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第206話 行き先を覚える

## 第206話 行き先を覚える


 移送車列の先頭灯が点いた。


 白い光が、廊下の細い窓から天井へ伸びる。


 一台。


 二台。


 少し遅れて、三台目。


 施設全体が動き始めていた。


 江藤は腕時計を見る。


 残り十八分。


 記録袋には、名前の入った六枚の名札。


 その奥に、まだ白い四枚がある。


 河合直人。


 西村隆司。


 記録から消されていた二人の子ども。


 直樹が廊下の角へ施設図を広げた。


「田所、高城。後ろを維持しろ」


「はい」


「芦田は江藤と移送記録を確認」


「了解しました」


「イネス、前だ」


「分かったわ」


 六人は完全には分かれなかった。


 前を進むのは、直樹、イネス、江藤。


 十数メートル後方を、田所、芦田、高城が維持する。


 角を二つ以上隔てない。


 互いの姿が消えれば前進を止める。


 単独で先へ出る者はいない。


 廊下の壁には、移送車両ごとの一覧が貼られていた。


 第一車。


 第二車。


 第三車。


 記載されているのは氏名ではなく、番号の列だった。


 江藤は端末の家族記録と照らし合わせる。


 河合家の番号は、二台へ分けられている。


 修司、真由、陽斗、房江は第二車。


 長男の直人だけが第一車。


 西村理沙と紬も第二車。


 西村隆司は家族ではなく、作業員として第三車へ入れられていた。


 記録から消された二人の子どもは、「再分類対象」として第一車へ登録されている。


「第二車へまとめられます」


 江藤が言った。


「理由は」


 直樹が尋ねる。


「歩行困難者用の乗降設備があります。河合房江さんを移す理由になります」


 芦田が一覧をのぞき込む。


「予定人数のままですと、七席足りません」


「荷物を減らせる?」


「携行品を第三車へ移せば収容できます。ただし、別送の根拠が必要です」


 江藤は仮の移送命令を開いた。


「家族単位確認中のため、携行品を照合終了まで別送扱いにします」


「聞かれたら説明できるか」


「はい」


「なら、それでいけ」


 直樹は腕時計を見た。


「先に人をそろえる」


     *


 移動を始める前に、大庭から閉鎖回線が入った。


『旧承認系列の照会先が分かった』


 直樹が足を止める。


「使えるのか」


『旧農業管理所に、地域行政回線の端末が残ってる』


「生きてる回線か」


『今の行政網からは外れてる。端末だけ残ってる状態だ』


「照会を受けられる?」


『中継器をかませれば、一度だけな』


 大庭は三人の通信小班を旧農業管理所へ回していた。


 通信担当。


 周辺警戒。


 撤収車両の運転。


 一人だけを残す配置ではない。


 アレクセイの赤い手帳から抜き出された旧登録表の必要部分は、ミーシャから閉鎖回線を通して、すでに小班へ送られている。


 えりが作成した想定問答も同じだった。


 旧農業管理所の回線を開いた後は、国境第三にも、旧南第三にもつながない。


 現地の三人だけで照会へ応じる。


「国境第三へはつなぐな」


 直樹が言った。


『学校にもつながない。分かってる』


「誰が電話へ出る」


『通信担当だ。俺は声を出さない』


「お前は特徴がありすぎる」


『褒めてるのか』


「違う」


『真柴よりは愛想がある』


「任務中だ」


『はいはい』


 大庭の声から笑いが消える。


『想定外の質問が来ても、学校へ確認は取らない。答えられなければ照合中で押す』


「通過後は」


『すぐ切る。三人とも撤収する』


「記録は残るか」


『旧交換局に照会履歴が残る可能性はある』


「国境第三まで追える?」


『直接は無理だ。追っても旧農業管理所で止まる。着いた時には誰もいない』


「十分だ」


『二度目は使えないぞ』


「一度でいい」


 回線が閉じた。


 江藤は端末に表示された仮移送書類を見る。


 書類だけで検問を越えるのではない。


 書類。


 死んだ制度の番号。


 閉鎖された施設の名前。


 使われなくなった回線。


 事前に用意された返答。


 どれか一つでも欠ければ、偽装は崩れる。


