第八十一話 再照合
##第八十一話 再照合
黒崎は、赤ペンを使わなかった。
机の上には、二つの名前が並んでいる。
真柴直樹。
Jin FUKUOKA。
どちらも紙の上では軽い。
だが、軽い紙ほど、扱いを間違えると遠くまで飛ぶ。
黒崎は、白い机の前に座っていた。
部屋には余計なものがない。
花もない。
写真もない。
湯気の立つカップもない。
あるのは、記録。
照会票。
移動履歴。
古い学校関係者の名簿。
自衛隊時代の断片。
国外活動時の古い通称。
民間支援団体の問い合わせ履歴。
そして、京都窓口での夜間接触記録。
黒崎は、まず真柴直樹の紙を見た。
古い名前。
出生から続く線。
家族。
弟。
学校。
施設。
自衛隊。
国内の記録。
そこには、時間の流れがある。
次に、Jin FUKUOKAの紙を見る。
こちらは違う。
線ではない。
断片だった。
国外。
通過点。
現場。
契約。
連絡員。
仮名。
支援対象。
危険人物。
保護対象。
分類する部署によって、表情を変える名前だった。
普通なら、偽名で処理できる。
逃走名。
身分隠し。
国外活動用の別名。
そう書けば、紙の上では収まる。
黒崎は、そうしなかった。
収まらないものを無理に収めると、後で壊し方を間違える。
黒崎は二枚の紙を少し離した。
重ねる。
ずれる。
また離す。
並べる。
ずれる。
同一人物として扱うには、反応が違う。
別人として扱うには、痕跡が近すぎる。
黒崎は、黒いペンを持った。
赤ではない。
まだ消す段階ではない。
余白に、小さく書く。
用途差。
それから、少し間を置いて、もう一行。
反応名。
黒崎はその文字を見た。
反応名。
悪くない。
だが、足りない。
真柴直樹は、過去の記録に反応する名前。
Jin FUKUOKAは、現場で動く名前。
一つは戻すための名前。
一つは動かすための名前。
ならば、これは逃走ではない。
ただの偽名でもない。
黒崎は、ペン先を止めた。
書きかけた言葉があった。
分離。
まだ書かなかった。
書けば、追い方が変わる。
追い方が変われば、壊し方も変わる。
黒崎は、書かないまま紙を伏せた。
扉がノックされた。
「入ってください」
白い作業服の男が入ってきた。
三号だった。
黒い手袋。
胸元の数字。
三。
手首の赤みは、ほとんど引いている。
だが、完全には消えていない。
黒崎はそこを見た。
「痛みは」
「支障ありません」
「痛みを聞きました」
三号は一拍遅れた。
「少しあります」
「よろしい」
黒崎は記録を見た。
「京都窓口で、宮崎めぐみはあなたを消しませんでした」
三号は答えなかった。
「空白にもしなかった」
「はい」
「未確認と書いた」
「はい」
「それを、どう受け取りましたか」
「記録上の処理です」
「模範解答ですね」
三号は黙った。
黒崎は、机の端にあった来訪記録の写しを出した。
名前未確認。
三号と申告。
記入不可。
消さない。
青い印。
黒崎は、その青い印を指で押さえた。
「これは何ですか」
「分かりません」
「保留です」
「はい」
「確認です」
「はい」
「そして、削除拒否です」
三号の指が、黒い手袋の中で動いた。
わずかな動きだった。
だが、黒崎は見た。
「反応しましたね」
「していません」
「嘘は不要です」
三号は黙った。
黒崎は、ゆっくりと言った。
「三号」
「はい」
「未確認は、名前ではありません」
「はい」
「消さない、も名前ではありません」
「はい」
「あなたに名前は必要ありません」
「はい」
「犬塚央は使いません」
三号は、今度も答えた。
「はい」
遅れはなかった。
黒崎は頷いた。
「ただし、宮崎めぐみは別です」
