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第百二十話 最後尾、残っています

## 第百二十話 最後尾、残っています


現地行動の適性確認は、聖マリア病院のリハビリ室で行われた。


真柴直樹の右手首には、硬い装具が巻かれている。


その上から、黒いバンテージが重ねられていた。


理学療法士が、太いゴム製の棒を差し出す。


直樹は右手を開いた。


親指。


人差し指。


中指。


五本の指が、別々の速さで動く。


柄を掌へ入れた。


握る。


指が、一つの塊のように閉じた。


「保持」


理学療法士が棒の反対側を引いた。


直樹は右肘を身体へ寄せる。


肩を下げる。


柄を胸郭へ押しつけた。


足が一歩、後ろへ滑る。


握りは外れない。


引く方向が変わる。


直樹は腰を落とした。


指先ではなく、肩と肘と背中で棒を固定する。


「押してください」


直樹は腕を伸ばさなかった。


右足を踏み込む。


腰から前へ押す。


理学療法士が受け止める。


「終了」


直樹は力を抜いた。


右手だけが、棒を握ったままだった。


「放してください」


「やっています」


左手で右の親指を押す。


人差し指。


中指。


薬指。


一本ずつ開く。


棒が床へ落ちた。


直樹の右手は、何もない空間を握ったまま止まっていた。


医師が記録へ書く。


> 粗大保持 可

> 体幹固定 可

> 押し引き 可

> 短時間衝撃耐性 条件付き

> 巧緻動作 不可

> 随意解放 遅延


「握れる」


医師が言う。


「押せる。引ける。身体へ固定できる」


直樹は、開ききらない右手を見る。


「だが、放せない」


「遅れるだけです」


「その遅れで、人間を押さえ続けたらどうなる」


直樹は答えなかった。


医師が記録を閉じる。


「病院で確認するのは、ここまでだ」


「射撃は」


「射撃場で行う」


     *


翌日の午後。


陸上自衛隊藤山射撃場。


法面の土へ、乾いた発射音が残っていた。


標的を動かす金属音。


弾薬箱の蓋が閉じる音。


風に流される火薬の匂い。


直樹は、借り物の迷彩服を着ていた。


新品ではない。


誰かが長く着ていた服だった。


胸の氏名章は外されている。


階級章もない。


肩の部隊ワッペンも剥がされていた。


だが、何もなかったわけではない。


日焼けしていない長方形。


針を何度も通した穴。


徽章の輪郭だけが、布の上に残っている。


ブーツも誰かのお古だった。


踵が、わずかに広い。


靴紐を強く締めると、ようやく足へついてきた。


射撃台には、八九式小銃が置かれている。


折曲銃床式。


直樹は左手で八九を取った。


銃床を展開する。


射撃教官が訊いた。


「小銃、保持できるか」


「脇で固定します」


「右手で細かな操作をするな」


「はい」


「弾倉交換と故障排除は渡せ」


「はい」


直樹は八九を持ち上げた。


銃床を右脇と胸郭の間へ押し込む。


左手で保持する。


右前腕は、小銃を身体へ固定するためだけに使った。


照準がわずかに揺れた。


足の位置を変える。


揺れが減る。


「三発」


射撃教官が言う。


「止めると言ったら止めろ」


直樹は息を吐いた。


一発。


反動が右手首へ入る。


間を置く。


二発目。


痺れが前腕へ上がる。


三発目。


銃口がわずかに左へ流れた。


直樹は引き金から指を離す。


「終了」


八九を下ろした。


射撃教官が右手を見る。


「数値」


「六」


「開けるか」


直樹は右手を開こうとした。


中指と薬指が動かない。


左手を使う。


一本ずつ、八九から外した。


射撃教官が標的を見る。


「撃てる」


直樹は答えない。


「だが、一人では回せない」


「できない作業は渡します」


射撃教官は、直樹の胸を見る。


名前のない迷彩服。


階級も所属もない。


残っているのは、別の人間がそこにいた跡だけだった。


