第195話「番外編:ザメルとカイン、魔術ギルドの未来について語る」
今回は番外編です。
ガイウル帝国に向けて外交使節が出発する直前、『魔術ギルド』では、ひそかに話し合いが行われていたのですが……。
──外交使節が出発する数日前。魔術ギルドで──
ここは魔術ギルドにある、老ザメルの私室。
賢者の位を得た者にのみ授けられる部屋だ。
部屋に入ると、最初に目につくのは巨大なテーブルだ。
その上には魔術に関わるものが、大量に置かれている。
古代魔術のスクロールに、老ザメルが分析した魔術の記録。『レプリカ・ロード』を作るための手順書もある。
これらすべてが、長年の研究の成果だ。
老ザメルはこの部屋に他人を入れることは、ほとんどない。
研究成果を奪われるおそれがあるからだ。
それに、半端な魔術師が、危険な知識を手に入れてしまえば、なにが起こるかわからない。未熟者は魔術の危険性に気づかない。その結果、取り返しのつかない事態を招く可能性もある。
だから、この部屋に入るのは、老ザメルが認めた者だけだった。
そして今、その部屋の一画には、カイン王子がいる。
来客用の小さなテーブルを挟んで、老ザメルと向かい合っている。
椅子に座り、ゆったりとした態度で。
「まさか、この部屋に入れていただけるとは思いませんでした。感謝しますよ。ザメルどの」
カイン王子は会釈する。
「内密の話をするにはちょうどよかろう?」
ティーカップを掲げて、老ザメルは苦笑した。
「『ザメル派』の者は、私がこの部屋に他人を入れぬことを知っている。『カイン派』の者は、この区画には近づかぬ。ゆえに、誰にも話を聞かれぬというわけだ」
「ありがたいご配慮です」
カインはザメルを真似て、ティーカップを掲げる。
それから、ためらいなく紅茶に口をつける。
その姿を見て、老ザメルは感動したような表情になる。
王家の者がなにかを口にするときは、毒味役を介することが多い。
目の前の相手を信じているかどうかは関係がない。
王家の者にとっては、それが常識というだけだ。
だが、カインの側に毒味役はいない。
しかも、ここは老ザメルの研究室だ。紅茶になにが入っているかわからない。
なのにカインは、平然と紅茶に口をつけた。
それは『ザメル派』と『カイン派』の対立を知る者が見れば、ありえない行動だった。
「カイン殿下は無警戒でいらっしゃる」
「ザメルどのは、魔術の研究の害になることはなさらない方だ。毒など入れるわけがないでしょう。それに……」
「それに?」
「ザメルどのがなぜ、私を呼び出したのか予想がついています。ですから、私があなたを疑うことはありえません」
「私はただ、話をしたかっただけなのだが?」
「その内容に、予想がついているということです」
カインは落ち着いた表情で、うなずいた。
「ザメルどのは『近いうちに派閥を解体したい』とおっしゃりたいのでしょう?」
「さすがはカイン殿下だ」
椅子に座ったまま、老ザメルは深々と頭を下げた。
「私の心中などお見通しというわけですな」
「先の賢者会議で、ザメルどのは引退を宣言しておりました。撤回されたとはいえ、なにか考えていらっしゃるのだとは思っていました。その上で私を呼びだしたのですから、これは派閥の解体を考えていらっしゃるのだな……と、そう思ったのです」
「私は……魔術師の基本に立ち返ろうと考えているのだ」
老ザメルはため息をついた。
「私が、伝説の賢者さまにあこがれて魔術師を志したことをご存じか?」
「有名な話ですから」
「あの方は『聖域教会』を滅ぼし、人々を救った。『聖域教会』が人を支配するために使っていた『古代魔術』と『古代器物』が、人を助けるものであることを証明してみせたのだ。『エリュシオン』の研究も、調査も、すべては人を生かし、幸福にするためにあるのだと」
それは、まるで祈るような口調だった。
秘密を口にするかのように、静かに、老ザメルは続ける。
「伝説の賢者さまに、私心はなかったのだろう。あの方は世界と、そこに住む人々のことだけを考えていたに違いない。賢者さまはただ、世界のために尽くされたのだ。その方のようになりたいと思い、私は魔術師を志した……はずだった」
老ザメルは、がっくりと肩を落とした。
「なのに……いつの間にか、私のまわりには人が集まり、派閥ができあがってしまった」
「それは、仕方のないことではありませんか?」
「うむ。『エリュシオン』の調査はひとりではできぬ。似たような方針の者があつまり、協力して調査をするのは当然のことだ。だが……私たちは行き過ぎてしまった。いつの間にか魔術を究めることよりも、派閥を維持することを考えるようになってしまったのだ……」
老ザメルは、長いため息をついた。
「私はずっと、そのことから目をそらしてきた。だが、伝説の賢者さまの子孫と出会い、目が覚めたのだ。私は魔術師の基本に立ち返り、淡々と研究と調査を行い、人を救う者になりたいのだ。伝説の賢者さまや……その子孫どののように」
