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暴君白澤帝の愛し妃  作者: 春日あざみ
2/4

蓮へ

 馬車に揺られていたツェツェグの眉間には、ひどく皺が寄っていた。

 故郷を発ってからすでに四日がたつ。星と山を目印に、何もない雪原を進む日々は退屈だった。温かい毛皮にくるまり、ほとんど眠って過ごしていたが。薄い綿入れが敷かれただけの硬い座席に座りっぱなしだったために、体は凝り固まり、腰は悲鳴をあげていた。


「間もなく到着です。身支度を整えておいてください」


 御者の呼びかけで、ようやく目的地へとたどり着いたことを知る。

 ようやくか、と息をつき、馬車の窓にかけられた牛皮の風除けをめくる。途端、頬を刺すような冷たい風が車内に吹き込み、ツェツェグは寒暖差に咳き込んだ。

 重たい頭を手でおさえながら、窓の外に顔を出す。視界に飛び込んできたのは、どこまでも続く長い城壁。


「……あれが王都、(ヤン)


 生まれてから一度も北琅のふもとを出たことはない。初めて他国の都を目にした瞬間だった。霧の向こう、自分の背丈の何倍もあろうかという巨大な城郭が、ぼんやりと浮かび上がっている。


「すごい。大きい」


 鈍色の瓦屋根を持つ、朱色の楼閣が石造りの門の上にあり、見張りの武官が入城をしようとする馬車を見張っている。このような長大な建築物を、いったいどれだけの時間をかけて作ったのだろうと考えているうち、城門に到着した。


 そわそわと外を気にするツェツェグを残し、御者と護衛が降りていく。しかし、なかなか戻ってこない。どうも疑わしいところがあったらしい。長い時間を馬車の中で待機し、あくびを堪えていたところ、乱暴に馬車の戸が開け放たれ、若い男が現れた。

 あげそうになった声を飲み込み、妃らしく振る舞おうと、しゃんと背筋を伸ばす。


「あれ?」


 そう口にした男は、黒い頭巾を頭頂のまとめ髪に被せて括り、大風の男が着るような長衣を着て外套を羽織っていた。歳は三十そこそこといったところか。腰に巻かれた帯の太さは、大風のものよりずっと細く、長衣も身頃に余裕が感じられる。剣を帯びているところを見ると、武官だろうか。

 男を観察している間、先方は先方でツェツェグを怪訝そうな顔で眺めていた。


『なんだこの、牛の角みたいな頭の子は……これが新しい妃嬪? 本当かぁ? やっぱ怪しいよなあ』


 快活そうな心声にそう評され、ツェツェグの眉間に山脈ができる。


 ——牛の、角。大風ではとっておきのおめかしなのに。


 どうやらこの長い待ち時間は、偽物の妃でないかと疑われた故のものらしい。

 考えてみれば思い当たることは山ほどある。世話役の侍女はおらず、付き添うのは大風の使者と御者のみ。馬車も高貴な身分のものが乗るような華美なものではない。


 おまけに同族内の婚礼と比べても、自分の嫁入り道具は異様に少なかった。

 従姉妹と同様、『ツェツェグにこんなにいいものはもったいない』と、親族の娘たちにも化粧品や小物などを奪われたのも災いした。騒ぎ立てたところで自分は一族を離れる身。聞こえなかったことにして放っておいたのだが、荷物が少ないゆえに疑いを持たれるならば、止めておくべきだったかもしれない。


「お名前を伺っても?」


 武官が話す言葉は同じ言語だが、大風の人間が話すよりずっと明朗で、綺麗な発音をしている。


「ツェツェグと申します。北琅(ベイラン)山の膝下、大風より皇帝陛下に嫁ぐため、ここまで参りました」

 なるべく上品に、洗練された印象に聞こえるように、胸を張って答えたのだが。


『うわあ、ひでえ訛り。まあでも、辺境から来たならこんなものか。この変な髪型も田舎の部族ならではって感じだし』


 その言葉は、乙女の心をぽきりと折るには十分だった。

 もう何も喋るまいと、ツェツェグは顔を俯ける。

 武官のもとに、彼と似た服装の男が報告に来た。会話の雰囲気から察するに、どうやら疑いが晴れたらしい。彼は途端に畏まった態度になると、手のひらと拳を合わせる蓮国式の礼をとった。