「それを忘れるな」


     *


作戦前日の朝。


宮崎めぐみは、直樹の右手首へバンテージを巻いていた。


手首。


掌の付け根。


親指の外側。


もう一度、手首。


医療者から教わった順番どおりだった。


巻き終える。


指先を押す。


色が戻るまでの時間を見る。


直樹が右手を握った。


「きつい」


めぐみは一周分を解いた。


巻き直す。


もう一度、指先を見る。


中指と薬指は、開くのが遅い。


めぐみは記録板へ書いた。


> 戦える手にしないで。


直樹は文字を見る。


その下へ、めぐみが続けた。


> 帰ってくる手にして。


「そのために使う」


めぐみは首を振る。


> 一人で決めない。


「変わったら連絡する」


> 痛みも。


「言う」


> 帰る時間も。


「言う」


> 怖くなった時も。


直樹の目が止まった。


「それも必要か」


めぐみは大きく書く。


> 必要。


直樹は返事をしなかった。


めぐみが立ち上がる。


徽章を外した跡が残る迷彩服。


名前のない胸へ、額を当てた。


直樹の呼吸を確かめるように、しばらく動かない。


直樹の左手が上がる。


めぐみの背中へ置かれた。


強く抱かない。


引き寄せない。


ただ、掌を置いた。


「戻る」


直樹が言う。


めぐみは額を当てたまま、短く声を出した。


「うん」


     *


直樹と末安えりは、医療輸送車で久留米を出た。


熊本側の航空輸送拠点まで陸路。


そこから東部方面へ向かう、定期連絡輸送便へ乗る。


旧川端公民館のために用意された機体ではない。


医薬品。


通信部品。


交代要員。


行政文書。


補給品の隙間に、二人分の座席が割り当てられていた。


固定翼輸送機が東へ飛ぶ。


着陸後、無標識の医療車へ乗り換えた。


丹沢。


道志。


富士東麓。


道路は、古い境界線に沿って曲がっている。


夕方。


旧南第三側の前方医療区画へ到着した。


直樹は、そのまま出動しなかった。


簡易寝台へ横になる。


えりが右手の腫れを測った。


「痺れ」


「四」


「痛み」


「三」


「睡眠」


「これから」


「寝なかったら、私が寝かせる」


聖マリア病院との保全回線がつながる。


表示板に、めぐみの文字が届いた。


> ちゃんと寝て。


「寝る」


えりが横から画面を見る。


「今から確認する」


めぐみの文字が変わる。


> お願いします。


「任された」


えりは折り畳み椅子へ座った。


直樹が目を閉じるまで、回線を切らなかった。


     *


翌朝。


旧川端公民館の河川側。


直樹は、無標識の保守車両から降りた。


誰かのお古の迷彩服。


誰かの足に馴染んだブーツ。


右手首の装具。


胸へ固定した八九。


背中にはバール。


腰には短い警棒。


第百十七話で運び込まれた鳥型無人機と中継機材は、すでに旧南第三側へ前進配置されていた。


富士川の久世が、骨伝導回線へ入る。


『現地時間、〇六四二』


「受信」


『外周監視は別系統が入る』


「所属は」


『必要になれば分かる』


直樹はそれ以上訊かなかった。


救出班は六人。


技術員二名。


救護員二名。


後方警戒員一名。


直樹。


甲機は地下の通信管へ入る。


乙機は保守通路へ先行する。


聖マリア病院では、めぐみが直樹の状態表示を見ていた。


前方医療区画では、えりが作戦記録と帰投条件を管理する。


予定されている現場行動は九十分。


痺れが七へ達した時点で、離脱。


精密作業は禁止。


拘束と救護は、他の隊員へ渡す。


久世が言う。


『できない作業は』


「渡します」


『自分しかいないと』


「決めません」


『始めろ』


     *


技術員が、仮設換気管を外壁へつないだ。


太い蛇腹管。


臨時電源。


逆流防止弁。


運転灯が緑へ変わる。


地下映像の男は、まだ踏み板を押していた。


灰色の作業服。


