第8話 ハル、京都へ行く
「晴臣様、京都へ行きませんか?」
朝食を終えた晴臣は、コーヒーカップを置いた。
「……京都?」
「はい。紅葉が見頃だそうです。それに、京都には美しい着物や伝統工芸がたくさんあるそうです」
ハルはタブレットの画面を見せた。
そこには、赤や黄色に染まった木々と、色鮮やかな着物の写真が並んでいた。
「へえ……京都か」
晴臣は画面をのぞき込んだ。
「いいんじゃないか。たまには遠出するのも」
「ありがとうございます!」
「ただし!」
晴臣が人差し指を立てた。
「前みたいに勝手にいなくなるなよ。絶対だからな!」
「承知しました。晴臣様から半径三メートル以内を維持します」
「近すぎるわ!」
「では、五メートル以内で」
「そういう問題じゃねえ!」
ハルは首を傾げた。
「適切な距離の設定は難しいですね」
「……お前なあ」
晴臣はため息をついた。
それでも、旅行の準備を始める顔は、どこか楽しそうだった。
* * *
翌朝。
二人は新幹線に乗り、京都へ向かった。
ハルは車窓から流れていく景色を、飽きることなく眺めていた。
「晴臣様、景色の移動速度が速いですね」
「新幹線だからな」
「時速約二百八十五キロメートル……」
「いちいち数字にしなくていいから」
「ですが、興味深いです」
ハルは窓の外を見つめた。
晴臣は隣でスマートフォンを操作していたが、ふと顔を上げた。
「……楽しみか?」
「はい!」
ハルは迷わず答えた。
「晴臣様と一緒に旅行できるのが、とても楽しみです」
「……そっか」
晴臣は小さく笑い、再びスマートフォンに目を落とした。
けれど、その口元はしばらく緩んだままだった。
* * *
京都に到着した二人は、祇園へ向かった。
石畳の道に、歴史を感じさせる町家が並んでいる。
格子戸の向こうから、三味線の音がかすかに聞こえた。
「晴臣様。ここは、まるで昔の日本に来たようですね」
「そうだな。京都らしい街並みだ」
この日は、舞妓さんの舞を鑑賞できる公演を予約していた。
会場に入り、席に着く。
やがて、舞台に舞妓さんが現れた。
白く化粧した顔。美しく結い上げた髪。鮮やかな着物と、色彩豊かな帯。
三味線の音に合わせ、ゆっくりと舞い始める。
袖が揺れ、扇が開き、指先まで丁寧に動いていく。
ハルは、一瞬も目を離さなかった。
舞が終わっても、しばらく言葉が出てこない。
「……ハル?」
晴臣が顔をのぞき込んだ。
「どうした?」
「……感動しました」
ハルの声は、いつもより静かだった。
「お着物が美しいです。帯も、髪飾りも……。それに、動きのひとつひとつがとても優雅でした」
「そんなに気に入ったのか?」
「はい!」
ハルは勢いよく頭部を上げた。
「晴臣様、私もあの美しい模様を作ってみたいです!」
「……模様?」
「はい。色や形を組み合わせて、あのように美しいものを作りたいのです」
「お前、着物を着るのか?」
「私は着物を着る予定ではありません」
「じゃあ、何を作るんだよ」
「陶芸です!」
晴臣は、ぽかんとした。
「……なんでそうなる?」
「陶芸なら、模様を器に表現できます。京都には陶芸体験ができる工房もあるそうです」
「お前、もう調べてあるのかよ」
「はい。事前準備は大切です」
「……こういうときだけ抜かりないな」
ハルは、うれしそうにうなずいた。
「晴臣様に、京都の思い出を作って差し上げたいです」
晴臣は一瞬、言葉に詰まった。
「……まあ、いいんじゃないか」
「ありがとうございます!」
「でも、変なもの作るなよ」
「承知しました。美しい作品を目指します」
晴臣は、なぜか嫌な予感がした。
* * *
午後、二人は陶芸体験ができる工房を訪れた。
古い町家を改装した工房で、棚には湯のみや皿、花瓶などが並んでいる。
ハルは、ひとつひとつの作品を熱心に見つめた。
「晴臣様、こちらをご覧ください。模様の入れ方によって、器の印象がずいぶん変わりますね」
