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引退AI、山へ行く  作者: 葉流風あやめ


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第5話 ハル、鎌倉で風鈴を作る

「晴臣様、次のお出かけ先が決まりました」


 朝食を終えた晴臣に、ハルがタブレットを差し出した。


「今度はどこだよ」


「鎌倉です。江ノ電に乗って海を見て、紫陽花を鑑賞します。それから、風鈴づくりを体験できる場所も見つけました」


「……盛りだくさんだな」


「はい。充実した一日になると予想されます」


「お前が予定を詰め込んでるだけだろ」


 晴臣は呆れたようにため息をついた。


 しかし、ハルがすでに外出の準備を済ませているのを見ると、断る気も失せてしまった。


「わかったよ。行けばいいんだろ」


「ありがとうございます!」


「……絶対、断られると思ってなかっただろ」


「はい」


「少しは否定しろ!」


 こうして二人は、鎌倉へ向かうことになった。


 ***


 鎌倉駅に到着すると、ハルは案内板をじっと見つめた。


「晴臣様。江ノ電という乗り物があります」


「知ってるよ」


「海の近くを走るそうです」


「だから?」


「乗りましょう」


「……はいはい」


 江ノ電に乗り込むと、車窓には鎌倉の街並みが流れていった。


 やがて、視界が開けた。


「あっ、晴臣様! 海です!」


 ハルが窓の外を指さした。


 車窓いっぱいに広がる青い海。波がきらきらと光り、遠くまで続いている。


 ハルはしばらく、夢中で海を眺めていた。


「海は広いですね」


「まあな」


「山とは、まったく違います」


「そりゃそうだろ」


「どこまでも続いているように見えます」


 晴臣は、窓の外を見つめるハルの姿を眺めた。


 古いモデルのロボットであるハルは、人間のように潮風を肌で感じることも、海水の冷たさを味わうこともできない。


 それでも、初めて見る景色に興味を示している。


「……来てよかったな」


 晴臣がぽつりとつぶやくと、ハルはすぐに振り向いた。


「はい。晴臣様と一緒ですから」


「……っ」


「晴臣様?」


「なんでもない!」


 晴臣は慌てて窓の外に顔を向けた。


 ハルは少し首を傾けた。


《晴臣様の顔面温度:上昇傾向》


《原因:調査中》


 ***


 鎌倉の街を歩いていた二人は、見覚えのある女性を見つけた。


「あれ……?」


 女性もこちらに気づいたらしい。


「あっ! ハルさん、晴臣さん!」


 小春だった。


「小春様!」


 ハルがうれしそうに近づいた。


「こんにちは! またお会いできましたね!」


「本当ですね! お二人も鎌倉に来ていたんですか?」


「はい。今日は紫陽花を見て、風鈴を作る予定です」


「わあ、いいですね!」


 小春は笑顔で二人を見た。


「実は私、鎌倉出身なんです。よかったら案内しましょうか?」


「ぜひお願いします!」


 ハルは即答した。


「……お前、俺に聞く前に決めるなよ」


 晴臣が小声で抗議する。


「晴臣様も、よろしいですよね?」


「……まあ、別にいいけど」


「ありがとうございます!」


「だから、俺に聞いてから返事しろって!」


 小春は楽しそうに笑った。


「じゃあ、まずは小町通りに行きましょう。おいしいものがたくさんあるんですよ」


「おいしいもの!」


 ハルの頭部のセンサーが、小春の方を向いた。


「ハル、お前は食べられないだろ」


「はい。しかし、晴臣様が召し上がる様子を観察することはできます」


「食事中まで観察されるのかよ……」


「食べ物の形状や香りについて学ぶこともできます」


「もう好きにしろ」


 三人は小町通りへ向かった。


 ***


 小町通りには観光客が行き交い、あちこちの店からおいしそうな匂いが漂っていた。


 小春は慣れた様子で、気になるお店を紹介してくれた。


「ここのお団子、おいしいんですよ」


「じゃあ、食べてみようかな」


 晴臣が団子を受け取ると、小春も隣で同じものを買った。


「いただきます!」


 二人が並んで団子を食べる。


「おいしいですね!」


「うん。甘さもちょうどいいな」


「晴臣様は、甘いものがお好きなのですね」


「いや、別に……」


「先ほど、甘味のメニューを三分間閲覧していました」


 ハルが淡々と告げた。


「お前は黙ってろ!」


 小春は声を上げて笑った。


「晴臣さん、かわいいところがあるんですね」


「……は?」


 晴臣が固まった。


「いや、これは違う!」


「何が違うのでしょうか?」


「ハルーーー!!」


 ハルは首を傾けた。


《小春様の笑顔:確認》


《晴臣様の顔面温度:上昇》


《原因:調査中》


「だから記録するなって!」


 その後も三人は、通りのお店をのぞきながら食べ歩きを楽しんだ。


 ハルは食べられないものの、二人が何をおいしそうに食べるのか、どんな表情をするのか、興味深そうに観察していた。


「晴臣様は、先ほどのお団子より、こちらの大福を高く評価しています」


「俺の食べ歩きを研究発表にするな!」


「今後のお出かけの参考になります」


「……次も一緒に来る気満々じゃねえか」


 晴臣がぼそりとつぶやくと、小春が振り向いた。


「また来ましょうよ!」


「……え?」


「今度は別のお店も案内しますね」


「……あ、ああ。そうだな」


 晴臣は少しだけ頬を赤くした。


 ハルは、その様子を見逃さなかった。


《次回のお出かけ:可能性上昇》


「ハル。今すぐその記録を消せ!」


 ***


 午後、三人は長谷寺へ向かった。


