第三十話 道を直す日
## 第三十話 道を直す日
朝から、橋の上で金属音がしていた。
かん、かん、と短く響く音。
昨日まで、その橋はただ古かった。
川島の家から仮校舎へ向かう途中にある、小さな橋。
低い欄干。
錆びた支柱。
雨が降れば滑る板。
夕方になると、足元が見えにくくなる場所。
そこに、南岸復旧組合の二トン車が三台並んでいた。
荷台には、反射板。
仮設灯。
電線。
古い鉄板。
砂利袋。
杭。
白い塗料。
灰色の作業服の年配の男が、煙草をくわえずに指示を出していた。
「そこ、照明を一つ上げろ。子どもの目線じゃ足元が暗い」
作業員が脚立を立てる。
「側溝の草は残すな。隠れて穴に落ちる」
別の作業員が鎌を持つ。
「橋の端に反射板を二枚。片側だけじゃ駄目だ。帰りは逆から来る」
健二は、その言葉を聞いていた。
帰りは逆から来る。
当たり前のことだった。
だが、今まで誰もその当たり前を見ていなかった。
行く道だけでは足りない。
帰り道が必要だった。
三枝は記録板を持っていた。
通学路応急整備。
橋手前、仮設反射板設置。
側溝周辺除草。
仮設灯一基、夕刻確認予定。
川島宅から仮校舎まで、徒歩確認継続。
川島は、橋の端で砂利袋を運んでいた。
慣れてはいない。
肩に力が入りすぎている。
手袋も少し大きい。
だが、誰かにやらされている顔ではなかった。
健二が近づくと、川島は小さく言った。
「これで、帰れますか」
健二はすぐには答えなかった。
橋の上では、反射板が一枚取りつけられている。
まだ足りない。
家もまだ古い。
晴斗もまだ戻っていない。
白羽も終わっていない。
それでも、昨日よりは何かが変わっていた。
「帰れる道に近づきます」
川島は、頷いた。
「近づくだけでも、いいです」
そう言って、また砂利袋を持ち上げた。
年配の男が横から見ていた。
「腰で持て。腕でやると明日使えねえぞ」
川島が慌てて姿勢を直す。
「すみません」
「謝るな。覚えろ」
男はそれだけ言って、別の作業員の方へ歩いていった。
健二は、その背中を見た。
昨日まで、この男の力は怖かった。
今でも怖くないわけではない。
でも、今日は違う。
人を黙らせるためではなく、道を直すために使われている。
健二は、胸の中で一度だけ確認した。
これでいい。
怖い人を味方にするのではない。
怖さを、道具と手に戻す。
*
旧南第三の教室では、長机の上に大きな紙が広げられていた。
紙の中央には、川島の家が描かれている。
花音が描いた家だった。
屋根は少し曲がっている。
窓には板が打たれている。
でも、前よりも暗くなかった。
窓の横に、小さな丸が描かれている。
「これ、何?」
蓮が聞いた。
花音は鉛筆を握ったまま答えた。
「直すところ」
「壊れてるところじゃなくて?」
「直すところ」
蓮は少し黙った。
「ふうん」
地図には、橋も描かれていた。
側溝。
曲がり角。
街灯。
仮校舎。
旧南第三。
川。
魚の絵。
颯太は、魚の絵をじっと見ていた。
「晴斗くん、魚って言ったんだよね」
美月が頷く。
「うん」
「じゃあ、魚も帰り道?」
倉持がペンを止めた。
三枝は少し考えてから言った。
「そうです。人によっては、道だけじゃなくて、匂いとか、声とか、見たものも帰り道になります」
悠太が耳を押さえながら言った。
「音も?」
「音も」
「嫌な音も?」
「嫌な音は、戻れなくすることもあります」
千紘が小さく言った。
「白羽の声みたいに」
教室が少し静かになった。
優しい声で、名前を戻させない。
第二十九話の記録は、まだ子どもたちの中に残っている。
処置室。
遮光ゴーグル。
ヘッドホン。
反復音声。
なお。
蓮が地図の端に太い線を引いた。