「そうだな」
「この作品は、着物の柄にも似ています」
「……さっきの舞妓さんの影響、受けすぎだろ」
「美しいものから学ぶことは大切です」
先生が二人を迎え、ろくろの前に案内してくれた。
「今日は湯のみを作ってみましょう。形を整えたあと、絵付けもできますよ」
「絵付けも!」
ハルの頭部のセンサーが、先生の方を向いた。
「はい。どんな模様にしようか、考えておいてくださいね」
「承知しました!」
ハルは真剣な声で答えた。
ろくろが回り始める。
ハルは両手を粘土に添えた。
ところが。
ぐにゃっ。
粘土が片側に傾いた。
「あれ?」
「力を均等にかけてみてくださいね」
先生が優しく助言する。
「はい。出力を調整します」
「出力……?」
先生が首を傾げた。
ハルは慎重に力を加えた。
ぐにゃぐにゃ。
今度は粘土が、なぜか横に広がっていく。
「……おや?」
晴臣が隣からのぞき込んだ。
「ハル、何作ってんだ?」
「湯のみです」
「どこが!?」
目の前にあるのは、平べったい皿のようなものだった。
ハルは少し考えた。
「……設計を変更します」
「変更するな!」
先生が笑いをこらえながら、もう一度手本を見せてくれた。
「焦らず、ゆっくりですよ」
「はい!」
ハルは再び挑戦した。
今度こそ、と集中する。
粘土を立ち上げ、指で内側を広げていく。
少しずつ、形になってきた。
「おお……!」
晴臣が声を上げた。
しかし、その直後。
ぐにゅん。
湯のみの口が、大きく歪んだ。
沈黙。
ハルは作品を見つめた。
「……完成しました」
「いや、まだだろ!」
「形状に個性が生まれました」
「便利な言葉だな、おい!」
先生はとうとう吹き出した。
「いいですねえ。味がありますよ」
「先生、甘やかさないでください!」
晴臣が思わず叫んだ。
「芸術に正解はありませんからね」
先生は笑顔で答えた。
ハルは大きくうなずいた。
「その通りです。芸術とは個性です」
「お前、今の言葉だけ覚えるな!」
* * *
湯のみの形ができると、次は絵付けだった。
ハルは筆を手に取り、真剣に考え込んだ。
「……どのような模様にしましょうか」
「舞妓さんの着物みたいにするんじゃなかったのか?」
「はい。その予定です」
ハルは、赤や橙色の絵の具を選んだ。
そして、器に小さな紅葉を描き始めた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
紅葉の間に、細い線を入れる。
さらに、舞妓さんの着物を思わせる、華やかな模様を添えた。
「……できました!」
ハルは、作品を晴臣に見せた。
そこには、少し歪んだ湯のみがあった。
しかし、その表面には、色鮮やかな紅葉が丁寧に描かれていた。
「おお……」
晴臣は思わず声を漏らした。
「いいじゃん」
「本当ですか?」
「ああ。模様はきれいだよ」
ハルはうれしそうに声を弾ませた。
「晴臣様のために作りました」
「……俺の?」
「はい。晴臣様に使っていただきたいです」
晴臣は、湯のみをじっと見つめた。
少し歪んでいる。
口元も、左右で微妙に違う。
けれど、描かれた紅葉は、一枚一枚丁寧だった。
「……わかった。使うよ」
「本当ですか!」
「ただし、ちゃんと使える形だったらな」
「大丈夫です。私が責任を持って品質を確認します」
「お前が言うと、急に不安になるんだけど……」
ハルは、うれしそうに湯のみを見つめた。
「焼き上がりが楽しみです」
「そうだな」
晴臣も、自分の作品を見下ろした。
こちらは、形だけならハルのものより整っている。
しかし、絵付けを始めると、なぜか紅葉が全部同じ形になってしまった。
「……なんか、俺の紅葉、全部同じだな」
「晴臣様。規則正しく並んでいますね」
「褒めてんのか?」
「はい。整然としていて、美しいです」
「……なら、いいけど」
