第12話 ハル、秘密を知る
一月五日。
朝食を終えた晴臣は、コーヒーを飲みながら新聞を眺めていた。
ハルは、いつもどおり食器を片づけている。
「……晴臣様」
「ん?」
「少し、お話ししたいことがございます」
「なんだ? また山に行きたいのか?」
「いえ。今回は違います」
「なんだよ、つまんねえな」
晴臣は新聞をたたんだ。
「で、何?」
ハルは、少し間を置いてから答えた。
「今朝、メーカーからお知らせが届きました」
「メーカー?」
「はい。私の機種の保守サービスが、終了するそうです」
晴臣の手が止まった。
「……は?」
「旧型ヒューマノイドシリーズの保守サービス終了について、というお知らせです。今後、ソフトウェアの更新や部品の供給、修理対応が終了するとのことでした」
「いつだよ、それ」
「詳細な終了日は、通知に記載されております」
ハルが画面を差し出す。
晴臣は受け取り、文章を読んだ。
一度。
もう一度。
そして、最後まで読み終えると、画面をテーブルに置いた。
「……ふざけんなよ」
低い声だった。
「メーカーが決めたことですので、仕方がないかと思います」
「仕方なくねえだろ!」
ハルの頭部が、ぴくりと動いた。
晴臣はすぐに声を落とした。
「……悪い。お前に怒ってるんじゃない」
「承知しております」
「お前、今までどおり動けるんだよな?」
「現時点では、各機能に問題はありません」
「ならいい。今すぐ何か起きるわけじゃないんだろ?」
「はい。ただし、将来的に故障した場合、修理ができない可能性がございます」
「……そうか」
晴臣はコーヒーを飲んだ。
もう冷めていた。
「ま、何とかなるだろ」
いつもの調子で言った。
「俺が何とかする」
ハルは晴臣の方へセンサーを向けた。
「晴臣様が、ですか?」
「そうだよ。何か文句あるか?」
「いいえ。大変心強いです」
「だろ?」
晴臣は笑った。
けれど、ハルにはわかった。
晴臣の指先が、カップを持つ手の中で小さく震えていたことを。
*
その日の午後。
晴臣は会社にいた。
社長室の扉を閉め、パソコンを立ち上げる。
画面には、以前から調べていた資料が並んでいた。
旧型AIのデータ移行。
人格記録の保存。
新型ボディへの適合性。
そして、記憶と行動特性をどこまで維持できるのか。
「……やっぱり、簡単じゃねえな」
晴臣は椅子の背もたれに寄りかかった。
単純にデータをコピーすれば、今のハルと同じ存在になるのか。
同じ声で話し、同じ記憶を持ち、同じように自分を呼んだとして。
それは、本当にハルなのだろうか。
「……いや」
晴臣は首を振った。
そんなことを考えている場合じゃない。
まずは、選択肢を探すことだ。
ハルが今の身体でいられる方法。
もし、それが難しくなったときに、新しい身体へ移る方法。
どちらも、用意しておきたい。
ハルが選べるように。
そのとき、社長室の扉がノックされた。
「社長、よろしいでしょうか」
「……どうぞ」
入ってきたのは、技術開発部の責任者だった。
「先日ご相談いただいた旧型AIのデータ移行の件ですが」
晴臣は姿勢を正した。
「何かわかったか?」
「技術的には、検討の余地があります。ただ、単純なデータ移行とは異なります。長年の学習記録や個別の動作特性を、新しい機体にどこまで再現できるか……」
「できる可能性はあるんだな?」
「現段階では、可能性がある、という回答になります」
晴臣は唇をかんだ。
「……わかった。引き続き調べてくれ」
「承知しました。ただし、ひとつ確認させてください」
「何だ?」
「移行対象となるAI本人の意思は、確認されていますか?」
晴臣は黙った。
技術開発部の責任者は続けた。
「新しい機体への移行は、性能が向上する一方で、身体感覚や動作の特性が変わる可能性があります。ご本人が何を望んでいるのか、それも重要になるかと思います」
「……わかってる」
晴臣は、机の上の資料に目を落とした。
「だから、選べるようにしたいんだ」
「選べるように、ですか?」
「そうだ。俺が勝手に決めることじゃない」
それだけは、決めていた。
ハルを守りたい。
でも、自分の都合でハルの未来を決めたくはなかった。
*
その夜。
晴臣が帰宅すると、ハルはリビングでスケッチブックを開いていた。
「何描いてんだ?」
「本日の記録です」
「また俺か?」
「はい」
「見せろよ」
晴臣がのぞき込む。
そこには、ソファで新聞を読む自分の姿が描かれていた。
……顔が妙に四角い。
「おい。俺、こんな顔してるか?」
「少々、輪郭を強調いたしました」
「強調しすぎだろ!」
「特徴を捉えたつもりです」
「特徴って何だよ!」
ハルは首を傾げた。
晴臣は笑いながら、スケッチブックを返した。
そのとき、ふとハルが尋ねた。
「晴臣様」
「ん?」
「もし、私の身体を新しいものに交換できるとしたら……晴臣様は、どうなさいますか?」
晴臣の笑顔が消えた。
「……何だよ、急に」
「先ほど、メーカーからのお知らせを確認しました。私は、いずれ修理ができなくなる可能性があります」
「それは、わかってる」
「新しい身体に移行すれば、長く稼働できる可能性があるのではないでしょうか」
晴臣は答えられなかった。
ハルは、静かに続けた。
「私は、今の身体を気に入っております。ですが、晴臣様と過ごせる時間が長くなるのであれば、新しい身体も検討する価値があるのかもしれません」
「……ハル」
「ただ、まだ何も決めておりません。晴臣様は、どう思われますか?」
晴臣は、しばらく黙っていた。
そして、ハルの白い頭部を見つめた。
黒い関節。
長年使い込まれた手。
一緒に山を歩き、絵を描き、風鈴を作ってきた身体。
晴臣は、小さく息を吐いた。
「……俺は、お前にずっとそばにいてほしい」
「はい」
「でも、お前がどうしたいかも大事だ」
ハルは動かなかった。
「新しい身体に移るのも、今の身体で過ごすのも、お前が決めていい。俺は、そのためにできることを探す」
「……晴臣様」
「だから、今すぐ答えを出さなくていい」
晴臣は、いつものぶっきらぼうな口調に戻った。
「ま、どっちにしても、俺に相談しろよ。勝手に決めんな」
「それは、私の台詞ではないでしょうか?」
「うるせえ!」
ハルは、いつものように首を傾げた。
けれど、その内部には新しい記録が保存されていた。
《晴臣様の希望》
《私に、長くそばにいてほしい》
《ただし、私自身の意思も尊重する》
ハルは、その記録を何度も読み返した。
そして、スケッチブックの新しいページに、小さく書き込んだ。
《これからのこと》
まだ、答えは出ていない。
けれど。
ハルは、今の身体をそっと見下ろした。
長い年月を共に過ごしてきた、この身体。
できることなら、もう少しだけ。
この手で、晴臣のために絵を描きたい。
この足で、晴臣と一緒に山を歩きたい。
そして、いつものように。
「晴臣様、おはようございます」
そう言い続けていたい。
ハルは、スケッチブックを閉じた。
「……もう少し、考えてみましょう」
その声は、いつもと同じだった。
ただ、ハルは初めて、自分の未来について考え始めていた。
葉流風あやめ 作