白い番号札。


左足の添え木。


赤い照会灯は二十分ごとに点く。


男はそのたび、設備が正常に動いているという信号だけを返していた。


一人目の技術員が、警報線へ試験信号を入れる。


二人目が、電磁錠の経路を探る。


『西側道路、車両二』


知らない男の声が、別回線へ入った。


直樹が顔を上げる。


「距離」


『九百。接近中』


声は軽い。


報告だけが短かった。


久世が外部照会記録を見る。


『予定より早い』


技術員が言う。


「こちらは照会に失敗していません」


『前回の負荷変動を拾った可能性がある』


久世の声が低くなる。


『管理側が確認を前倒しした』


別回線の声が続く。


『一台目、四名。二台目、少なくとも三』


直樹は技術員を見る。


「警報線」


「あと四分」


「電磁錠」


「その後です」


「撤収した場合」


「仮設換気を切ることになります」


地下映像では、男の踵が踏み板を押していた。


直樹が言う。


「続ける」


久世が返す。


『接触は避けろ』


「避けられなければ止めます」


『制圧できるのか』


直樹は右手を見る。


「今は、行動不能にするだけです」


短い沈黙。


『今のお前は制圧じゃない』


「はい」


『停止だ』


     *


管理側の車両が、公民館の西側で止まった。


灰色の作業服。


軽い防護具。


短い銃器。


直樹と後方警戒員が、地下入口から離れる。


一人目が建物の角を回った。


直樹の迷彩服を見る。


胸の縫い跡を見る。


八九を見る。


男の手が腰へ動く。


「止まれ」


男は止まらなかった。


直樹が前へ出る。


距離が消えた。


右手で手首を取らない。


指を外さない。


関節へ細かく入らない。


以前より、足だけが速かった。


左足が斜めへ入る。


右足が、その内側を通る。


左前腕で武器腕を外へ流す。


次の足が、もう相手の後ろにある。


肘。


男の胸が潰れる。


半歩。


肩。


身体が壁へ運ばれる。


膝。


脚から力が抜けた。


三つの動作が、一つに見えた。


直樹は倒れた男を支えない。


後方警戒員へ渡す。


「拘束」


二人目が銃を上げた。


直樹は八九を右脇へ押し込む。


左手で銃口を合わせた。


二発。


音は、ほとんど重なった。


最初の弾が腹部へ入る。


その反動を殺さず、銃口が上へ移る。


二発目が顔の中央へ入った。


男の身体は、二つの衝撃に遅れて折れた。


頭が後ろへ跳ねる。


倒れる。


直樹は撃ち続けなかった。


三人目が横から入る。


直樹は八九を下ろす。


相手の警棒が上がる。


直樹の足が先に動いた。


外。


内。


半歩。


リーチの短さを、足の速さで消す。


肘が顎へ入る。


視線が上へ外れた。


直樹は腰を落とす。


肩を腹へ入れる。


身体ごと地面へ落とした。


相手の腕は取らない。


胸郭へ膝を置く。


体重を乗せる。


抵抗が止まった。


それでも、直樹の身体はすぐには軽くならない。


『真柴、離れろ』


久世の声。


直樹は膝を外す。


後方警戒員が交代した。


『速くなったんじゃない』


久世が言う。


『手順が減っただけだ』


直樹は息を整える。


「止まっています」


『だから故障中だと言ってる』


     *


警報線が仮回路へ入った。


電磁錠が外れる。


直樹は地下へ戻った。


バールを取る。


太い柄を右手へ入れる。


指が閉じる。


左手を上から重ねた。


鉄扉の隙間へ先端を入れる。


肩。


肘。


腰。


体重を乗せる。


金属が軋んだ。


もう一度。


扉が開く。


狭い保守通路。


古いケーブル。


錆びた工具。


空の水容器。


乙機が壁際で待っていた。


その奥に、男がいる。


灰色の作業服。


白い番号札。


左足の添え木。


踵は踏み板を押していた。


無人機の駆動音を聞いた瞬間、男の肩が固くなる。


腕で頭を覆おうとする。


