『メルク』因縁④
町の様子を見るために、シーアさん達が船を降りてから……五分くらいでしょうか。町の動きが盛んです。集落でも、あの人が動くとざわついていました。
「リッカさま。悪意は、どうでしょう」
「町の方に、少しだけ。でも、町の外には何もないね」
町民に『感染者』が居るという事は分かっています。町の方にあるのはそれでしょう。問題は、町外の”悪意”です。
「瓶の可能性はありますか?」
「あると思う」
確実にマリスタザリアを呼ばなければ、ルイースヒェンさんの計画は意味を成しません。私達への不信感を高めさせるだけならば、今だけで充分ですが……それならば、すぐに私達を呼び、移譲式を行おうとするはずです。
それが無いのですから……まだ、何かあるのでしょう。決定的なものです。それこそ、エッボから仕入れた瓶とか。
「今の所感じない。でも、魔王が少しでもこの計画に興味を持っちゃったら」
「すぐに悪意を瓶に詰めるでしょうね……」
「どうする? 今すぐに先代を止めるのが一番だけど」
あの人が、瓶を信用するとは思えません。ダメ元の計画だと思います。それでもやろうとしているのは……やはり、私が憎いのでしょう。すぐに止めるのが一番だと、分かってはいるのです。ですが……嗚呼――アルツィアさまは、こういう気持ちだったのでしょうか。
「……シーアさんを待ちましょう。私は、ルイースヒェンさんを少しでも信じたいです。アルツィアさまが”巫女”に選んだ、あの人を」
アルツィアさまならば、そう言ったでしょう。何度裏切られようとも、アルツィアさまはルイースヒェンさんを信じ続けました。あの人の善性を、知っていたからです。出会いで変わっても、根っこは変わらないと……信じていました。
(ですが――私は、どうなのでしょう)
また、他者の言葉だけであの人と会話しようとしているのではないでしょうか。あの人は、そんな私を嫌っていたのです。そこが変わらないと、会話にならないでしょう。
(私は……あの人が、嫌いです。あの人が私にしようとした事。今でも思い出します。もしあの人の悪事が成功していたら……)
「アリス、さん……?」
(リッカさまに会えても、共に在る事が……)
あの時は、何とも思いませんでした。どんな手を使おうとも、私に触れる事など出来るはずがないと思っていましたから。でも、貴女さまに逢えなかったかもしれないと……もしもを、考えてしまったら――涙が、流れてしまいます。
「ダメ、ですね……」
すすり泣いて、しがみついた私を、リッカさまは抱き締めてくれました。そうしないと、頭に過る「もしも」が、離れないのです。
「信じたいと思っているのですけど……私は、あの人を……信じ切れません……っ」
自分から信じると言っておきながら、私は……崩れ落ちてしまいました。考えないようにしていても、過ってしまうのです。あの人の目が変わっていない事を知って、再び、卑劣で……醜悪な手段を講じるのだと知って、動揺が隠せません。
崩れ落ちる私を抱き締めてくれている、リッカさま……もしかしたら、貴女さまに抱き締めて貰えていたのは、私ではなかったかもしれないのです。
「先代は、アリスさんに何をしたの?」
「っ……」
これを知れば、貴女さまは……私の為に、怒るのでしょう。もはやあの人を信じる事など、出来なくなってしまうのだと、分かっています。ですがリッカさまは、詳細を知らずに”人”を決めつける事はしません。どんな負の面であろうとも……リッカさまならば正しく見てくれるという事も、知っています。
「あの人は、私を……」
「アリスさん、を?」
「”巫女”にさせない為に……穢そうと……」
「―――穢、す?」
ブチっと、何かが切れる音が聞こえました。私が、何を恐れたのか……『恐怖』を知るリッカさまは、正確に感じ取っています。リッカさまも私と同様……「私達は逢えなかったかもしれない」という事に、怒りを燃やしているのです。
「はぁー……ふぅぅー……」
膨れ上がった純粋な殺意を、リッカさまが抑えています。この場にルイースヒェンさんが居たら、いくらあの人でも……この殺意を受けきる事は、出来なかったでしょう。
「絶対に、許……さない」
何度も深呼吸を繰り返し、正しくルイースヒェンさんを見ようとしていますけれど……リッカさまの殺意は、膨れ上がっていきました。
「……っ……」
「ごめんなさい……。言えば、リッカさまが怒る事は、分かっていました……。それでも、知って欲しかったのです。私がルイースヒェンさんを苦手……嫌っている、理由を」
私が前に、進む為に……これは、必要です。私の全てを、貴女さまに知って欲しいと思っています。これは、その一歩です。
