第十二話 種族訪問 吸血鬼編
日が沈み、夜もすっかり深くなった頃。大和はエルフ、獣人、ドワーフについての報告書をようやく書き上げて久杉に送った。
残るは吸血鬼だけ。そして今は夜であり、吸血鬼に挨拶するのであれば最も良い時間帯。しかし大和は。
「腹が減ったな。飯を食ってからにしよう」
吸血鬼よりも夕食を優先した。
吸血鬼の代表。ヴァル・マールは夜道を楽しげに歩く。
前の世界では吸血鬼とは夜の支配者、恐怖の代名詞であった。
エルフよりも魔力に溢れ、獣人よりも早く、ドワーフよりも力があった。
不自由など何もない世界で、暴君として生きていた。
しかしこちらの世界に来てからはどうか。
衣食住に困りはしないが不満だらけの生活、かつての力はどこにもなく最も力の満ちる夜でさえ、宙を舞う綿のようにふわりと浮く程度しか出来ない。
なんとも不便な現状。前の世界での生活と比べればなんとも惨めな生活だろう。
しかしそれが、ヴァルにとって何よりも嬉しかった。楽しかった。
この世界に来て、不自由を楽しむ程度には余裕ができた。不自由に感謝していた。
そんなヴァルでもついたじろいでしまう人がいる。
それが観察官、津田大和。
正確に言えば、大和の裏にいる日本政府が恐ろしい。ここまで面倒を見つつ、何の要求もしてこないというのはヴァルの常識ではありえないことで、真意が読めない。
だからヴァルは一歩前に出る。待ち構えて相手の出方を伺うより、踏み込むことで少しでも相手の情報を集めようとする。
「大和殿! 挨拶に来たのじゃ」
故に、大和の家に突然の訪問で虚を突いてみれば。
「はい?」
ちょうど夕食の支度をしており、夕食を一人分追加させることに成功した。
「いや、すまんのじゃ。まさか飯時だったとは」
「ええ、まあ。この後で挨拶に伺う予定でしたし、手間が省けたと言いましょうか。……あ、食べられないものとかありますか? ニンニクとか」
「施設でも聞かれたが、特にないのじゃ。というより、前の世界では緊急時以外は年に一度目覚めるかどうかで、食事もほとんど不要なのじゃ。こちらの世界では一日の間に何度も腹は空くし、何も食べなければ死ぬかと思うことはあったがの。だから、今のところは人が食べられるもので吸血鬼が食べられないものはなかった、と言ったところじゃな」
ほう、と感心した様子で大和はペンを取りメモをし、すぐに食事に戻る。
「それはなんとも、想像が難しい。年に一度目覚めるかどうか、食事もほぼ不要だったのに、こちらに来てからは毎日起きて食事を必要とする。不便、なのでしょうか?」
「そうじゃな。不便といえばそうかもしれんが、楽しくもあるぞ? 食事を楽しむなんて考えたこともなかったし、この肉じゃがと言ったか? 温かい食事というのも新鮮でな。不便程度が丁度良いのじゃ」
そう丁度いい、とヴァルは呟くと箸を置き大和を見つめる。
「吸血鬼にとって、今くらいが丁度良いのじゃ。前の世界では自由気ままに暴れられるくらい強かったが、こちらの世界ではそうはいかん。こちらの世界は、恐ろしい」
「恐ろしい? ……科学技術が理解出来ないとか?」
「もっと根本じゃ。そうじゃな、戦争があるじゃろう。前の世界でも戦争も縄張り争いもあった。こちらの世界ほど頻繁にはないがな。その際に、相手の種族を滅ぼす、消し去るなど言い争うわけじゃが、実際にそんなことは起きたことはないし、本気で行おうとした者もおらん。出来るとは思っておらんからじゃ。しかしこちらの世界では違う。実際に行った例もあるし、民族浄化という専用の言葉もある。もしも、吸血鬼が前の世界と同じ力を持っていれば、エルフや獣人などと同列に扱われることに怒り暴れたじゃろう。そして、一年、いや半年ほどで民族浄化完了となり、吸血鬼は滅んでいたはずじゃ」
「ええっと? つまり人の狂気や、国の持つ軍事力が恐ろしいと?」
「違う、違う。狂気などわしら吸血鬼も持っておるし、軍事力とは前に見せてもらった銃や戦車などの道具じゃろう? 恐ろしいのはか弱く、命の短い人間が刻んだ歴史じゃ。か弱いくせに馬鹿げた屍を築き上げ、命が短いくせに月にすら手が届く。血みどろの歴史と成せぬことはないと思わせる何でも生み出せる力を持つ、この世界の人間が恐ろしいのじゃ」
吐き出された言葉を受け、大和は真剣に考える。
ヴァルの言葉に嘘はない。偏見が少しは入っているかもしれないが間違ってはいない。人の歴史は戦争の歴史。戦争なくして人の歴史はありえない。
そして成せぬことはないと思わせるなんでも生み出す力。つまり人間の技術力。出来ないことは数多にあるが、出来なかったことが出来るようになったことも数多にある。
血みどろの歴史と月にすら届く技術力を持つ人間。それに対してもしも吸血鬼が反乱を起こしたら?