だが、途中までしか上がらない。


直樹は入口で止まった。


男は、直樹の顔を見ていなかった。


迷彩服。


徽章を外した跡。


胸へ固定された八九。


折曲銃床。


短く調整された負い紐。


男の唇が動く。


「八九……」


声は、ほとんど空気だった。


直樹は銃口を下げる。


男の目が、八九から鳥型機へ移る。


閉じた翼。


光学センサー。


細い通信線。


男の呼吸が速くなった。


「前も」


声が切れる。


「その音の後だった」


男は、もう一度頭を守ろうとした。


「誰も、立ってなかった」


直樹は無人機と男の間へ入る。


「今回は違います」


男が迷彩服を見る。


胸の縫い跡を見る。


「自衛官か」


「限定任用です」


視線が、直樹の右手へ移る。


装具。


バンテージ。


開ききらない指。


「空挺か」


「違います」


直樹は男の前へ進んだ。


「交代に来ました」


男の踵は、踏み板を押したままだった。


「離せば止まる」


「仮設換気は動いています」


「照会が来る」


「迂回しました」


「扉の向こうが」


「確認します」


男は白い番号札を持ち上げた。


> 保守要員

> 17


「保守要員、十七」


直樹は番号札を見なかった。


「番号は聞いていません」


男の目が動く。


直樹は、その隣へ入った。


八九を胸へ吊る。


自分のブーツを、踏み板の端へ置く。


体重を乗せた。


男の踵と、直樹の靴が同じ板を押す。


換気扇は回り続けている。


「最後尾、交代」


男の足は動かなかった。


直樹が、もう一度言う。


「交代です」


男は直樹の迷彩服を見る。


誰かの徽章を剥がした跡。


脇へ固定された八九。


壁際で待つ鳥型機。


以前は人を探し、追い、殺すために飛んできた目。


今は、外まで帰る線をつないでいる。


男の唇が震えた。


「最後尾」


息を継ぐ。


「残っています」


直樹は答える。


「確認した」


男の踵は、まだ踏み板から離れない。


直樹は左手で男の肩へ触れた。


「もう残らなくていい」


男の踵が、少しずつ板から離れる。


直樹のブーツだけが、踏み板を押していた。


換気扇は止まらない。


技術員が保守通路へ入る。


踏み板の根元へ、金属製の固定具を差し込んだ。


留め具を回す。


直樹にはできない作業だった。


「機械保持、入ります」


技術員が固定具を締める。


「保持」


直樹が、自分の足を上げた。


換気扇は回り続けている。


誰の足も、踏み板を押していなかった。


男の身体から力が抜ける。


救護員が両脇を支えた。


男は八九へ手を伸ばす。


届かない。


その手が途中で落ちる。


「懐かしいな」


直樹は八九を胸へ寄せる。


「歩けますか」


男が笑おうとした。


「話を聞かない奴だ」


「歩けますか」


「無理だ」


「搬送します」


「それでいい」


     *


救護員が男を搬送具へ移した。


左足を固定する。


酸素をつなぐ。


白い番号札は外さない。


作業服の内側にある、片方を切られた空挺徽章にも触れない。


本人が話すまで待つ。


直樹は、もう一枚の鉄扉を見る。


男が守っていた奥。


「確認します」


久世が答える。


『二分』


技術員が警報線を調べる。


「独立線なし」


電磁錠を外す。


直樹は扉を押した。


奥には、人はいなかった。


古い寝台が三つ。


空になった配給容器。


畳まれた作業服。


壁際には、切り取られた名札が並べられている。


送信されなかった通信文。


紙の端には、同じ文章が何度も書かれていた。


> 換気継続

> 最後に出る者が停止


一番下の行だけ、筆圧が違う。


> 最後尾、残っています


直樹は室内を見る。


一人分の部屋ではなかった。


床には、複数の古い足跡。


扉の反対側には、外へ続く搬送痕。


先に出た者がいる。


運ばれた者がいる。


戻らなかった者がいる。


最後に男だけが残った。


