渡期の舵取りをどのように行っていくのか、未だ模索を続けていたといえるのである。