 偶然に頼っているわけではない。


 ただし、準備したものが一度しか使えないことも変わらなかった。


     *


 作業区画へ続く扉の前で、イネスが止まった。


 中から金属容器を引きずる音がする。


 話し声は二人。


 イネスが扉の隙間から内部を見る。


 施設職員が一人。


 作業員が一人。


 職員は書類へ顔を落とし、作業員へ箱を運ばせていた。


 江藤は端末の写真を確認した。


 西村隆司。


 頬がこけている。


 記録写真より髪が伸びていたが、顔立ちは一致していた。


 直樹が江藤を見る。


「書類で出せるか」


「やります」


 イネスが江藤の手元を見た。


「震えてるわよ」


「分かっています」


「隠そうとしないで。端末まで揺れる」


「はい、イネス大尉」


 江藤は仮の移送命令を表示し、扉を開けた。


 職員が顔を上げる。


「誰だ」


「臨時家族保全移送班です」


 声が上ずりそうになる。


 江藤は端末を胸の高さで保持した。


「西村隆司さんを、第二車へ移します」


 職員が眉を寄せる。


「こいつは作業員だ」


「家族記録の不整合が確認されました」


「聞いてない」


「先ほど承認系列が更新されています」


 職員は端末を受け取らず、画面だけを見る。


 承認欄。


 古い縦列。


 現在は使われていない旧番号。


「何だ、この書式」


「制度移行前の家族記録を照合するため、旧承認欄を併記しています」


「今どき、こんな番号を使うのか」


「現行番号と重複しているためです」


 嘘は行き先だけだった。


 番号の重複は本当。


 家族が分離されていることも本当。


 同意欄が空白なのも本当。


 職員は隆司を見る。


「家族なんかいたのか」


 隆司の顔が動いた。


「妻と娘がいます」


「お前に聞いてない」


 職員の声が強くなる。


 江藤の肩が上がりかけた。


 イネスが一歩だけ前へ出る。


「では、誰に聞くの?」


 声は静かだった。


 職員がイネスを見る。


 所属を一目で判断できない装備。


 外部の人間だとは分かっても、どの組織かまでは読めない。


「お前はどこの――」


「外部警備調整」


 イネスが答えた。


「異議があるなら、移送を止めて責任者を呼ぶ?」


 職員の視線が廊下へ動いた。


 外では車両が始動している。


 責任者を呼べば、出発が遅れる。


「勝手にしろ」


 職員は書類へ顔を戻した。


「こいつが抜けた分はどうする」


 直樹が答える。


「後で回せ」


「簡単に言うな」


 直樹は何も返さなかった。


 相手の礼儀を直すために、任務の時間を使う必要はない。


 ただ、視線だけは職員の顔に一度止まった。


「西村隆司さん」


 江藤が呼ぶ。


「ご家族と同じ車両へ移ります」


 隆司はすぐには動かなかった。


「理沙と紬は?」


「先ほど確認しました」


「生きてるんですか」


「はい」


「会える?」


「移送前に会わせます」


 江藤は白紙の名札を一枚取り出した。


「お名前を、ご本人から確認させてください」


 隆司は白紙を見る。


「西村隆司です」


 江藤は鉛筆で名前を書いた。


 七枚目。


     *


 第一車の待機区画には、警備員が二人いた。


 一人は車両の横。


 もう一人は待機室の扉前。


 車内には、まだ誰も乗せられていない。


 大庭から音声が入る。


『外周巡回、二分後に西側を通る』


 直樹が答えた。


「そのまま通せ」


『触らなくていいのか』


「気づかれてないなら触るな」


『了解』


 待機室の中には三人いる。


 河合直人。


 記録から消された子ども二人。


 江藤は書類を握り直した。


 今度は職員一人を動かすだけではない。


 警備員は銃を持っている。


 イネスが小声で言った。


「書類を見せて、扉を開けさせる。開いたら私が先に見る」


「はい」


「疑われても、説明を増やさないで」


「同じ回答を繰り返すんですね」


「そう。余計な嘘を作らない」


「分かりました」


 直樹が警備員の前へ出た。


「臨時移送だ」


 警備員が直樹を見る。


「誰の命令だ」


 江藤が端末を提示する。


「家族記録不整合による、臨時家族保全移送です」


