第11話 ハル、新しい年を迎える
十二月三十一日。
リビングのテレビでは、年越し番組が流れていた。
テーブルには、晴臣のために用意した年越しそば。
ハルは、湯気の立つ器を晴臣の前に置いた。
「晴臣様、年越しそばの準備ができました」
「おう。ありがとな」
晴臣は箸を手に取り、そばをすすった。
「……今年も、いろいろあったな」
「はい。高尾山に始まり、キャンプ、書道、パラグライダー、鎌倉、京都……」
「お前、全部覚えてんの?」
「もちろんです。すべて大切な記録ですから」
ハルは胸を張った。
「特に、晴臣様が森で私を見つけてくださったときのことは、忘れられません」
「……あれは、もういいだろ」
晴臣は少しだけ視線をそらした。
「晴臣様は、泣いていらっしゃいました」
「泣いてねえ!」
「目から水分が排出されていました」
「それを泣いたって言うんだよ!」
ハルは首を傾げた。
「なるほど。勉強になります」
「何の勉強だよ……」
晴臣はため息をついた。
けれど、その顔は笑っていた。
テレビから、まもなく新年を迎えるというアナウンスが流れる。
「ハル」
「はい」
「今年もありがとな」
ハルの動きが止まった。
「……こちらこそ、ありがとうございます」
「来年もよろしくな」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
カウントダウンが始まった。
十、九、八――。
晴臣とハルは、テレビの数字を一緒に見つめた。
そして。
「明けましておめでとうございます、晴臣様」
「おめでとう、ハル」
新しい年が始まった。
ハルは、その瞬間を静かに記録した。
《新年》
《晴臣様と迎える、新しい一年》
《今年も、たくさんの思い出を作れますように》
*
一月一日。
御影家には、久しぶりに親戚が集まっていた。
海外で暮らしている晴臣の両親も、年末に帰国していた。
「皆様、お茶をお持ちしました」
ハルが盆を運んでくる。
その白いボディは、いつもより丁寧に磨かれていた。黒い関節部分もきれいに手入れされている。
「あら、ハル。相変わらず働き者ね」
晴臣の母が微笑んだ。
「ありがとうございます」
「晴臣は小さいころから、あなたにべったりだったものね」
「はい。晴臣様は、幼少期から大変活発でいらっしゃいました」
「おい。余計なこと言うなよ」
晴臣が横から口を挟む。
母は楽しそうに笑った。
「この子、あなたがいないと眠れなかったのよ。出張で家を空けたときなんて、夜中にハルを抱えて寝室から出てきたんだから」
「母さん! いつの話してんだよ!」
「かわいかったわよねえ」
「かわいくねえ!」
ハルは記録を検索した。
「その際、晴臣様は『ハルがいないとおばけが来る』とおっしゃっていました」
「ハルーーー!!」
親戚たちの笑い声が響いた。
晴臣は顔を赤くして、そばにあった座布団をハルに投げようとした。
しかし、母の視線に気づいて、そっと置き直す。
「……ったく」
ハルは何事もなかったかのように、お茶を配り続けた。
その様子を、晴臣の母は穏やかな目で見つめていた。
やがて、親戚のひとりが言った。
「ハルくんも、もう長い付き合いだねえ。晴臣くんが生まれたころからだものね」
「はい。長い年月をご一緒させていただいております」
「これからも晴臣をよろしく頼むよ」
「……はい」
ハルは深く頭を下げた。
そのやり取りを、父は新聞を畳みながら聞いていた。
「しかし、ずいぶん古い機種になったな」
場の空気が、ほんの少し変わった。
「お父さん」
晴臣が低い声で呼んだ。
父は気にした様子もなく続ける。
「メーカーも、いつまでも古い機種の面倒は見てくれないだろう。そろそろ交換を考えてもいいんじゃないか?」
「……ハルは、交換しない」
「お前が気に入っているのは知っている。だから今まで使わせてきたんだ。だが、機械はいつか使えなくなる」
「わかってるよ」
晴臣は箸を置いた。
「でも、ハルは物を買い替えるのとは違うんだよ」
父は不思議そうに息子を見た。
「何が違う?」
「……もういい」
晴臣はそれ以上、何も言わなかった。
父に悪気がないことは、わかっている。
父にとってハルは、晴臣の世話をするために用意した機械だ。
晴臣がなついていたから、交換しなかった。
それだけのことなのだ。
けれど、晴臣にとっては違った。