「じゃあ、白羽の声はここには入れない」
倉持が聞いた。
「どう書きますか」
蓮は少し考えて、言った。
「この道で呼ぶ名前」
倉持がそのまま書く。
この道で呼ぶ名前。
その下に、美月が書き足した。
急がせない。
颯太が言った。
「返事がなくても?」
三枝が頷いた。
「返事がなくても」
颯太は、自分の名前札を指で触った。
「じゃあ、晴斗くんも途中?」
「途中です」
「名前、途中でもいい?」
「いいです」
颯太は少し安心したように、魚の横に小さな丸を描いた。
丸の中に、ひらがなで書いた。
はる。
蓮が覗き込む。
「名前、途中じゃん」
颯太はむっとした。
「途中でいいって言った」
「いいけど」
蓮は、その横にもう一つ書いた。
と。
颯太が見る。
はると。
蓮は顔をそらした。
「完成しといた」
美月が少し笑った。
倉持は、その様子を記録しなかった。
全部を紙にする必要はない。
紙に残すものと、残さずに部屋に置くものがある。
この学校は、少しずつそれを覚えていた。
*
昼前、仮設灯の試験が始まった。
まだ明るいので、光は薄くしか見えない。
それでも、橋の端に立つと、足元の暗さが少し減っていることが分かった。
年配の男が、支柱を見上げて言った。
「夜にもう一回見る。昼の安全は信用するな」
健二は頷いた。
「夕方、確認します」
「子どもを歩かせるのか」
「今日は歩かせません。大人だけです」
「ならいい」
川島が、仮校舎の方から戻ってきた。
手には紙を持っている。
三枝が受け取った。
仮登録申請書。
名前の欄には、こう書かれていた。
大野晴斗。
その下に、備考欄がある。
本人確認継続中。
親族候補、川島による通学路整備協力あり。
返事を急がせない。
旧名反応および記憶語反応の扱いについて、支援側で共有予定。
川島は、それを見ていた。
「まだ、登録じゃないんですね」
三枝は頷いた。
「仮です」
「仮でも、名前は書けるんですね」
「書けます」
川島は、小さく息を吐いた。
「よかった」
その「よかった」は、勝った声ではなかった。
何かを取り戻した声でもない。
ただ、紙の上に名前が消えずに置かれたことへの、小さな安堵だった。
健二はその紙を見た。
白羽の紙は、名前を生活名に変えた。
旧南第三の紙は、名前を急がせずに置いた。
同じ紙でも、使い方で道になる。
使い方で壁にもなる。
*
午後、相原のもとに黒崎が来た。
場所は、境界保護所の仮執務室だった。
古い町民会館の二階。
窓の外には、復旧工事の音がかすかに聞こえる。
かん、かん、と橋から響く金属音。
黒崎は、黒い鞄を持っていた。
北側の連絡官としては、服装は整いすぎていなかった。
白羽の職員ような柔らかさはない。
だが、荒さもない。
無駄なものを削った顔だった。
相原の前に座ると、黒崎はまず処置室の件に触れた。
「白羽生活支援センターでの確認について、北側としても事実関係を確認中です」
相原は答えなかった。
黒崎は続けた。
「ただし、今回の混乱については、別の観点からも確認が必要です」
「別の観点?」
「真柴直樹氏です」
相原の目が少しだけ動いた。
黒崎は鞄から薄い封筒を出した。
厚くない。
赤い判もない。
大げさな表題もない。
表紙には、淡々とこう書かれていた。
経歴照会書。
真柴直樹。
相原は封筒を開いた。
一枚目。
氏名。
生年。
元陸上自衛官。
宇都宮駐屯地勤務歴あり。
中央即応連隊所属歴あり。
退職後、国外渡航歴あり。
現在、旧南第三周辺の児童保護案件に関与。
それだけだった。
紙の上では、それだけだった。
相原は二枚目を見る。
白羽生活支援センター近辺における非公式接触。
外部証言者との接触。
境界側職員への影響。