「長旅お疲れのところ、お待たせしてしまい申し訳ございませんでした」


『しかし、この子が本当に妃嬪とは……服装はともかく、御者一人に護衛の男一人って。侍女もつけてはもらえなかったようだし……これでは道中も命懸けだっただろう。辺境からの嫁入りとはいえ、あまりに粗末すぎる』


「お気遣い、誠に感謝申し上げます」


 しおしおと落ち込みながらも、ツェツェグも蓮国式の礼で返す。顔を上げてすぐ目にしたのは、驚嘆の表情で固まる武官の顔だった。


『姫君が自ら、武官の俺に礼を……?』


「あ」


 ——もしかして、高貴な方は、下々のものにそんなことはしないの?


 さあ、と顔色が青くなっていくのを感じる。

 妃教育など受けさせてもらえたわけもなく、自学自習でできる限りの知識を得ようと蓮の書物を読んできたのだが、あまり成果は得られなかったらしい。


「あの、えと……」


 これから暴君の前に差し出されるというのに、なんということだ。自分の教養のなさを痛感し、足元が崩れ落ちるような心地でいれば。


「姫様。私は名を(トゥ) 景安(ジンアン)と申します」


 ツェツェグの後悔に反し、彼はその場に跪き、まるで皇帝にするように最敬礼の体勢をとった。


「お困りのことがありましたら、いつでもお知らせください。短い時間ではございますが、護衛の大役を務めさせていただきます」


『なんていい子なんだ! きっと相当辛い思いをしてここまでやって来たんだろうなあ……かわいそうに。よし、ちょっとでも楽しんでもらえるように、いろいろと用意して差し上げよう』


 今度はツェツェグが唖然とする番だった。


 ——いい子、私が? ただお礼を言っただけなのに。


「こちらで少しお待ちいただけますか? 城への移動用に馬車を回して来ますゆえ」


 景安は、外の武官たちに指示を出しながら、どこかへと駆けていく。

 しばらくのち、満面の笑みで戻ってきた彼に促され、大風の護衛とともに馬車を降りれば。


「わあ……これに、私が乗ってもいいの?」


「もちろんでございます!」


 大風の馬車を降りて向かい、迎えに用意された馬車は、洗練された美しさのある可愛らしいものだった。香りの良い木材が使われた、亀の甲羅のような形の屋根が被さった馬車には、全体に蔓草模様の彫刻があしらわれている。御者席の後ろ、観音開きの扉をひらけば、板張りのままだったツェツェグの馬車とは違い、綿が詰められ、皮を張られた立派な座席があった。刺繍で飾られた桃色の座布団まで用意されている。


「お口に合うかわかりませんが。旅の疲れを少しでも癒していただければ」


 景安(ジンアン)は、ツェツェグに紅色の紐がかけられた木箱を渡すと、自分の持ち場へと戻っていった。

 座席に座れば、まるで牢屋から天上の楽園に来たかのような心地になった。馬車が動き出してすぐ、渡された木箱の紐を解いてみる。


「砂糖菓子……?」


 景安の額に汗が光っていたのを思い出す。この短い間に、買いに走ってくれたのだろうか。

 髪紐を結んだような形の菓子を一つつまみ、ツェツェグは口に含んだ。


「……すごく、美味しい」


 そう呟いた瞬間、ほろ、と涙が溢れた。


「あれ……」


 不意に向けられた優しさが、心に染みた。涙なんてとうに忘れたと思っていたのに。

 眉間に力を入れて、必死に涙を堪える。化粧が崩れても、すぐさま直してくれる侍女は、ツェツェグにはいない。


 ——あとで、またお礼を言おう。


 ここに来て、良かったのかもしれない。あたたかな心遣いに、これまで忘れていた柔らかな感情が呼びもどされる心地がした。


 ——まったくの他人である武官でさえあんなに優しいのだもの。大風では「暴君」なんて呼ばれていたけど。彼の雇い主であるならば、皇帝だってそこまで酷い人じゃないのかも。


 ここでなら、私も自分の居場所を見つけられるかもしれない。

 そう、少しばかり抱いた希望に頬をゆるませた直後。


『ああ、今日もまだ生きてる。可哀想に。ひと思いに殺してやればいいものを。生きながら毎日肉を裂くなんて正気の沙汰じゃない』


 頭に響いた物騒な言葉に、ツェツェグは顔を跳ね上げた。


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