「聞いてない」


「先ほど更新されました」


「承認者は」


「旧地域保護局承認系列です」


 警備員が画面をのぞき込む。


「古すぎる」


「制度移行前の記録が対象です」


「こんなもの、今も生きてるのか」


「失効処理が確認できないため、照合対象になっています」


 警備員は画面を指で叩いた。


「この三人は再分類だ。家族移送じゃない」


「再分類の根拠となる家族記録が欠落しています」


「だから再分類したんだろ」


「欠落しているため、家族単位の再照合へ移します」


 会話が同じ場所を回る。


 江藤は説明を増やさなかった。


 警備員の苛立ちが強くなる。


「責任者を呼ぶ」


 無線機へ手を伸ばす。


 直樹は動かない。


 イネスも武器へ触れない。


 警備員が呼び出しを入れる。


 返事がない。


 もう一度。


 遠くで車両のクラクションが鳴った。


 移送を急かす音。


 警備員が舌打ちする。


「第二車へ移して、門で確認させる」


「承知しました」


 江藤が答えた。


「問題があれば、お前たちの責任だ」


「記録へ残してください」


 警備員が江藤を見る。


「怖くないのか」


 江藤の脚は震えていた。


「怖いです」


「は?」


「それでも、家族確認を続けます」


 警備員は理解できない顔をした。


 待機室の鍵を開ける。


 イネスが先に中を確認した。


 武器なし。


 拘束具なし。


 部屋の奥へ、三人が座らされている。


 十代半ばの少年。


 河合直人。


 八歳ほどの男児。


 十一歳ほどの女児。


 三人とも、同じ灰色の上着を着せられていた。


 名札はない。


 直人が立ち上がる。


「家族は」


 江藤が答える。


「第二車へまとめます」


「陽斗は?」


「います」


「母さんと父さんは」


「確認しました。房江さんも一緒です」


 直人の顔が崩れかける。


 警備員の前で泣くまいとして、歯を食いしばった。


 江藤は白紙の札を出す。


「お名前をお願いします」


「河合直人です」


 八枚目。


 残る二人は、記録から名前を消されていた。


 端末には古い写真と、生年月日の一部しか残っていない。


 江藤は女児の前へしゃがんだ。


 警備員にも、直樹たちにも声が聞こえる位置。


「お名前を聞いてもいいですか」


 女児は答えない。


 男児が女児の袖をつかんでいる。


 江藤は待った。


 警備員が苛立つ。


「番号で呼べばいい」


 江藤は振り返らなかった。


「本人が答えるまで待ちます」


「時間がない」


「はい」


「なら――」


「今、名前を言いたくなければ、白紙のままでも大丈夫です」


 江藤は女児だけを見て言った。


 女児が初めて顔を上げる。


「白紙でも乗れるの?」


「乗れます」


「名前がないのに?」


「名前が分からないから乗れない、とはしません」


「番号は?」


「呼ぶ時には使いません」


 女児は男児を見る。


 男児が小さく頷いた。


「朝倉結衣」


 声はかすれていた。


 江藤は聞き間違えないよう繰り返す。


「朝倉結衣さん」


 女児が頷く。


 九枚目。


 男児はしばらく黙っていた。


「僕は、朝倉海斗」


「朝倉海斗さん」


 十枚目。


 記録袋から、白紙の名札がなくなった。


     *


 第二車の乗車区画には、家族が順番に集められた。


 河合修司。


 河合真由。


 河合陽斗。


 河合房江。


 遅れて、河合直人。


 真由は直人を見た瞬間、声を出さずに抱きしめた。


 陽斗が二人の間へ入る。


 修司は直人の肩へ手を置き、何度も顔を確かめた。


 房江は座席へ腰掛けたまま、目を閉じて息を吐いた。


 西村理沙。


 西村紬。


 そして、西村隆司。


 紬は父親へ走った。


 隆司が膝をつき、娘を抱き上げる。


 理沙は夫の腕へ触れたまま、すぐには言葉が出なかった。


 朝倉結衣と海斗は、少し離れた場所に立っている。


 二人の家族は、ここにはいない。


 誰が家族なのかも、記録から消えていた。


 江藤は二人を勝手にどちらかの家族へ入れなかった。


「結衣さん、海斗さん」


 二人が江藤を見る。


「二人で一緒に座りますか」


 結衣が頷いた。


