83話 勉強会、とある一日
水方くんとの勉強会が開始してから3日目。今日で期末試験のちょうど1週間前になる。
この2日間やってきた率直な感想としては、筋は悪くない。……なんかメッチャ偉そうだなこの言い方。
小テストの結果通り、文系科目は社会が一番得意で、逆に苦手なのは英語。暗記系はそこそこできるものの、読解系が不得手なようだ。なので用語や漢字、英単語は俺がやっている覚え方のコツを伝えたくらいで、長文や文法を重点的に、俺が理解している範囲で教えた。
そして今日。放課後からはバイトが休みになった祈鷺先輩も加わり、俺も一部教わる側にまわる。
「それじゃあ、今日からあたしも本格参戦ってことで。よろしくね~ふたりとも~」
相変わらず気の抜けるような声とテンションだ。
「よろしくお願いします、祈鷺先輩!」
「よろしくお願いします。じゃあ、今日は理数からしますか?」
一応、予定では今日は英語から始まることになっているが。
「ううん、後でいいよ。せっかくこれまでやってきたんだし文系で繋げた方がいいでしょ?」
確かに、もし昨日帰ってから疑問点やわからないところが新たに出てきたなら、それを先に解消しておく方が水方くんにとってもいいだろう――
「本音は?」
「あたしも英語教えてほしい~」
「よろしい」
――と、思っていたら、伊鶴さんがサラッと祈鷺先輩の本心を引っ張り出した。……うん。さっきよりも納得がいった。
ちなみに今日伊鶴さんがいるのは、丸一日大学の講義がないためだ。まったく羨ましい限りである。
「伊鶴さん、どうかしたんですか?」
「ああ。これ、お祖父ちゃんがサービスだって」
そう言って、伊鶴さんはコーヒー2杯と、俺と水方くんの前にそれぞれブラウニーとチーズケーキを置いた。
「えっ?」
「そ、そんな悪いですよっ」
当然、場所を借りている手前率直に受け取れない俺たち。
「構わないよ。ふたりのバイト代から引いておくから」
「「エッ、マジ!?」」
店長の了承の後に続けた爆弾発言に、言われた俺たちよりも早く、当人である兄妹がほぼノータイムで同時に振り返った。ふたりも初耳らしい。
言葉の真偽を窺う兄妹だが、店長は笑顔を張り付けたまま微動だにしない。
「え……マジのマジ?」
「はは。冗談だよ」
まさかと心配になった祈鷺先輩の再確認に、店長は穏やかに笑ってそう返した。店長って冗談とか言うんだなぁ。
「あぁ~ビックリしたぁ……」
「お祖父ちゃん冗談がキツイよぉ~」
自らのバイト代の流出が冗談だと知って心の底から安心した様子だ。
「あれ? でも、じゃあなんであたしの分がないの? ねぇ伊鶴くん、あたしの分はぁ?」
一喜一憂が目まぐるしい祈鷺先輩は、今度は自分のコーヒーだけないことに抗議したい模様で伊鶴さんに訴える。
「なんでも何も、お前コーヒー砂糖入れても飲めないじゃん」
「そうだけど~」
「ほら。いらねえじゃん、コーヒー」
「そうじゃなくって~。そうなんだけどそうじゃなくて~。他に何か他にあるじゃ~ん!」
コーヒーでなければ別の何かをッ、と必死に要求するその姿は駄々っ子の如く。付随して文法も崩れている。多分これが祈鷺先輩でなければ軽く引いていたかもしれない。
「冗談だよ冗談。後で持ってってやるから勉強してろ」
幼子のような妹の姿に若干……いやかなり呆れながら伊鶴さんが手で追い払う。
「ほーい! じゃあ水方くん織宮くん、ちゃっちゃか始めよ~」
「あ、はい!」
だが相も変わらず本人は全く気にした様もなく、忙しなく唐突に、今日の勉強会スタートだ。
◆◇◆◇
「あ゛あ゛ぁ゛ぁ~~~脳がパンクする~~~」
ガンッとテーブルに頭を打ち付けそう零すのは、言わずもがな祈鷺先輩。
真横に置いてあるホットレモネード(伊鶴さんが持って来てくれた)が大きく波打ち軽くヒヤッとした。
「まだ10分しか経ってませんよ」
「あたしの英語のための脳のキャパはもう限界なんだよ~」
それはまた、えらく限定的な弱点を持った脳だな……
「何よ不定詞と動名詞ってぇ……どっちでもい~じゃ~ん……」
これは相当だな……
他にも、関係副詞に分詞構文、慣用句や仮定法など、テーブルに突っ伏す口から英語に対する愚痴がボロボロ溢れ出す。
この10分で祈鷺先輩の英語の苦手具合が概ねわかった。この人は水方くん以上に文法が苦手だ。1年の範囲も2年の範囲も3年の範囲も関係なく、文法という文法がとにかく苦手なようだ。逆に単語に関しては品詞問わず習ったところはびっくりするほどほぼ覚えている。