「だから『ザメル派』を解体されると?」
「そうだ……」
「お気持ちはわかりました」
カインはティーカップを置いて、うなずく。
いつの間にかカップは空になっていた。
言葉の通り、カインは老ザメルを警戒することなく、話に聞き入っていたのだろう。
「ですが……派閥を解体したところで、あまり意味はないと思いますよ」
「なぜかな?」
「派閥そのものが自然消滅するからです。おそらくは、ここ数年のうちに」
あっさりとした口調で、カイン王子は答えた。
老ザメルが目を見開く。
予想外の言葉だったのだろう。
老ザメルにとって、派閥解体は重い決断だ。
それは老ザメルだけの問題ではない。
カイン王子にも、ひいては『魔術ギルド』全体にも影響を与えてしまう。
だから老ザメルはカイン王子を呼び出したのだ。
研究室に招き入れ、テーブルの上には、魔術の資料を出したままにした。
彼はカイン王子の前に、すべての手の内をさらしたのだ。
『ザメル派』が消えたあとは、研究成果をカインに役立てて欲しいと思いながら。
なのに、カインは淡々とした様子で肩をすくめている。
『派閥そのものが自然消滅する』という、理解不能な言葉を口にしながら。
「ザメルどのはご存じですか? 現在『オデット派』に加入希望者が殺到していることを」
「なんと!?」
「その様子ではご存じないようですね。デメテルが悲鳴を上げていましたよ。『オデット=スレイの教育係だったせいで、自分に問い合わせが集中している』と」
「どうしてそのようなことに……」
考え込んだ老ザメルは、すぐに顔をあげて、
「もしや、ダーダラ男爵家の事件があったからか? あの事件でスレイ家のご令嬢は人々を救うために奔走していた。だから感謝のために、皆が『オデット派』に……」
「それも理由のひとつでしょう。ですが、それだけではありません」
「わけがわからぬ。一体……どうしてそんなことに」
ふたたび考え込む老ザメル。
そんな彼を見ながら、カイン王子は笑いをこらえるような顔をしていた。
「ザメルどのは、ご自分で答えをおっしゃったではありませんか?」
不意にカイン王子は、そんな言葉を口にした。
老ザメルは首をかしげて、
「答えを? 私が? そんな覚えはないのだが……」
「おっしゃいましたよ。『魔術師の基本に立ち返りたい』と、そして『ただ淡々と、研究と調査を行い、人を救うべきなのだ』と」
「う、うむ。確かにそう言ったが。それがなにか?」
「『オデット派』の者たちはそれを実行しているのですよ。あの者たちは『魔術師の基本に立ち返り』淡々と、人を救っているのです」
カインの言葉を聞いた老ザメルの身体が、震えた。
思い当たることがあったからだ。
オデット=スレイはダーダラ男爵家で起きた事件に居合わせた。
彼女はそこで老ザメルの孫……フローラとともに『煙の王騎』に立ち向かった。
『煙の王騎』を倒したのは黒い『王騎』の使い手だが、オデットが人を救うために戦ったことは間違いない。
あのとき、オデットたちは敵の前で孤立していた。
それでもオデットは、強大な力を持つ『王騎』に対して一歩も退かなかった。
強大な『聖域教会』に立ち向かった、伝説の賢者と同じように。
それだけではない。
『オデット派』に所属する姫君、アイリス=リースティアは、帝国のナイラーラ皇女と面会し、彼女の心をほどいてしまった。
王国はナイラーラ皇女から得た情報によって、帝国に対して動けるようになった。
ナイラーラ皇女も少しずつ、心を開くようになってきている。
アイリス王女も人を救っているのだ。
200年前にいたという伝説の賢者が、そうであったように。
もうひとりの『オデット派』であるユウキ=グロッサリアがなにをしているのかは……よくわからないが。
「『オデット派』の活躍を見た者は、魔術師の基本に立ち返りたくなるようです。派閥を離れたくなる者もいれば、『オデット派』に入りたくなる者もいるということでしょう」
「では『オデット派』は、すでに最大派閥になったのだろうか?」
「いえ、オデット=スレイは新規加入を断っているようです」
カイン王子はあっさりと、そんな言葉を口にした。
「彼女に怒られた者もいるそうですよ。『今はそれどころではありません!』と」
「……なんと」
「彼女の気持ちもわかりますよ。オデット=スレイとユウキ=グロッサリアは帝国潜入部隊のメンバーで、アイリスは国境部隊のひとりですからね。派閥どころではないでしょう」
「フローラが『オデット派』に加入できたのは……運が良かったのだな」
「そうですね。フローラさまをうらやましがる者もおります」
「フローラは私になにも言っておらぬが……それはあの子が成長した証だろう。『オデット派』に入ったことで、フローラは大きく成長したようだ」
「さて、ここで最初の話に戻るわけです」