「海斗と」


「分かりました」


 芦田が、二人を同じ座席列へ案内する。


 新しい家族を勝手に作るのではない。


 今ここで、二人を離さないことだけを決める。


     *


 車両へ乗る前に、江藤は全員を見渡した。


「確認することは三つだけです」


 大人たちの顔には不安がある。


 子どもたちは、親や近くの大人の表情を見ていた。


「名前を聞かれたら、本名を答えてください」


 修司が頷く。


「家族関係を聞かれた場合も、本当のことを答えてください」


「行き先だけ嘘を言う」


 房江が言った。


「はい」


「何という場所だったかね」


「第二家族記録照合所です」


 江藤は、全員に声をそろえて繰り返させなかった。


 同じ言葉を同じ調子で答えれば、練習したことが伝わる。


 一人ずつ問いかける。


「河合修司さん。どこへ向かいますか」


「第二家族記録照合所」


「説明を受けていないことを聞かれた場合は」


「説明を受けていません」


「分からないことは」


「分からないと答える」


「はい」


 真由。


 直人。


 理沙。


 隆司。


 一人ずつ確認する。


 子どもには同じ量を覚えさせない。


 陽斗へは一つだけだった。


「どこへ行くと聞かれたら?」


「第二……家族、記録照合所」


「言いにくければ、お父さんに聞いてくださいと言っても大丈夫です」


「学校って言ったら駄目?」


 修司が息を呑む。


 江藤は陽斗を叱らなかった。


「門を出るまでは言わないでください」


「どうして?」


「行き先が違うと分かると、止められるからです」


「門を出たら?」


「まだ車内では言わないでください」


 陽斗の顔が曇る。


 江藤はごまかさなかった。


「安全な場所へ着いたら、話して大丈夫です」


「いつ安全になるの?」


 答えられない。


 直樹が江藤の後ろから言った。


「俺たちが止まって、武器を下ろした時だ」


 陽斗は直樹を見る。


「おじさんも一緒?」


「ああ」


「途中でいなくならない?」


 直樹は一瞬だけ黙った。


「帰るところまでいる」


 江藤は直樹の横顔を見た。


 危険な時ほど、約束を避ける人間もいる。


 守れなかった時の責任から逃れるために。


 直樹は言った。


 帰るところまでいる、と。


     *


 第二車の前では、施設側の移送担当が名簿を確認していた。


 江藤が差し替えた書類を渡す。


「人数が増えてる」


「家族単位の再照合です」


「荷物が載らない」


「携行品は第三車へ別送します」


「誰が決めた」


「臨時移送命令に記載されています」


 担当者が書類をめくる。


 旧式の縦列承認欄へ目が止まった。


「この欄だけ古いな」


「制度移行前の記録を照合するため、旧承認欄を併記しています」


「承認した部署はもうないだろ」


「失効確認が取れていない記録のため、照合対象になっています」


 担当者は嫌そうに書類を閉じた。


「面倒だな」


 直樹は反応しなかった。


 江藤は、直樹が訓練兵へ向ける視線とは違うことに気づいた。


 指導する価値がある相手と、任務上通り過ぎるだけの相手。


 同じ不適切な言葉でも、直樹は扱いを分けていた。


「乗車を始めます」


 芦田が言った。


「歩行困難者から先にお願いします」


 河合房江が簡易昇降板を使って車内へ入る。


 次に子ども。


 親。


 離れていた家族を、同じ車内へ乗せる。


 朝倉結衣と海斗も隣り合って座った。


 高城は運転席を確認する。


 施設側の運転手が座っていた。


 燃料。


 進行方向。


 ミラー。


 鍵。


 すべて使える。


 高城が直樹へ小声で報告した。


「主任教官、運転手は施設側です」


「門を出るまでは使う」


「交代地点は、外部検問の先ですか」


「ああ」


「了解しました」


 田所が車両後部へ付く。


 江藤と芦田は家族と同乗。


 高城は助手席。


 直樹とイネスは車外の移送班として動く。


 大庭隊の車両は、外部警備調整の車列として後方へ入る予定だった。


     *


 出発三分前。


 相原から通信が入った。


『作戦中止命令が出た』


 直樹の顔が動かなくなる。