三号は顔を上げなかった。
黒崎は続けた。
「彼女は、空白にしない。消さない。未確認として残す。これは、名称回復傾向です」
「はい」
「名称回復傾向のある人間は、管理を乱します」
「はい」
「末安えりは、物理的な阻害要素です」
「はい」
「宮崎めぐみは、記録上の阻害要素です」
三号は返事をした。
「はい」
「次は、近づき方を変えます」
「接触しますか」
「今はしません」
黒崎は、真柴直樹とJin FUKUOKAの紙を一度だけ見た。
「周辺を削ります」
「はい」
「記録に残らないものから」
「はい」
「声。癖。絵。呼び方。古い接点」
三号は、その言葉の意味をすぐには理解しなかった。
黒崎は、それでよかった。
理解しなくても、動けばいい。
「下がってください」
「はい」
三号は部屋を出た。
廊下に出てから、胸元の数字に触れかけた。
触れなかった。
触れれば、意識する。
意識すれば、遅れる。
遅れれば、作業に支障が出る。
だが、手は一瞬だけ止まった。
未確認。
消さない。
その二つの言葉は、命令より遅く、名前より深い場所に残っていた。
京都の拠点では、午前の仕事が終わりかけていた。
洗濯物は二回目に入っている。
水の箱は、部屋ごとに分けられている。
薬の確認表には、赤ではなく青の小さな印が増えていた。
めぐみは、机の前で移送の紙を見ていた。
眼鏡の奥の目は、眠そうには見えない。
でも、カップの中身は冷めている。
また口をつけていない。
末安えりは、扉にもたれてそれを見ていた。
煙草は吸っていない。
ミントも噛んでいない。
ただ、黙って見ている。
えりが黙ると、めぐみは少しだけ困る。
速い人が止まっている時は、だいたい何かを見つけているからだ。
「……えりさん」
「なに」
「見られてると、字が曲がるかな」
「曲がってない」
「……そっか」
「曲がってないけど、遅い」
「それはいつも」
「今日は特に」
めぐみは、鉛筆を止めた。
「……そう?」
「そう」
えりは、歩いて机に近づいた。
歩くのが速い。
でも、音は小さい。
元マル暴の癖なのか、親友として身につけた気遣いなのか、めぐみには分からない。
えりは、机の端に置かれた折れた鉛筆を見た。
次に、アトリエの方を見た。
「描いた?」
めぐみの指が止まった。
一瞬だった。
でも、えりには見えた。
「……うん」
「なにを」
「木」
「木だけ?」
「……うん。木と、人」
「人ね」
えりは、少しだけ目を細めた。
「見ていい?」
めぐみはすぐには答えなかった。
えりは、待った。
珍しく。
速さを捨てて待った。
めぐみは、小さく首を横に振った。
「……まだ」
「そっか」
えりは、それ以上は踏み込まなかった。
けれど、見つけてはいた。
昨夜、めぐみがアトリエから出たあと、棚に戻し忘れていたスケッチブックの端が少し開いていた。
えりは、わざと見たわけではない。
嘘だった。
少しだけ見た。
親友としては最低だが、警護役としては必要だった。
めぐみが何を抱えているか分からないまま守るのは、速度が落ちる。
えりは、そう言い訳した。
開いたページに、大きな楠があった。
根が太い。
木陰が濃い。
その下に、二人がいた。
手をつないで眠っている。
子どもではない。
大人でもない。
中途半端に手足だけ伸びた、大きな子どもふたり。
女の子の方は、すぐに分かった。
昔のめぐみだった。
今より髪が短い。
目を閉じている。
安心しきった顔で眠っている。
そんな顔を、えりはあまり見たことがなかった。
問題は、隣の男の子だった。
顔ははっきり描かれていない。
けれど、分かった。
浅く座る癖。
すぐ立てるように引いた膝。