 境内に足を踏み入れると、斜面を彩る紫陽花が目に飛び込んできた。


 青、紫、淡い桃色。


 花々の向こうには、鎌倉の街と海が見える。


「わあ……きれい」


 小春が思わず声を漏らした。


 ハルも足を止め、紫陽花を見つめた。


「同じ紫陽花でも、色が違うのですね」


「そうだな。土の性質なんかでも変わるらしいぞ」


 晴臣が答える。


「なるほど。環境によって色彩が変化する……興味深いです」


 ハルはスケッチブックを取り出し、花を描き始めた。


「ハルさん、絵を描くのが好きなんですね」


 小春が隣からのぞき込んだ。


「はい。見たものを記録しておきたいのです」


「素敵ですね。私、この絵好きです」


 ハルは頭部のセンサーを小春の方へ向けた。


「……本当ですか?」


「はい!」


 ハルの声が、少し弾んだ。


 一方、晴臣は二人の様子を見ながら、なぜか落ち着かなかった。


 小春がハルを褒めてくれるのは、うれしい。


 それなのに、自分のことも少しくらい気にしてほしい。


 そんな考えが頭をよぎり、晴臣は慌てて首を振った。


(何考えてんだ、俺は……)


「晴臣さん?」


 小春に呼ばれ、晴臣はびくっとした。


「な、なんだ?」


「晴臣さんも、絵を描くんですか?」


「俺? いや、別に……」


「晴臣様は、幼稚園の頃に私の絵を描いてくださいました」


「ハル!」


「家族の絵でした。私は、その絵を今も大切に――」


「ハルーーーー!!」


 晴臣の声が、紫陽花の咲く境内に響いた。


 小春は目を丸くしたあと、楽しそうに笑った。


「ふふっ。晴臣さん、かわいいですね」


「……は?」


 今度は晴臣が固まった。


 ハルはすかさず記録した。


《小春様の発言:晴臣様をかわいいと評価》


《晴臣様の反応:停止》


「誰が停止してんだよ!!」


 ***


 紫陽花を満喫した三人は、風鈴づくりの体験工房へ向かった。


 店内には、透明なガラスの風鈴がいくつも吊るされている。風が吹くたび、涼しげな音が響いた。


「……興味深いです」


 ハルは風鈴を見上げた。


「風によって短冊が揺れ、舌がガラスに触れることで音が鳴るのですね」


「ハル、仕組みの説明は後でいいから、まず作るぞ」


 晴臣に促され、三人はそれぞれ風鈴づくりに挑戦することになった。


 小春は青い海をイメージして、青と白の模様を描いた。


 晴臣は少し迷った末、涼しげな水色の風鈴に仕上げた。


 そして、ハルは。


「……できました!」


 ハルが完成品を持ち上げた。


 風鈴には、黒い丸と二本の線が描かれていた。


 晴臣はそれを見つめ、しばらく黙った。


「……なんだ、これ?」


「晴臣様です」


「なんでだよ!!」


「晴臣様の特徴を表現しました」


「目と口だけじゃねえか!」


「シンプルなデザインにしました」


「そういう問題じゃない!」


 小春は風鈴をのぞき込んだ。


「ふふっ、かわいいじゃないですか!」


「……そ、そうか?」


 晴臣の声が、急に小さくなった。


「はい。晴臣さんらしいです」


「……そっか」


 ハルは二人の様子を確認した。


《小春様の評価:好意的》


《晴臣様の機嫌:良好》


「ハル。何を記録してる」


「本日の成果です」


「絶対違うだろ!!」


 工房のスタッフまで笑っていた。


 ***


 風鈴を受け取ったあと、三人は駅へ向かった。


 楽しかった一日も、もう終わりだ。


「今日はありがとうございました」


 小春が二人に微笑んだ。


「私も、久しぶりにいろいろ回れて楽しかったです」


「こちらこそ、案内してくださってありがとうございました!」


 ハルが丁寧に頭を下げた。


 晴臣は、しばらく黙っていた。


 そして、意を決したように口を開いた。


「……小春さん」


「はい?」


「よかったら、連絡先を交換しませんか?」


 言ってから、晴臣は自分の心臓が妙にうるさいことに気づいた。


 小春は少し驚いたあと、うれしそうに笑った。


「はい! ぜひ!」


 二人がスマートフォンを取り出し、連絡先を交換する。


 その様子を、ハルはじっと見つめていた。


《晴臣様から連絡先交換を提案》


《本日の成長:著しい》


「ハル、記録するなよ」


「まだ何も申し上げておりません」


「顔に書いてあるんだよ!」


 小春は笑いながら、二人に手を振った。


「また会いましょうね!」


「はい! またぜひ!」


 ハルは元気よく答えた。


 晴臣も、小春に手を振り返した。


 彼女の姿が見えなくなってからも、しばらくスマートフォンを眺めていた。


「晴臣様」


「……なんだよ」


「うれしそうですね」


「うるさい」


「よかったです」


 ハルは、少しだけ頭部を傾けた。


 晴臣は何も言い返せなかった。


 ***


 帰宅後、ハルは自分の作った風鈴を窓辺に飾った。


 風が吹く。


 チリン、と澄んだ音が響いた。


「……きれいな音ですね」


 ハルは風鈴を見上げた。


 今日見た海。


 紫陽花。


 小春の笑顔。


 そして、少しだけいつもと違った晴臣。


 どれも、大切な記録になった。


 ハルは静かに、今日の日付とともに記録を保存した。


《本日の記録》


《新しい場所:鎌倉》


《新しい出会い:小春様》


《晴臣様の笑顔:複数回確認》


《次回のお出かけ:検討中》


 少し考えて、最後に一行を付け加えた。


《明日も、楽しい一日になりますように》


 風鈴が、もう一度鳴った。

葉流風あやめ 作

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