児童保護案件に対する第三者干渉の可能性。
相原は、紙を置いた。
「経歴だけでは、排除理由にならない」
黒崎は頷いた。
「もちろんです」
「なら、何を言いに来た」
「経歴だけでは、です」
部屋に、少しだけ冷たいものが落ちた。
黒崎は声を変えなかった。
「白羽の処置室については、手続き上の確認が必要です。しかし同時に、元自衛官であり、特定部隊に所属歴のある人物が、児童保護の現場で証言者を集め、境界側の判断に影響を与えた可能性があります」
「真柴直樹は、処置室には入っていない」
「存じています」
「現場確認は、こちらの手続きで行った」
「それも承知しています」
「では、問題はない」
黒崎は、薄く笑った。
白羽の笑みとは違う。
優しくはない。
ただ、紙の上で相手がどう動くかを待っている顔だった。
「問題がないかどうかを確認するための照会です」
その時、部屋の隅にいた坂井が、書類に目を落とした。
宇都宮駐屯地。
中央即応連隊。
坂井の指が、ほんの少し止まった。
相原はそれに気づいた。
黒崎も気づいていた。
「坂井さんは、ご存じですか」
坂井は顔を上げた。
「何をですか」
「その部隊について」
坂井は、すぐには答えなかった。
相原が遮る。
「ここでは経歴照会の範囲を確認している」
黒崎は穏やかに頷いた。
「失礼しました」
だが、その一瞬で十分だった。
紙に書かれた文字が、ただの文字ではなくなった。
宇都宮。
中央即応。
広報誌に載る名前。
だが、知っている人間は、その名前の外側を知っている。
黒崎は続けた。
「こちらとしては、真柴直樹氏が旧南第三に近い位置にいることを懸念しています」
「旧南第三は境界側の管理下にある」
「はい。しかし、子どもたちは影響を受けやすい」
「誰から」
「強い大人からです」
相原の目が細くなった。
「白羽の処置室の後で、その言葉を使うのか」
黒崎は、少しも表情を変えなかった。
「だからこそ、です。強い大人が子どもの近くにいる時、私たちは慎重でなければなりません」
相原は、書類を閉じた。
「照会は受け取る。判断はこちらでする」
「もちろんです」
黒崎は立ち上がった。
「ただ、記録には残ります」
相原は言った。
「何が」
「白羽生活支援センターに対する緊急確認の直前、真柴直樹氏が証言者と接触していたこと」
「証言者が自主的に話した」
「自主性の確認も必要ですね」
黒崎は、鞄を持った。
「では、回答をお待ちしています」
ドアが閉まった。
外の金属音だけが、部屋に戻ってきた。
かん、かん。
相原はしばらく書類を見ていた。
坂井が言った。
「一尉」
「何だ」
「紙の上では、ただの元自衛官です」
「ああ」
「でも、宇都宮のその名前を見て、反応する人間はいます」
相原は書類を見たまま言った。
「お前もか」
坂井は、短く息を吐いた。
「広報誌では、普通に書かれます。迅速に動く部隊。国内外の事態に対応する部隊。そういう言葉です」
「広報誌では」
「はい」
相原は顔を上げた。
「紙には、それ以上は書けないか」
「書けないと思います」
「では、紙の外を勝手に読んで判断するな」
坂井は少し驚いた顔をした。
相原は続けた。
「黒崎は、それを狙っている。紙には薄く書く。読む人間に勝手に重くさせる」
坂井は黙った。
相原は書類を机に置いた。
「真柴直樹を信用するかどうかの話じゃない。手続きの話だ。経歴は事実でも、排除理由にはならない」
「はい」
「ただし」
相原は窓の外を見た。
橋に、新しい反射板が取りつけられている。
「本人には伝える」
*
夕方、橋の仮設灯が点いた。
昼には薄かった光が、夕方になると意味を持った。
低い欄干の端が見える。
側溝の穴が見える。