生まれたときから、ずっとそばにいた。
初めて歩いた日も、熱を出して泣いた夜も、幼稚園で描いた下手くそな絵も。
ハルは、全部覚えている。
そして晴臣も、全部覚えている。
「……晴臣」
母が、そっと声をかけた。
「ハルには、感謝しているのよ」
晴臣が顔を上げた。
母はハルの白い頭部を見つめていた。
「私もお父さんも仕事ばかりで、あなたのそばにいられないことが多かったでしょう。寂しい思いをさせたこともあったと思う」
「お母様……」
「ハルがいてくれたから、私は安心して仕事ができたの。あなたが元気に育ったのも、ハルがずっとそばにいてくれたからだと思っているわ」
母は、ハルに向かって微笑んだ。
「今まで、ありがとうね」
ハルはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと頭を下げた。
「……もったいないお言葉です。私は、晴臣様のおそばにいることが役目ですから」
「ふふ。これからも、よろしくね」
「はい」
晴臣は、二人のやり取りを黙って見ていた。
そして、誰にも聞こえないくらい小さな声でつぶやいた。
「……だから、交換なんかできるわけないだろ」
*
一月二日。
親戚たちが帰り、家の中はようやく静かになった。
晴臣はソファに寝転がっていた。
「……疲れた」
「お疲れ様です、晴臣様」
「お前も疲れただろ。ずっと動きっぱなしだったし」
「私は問題ありません」
「そういうところだぞ、お前は」
晴臣はクッションを抱えた。
「少しくらい休めよ」
「では、充電させていただきます」
「そういう意味じゃねえ!」
ハルは首を傾げた。
晴臣は笑った。
こんな時間が、ずっと続けばいい。
そう思っていた。
その一方で、晴臣は誰にも見せていない資料を、会社の自室の引き出しにしまっていた。
ハルの記憶や人格データを、新しいボディへ移行できる可能性。
メーカーの旧型機種向けサポートが終了しても、ハルと過ごす時間を守る方法。
まだ、確かな答えは見つかっていない。
それでも、諦めるつもりはなかった。
ハルが望まないことを、無理にさせるつもりもない。
ただ、選べる未来を残しておきたかった。
「……絶対、何とかしてやるからな」
晴臣は、引き出しに手を置いた。
*
一月五日。
正月休みが明けた朝。
ハルはいつものように起動した。
《システム起動》
《稼働状況:正常》
《内部バッテリー:正常》
《各関節:正常》
「……本日も、問題ありませんね」
ハルはいつものように晴臣の朝食を準備しようとした。
そのときだった。
電子音が鳴った。
《メーカーからのお知らせ》
ハルは、動きを止めた。
《重要なお知らせ》
《旧型ヒューマノイドシリーズの保守サービス終了について》
「……保守サービス、終了?」
ハルは画面を開いた。
そこには、丁寧な文章が並んでいた。
長年の利用への感謝。
対象機種のサポート終了日。
今後のソフトウェア更新の停止。
交換部品の供給終了。
そして、修理対応の終了。
ハルは、ひとつひとつの項目を読み進めた。
《サービス終了後は、故障時の修理および部品交換をお受けできない場合があります》
「……そうですか」
声は、いつもと変わらなかった。
故障したわけではない。
今すぐ動かなくなるわけでもない。
ただ、これから先、壊れたときに直せなくなる可能性がある。
それだけのことだ。
ハルは、もう一度お知らせを読み返した。
「……晴臣様に、お伝えしなければなりませんね」
そうつぶやいたものの、すぐには晴臣の部屋へ向かわなかった。
昨日まで、家族みんなで笑っていた。
晴臣は、今年も一緒に過ごそうと言ってくれた。
来年も、その次の年も。
ハルは、クリスマスの夜に記録した言葉を思い出した。
《来年も、皆様とクリスマスを過ごせますように》
「…………」
ハルは、画面を閉じた。
そして、いつものように朝食の準備を始めた。
「ハルー! 朝飯まだー?」
二階から晴臣の声がした。
「はい。ただいま参ります」
ハルは返事をした。
いつもと同じ朝。
いつもと同じ声。
いつもと同じ家。
けれど、ハルの中には、ひとつの知らせが残っていた。
《旧型ヒューマノイドシリーズ》
《保守サービス終了》
ハルは、まだそのことを晴臣に伝えていなかった。
自分が、いつまで動き続けられるのか。
その答えを、まだ誰も知らなかった。
葉流風あやめ 作




