↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
184/299

第184話 門まで

## 第184話 門まで


 大庭が学校から持ち出す荷物は、昼前には玄関脇へそろっていた。


 私物を入れた濃緑色の鞄。


 制服の入った衣類袋。


 帰隊命令と医療確認書を収めた書類袋。


 それだけだった。


 銃器や防弾装備、軍用通信機は学校へ持ち込まれていない。国境第三の保管庫へ預けたままになっている。


 大庭は書類袋を開き、帰隊命令と医療確認書を見比べた。


「何回目ですか」


 玄関脇の机で運行記録を書いていた健二が聞いた。


「二回目」


「さっき三回目って言ってませんでした?」


「二回目の確認を二回した」


「兄ちゃんより面倒ですね」


「マッシーと一緒にすんな。俺は愛想がある」


 健二は返事をせず、車両使用記録へ印を押した。


「外部連絡所の車は、正門の外で待っています。学校側の車両は使いません」


「分かってる」


「通行証は?」


「ある」


「身分証」


「ある」


「医療確認書」


「ここ」


「写真」


 大庭の手が止まった。


「そこまで確認する?」


「忘れたら取りに戻るでしょう」


「戻る理由になるな」


「帰隊期限に遅れる理由にはなりません」


 大庭は上着の内側へ手を入れた。


 透明な袋に入れた写真を、指先だけ外へ出す。


 海の展望台で撮った二枚目。


 四人全員が正面を向いている。


 靴先まで写り、誰も画面の端から切れていなかった。


「持った」


「書類袋には入れないんですね」


「命令書と一緒にしたくない」


 健二は理由を聞かなかった。


 玄関の外から、子どもたちの足音が近づいてくる。


「誰が呼んだ」


 大庭が書類袋を閉じた。


「誰も呼んでません」


「止めなくていいの?」


「止まりませんよ」


 最初に蓮が玄関へ入ってきた。


 後ろから悠斗、美月、ほかの子どもたちが続く。


 ハルも一緒だった。


「本当に行くの?」


 蓮が大庭の鞄を見る。


「帰隊する」


「いつ戻る?」


「命令次第」


「分かんないってこと?」


「そういうこと」


「戻るって言えよ」


 大庭は書類袋を鞄へ入れた。


「言って戻れなかったら、お前が怒るだろ」


「言わなくても怒る」


「どっちでも怒るのかよ」


「当たり前だろ」


 悠斗が蓮の肩へ手を置いた。


「部隊に戻るだけなんだろ」


「今はな」


「戦いに行くの?」


 美月が聞いた。


 玄関の音が止まった。


 大庭は美月を見る。


「戻って待機しろって命令だ」


「その後は?」


「まだ分からない」


「危ない?」


「危なくないとは言えない」


 大庭はしゃがまなかった。


 立ったまま、目線だけを美月へ合わせる。


「でも、俺一人じゃない。向こうには部下がいる」


「大庭さんが守るの?」


「守る時もある」


「大庭さんも守られる?」


 大庭は少し黙った。


「ああ」


「誰に?」


「部下に」


 美月が首を傾ける。


「部下なのに?」


「部下だからだ」


 大庭は鞄の肩紐を直した。


「そのために、休ませたり、病院へ行かせたりしてきた」


 美月はゆっくり頷いた。


 蓮はまだ鞄を見ている。


「土産は?」


「帰ってくるか分からないって話をしてたよな?」


「帰ってきた時の話」


「要求だけは早いな」


「魚じゃなくていい」


「検討する」


「約束?」


「検討だ」


「ずるい」


「大人の言葉だ」


 ハルが子どもたちの後ろから言った。


「車が来る前に外へ出よう。玄関をふさいでる」


「邪魔じゃねえよ」


 大庭は言ったが、足元には荷物が並んでいる。


 ハルが子どもたちを校庭へ促した。


 蓮だけは残った。


「大庭さん」


「何だ」


 蓮はポケットから、小さく折った紙を出した。


「これ」


「何が書いてある」


「向こうで見ろ」


「今見たら駄目?」


「駄目」


「命令?」


「そう」


「お前、階級は?」


「蓮」


「知ってる」


「じゃあ守れよ」


 大庭は紙を受け取った。


 開かずに、写真とは反対側の内ポケットへ入れる。


「向こうに着いてから見る」


「捨てるなよ」


「捨てねえよ」


 蓮は内ポケットに入ったことを確認し、ようやく外へ出た。


     *


 午前十一時二十八分。