曲がり角の先に、白い反射板が浮かぶ。
川島は、橋の手前に立っていた。
健二と三枝も一緒だった。
年配の男は、仮設灯を見上げて言った。
「とりあえず、夜に足を踏み外すことは減る」
健二は頷いた。
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い。雨の日に見てからだ」
「はい」
男は、健二を横目で見た。
「お前の兄貴は、今日来ねえのか」
「怪我があるので」
「そうか」
男は少し黙った。
それから、何気ない声で言った。
「宇都宮にいたんだってな」
健二の体が止まった。
「誰が」
「お前の兄貴だ」
健二は、すぐには返事をしなかった。
「どこでそれを」
「紙が回ってる。北側の黒いのが持ってきたらしい」
黒いの。
黒崎のことだと、健二には分かった。
「宇都宮って、何ですか」
男は仮設灯を見たまま言った。
「地名だ」
「それは分かります」
「じゃあ、それでいい」
「よくないです」
健二の声が少し強くなった。
男は健二を見た。
「知りたいか」
「兄ちゃんのことです」
「知ってどうする」
健二は答えられなかった。
男は視線を橋に戻した。
「紙には、たぶんこう書いてある。宇都宮駐屯地。中央即応連隊。元自衛官」
健二は黙っている。
「それだけ見れば、ただの経歴だ」
「違うんですか」
「紙の上では違わねえ」
「紙の外では?」
男は、すぐには答えなかった。
橋の下を、水が流れている。
夕方の光が、少しだけ揺れていた。
「昔の自衛官なら、その名前で少し黙る」
健二は、息を止めた。
「精鋭、という意味ですか」
「そういう言葉で飾るな」
男は少し強く言った。
「精鋭なんて言うと、格好よくなる。違う。ああいう場所は、便利な言葉で片づけるところじゃねえ」
「じゃあ、何なんですか」
「帰ってきた奴と、帰ってこなかった奴がいる場所だ」
健二は何も言えなかった。
男は続けた。
「お前の兄貴が何をしたかは知らねえ。紙にも書かれねえだろう。ただ、黒崎はそこを使う」
「使う?」
「紙には薄く書く。読める奴だけを黙らせる。知らねえ奴には不安だけ渡す」
健二は、橋の上の反射板を見た。
白い板が、夕方の光を返している。
道を見えるようにするための板。
でも、紙は逆だった。
見えないものを、見えた気にさせる。
健二は小さく言った。
「兄ちゃんは、話しません」
「だろうな」
「聞いても、たぶん」
「答えねえだろうな」
男は、仮設灯の支柱を軽く叩いた。
「だから、お前は急ぐな」
「何をですか」
「兄貴を知ろうとすることをだ」
健二は男を見た。
「知らなくていいってことですか」
「違う。帰ってきた奴には、話せる順番がある」
その言葉は、健二の胸に残った。
帰ってきた奴には、話せる順番がある。
子どもたちに返事を急がせないように。
晴斗に名前を急がせないように。
直樹にも、過去を急がせてはいけないのかもしれない。
健二は、初めてそう思った。
*
夜、旧南第三のホワイトボードには、二つの紙が貼られた。
一つは、通学路の復旧記録。
川島宅から仮校舎までの徒歩経路。
橋、仮設灯設置。
反射板設置。
側溝周辺除草。
雨天時確認、未実施。
見守り位置、検討中。
もう一つは、相原から届いた経歴照会の控えだった。
ただし、子どもたちに見せるものではない。
倉持が、裏返して机に置いていた。
健二はそれを見た。
「兄ちゃんには?」
相原の声が無線から聞こえた。
「伝えた」
「何て言いました」
「読んだ」
「それだけですか」
「それだけだ」
健二は、少しだけ笑いそうになった。
直樹らしい。
相原は続けた。
「ただ、一つだけ言った」
「何を」
「子どもの近くにいることを、黒崎が問題にし始めたと」