そう言って、カイン王子はうなずいた。
「さきほど私は、ここ数年のうちに、すべての派閥は自然消滅すると申し上げました。老ザメルにはその理由が、もうお分かりでしょう?」
「『オデット派』は人を増やすことに興味がない。あの者たちは魔術師の基本に立ち返り、やるべきことを続ける。そうなると他の者は……」
「ひとりひとり……それぞれが、魔術師の基本に立ち返るしかないのですよ」
カイン王子はやわらかな笑みを浮かべた。
「『オデット派』は、伝説の賢者さまのような活躍を見せてくれています。ギルドの魔術師たちは、その影響を受け始めているのです。今はまだ、派閥にこだわっているかもしれませんが、いずれは……」
「『ただ淡々と、研究と調査を行い、人を救う』……そういう者になるということか」
「魔術師にとって、派閥は必要なくなるのです」
そう言ってカイン王子は、椅子の背もたれに身体を預けた。
まるで、肩の荷が降りたような、そんな表情だった。
「ですから『ザメル派』を解体する必要はないのです。いずれ自然消滅するのですから」
「おそれいった。カイン殿下が、そこまで先を見ていらしたとは」
「おそれるべきは『オデット派』の者たちです。派閥を立ち上げて数ヶ月で、魔術師たちの意識を変えてしまったのですから」
『オデット派』は、人々に魔術師としてのあるべき姿を示した。
言葉ではなく、強大な魔術をふるうわけでもなく、ただ、行動で。
そのことは、『魔術ギルド』に所属する者たちの考え方を変えはじめている。
もちろん、カインやザメルも、その影響を受けているのだろう。
こうしてふたりで向かい合い、お茶を飲み、話し合うことができているのだから。
「不思議なのは、ユウキ=グロッサリアの存在だな」
ふと、老ザメルはつぶやいた。
「表面的には、彼はアイリス殿下とスレイ家のご令嬢のサポート役でしかないように見える。だがアイリス殿下とスレイ家のご令嬢は、彼を強く信頼しているようだ。『オデット派』における彼の役目は、なんなのであろうな」
「優秀な魔術師であることは確かです」
「わかっておる。彼もまた、多くの成果を上げている。スレイ家のご令嬢が『魔術ギルド』の賢者になったあかつきには、彼も同じ地位を得ることになるだろう」
「ユウキ=グロッサリアは、自分が評価されていることに気づいているのでしょうか?」
「わからぬ」
「そうですね」
考え込む老ザメルとカイン王子。
「いずれにせよ、彼の身内のことも考えなければいけません」
ふと、カイン王子はそんな言葉を口にした。
「グロッサリア伯爵家では、私の部下であったイーゼッタが家庭教師をしております。彼女なら、ユウキ=グロッサリアの家族の才能を伸ばしてくれるはずです」
「だとすれば、彼の家族が『魔術ギルド』に加入するのは間違いないか」
「『オデット派』に入りたい者が、彼の家族を利用することもあり得ますね」
「我々で保護せねばならぬな」
それが、老ザメルとカイン王子の結論だった。
「しかし、彼の兄のゼロス=グロッサリアは『魔術ギルド』への加入を辞退しております。だとすると……」
「ユウキ=グロッサリアには妹がいると聞いておる」
「存じております。彼女は、イーゼッタの妹のコレットの、良い友人だそうです」
「いずれは『魔術ギルド』に来るかもしれぬな」
「そうですね。できれば彼女にはイーゼッタたちとともに、おだやかに暮らして欲しいのですが……」
そんな言葉を口にしたカインは、あわてた様子で頭を振る。
「いえ、本人が学ぶことを望むなら、その意思は尊重しなければいけません。ユウキ=グロッサリアの妹が『魔術ギルド』に来てもいいように、対策を考えましょう」
「ああ。若い才能は大切に育てなければならぬ」
「イーゼッタの教え子です。大切にしなければ……」
心をひとつにした老ザメルとカイン王子は、うなずく。
こうして、ふたりの話し合いは終了した。
今後の『魔術ギルド』について、老ザメルとカイン王子の見解は一致した。
派閥は解体しない。
けれど、将来的に自然消滅することを前提に、動いていく。
そんな方針がふたりの間で、ひそかに決まったのだった。
そして、老ザメルとカイン王子がもっとも重視したのは『オデット派』を大切にすること。
魔術師の基本を示してくれた者たちに、敬意を払うこと。
そして、それに関わる者たちを守ることだ。
そんなわけで──
──数日後。グロッサリア伯爵家──
「どうして『魔術ギルド』の賢者さまの連名で書状が? それに、この内容は……?」
ユウキの兄のゼロスは『ルーミア=グロッサリアが「魔術ギルド」に加入を希望する際には、A級魔術師ザメルとB級魔術師カインに連絡をするように。特例として、保護をする用意がある』と書かれた書状を前に、頭を抱えることになるのだった。
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