理由は、まだ聞かない。


直樹は通信文を保全袋へ入れた。


細い留め具には触れない。


袋を技術員へ渡す。


「封印してください」


技術員が受け取る。


久世が言った。


『確認終了』


直樹は、搬送具の男を見る。


「出します」


     *


救護員が搬送具を押す。


直樹が先頭へ出る。


公民館の裏から、河川側の路地へ入った。


幅は、人が二人通れる程度。


前方に一人。


直樹は八九を上げる。


相手も銃を構えた。


直樹が先に撃つ。


二発が、一つの音に重なった。


男の身体が崩れる。


その瞬間。


直樹の真横。


割れた窓の奥から、別の銃口が出た。


直樹は前を見ている。


窓の男の指が、引き金へ入る。


男の身体が、突然のけぞった。


窓枠へ背中を打つ。


銃が手から落ちる。


遅れて、遠くから一発の音が届いた。


別回線へ、軽い声が入る。


『香典代は今ので浮いた!』


直樹が屋根の向こうを見る。


『復帰祝いは強制参加だ、マッシー!』


直樹の足が一度止まった。


「帰ったのか」


『お前よりは先にな』


声が笑う。


すぐに調子が変わった。


『右、二枚目の窓』


直樹が視線を移す。


別の人影が銃を上げる。


その頭上の壁が砕けた。


人影が奥へ引っ込む。


「大庭」


『感動の再会は後だ』


大庭航平が言う。


『走れ。最後尾を帰すぞ』


直樹は搬送具の横へ戻った。


「前進」


救護員が押す。


大庭の弾が、直樹には見えない角を先に塞ぐ。


直樹の足が、その間を縫った。


     *


河川側の回収地点へ着く。


救護員が、男を救急車へ乗せる。


直樹の右手は、バールの柄を握ったまま開かなかった。


長い銃を背中へ回した男が、建物の陰から走ってくる。


伸びた髪。


薄い顎髭。


北側の泥が残る上着。


大庭だった。


直樹の顔を見る。


胸の八九を見る。


最後に、右手を見る。


笑いが消えた。


「マッシー。離せ」


「離してる」


「離せてない」


大庭がバールを支える。


直樹の右親指へ手を掛けた。


一本ずつ開く。


親指。


人差し指。


中指。


薬指。


最後に小指。


バールが大庭の手へ移る。


直樹の右手は、何もない空間を握ったままだった。


「その手、いつからだ」


「外海から戻った後」


「何が戻った」


「握るところまで」


大庭は装具を見る。


「離すところは」


直樹は答えない。


「故障中か」


「動く」


「それを故障中って言うんだよ」


大庭が八九を見る。


「懐かしいの持ってるな」


「現場の借り物だ」


「服もか」


直樹の胸を見る。


外された氏名章。


階級章。


部隊ワッペンの縫い跡。


「似合ってるとは言いにくいな」


「言わなくていい」


大庭は少し笑った。


「妖精さんに怒られるぞ」


「もう怒ってる」


「本当にいるのか」


「いる」


「空想じゃなく?」


「最初からいる」


大庭は、それ以上訊かなかった。


     *


救急車の中。


地下の男は、酸素マスクをつけていた。


灰色の作業服。


白い番号札。


内側に隠れた、片方を切られた空挺徽章。


救護員が訊く。


「名前を言えますか」


男の指が番号札へ触れた。


保守要員十七。


文字をなぞる。


直樹は開いた後部扉の前に立っていた。


「今でなくていい」


男の指が止まる。


番号札から手を離した。


「本当に」


掠れた声が漏れる。


「交代したのか」


「交代した」


「換気は」


「人が押さなくても動いています」


男は目を閉じる。


救急車の換気口から、新しい空気が入った。


外では、鳥型機が翼を閉じてケースへ戻されている。


男が最後に言った。


「最後尾、引き継ぎました」


直樹が答える。


「受領しました」


救急車の扉が閉まった。


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