伊鶴さんが言っていた「50点前後」というのは、恐らく単語の読み書き問題や選択形式の問題に救われている形なのだろう。
でも、暗記は得意なのに暗記科目と言っても過言ではない社会までもが振るわないのはなぜなのだろうか……
「織宮くん、この並べ替えなんだけど……」
「あぁ。えっと、大体合ってるけどこのふたつが逆で――」
俺が水方くんに教えていると、その隣からじぃぃぃーーーっと物凄い視線を感じた。
「……どうかしましたか?」
無視を決め込もうとも思ったが、どうにも止む気配もなく集中できなかったのでやむを得ず尋ねる。
「ふたりとも、よくそんなに勉強できるよねぇ」
「そのセリフは始まって10分で言うことではないと思いますけど……」
褒めてくれてるんだろうけど素直に喜べない。
「苦手なことって、なぁーんかやる気になんないんだよねぇ~」
まぁその気持ちはわからないでもない……か。それができる人を向上心があるなんて言うんだろうけど、俺には一番似合わない言葉だ。
「織宮くんは、どうしてそんなに勉強ができるの?」
「……俺自身優秀だとは思ってませんけど、ちょっとした事情があって高校受験の時に死に物狂いになって勉強してたんで、その名残かと」
「事情って?」
「いえ、人に話すようなことでもないので」
その話をすると必然的に転勤族のことまで触れなければいけない。桜木先輩の時のように話さなければいけない、話すべきという状況でもないし、わざわざ言う必要もあるまい。
俺の根幹は、どこまで行っても転勤族なのだろう。
「それより、勉強しますよ祈鷺先輩。俺が教えられるのは2年の範囲までですから、3年の範囲は先輩自身に頑張ってもらわないと」
「ふぅ~~い」
渋々といった様子を隠す素振りもなく、起き上がった先輩は一度欠伸をして自身の勉強を再開した。英文を呪文のようにぶつぶつ呟きながら。
◆◇◆◇
「ふぃ~~~~英語しゅ~りょ~~~!」
やり切ったとばかりに達成感満載で伸びをする先輩。
「取り敢えずはお疲れ様です。一度休憩しますか?」
「する~。こんなに真剣に勉強したのなんて受験期以来だよ~」
時間的には40分。授業時間よりは短いが、最初に10分で音を上げていたのを考えたらこの40分間は随分と集中していたと思う。
「水方くんも、少し休憩にしようか」
「うん。そうするよ」
その返答を聞いて、俺も一度ペンを置く。冷めきってしまった残り僅かなコーヒーを流し込んでおかわりを注文する。もちろん2杯目はお金を払うつもりだ。
「調子はどう?」
待っている間に、次の数学の準備をしている水方くんに訊く。
「そうだね。さすがに余裕とは言えないけど、少なくとも赤点の心配はないよ」
「なら、よかった」
万全と言い切らない当たりがなんとも水方くんらしい回答だが、自信が持てるくらいになっているなら僥倖だ。俺でもちゃんと教えられていたようだ。
俺も今日の英語に限らず、少しでも成績を伸ばすには十分な復習ができたし、その点を加味しても勉強会をやってよかったと思う。
「あたしも2年の範囲は心配ナイよ~」
「先輩の場合、2年の範囲ができても応用できなきゃ意味ないですけどね」
「うぅ。ごもっともで……」
「それに、この40分でできたのなんて2年の範囲でもほんの一部だけですよ」
「はいぃ。ごもっともで……ううぅ……織宮くんがあたしの自信をボキボキ折ってくるよぅ……」
おっと……正論で返したらいじけてしまった。
なぜだろうかこの先輩。びっくりするほど年上感がないからか、遠慮を忘れて思ったことを口にできてしまう。
「すみません。言葉がスルスル出てくるもので」
「織宮くん、最近あたしに遠慮がなくなってきたよねぇ」
「……」
沈黙を以て回答とすると、何やら訴えるような視線が刺さる。推察するに「否定しないの……?」だろうか。
「否定しないの……?」
……正解だったらしい。
俺は沈黙を貫く。
「試験対策、順調みたいだな」
渡りに船とはこういうことか。なんとか逃げられないだろうかと道を模索していると、いいタイミングで伊鶴さんがコーヒーを持って来てくれた。
「織宮くんと雄星のコーヒーおかわりお待ち遠様」
「「ありがとうございます」」
俺と水方くんの前にそれぞれ置くと、早々に「頑張れよ」とひと言残して去ろうとする。
「あれあれ伊鶴くん、あたしのは?」
それを腕を掴んで引き止める祈鷺先輩。傍らには、空になったレモネードが入っていたカップがある。
「え? だってコーヒーしか注文受けてないし」
それに伊鶴さんは、何言ってんだよとばかりに当然の如く「ない」と返す。なんとなく先輩の次の行動が予想できる……と思っていると、