 江藤は車内の入口で立ち止まった。


『上は国境第三の関与を認めない。施設内から全員撤収しろ』


「家族は」


『現地に残す』


 車内で、修司が顔を上げる。


 通信の内容までは聞こえていない。


 それでも、直樹たちの表情を見ている。


「残せば再分離される」


『分かっている』


「代替案は」


『今はない』


「なら中止できない」


『真柴』


 相原の声が強くなる。


『命令だ』


 直樹は通信機を下ろさなかった。


 田所を見る。


「目的は」


 田所は一瞬、相原の声が入る通信機を見た。


 それから直樹へ答える。


「家族を分けずに帰すことです」


「今、撤収した場合は」


「再分離される可能性が高いです」


「お前の判断は」


 田所の喉が動く。


「続行すべきだと思います」


 敬語は崩れない。


 声も大きくない。


 それでも、上層部の命令へ反する言葉だった。


「ただし、六人全員の意思を確認してください」


 直樹は江藤を見る。


「江藤」


 脚はまだ震えている。


 家族は、すでに車内へ入っていた。


 自分たちが出ていけば、再び降ろされる。


 名札も書類も取り上げられる。


「続行します」


「芦田」


「続行します」


「高城」


「自分も続行します」


「田所」


「続行を希望します」


 直樹はイネスを見る。


 イネスが肩をすくめた。


「ここまで来て、私だけ帰ると思う?」


「意思を聞いてる」


「続けるわ」


 直樹は通信機へ戻った。


「作戦を中止する」


 相原が黙る。


 江藤も一瞬、直樹を見る。


「ここからは、車内の家族を危険区域から退避させる」


『言葉を変えただけだ』


「ああ」


『上は認めない』


「認めなくていい」


『捕まった場合、国境第三は正式な救出作戦として扱えない』


「分かってる」


『六人の身分も保証できない』


「帰還欄だけ残せ」


 相原は答えなかった。


 数秒後、低く言う。


『帰ってから報告書を出せ』


「ああ」


『全員分だ』


「分かった」


 通信が切れる。


 田所が直樹を見る。


「主任教官」


「何だ」


「今の判断も評価対象ですか」


「当然だ」


「自分たちの評価も下がる可能性がありますか」


「ある」


「承知しました」


 大庭から通信が入った。


『そっちは真面目だな』


「聞いてたのか」


『途中からな。俺なら評価表は使わない』


「知ってる」


『その代わり、帰ったら全員に撤収作業をやらせる』


 大庭の笑い声が短く入る。


『上官命令に意見を言える元気があるなら、荷物も運べるだろ』


 田所が通信機を見る。


「それは罰ですか」


『期待だ』


「同じに聞こえます」


『敬語だから今日は笑って済ませる』


 直樹が口を挟む。


「冗談はそこまでだ」


『もう終わった。後ろは任せろ』


     *


 車列が動いた。


 施設の門へ向かう。


 第一車。


 第二車。


 第三車。


 大庭隊の車両は少し間を空け、外部警備のように後ろへ付く。


 江藤は第二車の前方席へ座った。


 膝の上には、十枚の名札と移送書類。


 隣には芦田。


 後ろには家族たち。


 エンジンの振動が床から脚へ伝わる。


 河合房江の呼吸は安定している。


 紬は父親の腕へ抱かれている。


 陽斗は窓の外を見ている。


 結衣と海斗は手をつないでいた。


 車列が門前で止まる。


 警備員が運転席へ近づく。


 移送担当が書類を差し出した。


 警備員は名簿と車内を見比べる。


「家族番号が空欄だ」


 江藤の心臓が強く打つ。


 朝倉結衣と海斗の氏名はある。


 だが、所属する家族番号がない。


「家族記録が欠落しています」


「空欄では通せない」


「空欄のため照合所へ移送します」


「仮番号を付けろ」


「仮番号を付けますと、誤った家族へ登録される可能性があります」


「ここでは番号が必要だ」


「移送先で家族関係を確認するまで、空欄を維持します」


 警備員が書類を見る。


「規則違反だ」


「どの家族へ入れますか」


 江藤が尋ねた。


 警備員は答えない。


「根拠のない番号を付けた場合、承認記録が残ります」


 警備員の目が江藤へ上がる。