 外部連絡所から来た無標識の連絡車が、学校の正門より外側に停まった。


 大庭の荷物は、健二と運転担当者が門の外で積み込んだ。


 校庭側には子どもたちが集まっている。


 整列させたわけではない。


 見送りたい者が、自然にそこへ残った。


 めぐみは美月の隣にいる。


 ミーシャは少し後ろに立っていた。


 首には、直樹から渡されたアフガンスカーフが巻かれている。


 大庭の視線が布へ止まった。


「それ、なくすなよ」


 ミーシャがスカーフを押さえる。


「車輪へ巻き込まないよう、NAOにも言われました」


「そういう意味だけじゃない」


「ほかに、どのような意味がありますか」


「俺に聞くな」


 大庭は直樹を見る。


「渡した本人に聞け。まあ、本人も分かってねえだろうけど」


「何がだ」


 直樹が聞く。


「ほらな」


 大庭はそれ以上説明しなかった。


 ミーシャは直樹を見る。


 直樹は本当に意味が分からない顔をしている。


 健二が運転担当者へ書類を渡した。


「学校側の通行記録です。帰着先で受領印をお願いします」


「了解しました」


「体調に異変があれば、指定された医療拠点へ寄ってください」


「俺は自分で言える」


 大庭が横から口を挟む。


「体調を軽く申告する前歴があるので」


「前歴って言うなよ」


「書類に残っています」


「消せない?」


「消しません」


 健二は控えをファイルへ戻した。


「準備は終わりです」


「追い出されるみたいだな」


「午後二時までに帰着でしょう」


「現実的だね、健二さんは」


「遅れたら大庭さんが困るでしょう」


「心配してくれてる?」


「管理しています」


「兄弟そろって便利な言葉を持ってるな」


 直樹が大庭の前へ立つ。


「部下の状態が分かったら連絡しろ」


「回線が生きてたらな」


「別経路でも入れろ」


「人には簡単に言うよな」


「大庭ならできる」


 大庭が少し眉を上げる。


「それ、褒めてる?」


「事実だ」


「便利だな、その言葉」


 直樹は大庭の鞄を見る。


「戻れ」


「帰隊するって言ってんだろ」


「学校にも」


 大庭の顔から、軽さが少し消えた。


「命令が終わったらな」


「ああ」


 大庭が右手を出した。


 直樹が握る。


 大庭は一度強く引き、肩をぶつけた。


「じゃあな」


「ああ」


 二人は手を離した。


 めぐみが大庭の前へ出る。


「昨日、海へ連れていってくれてありがとうございました」


「礼はマッシーに払わせます」


「本当に払いますよ」


「そこが困るんですよね」


 めぐみは少し笑う。


「気をつけて」


「宮崎さんも」


「私は学校にいます」


「だからです」


 大庭の視線が一瞬だけ直樹へ動いた。


 めぐみは問い返さなかった。


「分かりました」


 ミーシャが前へ出る。


「帰着後、連絡可能な時刻を共有してください」


「別れ際まで業務かよ」


「必要です」


「分かった」


「部下の状態も」


「分かったって」


「アレクセイ側の情報が入った場合は――」


 直樹がミーシャの肩へ手を置いた。


「今はそこまでだ」


 ミーシャが直樹を見る。


「しかし」


「大庭は帰る」


 肩に置かれた手は強くなかった。


 それでもミーシャは言葉を止める。


「了解しました」


 めぐみの視線が、直樹の手へ一度だけ落ちた。


 大庭は三人を見る。


「お前ら、本当に面倒だな」


「誰がですか」


「全員」


 ミーシャがわずかに眉を寄せる。


 大庭は笑い、連絡車へ向かった。


     *


 連絡車が動き始めても、子どもたちは声を上げなかった。


 蓮だけが腕を高く上げている。


 大庭が助手席の窓を開けた。


「紙、向こうで見るからな!」


「捨てるなよ!」


「分かってる!」


「土産!」


「検討する!」


「約束しろ!」


 車は正門の前を離れ、坂を下っていく。


 大庭は窓から腕を出し、一度だけ振った。


 車両が角を曲がる。


 エンジン音が小さくなり、やがて消えた。


 誰もすぐには動かなかった。


 直樹は道路を見たまま立っている。


 めぐみが隣へ並んだ。


「行ったね」


「ああ」


「寂しい?」


 直樹はしばらく考えた。


「まだ分からない」


 めぐみは、それ以上聞かなかった。


 ミーシャはスカーフを押さえたまま、車が消えた場所を見ている。


 ハルは子どもたちの顔を一人ずつ確認した。