眠っているのに、半分だけ起きているような肩。
平気な顔をしているくせに、手だけ冷たそうな描き方。
えりは、その影を見た瞬間に思った。
まだいる。
めぐみの中に、まだいる。
なお。
そう呼ばれていた誰か。
えりは、昔のことを全部知っているわけではない。
聞いていないことも多い。
めぐみは、聞けば答える人ではない。
聞かなくても、消さずに持っている人だった。
だから、えりも聞かなかった。
聞かない代わりに、見ていた。
どの名前で手が止まるか。
どの話題で声が低くなるか。
どの紙を裏返す時だけ、指が少し遅れるか。
なお。
その名前は、めぐみの中で古くなっていない。
古いのに、乾いていない。
えりは、机の上の紙に目を落とした。
「めぐちゃん」
「……うん」
「あんた、昨日の黒手袋より、別のものの方が怖いでしょ」
めぐみは、少しだけ目を伏せた。
「……そう見える?」
「見える」
「……そっか」
「そっか、じゃないのよ」
えりは煙草の箱を出しかけた。
子どもの部屋が近いことを思い出して、戻した。
代わりにミントを噛む。
「なお、って人?」
めぐみの呼吸が止まった。
ほんの少し。
でも、えりには分かった。
めぐみは、すぐに答えなかった。
そして、答えないことで答えていた。
えりは、軽く肩をすくめた。
「見たの、ちょっとだけ」
「……スケッチブック?」
「うん。ごめん」
「……うん」
「怒らないの」
「怒るより、恥ずかしいかな」
「その方が重い」
「……うん」
えりは、少しだけ笑った。
だが、目は笑っていなかった。
「いい絵だった」
めぐみは黙った。
「幸せそうだった」
めぐみの指が、鉛筆に触れた。
折れた鉛筆。
短い線なら、まだ引ける鉛筆。
「……そう、見えた?」
「見えた」
「……そっか」
「で、あれが、なお?」
めぐみは、目を閉じた。
言葉を探しているのではない。
言葉を出していい場所を探している顔だった。
「……うん」
とても小さい声だった。
「なお、だった人?」
めぐみは首を横に振った。
「……なお、だよ」
えりは、その言い方を覚えた。
だった、ではない。
だよ。
今も。
ここにいないのに。
紙にも書けないのに。
呼べないのに。
めぐみの中では、まだ現在形だった。
「会いたい?」
めぐみは、すぐには答えなかった。
えりも急がせなかった。
外では、職員が水の箱を運んでいる。
廊下の奥で、子どもが笑う声がした。
生活は止まらない。
止まらないから、人は泣く場所を失う。
めぐみは、低く言った。
「……会いたい、とは、少し違うかな」
「違うの」
「うん」
「じゃあ、何」
「……まだ、呼べない」
えりは、煙草の箱を指で弾いた。
吸わない。
ここでは吸わない。
「呼んだら?」
「戻るかもしれない」
「いいじゃない」
「……壊れるかもしれない」
えりは黙った。
めぐみの声は、いつも通りやわらかかった。
けれど、最後の言葉だけ、少し引っかかっていた。
壊れる。
その言葉を出すのが怖いように。
えりは、机に腰を預けた。
「めぐちゃん」
「……うん」
「あんたは、名前を戻す人でしょ」
「うん」
「でも、戻さない時もある」
「……うん」
「それ、かなりしんどいね」
めぐみは、少しだけ笑った。
「……えりさんに言われると、なんか変だね」
「私はしんどいの嫌い。スピード落ちるから」
「知ってる」
「でも、後輩とか若いのがしんどそうにしてるのを見捨てると、もっとスピード落ちる」
「……うん」
「だから、先を歩く人間の義務ってやつ」
えりは、めぐみの顔を見た。
「なおが来たら、私が先に見る」
めぐみは顔を上げた。
「えりさん」