「脅してるのか」


「確認しています」


 後ろの車両からクラクションが鳴った。


 出発が遅れている。


 門の内側に車両が詰まり始めた。


 直樹が車外から端末を示す。


「移送を止めるなら、停止責任者として署名してくれ」


 警備員の顔が歪む。


「外部検問で止められても知らんぞ」


「記録へ残してください」


 江藤が答える。


 警備員は乱暴に確認印を入れた。


 門が開く。


 第二車が動き始める。


 陽斗が小さく言った。


「出た?」


 修司が少年の肩を抱く。


「まだだ」


 江藤も同じことを思った。


 施設の門を越えただけ。


 外部検問が残っている。


     *


 外部検問は、施設から五分ほどの道路上に設けられていた。


 簡易障害物。


 投光器。


 警備員四人。


 車列が止められる。


 江藤は時計を見る。


 書類が発行されてから十五分。


 責任者らしい男が第二車へ近づいた。


 書類を見る。


 最初に目を止めたのは、古い承認欄だった。


「この系列は廃止されたはずだ」


「失効処理が完了していない家族記録の照合です」


 江藤が答える。


「移送先へ確認する」


 責任者が通信担当へ書類番号を渡した。


 江藤の背中へ、冷たい汗が流れる。


 第二家族記録照合所は閉鎖されている。


 通常の行政回線で照会されれば、存在しないことが分かる。


 通信担当が番号を入力する。


 短い呼び出し音。


 一度。


 二度。


 三度目が鳴る前に回線がつながった。


『第二家族記録照合所、臨時受付』


 知らない男の声だった。


 大庭隊の通信要員。


 えりではない。


 ミーシャでもない。


 国境第三の誰でもない。


 江藤の耳元へ、大庭から短い通信が入る。


『予定どおりだ。そっちは黙ってろ』


 責任者が通信機を受け取った。


「臨時家族保全移送の確認だ。承認系列を読む」


『どうぞ』


 責任者が書類の番号を読み上げる。


 短い沈黙。


『承認系列を確認』


「移送先の責任者を出せ」


『責任者は記録確認中です』


「施設は閉鎖されているはずだ」


『建物は閉鎖されています』


「では、どこへ運ぶ」


『旧記録に不整合がある対象者は、臨時受付を経由して家族単位で再配置されます』


「再配置先は」


『照合終了前には指定されません』


「書類には、第二家族記録照合所と書いてある」


『照合機能の名称です。建物の名称ではありません』


 責任者が書類を見る。


 現在の書式へ差し込まれた、古い縦列承認欄。


 失効処理の終わっていない番号。


「誰がこの移送を承認した」


『承認者が確定していないため、照合へ回っています』


「ふざけるな」


『では、現地で停止しますか』


 責任者が黙った。


『停止する場合、親子分離状態と家族番号の欠落を現状のまま維持する判断になります』


「脅しか」


『責任の確認です』


 後続車両のクラクションが鳴った。


 検問の後ろへ、物資車両まで詰まり始めている。


 責任者は通信担当を見る。


「発信元は」


「旧地域保護局の末端番号です」


「現在の所属は」


「出ません。接続は成立しています」


 責任者はもう一度、通信機へ顔を近づけた。


「照会結果はいつ出る」


『旧記録です。即時回答はできません』


「それまで止める」


『停止責任者のお名前と所属をお願いします』


 責任者の顎が固くなる。


 誰も、死んだ制度の責任を自分の机へ持ち帰りたくない。


 アレクセイの番号は、書類を本物にしたわけではない。


 偽物だと判断した人間に、責任が移るようにしただけだった。


 責任者が通信機を返す。


「通せ」


 通信担当が顔を上げた。


「照会継続中と記録しろ。結果が出たら車列へ連絡する」


「了解しました」


 責任者が江藤へ書類を返す。


「照会は終わっていない」


「承知しました」


「移送先を変更する場合は報告しろ」


「はい」


 障害物が動かされる。


 第二車がゆっくりと前へ進んだ。


 投光器の白い光が窓を流れ、家族たちの顔を一人ずつ照らしていく。


 陽斗が江藤を見る。


「今度は出た?」


「まだです」


 江藤は窓の外へ消えていく検問を見る。