ヴァルは吸血鬼が負け滅ぶと考えた。本当にそうなるだろうか? ヴァルの話から吸血鬼は前の世界ではそれなりに力があるのだろう。銃や戦車では太刀打ちできない可能性がある。でも数の力で吸血鬼を何体か捕獲してしまえば、吸血鬼専用の兵器を作り上げてしまうかもしれない。そうなれば数で劣る吸血鬼は一気に劣勢になり、ヴァルの言うとおりに……。いや、人権団体が、吸血鬼保護運動家が、戦争反対派が出てきたぞ。
……吸血鬼は滅ぼされない? ただこれは吸血鬼が勝利した結果ではなく、人間側の内輪もめの結果だ。ヴァルの想像は大体正しい。
自分たちを容易に滅ぼせる種族、だから恐ろしいと思っていると。
……多分それだけではないだろう。
ヴァルは人間を見下している。いや、前の世界では見下していたのだろう。その証拠にか弱いくせに、命が短いくせにと、くせにと言っていた。
しかしこちらの世界では血みどろの歴史と恐ろしい技術力を持っていた。そのギャップもあって余計に恐ろしく感じているのだろう。
なるほどと、ヴァルが人間を恐ろしいと感じている理由について納得した大和は単純な疑問を口にする。
「なるほど、分かりました。ですが、吸血鬼にそのような力はないのですし、心配しなくても良いのでは?」
「今は、じゃな。いつか力を取り戻してしまうかもしれぬし、何より力がなくても暴れ始める馬鹿がおるかもしれんのじゃ。その時のことを考えるのは種族の代表として当然のことじゃ。じゃから、もしもその時が来たらその暴れた個人はどうでもよい、他の無関係な吸血鬼まで滅ぼさんでくれと、わしの首で済むならそれでも良いから日本政府に伝えてくれんか?」
ヴァルの懸念も分かるが、最後の方は勘違いが過ぎる。おそらく価値観が前の世界のままだからだろうが。
「ヴァルさん、貴女の懸念は理解できます。ですが、ご安心ください。日本の法律に連座はありません。罪を犯した者のみ償ってもらうだけです。外国人であれば国外追放などもあり得るのでしょうが、皆さん日本人ですからそういうこともないでしょうし」
だからその勘違いだけは大和はしっかりと指摘する。前の世界の価値観で判断しないでくれと、ついでに日本の法律はそこまで厳しいものではないと伝えるために。
しかし伝えた後にふと、現在の法律が異人にも適用されるのか疑問を抱いた。
現代の法律は当たり前だが人間の為の法律だ。しかし目の前にいるのは吸血鬼であり、他にもエルフなどもいる。
異人には異人の法律が必要? と思うもそれは自分の管轄外とすぐに考えるのを止める。上司の久杉に報告だけし、法務省が頭を悩ませるべき問題なのだ。
疑問を他に丸投げすることを決め、意識を目の前に戻せばそこにはなぜか呆けた様子のヴァルがいる。
「えっと、どうしました?」
「……ああ。いや、すまんのじゃ。わしらはもう日本人なのか? 三等国民とかそういうやつじゃろうか?」
「何ですかそれ? そんな階級分けのようなことはしていません。国民は全て同じく国民です。貴女たちが亡命を要請し、日本がそれを受け入れた日から日本人です。まあ、書類などでは数日ずれているかもしれませんが」
ははは、ヴァルの口から笑い声が漏れる。
ヴァルはずっと不安だった。吸血鬼がこの日本という国で生きていけるのか。必要とされるのか。
前の世界では強力な力を持っていたが、こちらの世界ではほぼ無力。エルフたちのように特殊な技術も能力も失っている。
では力を戻す方法を探れば良いのかと言えば、それは悪手。吸血鬼の暴走を招き、種族が絶滅する危険もあった。
どうすれば日本人に受け入れられてもらえるのか。それを必死に考えていたヴァルだったが。
そんな不安を解消するように日本人という、吸血鬼のみならず異人の誰もが欲しがっていた称号を渡してきた。いや、すでに渡されていた。
もはや笑う以外にどう反応すれば良いのか。あるとすればそれは一つだけ。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
「は、はぁ……?」
感謝。それ以外に出るものはない。
日本人の大和では決して理解できない。世界を、故郷を、居場所を失った者が求める、ここに居て良いという証明。
それだけの意味が、日本人という言葉にあったのだ。
「ふふふ、夕食のみならず日本人としての保証まで貰えるとは。貰いすぎじゃ。何か礼を考えんといかんのじゃ」
何にしようか、とヴァルが考えている間に大和は食べ終えた皿を片していく。
「そうじゃ、わしの婿になるのはどうじゃ? わしとしても人間と婚約すれば色々とメリットがあるのじゃが」
「政略結婚ってやつですね。お断りします」
「では嫁に来てやろう。詳しい作法などは知らんが、すぐに覚えてやるのじゃ」
「さほど意味は変わっていませんよね。遠慮します」
ヴァルからすれば金銀財宝に匹敵するほどの褒美なのだが、大和からすれば冗談であり、何の価値も感じないためあっさりと断る。
皿を洗い片すようにあっさりと断られたヴァルは残念そうに身体を机に預け、一人でにやける。
大体の不安は消えた。日本政府が未だに何を考えているのかヴァルには理解できないが、吸血鬼が暴走しても個人の責任で収めてくれると聞いて。そして日本人としての地位を既に与えられていたと知って心の底から安堵した。
今までも心に余裕があったが、今以上に心にゆとりを持っていたときはない。
「そうだ。今日種族の代表の皆さんと挨拶をし、不便なことを聞いて回ったのですが、ヴァルさんたち吸血鬼は不便なのが丁度良いのでしたか?」
「ん? そうじゃな。不便なのが新鮮でな。楽しいものじゃ。しかしこれが答えでは大和殿も困ろう。ふむ、相談したい不便があったらここに来るということで良いか?」
「ええ、構いません。いつでもいらしてください」
全種族の代表への個別の挨拶と不便な点の聞き取りが終わり、気が緩んで発した一言。
大和は後に後悔することになった。