「リッカさまとは、もっと早く会いたいと思っていました……。その時はまだ、何も知らなかったのですけど……それでも、会いたかったのです」
何も、知りませんでした。アルツィアさまが教えてくれる事が、貴女さまの事だったという事も、後から知ったくらいです。容姿も性格も、趣味も嗜好も、何も知りませんでした。それでも、未だ見ぬ貴女さまに惹かれていました。
「私が、トラウマを持った理由は……。”巫女”になれなかった場合を想像してしまったからです」
貴女さまに逢う事だけを、夢見ていました。
「いつか、共に歩む異世界の”巫女”……。その方との未来がなくなると、思ったのです……。ずっと、その日を夢見て頑張ってきたのに……っ」
どんなに辛くても、”神林”で貴女さまを想う事で耐えられたのです。九歳の時、失敗に終わって、折れそうになっても立ち直れたのは……貴女さまに逢えなくなった訳ではないと、貴女さまにみっともない姿を見られたくないと、想い直せたからに他なりません。
だから、”巫女”になれた時……穢されそうになった事を知っても、何とも思わなかったのです。もう”巫女”になれたから、後は待つだけだと……喜びの方が、強かったから。
「貴女さまを知ってからはもう……ルイースヒェンさんを許す気なんて、なれませんでした」
知れば知る程、貴女さまと触れ合う度に、あの時を思い出しました。あの時私は、出逢いだけでなく……全てを失いかけていたのだと、漸く思い至ってしまったのです。
「いつか、また会う事があれば……文句の一つでもと、思っていたんです」
「アリスさん……我慢しなくて、良いんだよ?」
「いいえ……我慢は、してません。貴女さまに”巫女”として逢えたのですから……。でも、許す事は……無理みたいです。信じるなんて……出来ません……」
苦手だからとか、嫌いだからとかではなく……私は、どんなに自分を偽ろうとも、あの人を信用出来ません。
(信用、出来ませんけれど……昔から変わっていない事は、もう一つあるのです)
「今すぐにでも、ルイースヒェンさんの元に行き……力尽くでも、止めたいのです。アルツィアさまの想いを、これ以上無駄にしないために」
昔と一緒ではいけないと思っていますが、これだけは……変わってはいけないと断言します。あの人に私は、言わなければいけません。アルツィアさまの真意を、今度は伝言係としてではなく……アルツィアさまの想いを、ルイースヒェンさんに知って欲しいという私の思いから、です。
信用なんて、出来ません。嫌いなものは嫌いです。ですが……アルツィアさまは違うと、もう一度言いましょう。それで――あなたとの全てを、終わらせたいと思っています。一度真っ新にしないと、私とあなたは正しく、歩み寄る事は出来ないでしょう。
「しかし……今の私達が強行すれば、この地で浄化をするのは不可能になってしまいます……」
”巫女”として動くのなら、シーアさんを待つのが一番です。どういう状況なのか把握すべきでしょう。その後、穏便に済ませる方法を探すべきだと思います。
(ですが……)
「私は、アリスさんを支えたい。一緒に行こう」
「しかし……っ」
「人の気配が一箇所に動いてる。まだ町の中には人が居るけど、隠れていけるよ」
『多分、避難行動中。今ならいける』
確かに、今ならば行けるでしょう。ルイースヒェンさんが何かをするなら、今だと思います。そしてその時は、一人になるはずです。話す機会といえばそうですが……激昂させるだけかもしれません。勢いと狂気に身を任せている今のルイースヒェンさんに、私の言葉は届くのでしょうか……。
「我慢してないって言ってたけど、アリスさん我慢してる」
ぽんと、私の頭に手を置いたリッカさまが――微笑みました。
「一緒に行こう? 私みたいに毎回は良くないけど……アリスさんはもっと、我侭を言っても良いと思う」
『ずっと、我慢してきたんだから』
リッカ、さま……。
「思うがまま、動いてみよう?」
「……良い、のでしょうか」
「偶には、私に飛び乗るくらいの気持ちで動いてみよ? 私はちゃんと、アリスさんを支えきるから!」
踏み、出せるでしょうか。いえ――踏み出さなければ、いけません。
「後ろは任せて?」
「……はいっ!」
あの時の過ちです。離れる事や、静観する事、我慢する事が絶対に正しいという訳ではありません。あの時とは、何もかもが違います。それを……ちゃんと、伝えるべきです。
「先代は、悪意を」
「見る事は出来ません。瓶を持っていたとしても、そこにある悪意を感じられないはずです」