「でも、一つ越えました」


     *


 車列が検問から離れた直後、大庭から通信が入った。


『受付は閉めた』


 直樹が答える。


「三人は」


『撤収開始。中継車も動かした』


「記録は」


『国境第三にも学校にもつながってない』


「旧回線側は」


『照会履歴が残る可能性はある。追っても旧農業管理所までだ』


「十分だ」


『再照会には出ない』


「分かった」


『二度目で割れるぞ』


「その前に経路を外れる」


 通信が閉じる。


 旧農業管理所の端末は、再び沈黙する。


 敵が追っても、そこにいるのは使われなくなった機械だけだった。


 完全に証拠が消えたわけではない。


 古い部署へ照会した記録。


 検問責任者が聞いた声。


 旧式の承認系列。


 書類そのもの。


 それらは残る。


 ただ、国境第三や旧南第三へ直接つながる線はなかった。


     *


 検問から離れて二分。


 直樹の声が閉鎖回線へ入る。


『次の分岐で予定経路を外れる』


 高城が助手席から運転手を見る。


「次の右折で、保守道路へ入ってください」


 運転手が眉を寄せる。


「移送経路は直進だ」


「前方封鎖による迂回指示です」


「聞いてない」


「右へお願いします」


「誰の命令だ」


 車外から、イネスが運転席側へ近づいた。


「外部警備調整よ」


「またお前か」


「覚えていてくれたのね」


「直進する」


「そう」


 イネスは窓越しに微笑んだ。


「では、次の停車で交代ね」


 運転手の顔が強張る。


 高城が閉鎖回線へ報告する。


「主任教官、運転手が迂回を拒否しています」


『分岐直前で止めろ。無理に曲がらせるな』


「了解しました」


 その時、車列後方から長いクラクションが鳴った。


 一度。


 二度。


 施設側の通常合図ではない。


 停止命令だった。


 田所の声が回線へ入る。


『主任教官、後方車両が速度を上げています』


「距離は」


『約四百メートルです。検問側の車両と思われます』


 江藤は後部窓を見る。


 暗い道路の向こうから、強い前照灯が近づいてくる。


 大庭の声が入った。


『施設でも動きがあった』


「何が割れた」


『待機区画の警備員が、朝倉姉弟の顔に気づいた』


 江藤は結衣と海斗を見る。


 二人が身を寄せ合っている。


『別の再分類名簿で見た子どもだと報告した。第一車にいるはずの二人が、第二車に移されてる』


「それだけか」


『再照会をかけた』


 江藤の手が記録袋を強く握る。


 大庭隊は、すでに受付回線を切っている。


『旧照合所、応答なし』


 大庭が言った。


『子どもの車両変更。照会先の消失。こっちが正規経路を外れようとしてる。三つそろった』


 施設側の無線が、第二車の車内にも聞こえた。


『前方の臨時移送車列を停止させろ』


 運転手がブレーキへ足を移す。


 高城の手が伸び、その腕を押さえた。


「停止しないでください」


「命令が出た!」


「そのまま走ってください」


「お前たち、何をした」


 運転手がハンドルを切ろうとする。


 車体が揺れた。


 家族から短い悲鳴が上がる。


 イネスが外側から運転席の扉を開いた。


「交代よ」


「触るな!」


「あなたが止めると言ったから」


 運転手の腕がイネスへ向く。


 次の瞬間には、その手首がハンドルから外されていた。


 イネスが身体をひねり、運転手を助手席側へ押し込む。


 高城が座席を移る。


 車体が一度、道路の端へ寄った。


 荷台側から声が上がる。


 高城はすぐに車体を中央へ戻す。


「運転を引き継ぎました」


 閉鎖回線へ報告する声は、敬語を崩していない。


 直樹が答える。


『次の分岐を右だ』


「はい」


 江藤は記録袋を抱えた。


 十枚すべてに名前がある。


 名前を変えずに施設を出た。


 離されていた家族も、同じ車内にいる。


 だが、まだ帰ってはいない。


 前方に、保守道路へ入る分岐が見えた。


 後方から、追跡車両の光が迫る。


 偽装は終わった。


 ここから先は、残してきた帰り道そのものを使うしかなかった。

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