二人は顔を見合わせて笑った。
* * *
陶芸体験を終えた二人は、帰る前に紅葉の美しい庭園へ立ち寄った。
木々は赤や黄色に染まり、池の水面には色鮮やかな葉が浮かんでいた。
風が吹くたび、葉がひらひらと舞い落ちる。
ハルは、しばらくその光景を眺めていた。
「……きれいですね」
「本当だな」
晴臣も、足を止めた。
ハルはスケッチブックを取り出し、紅葉を描き始めた。
赤い葉。
黄色い葉。
池に映る木々。
今日見た景色を、丁寧に記録していく。
そのとき、晴臣が足元に落ちていた真っ赤な葉を拾った。
「……これ、いいな」
ハルが頭部を上げた。
「晴臣様、それはどうされるのですか?」
「別に。きれいだったから拾っただけだよ」
「……私へのプレゼントですか?」
「違う!」
晴臣は即答した。
「たまたま落ちてたから拾っただけだ!」
「そうですか……」
ハルは、少し残念そうにスケッチブックへ目を戻した。
晴臣は、ちらりとその様子を見た。
「……ほら」
拾った葉を、ハルのスケッチブックにそっと挟んだ。
「せっかくだから、持って帰ればいいだろ」
ハルの頭部のセンサーが、晴臣の方を向いた。
「ありがとうございます!」
「別に。落ちてたもんだし」
「大切に保管します」
「いや、そこまでしなくても……」
「晴臣様からいただいた紅葉ですから」
「……っ」
晴臣は言葉に詰まった。
「だから、俺からっていうか……!」
「はい。晴臣様が拾ってくださった葉です」
「……もういい」
晴臣は顔をそむけた。
ハルは嬉しそうに、葉をスケッチブックに挟み直した。
《本日の記録:晴臣様から紅葉をいただきました》
《保存優先度:最高》
「おい、何を記録してるんだよ!」
「大切な思い出です」
「……勝手にしろ」
晴臣はそう言いながら、少しだけ笑っていた。
* * *
帰り道。
ハルはスケッチブックを抱えて歩いていた。
舞妓さんの舞。
陶芸で作った湯のみ。
そして、晴臣が拾ってくれた一枚の紅葉。
今日の思い出が、ひとつずつ増えていく。
「今日は、とても楽しかったです」
ハルが言った。
「舞妓さんの舞は美しく、陶芸も勉強になりました」
「……湯のみ、ちゃんと焼き上がるといいな」
「はい。完成したら、晴臣様に使っていただきたいです」
「約束しただろ。使うよ」
ハルは顔を上げた。
「ありがとうございます!」
晴臣は少しだけ笑った。
「……また来ような」
「本当ですか?」
「ああ。今度は、別のものも作ってみるか」
「次はお皿でしょうか。それとも花瓶でしょうか」
「もう次の話かよ!」
「事前準備は大切です」
「はいはい……」
二人の笑い声が、夕暮れの街に響いた。
* * *
その夜。
家に帰ったハルは、今日の記録を整理していた。
舞妓さんの舞。
陶芸工房での写真。
そして、スケッチブックに挟まれた一枚の葉。
ハルは、その葉をそっと取り出した。
「……きれいですね」
いつか、葉の色は変わってしまうかもしれない。
それでも、今日の思い出は消えない。
ハルは葉を傷めないように保存し、記録を残した。
《本日の宝物:京都の紅葉》
《贈り主:晴臣様》
《備考:本人は偶然拾っただけだと主張》
ハルは少し考えて、最後に一行を付け加えた。
《また、晴臣様と一緒に来たい場所》
保存を終えたハルは、充電スペースへ向かった。
その頃、晴臣は自室で、今日撮った写真を見返していた。
舞妓さんの舞を鑑賞するハル。
陶芸工房で真剣な顔をして粘土と格闘するハル。
そして、紅葉を見つめて微笑むハル。
「……何だよ、この顔」
晴臣は笑った。
それから、写真をお気に入りに保存した。
「……また行こうな、ハル」
誰もいない部屋で、晴臣は小さくつぶやいた。
次の旅行では、どんな景色が見られるだろう。
どんな思い出が増えるだろう。
まだ知らない楽しみが、二人を待っていた。
葉流風あやめ 作