「見るだけ。壊さない。たぶん」
「……たぶん、は怖いかな」
「努力目標」
めぐみは小さく笑った。
その笑い方は、楠の下の絵の女の子と少し似ていた。
えりは、それを見て、少しだけ胸の奥が重くなった。
まだいる。
あの絵の中の大きな子どもは、まだめぐみの中にいる。
それを見つけたことを、えりは誰にも言わないと決めた。
黒瀬にも。
エレーナにも。
もちろん、めぐみ本人にも、これ以上は言わない。
見つけたものをすぐ言葉にすると、壊れることがある。
そのくらいは、えりにも分かる。
スピードだけでは扱えないものがある。
えりは、それが少し嫌だった。
山口方面へ向かう車の中で、ジンは封筒を開けていなかった。
黒瀬は運転席にいる。
高速道路の音が、一定の間隔で車内に入ってくる。
外は曇っていた。
灰色の空の下を、トラックが何台も走っている。
物流の線は、いつも普通の顔をしている。
水。
食料。
衣類。
医療品。
子どもの靴。
箱に書かれた文字だけでは、中身の意味は分からない。
ジンは窓の外を見ていた。
「外箱記号は」
黒瀬が言った。
「山口側で二つ出た」
「倉庫か」
「表向きは資材置き場」
「中身は」
「まだ分からん」
「分からないなら見る」
「だから向かっている」
ジンは黙った。
しばらくして言った。
「京都には戻らない」
「今はな」
「今は、か」
「嫌いな言葉だろうが、便利だ」
「便利な言葉は信用しない」
「正しい」
黒瀬は短く言った。
「だが使う」
ジンは、膝の封筒を見た。
薄い。
軽い。
まだ開けていない。
黒瀬は横目で見た。
「開けるな」
「分かってる」
「開けたい顔だ」
「顔で読むな」
「お前も俺の沈黙を読んだ」
ジンは返事をしなかった。
黒瀬は少しだけ速度を落とした。
前方に大型トラックがいる。
白い荷台。
青いライン。
車体の横に、小さな外箱記号と同じ記号があった。
ジンの目が変わった。
黒瀬も見た。
「見えたか」
「右後部」
「同じか」
「似ている」
「追う」
黒瀬は車線を変えた。
ジンは動かない。
ただ、目だけで車両の距離、速度、荷台の揺れ、運転手の癖を拾っている。
黒瀬は言った。
「処理に戻るな」
「まだ何もしてない」
「今のお前は、する前にそう言う」
ジンは黙った。
トラックは、次の出口で高速を降りた。
黒瀬の車も続く。
山口の線は、静かに姿を出し始めていた。
黒崎は、同じ時間に白い部屋で再照合を続けていた。
真柴直樹。
Jin FUKUOKA。
宮崎めぐみ。
末安えり。
犬塚央。
三号。
久住。
名前を一つずつ置く。
置く場所を間違えると、線が見えなくなる。
黒崎は久住の記録を開いた。
現場離脱。
連絡途絶。
処理不能。
内部規定違反。
利用価値低下。
黒崎は赤ペンを持った。
この名前には、迷いがなかった。
余白に書く。
白羽の人間ではなかった。
それだけだった。
久住が何を見たのか。
何に迷ったのか。
なぜ戻らなかったのか。
そういうことは、今は不要だった。
不要なものは削る。
必要なものを残す。
それが記録を扱うということだ。
黒崎は、久住の紙を横に置いた。
次に、真柴直樹とJin FUKUOKAを見る。
ここでは、同じ処理ができない。
白羽の人間ではなかった。
そう書けば済む名前ではない。
敵。
協力者。
保護対象。
危険因子。
兄。
過去名。
現場名。
どれも一部でしかない。
黒崎は、黒いペンを持った。
逃走名。
書かない。
偽名。
書かない。
別人格。
書かない。
ペン先が、紙の上で止まる。
分離。
黒崎は、その二文字を頭の中で読んだ。
まだ書かない。
書けば、紙の上でそれが形になる。