「兄ちゃんは」
「分かった、と言った」
健二は目を伏せた。
分かった。
その一言の中に、どれだけのものを押し込めたのか。
分からなかった。
教室の奥では、子どもたちが帰り道の地図を片づけている。
花音は家の窓に、新しい線を描いた。
颯太は魚の横に「はると」と書いた紙を、そっと畳んでいる。
蓮はそれを見て、何も言わなかった。
三枝がホワイトボードに一行を加えた。
帰り道は、夜にも見えるようにする。
倉持がその下に、別の紙を貼った。
返事を急がせない。
名前を急がせない。
過去を急がせない。
健二は、その最後の一行を見た。
過去を急がせない。
それは、子どもたちだけのための言葉ではなかった。
*
同じ頃、直樹は旧駅舎の高架下にいた。
炊き出しの鍋は片づけられている。
湯気はもうない。
代わりに、夜の湿った匂いがあった。
森谷佐和が、空の器を重ねていた。
「聞きました」
直樹は、柱にもたれていた。
「何を」
「あなたの昔のことを、北側が出してきたと」
直樹は答えなかった。
佐和は、器を重ね続けた。
「拓も、昔のことはあまり話しませんでした」
「そうか」
「でも、最後に何を運ぼうとしたかは残りました」
直樹は、白羽の裏口の方を見た。
今日は、あの換気口から音はしない。
それだけで十分ではない。
でも、昨日よりは静かだった。
佐和が言った。
「紙に書かれたことだけで、人は分かりませんね」
直樹は少しだけ目を閉じた。
「紙に書かれたことで、人は潰せる」
「だから、残すんでしょう」
直樹は佐和を見た。
「何を」
「潰されないための紙を」
佐和は、空の器を持って立ち上がった。
「拓は、そう思っていたんだと思います」
直樹は返事をしなかった。
佐和も、それ以上は言わなかった。
高架下の向こうで、橋の仮設灯が小さく光っている。
遠くから見ると、ただの白い点だった。
でも、その白い点は、道の上にあった。
人の名前を消すためではなく、足元を見るためにある光だった。
直樹の無線が鳴った。
健二の声だった。
「兄ちゃん」
「何だ」
「今日、橋に灯りがついた」
「そうか」
「まだ仮だけど」
「仮でいい」
健二は少し黙った。
それから言った。
「兄ちゃんのこと、紙が来た」
「聞いた」
「俺、まだ聞かない」
直樹は、黙った。
健二は続けた。
「帰ってきた奴には、話せる順番があるって言われた」
直樹は、しばらく何も言わなかった。
高架下を風が通った。
古いビニールが揺れる。
それから、直樹は短く言った。
「誰に」
「橋の人」
「あのじじいか」
「うん」
「余計なことを言う」
「でも、合ってる?」
直樹は、答えなかった。
答えないことが、答えに近かった。
健二は言った。
「じゃあ、聞かない。今は」
直樹は、無線を握ったまま、橋の光を見た。
「ケン」
「何」
「道はどうだ」
「少し見える」
「なら、それでいい」
無線はそこで切れた。
直樹は、しばらく立っていた。
宇都宮。
中央即応連隊。
紙の上では、ただの文字だった。
だが、その文字を知る者は、勝手に重く読む。
黒崎はそれを知っていた。
白羽も、おそらく知っている。
名前を消せないなら、今度は過去を使う。
そういうことだった。
直樹は、高架下から橋の方へ歩き出した。
足はまだ少し痛む。
それでも、歩いた。
遠くに、仮設灯が一つ見えた。
白い光。
白羽の白ではない。
紙の白でもない。
道を照らすための白だった。
その日、帰り道には小さな灯りがついた。
同じ日、直樹の過去も、薄い紙になって旧南第三へ届いた。
紙には、ただこう書かれていた。
宇都宮駐屯地。
中央即応連隊。
それだけだった。
だが、その二行を読んだ者たちは、少しだけ黙った。