難しい時期に”巫女”となった事で、色々と不備があったようですが……”悪意”感知といった物は、私達しか扱えません。この力は”巫女”としての物ではなく、私達が生まれ持った物なのでしょう。
ただ、瓶に関しては……”悪意”の有無だけで語る事は出来ません。あれは、魔王の関与があるかどうかです。私達を”巫女”として失墜させるつもりならば、間違いなく手を加えます。ただでさえ王都では、「そうではないか?」と思われていたものが……事実として、世界を駆け巡るでしょう。
それを、「魔王が巫女を危険視しているから」と前向きに捉えてくれるのなら、大丈夫です。ですが……そうは、なりません。間違いなく、町への入場を断られるでしょう。それでも良いとは思っていますが……食料の補給が出来ないのは、問題です。
話し合いに務めるつもりですが……瓶の開封だけは、止めなければいけません。力尽くであっても。
「ルイースヒェンさんに、戦闘能力はありません。”雨”が特級だったはずです。”治癒”以外、使う事は殆どなかったようですけど……」
”巫女”に選ばれるだけあって、優秀な魔法使いだったそうです。その力を発揮した事は、一度もありませんでしたけど……。
「瓶を無理やり奪えるって、事だね」
「はい。でも……まずは、話がしたいです」
「うん。もしもの時は任せて」
基本的に、お互い会わないようにしていました。ですが一度視界に入れば……罵声を浴びせられていた事を記憶しています。罵声と言っても……ありもしないルイースヒェンさんの想像を、一方的に喧伝されただけですけれど。集落の方達には、それだけで十分だったのです。
あの時は真面な話など、私の方から避けていました。司祭イェルクを信じ切ったルイースヒェンさんと集落の人達に……呆れていたのです。人に厳しく、自分に甘く。そんな、愚かな少女でした。
(私から、歩み寄らないといけませんね)
その為にまずは――あの人と、話をしましょう。感情をぶつけ合う、ただの言い合いになると思いますけど……あの人が言っていた、「自分を見ていない目」は、もう持ち合わせていないつもりですから。
船を出ると、シーアさんに連絡してから――連絡したのは、リッカさまですけど。私の口元に、口を寄せて……シーアさんに事情説明をしていました。私が説明しようとしたのを、リッカさまが慌てて遮ったので、そうなってしまっただけです。
凄くドキドキし……こほん。許可は取れたので、牧場に向かいましょう。
「――居た」
「はい。一人、ですね」
予想通り、牧場にはルイースヒェンさんだけでした。そこで、ドルラームと戯れていたようです。ああしていると……普通の女性に見えます。
「私がこの町に帰って来た時、両親が私に言った事……分かる?」
私達が来ることは分かっていたのでしょう。突如やって来た私達に、ルイースヒェンさんは独白を始めました。応答は求めていないようですけど――私は、会話を始めようと思います。
「おかえり、ですか?」
「そうだったら良かったけどね?」
自嘲的な笑みを浮かべ、ルイースヒェンさんが立ち上がりました。おかえりとすら、言ってくれなかったというのでしょうか。
「本当にルイズなの? ですって」
「見違えるように大きくなって――という訳じゃなさそうですね」
「そ。自分では気づかなかったけど、表に出るくらい性格変わってたみたいね」
懐いているのか、ドルラームはルイースヒェンさんに頭を寄せています。農作業の手伝いをするようなお方では、ありませんでした。ルイースヒェンさんの本当を、ドルラームは感じ取っているのでしょうか。アルツィアさまが言っていた、善性に。
「自分でも、薄々気付いてたはずなのよ。でも言われるまで、全然気付かなかったのは驚いたわ」
初めの頃は、集落に馴染もうとせず、ツンとした態度を取っていたそうです。それでもお母様曰く、気難しいけど悪い子ではないという話でした。それが変わったのが、司祭イェルクと知り合ってからです。私も、初めて見た時から――司祭イェルクの歪みは、気になっていました。
「……司祭イェルクを、今でも信じているのですか?」
「やっぱり、分かるのね。どんな手を使ってるのかしら」
「……」
両親に言われて傷つくくらい、性格が変わっていたのです。それが司祭イェルクの所為と自覚しているのに、ルイースヒェンさんは今でも……あの人の事を、信じているのですね。
「ま。言いたくないなら、言わなくていいわ。イェルクを信じてるかって話なら、信じているわ」
「何も知らなかったあなたを、自分の思うがままに歪めた張本人を信じるのですか」
聖伐派基準の”巫女”を教え込まれた事で、あなたは増長しました。司祭イェルクが望む”巫女”になっていったのは、あなたの意思ではなかったはずです。