「……」
予想に反して、唐突に黙りこくってしまった。と言うか、目を見開いたまま固まってしまった。
「え、ごめん。まさかそんなにショック受けるとは思わなかったわ」
そしてまた予想に反して妹に謝る伊鶴さん。いつもなら揶揄いそうなものだが……
俺が状況を飲み込めずにいると、正面の水方くんが耳打ちで教えてくれた。
「祈鷺先輩、極限までショックを受けたら固まっちゃうんだ」
「へ、へぇー……」
それはまた、何とも変わった特性をお持ちだ。
おしゃべりと陽気と呑気が服を着て歩いているような祈鷺先輩が完全に停止しているというレアシーン。終わってしまう前にしっかり目に焼き付けておこう。
その後、伊鶴さんがワザと忘れていたレモネードを持ってきたことで祈鷺先輩の機嫌が戻り、ひと休みしたところで勉強会は再開となった。
後半は復活した祈鷺先輩の主導の数学科目なのだが……端的に言うと無双だった。
自分の勉強をしているときは数式を呪文のように唱えることもなければ投げ出したり手が止まることもなく、俺や水方くんがわからないところを訊けば途轍もなくわかりやすく教えてくれたりと……いつもの緩さは鳴りを潜め、今までの先輩は幻だったのではとさえ思ってしまうほどには豹変した。
(似合わないよなぁ……)
教えてもらっている身の上で失礼極まりないとは百も千も承知だが、仕方ないと割り切らせてもらう。だって事実としてこれまでの印象と違いすぎるんだもの。
(そう言えば、沖田さんとはこんな風に一緒に勉強、したことなかったな……)
そんな思考もほどほどに、ふと、記憶のどこにも有りはしない光景を夢想した。向かい合って、たまに雑談を交えながらペンを走らせるふたり。多分、俺が教わる側になるだろうな……ちょっと悲しい。
夏休みの初日に一度だけ、沖田さんの部屋で似たようなことはあったが、あれはただ自分たちの課題を消化していただけで、今思い出しても悲しくなるほどに会話ひとつなかった。あれを「一緒に勉強した」とは言わない。
――と、本日何度目か、やたらと主張の強い視線がザクザクと刺してきた。視線を移すと、今度はニタリ笑いを浮かべる祈鷺先輩がこちらを見ていた。
「……なんですか」
「織宮くん、今女のコのこと考えてたでしょ」
予想外に図星を突かれ、思わず一瞬言葉に詰まる。
「……女の勘ってやつですか?」
あまりに確信を持っている様子で言うので、否定しきることはせずにそう返す。
「ううん~。女の勘じゃなくてあたしの勘~」
「そうですか……」
表情でとか理由があってくれた方がまだ心持ち的によかったかな。女の勘って訊いたの俺だけど。
「その様子だとビンゴみたいだねぇ。いけないんだ~、勉強中にヘンなこと考えてちゃ~」
わかりやすくからかってくるが、ニヤニヤと笑う顔も相まって少しばかりイラっと来たのはナイショだ。
「あっ、もしかしてあたしのこと?」
「!?」
「えっ……?」
先輩が何の気なしに口にしたその言葉に、俺の脳が警鐘を鳴らした。
マズいと水方くんの様子を窺うと、明らかに動揺しているようだった。そりゃあそうだ。水方くんにとっては、自分が好意を寄せている人を暴露した相手が恋敵の可能性が浮上してきた状況なのだから。
(いや、そんなことは有り得ないんだけども!)
当の祈鷺先輩は自分のしでかしたことに一切気づいていないし! とにかく、今はこの状況を切り抜けねば……
「違いますっ、俺恋人いるんで……!」
焦っていたからだろう……俺が自分の失敗に気づいたのはそう答えた後のことだった。
(ヤベっ……言っちゃった)
色恋沙汰、プチ修羅場、否定し逃げ切るための正当な理由……条件が揃いすぎた。
別に普通の人が相手なら何ら問題はなかった。だが、今目の前にいるのは何をしでかすかわからない人だ。可能な限り言いたくはなかった……
「エッ!? マ・ジ・でッ!?」
ほらぁーやっぱりこうなった~~。
案の定、一瞬で目が輝きだした。前のめりになりkwskとばかりにズズイと顔を寄せてくる。……水方くん、安心してくれたならよかったけど、できれば助けてほしいな……
結局、祈鷺先輩による詮索の嵐は、勉強そっちのけで遊び呆ける妹に痺れを切らした伊鶴さんが強烈な拳骨を落とすまで続いた。
その間に俺が吐いた情報は、前の学校で彼女ができたことと、馴れ初め、現在遠距離恋愛中ということだけだった。後は黙秘権を行使してなんとか沖田さんのプライバシーは守ることができた。
あと、ちゃんと勉強はした。