形になれば、追い方が変わる。
追い方が変われば、壊し方も変わる。
黒崎は、代わりに小さく書いた。
再照合継続。
そして、宮崎めぐみの紙を見る。
名称回復傾向。
未確認を空白にしない。
削除拒否。
古い記録保持。
絵。
黒崎は、その最後の一文字で少しだけ止まった。
絵。
記録ではない記録。
紙ではあるが、名簿ではない。
名簿より厄介な場合がある。
人は、番号を忘れても、絵を覚えていることがある。
場所。
影。
手。
姿勢。
呼び方。
黒崎は、宮崎めぐみの紙に黒で一行加えた。
非文字記録あり。
その下に、もう一行。
回収または破棄検討。
赤ではない。
まだ消す段階ではない。
だが、黒崎の中で、その絵はすでに危険物として分類された。
京都では、えりがアトリエの扉の前に立っていた。
中には入らない。
入れば、また見てしまう。
見れば、もっと分かってしまう。
えりは、煙草を吸いたくなった。
だが、ここでは吸わない。
ミントを噛む。
音が少し大きい。
めぐみが廊下の向こうから戻ってきた。
「……えりさん」
「なに」
「そこ、邪魔かな」
「知ってる」
「どいてくれる?」
「スピード感がないお願いだね」
「……どいて」
「はい」
えりは横に避けた。
めぐみはアトリエの扉を開けなかった。
ただ、扉の前で少しだけ止まった。
えりはそれを見た。
「入らないの」
「……今は」
「今は、ね」
「うん」
「便利な言葉」
「……そうだね」
めぐみは、扉に手を触れた。
開けない。
ただ触れるだけ。
中には、楠の絵がある。
なおと、めぐみがいる。
まだ大人になりきれていない、大きな子どもふたりが、手をつないで眠っている。
えりは、その扉を見ながら言った。
「守るよ」
めぐみは、えりを見た。
「……何を?」
「まだ分かんない。だから全部」
「雑だね」
「速いって言って」
「……うん。速い」
「よろしい」
えりは笑った。
それから、少しだけ真面目な声で言った。
「なおのことも、今は聞かない」
めぐみの目が揺れた。
「……うん」
「でも、来たら見る」
「……うん」
「壊しそうだったら止める」
「……うん」
「壊れそうだったら?」
めぐみは、少しだけ息を吸った。
「……呼ばない」
えりは黙った。
めぐみの声はやわらかかった。
だが、その言葉だけは、ひどく痛そうだった。
「呼ばないで、隣にいる」
えりは、煙草の箱を握った。
吸わない。
握るだけ。
「それ、遅すぎない?」
「……たぶん」
「でも、あんたのやり方か」
「うん」
「なら、私が速い分を足す」
めぐみは、少しだけ笑った。
「……ありがと」
「褒めてない」
「知ってる」
その時、廊下の向こうで職員が呼んだ。
「宮崎さん、移送先から確認です」
「……うん。いま行くね」
めぐみは、アトリエの扉から手を離した。
楠の絵は、まだ中にある。
閉じたスケッチブックの中にある。
誰にも見せないまま。
でも、えりはもう見つけていた。
なおの影を。
めぐみの中で、まだ消えていない男の子を。
そして、黒崎も同じ頃、別の場所で気づき始めていた。
ただし、見ているものは違う。
えりは、守るために見つけた。
黒崎は、壊すために見つける。
白い部屋で、黒崎は最後にもう一度、二つの名前を見た。
真柴直樹。
Jin FUKUOKA。
二つの名前は、逃げていない。
消えてもいない。
重なってもいない。
分かれている。
黒崎は、まだその言葉を書かなかった。
書けば、追い方が変わる。
追い方が変われば、壊し方も変わる。
京都のアトリエでは、閉じたスケッチブックの中で、楠の影がふたりを覆っていた。
手は、まだ離れていない。
紙の上では。
まだ。