「歪められた、んでしょうね。でもそれ以上に助けられたわ」
「そんなにも……集落での生活は苦しかったですか?」
「苦しかったわ。何もしたくない程に。それに――」
集落という、狭い世界が全てだったのは……私も同じです。更に言えば、居場所を奪ったあなたが何を言っているのだろうという気持ちを、抱いてしまいます。それでも……私には、居ました。お母様とお父様、アルツィアさまに”神林”。そして――いつか来る、巫女さまが。
(ですが、ルイースヒェンさんには……)
「それに、アルツィア様の声が……私には聞こえないのよ」
聞こえないのは、ルイースヒェンさんの所為だったのでしょうか。今になって、思います。アルツィアさまが言っていた事です。ルイースヒェンさんは優秀な子だった、と。であれば、聞こえなかったのは――。
「最初は話しかけてくれていたけれど、私が聞こえないから……次第に話さなく……」
リッカさまが私に視線を送りました。私は、首を横に振ります。アルツィアさまが話しかけなくなったという事実は、ありません。アルツィアさまは、聞こえなくなっても……それこそ、最後の最後まで声を掛けていました。
「貴女が話せるようになってから、より……」
確かに、私と一緒に居る事が増えていたと思います。ですがそれは……あなたが、私を貶めるようなことを言ったからです。私は、覚えています。集落から私が疎まれる事になったのは自分の所為と、肩を落としたアルツィアさまを。
アルツィアさまは、私達家族を心配して……傍に居てくれただけなのです。だからといって、ルイースヒェンさんの傍に全く居なかった訳ではありません。ちゃんと傍に居ましたし、声を掛けていました。ただ――あなたは、良き出会いに恵まれなかったのです。
「アルツィアさまは言っていました。あなたに声が届きにくくなっていったと。あなたが司祭イェルクと交流を続ければ続けるほど、より届かなくなっていったと」
「イェルクの所為、って事?」
「司祭イェルクと交流することで、あなたの”巫女”としての力が衰えたのです。性格が歪んでしまった事で、異常が出たのでしょう」
これはあくまでも、私の想像でしかありません。ですが、全くの間違いではないという確信があります。”巫女”の歴史で唯一の、”悪意”に感染した方ですが……今の世界と合わせて考えると、ルイースヒェンさん一人の所為とは言えません。
司祭イェルクとの出会いはきっかけでしかないのでしょう。ですが、一つの出来事から全てが変わる事があると……私は、知っています。
「それでも、イェルクを恨む事は出来ない。私はあの毎日を後悔してないわ。例えアルツィア様に嫌われていようとも」
それ程信頼されていたと、司祭イェルクが聴いたら……喜んだ事でしょう。あの人も言っていました。先代”巫女”の方がずっと”巫女”らしかったと。あのお方以上は居ないとも、言っていましたよ。
ルイースヒェンさん、あなたは――あなたが思っているよりもずっと、孤独ではなかったのです。
「アルツィアさまはあなたを嫌ってなどいません。呆れてはいましたけど」
「慰めはよして」
「私があなたを慰める理由がありません。私は、あなたの事が嫌いなのですから」
「……ッ」
睨まれると思いましたけど、何故か驚かれてしまいました。そういえば、私がしっかりとあなたに嫌いと伝えたのは――初めてでしたね。私を人形と思っていたあなたにしてみれば、驚くべき変化といったところでしょうか。
(朝の時に、変わった姿は見せたはずですけど)
あれだけでは、判断出来なかったのかもしれませんね。自分でも驚くくらい変わったというのは、私も同じなのですから。
「ま、当然ね。あれで嫌ってない方が、気持ち悪いもの」
「……」
「そう睨まないで? 赤の巫女」
気持ち悪いという言葉に、リッカさまが反応しました。人形のようだった頃の私は……確かに、”人”からすれば気持ち悪いものだったのかもしれません。
「赤の巫女にまで嫌われちゃったみたいね」
「……」
「貴女にはもっと、だけど」
「私は、あなたが正常であった頃を知りません。話には聞いた事がありますけど、そんな事がどうでも良くなるくらい嫌っていました」
「素直ね。今の方が良いわよ?」
感情を曝け出すだけでは、交流になりません。ですが――まずは、私がどう思っていたかを、知ってください。好き嫌いで”人”を視ないと気取っていても、私は只管にあなたが……嫌いだったのでしょう。
アルツィアさまを心配させ、お父様とお母様を虐げた――あなたの事が。
ブクマ評価誤字報告ありがとうございます!