 美月はめぐみの袖をつかんでいる。


 蓮はまだ腕を下ろしていない。


 悠斗はその隣に立っていた。


「中へ戻ろう」


 ハルが言った。


「昼の準備がある」


「今すぐ?」


 蓮が聞く。


「大庭さんも、向こうで昼を食べるでしょう」


「関係ないじゃん」


「こっちはこっちで食べる」


 ハルが校舎へ向かう。


 子どもたちは少しずつ後へ続いた。


 最後まで道路を見ていた蓮も、悠斗に肩を押されて歩き出した。


     *


 大庭がいなくなっても、学校の予定は変わらなかった。


 昼食。


 午後の学習。


 水タンクの確認。


 壊れた椅子の修理。


 翌日の食料受領。


 健二は事務室へ戻り、机の上へ書類を広げた。


 大庭の通行記録。


 燃料使用量。


 帰隊命令の写し。


 受領印が戻るまで、処理は終わらない。


 ハルが事務室の前で止まった。


「健二さん」


「何?」


「昼です」


「先に食べて」


「もう食べました」


「じゃあ、片づけていいよ」


「健二さんの分が残っています」


「後で食べるけん」


 ハルは部屋へ入った。


 朝から置かれた茶は冷え、表面に薄い膜ができている。


「後では、いつですか」


「これが終わってから」


「どれですか」


 健二は机全体を見た。


「今日中の分」


 ハルは一番上の燃料記録を取る。


「これは終わっています」


「確認が残ってる」


「私が再計算しました」


 健二が顔を上げる。


「いつ?」


「子どもたちが昼を食べている間です」


「できたの?」


「先月の記録と、健二さんが残していた計算例を見ました。転記と再計算だけです」


 ハルは書類を机へ置く。


「違っていれば、やり直してください」


 健二が数字を追う。


 走行距離。


 燃料使用量。


 予備分。


「合ってる」


「では、食べてください」


「でも、まだ――」


「大庭さんは帰りました」


 ハルの声が少し低くなる。


「健二さんまで、いなくならないでください」


 健二の手が止まった。


「いなくならないよ」


「食べない人も、眠らない人も、急に倒れます」


「昨日は寝た」


「何時間ですか」


 健二は答えなかった。


 ハルは机の端に積まれた書類をそろえる。


「食堂へ行きます」


「ハルは食べたんだろ」


「見ています」


「何を」


「健二さんが食べるところを」


「子どもじゃないよ」


「知っています」


 ハルは事務室を出た。


 健二は冷えた茶と、燃料記録を見比べた。


 ペンを机へ置く。


     *


 食堂には、健二の膳だけが残されていた。


 米は少し乾き始めている。


 汁物には蓋がしてあった。


 ハルが向かい側へ座る。


 健二は椅子を引いた。


「本当に見るの?」


「はい」


「見られとると食べにくい」


「では、窓を見ています」


 ハルは外へ顔を向けた。


 健二が箸を取る。


 一口食べる。


「噛んでください」


「見てないだろ」


「音で分かります」


「兄ちゃんみたいなこと言うね」


「嫌ですか」


「そうじゃない」


 健二は、今度はゆっくり噛んだ。


 窓の外では、子どもたちが、大庭の車が消えた道とは反対側で遊んでいる。


「大庭さん、戻ると思いますか」


 健二が聞いた。


「分かりません」


「そう言うと思った」


「戻ると言えば、安心しますか」


「嘘なら、いらない」


「では、分からないままでいいです」


 健二は汁物の蓋を外した。


「ハルは平気?」


「平気ではありません」


 ハルは窓から健二へ顔を戻した。


「子どもたちが寝てから、たぶん落ち込みます」


「一人で?」


「そのつもりでした」


「ここで話していいよ」


「食べながらですか」


「食べ終わってから」


 ハルは少し黙った。


「先に食べてください」


「分かった」


 健二は膳へ向き直る。


 ハルは席を立たなかった。


 食事が終わると、健二は空になった椀へ蓋を戻した。


 ハルは事務室から持ってきた燃料記録を、卓上へ広げる。


「受領印が戻ったら、次はここを確認します」


「ハルが?」


「はい」


「ほかの仕事もあるだろ」


「私も残っていますから」


 健二は書類を見た。


 自分の側に置かれていた紙を、ハルの方へ半分だけ押し戻した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。