↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
118/312

第百十八話 三度目は人

##第百十八話 三度目は人


旧南第三の裏門が開いたのは、午前五時四十分だった。


校舎側の子どもたちは、まだ眠っている。


資材庫の前には、相原の通信要員が二人。


富士川から来た整備員が一人。


健二は少し離れた場所で、入室記録簿を持っていた。


扉の封印が切られる。


一つ目の黒いケースが開いた。


内側の緩衝材に、小さな鳥型機が収まっている。


翼を閉じた姿は、濡れた烏に見えた。


目に当たる部分には、二つの光学センサー。


腹部には熱源感知器。


胸元には音響収集器。


脚の先には、配管や梁へ止まるための細い鉤がついている。


武装はない。


二つ目のケースには予備機。


細長い箱には交換翼。


その横へ、中継器と臨時有線が並べられた。


整備員が封印番号を読み上げる。


通信要員が照合する。


「一致」


健二は受領欄へ署名しなかった。


機体の管理責任は、旧南第三ではなく国境第三側にある。


健二が確認するのは、学校の敷地へ何が入り、誰が出入りしたかだけだった。


「子どもたちが起き出す前に、ここから出しますか」


健二が訊く。


「はい」


通信要員が答える。


「ここでは展開確認だけです。発進地点は河川側へ移します」


「公民館の近く?」


「機体も車も、近くには置きません」


健二は相手の顔を見る。


「離れた場所から届くんですか」


「相原の通信班が、夜明け前に中継器を配置しています」


「見つけられたら」


「第三中継以降を切ります。回収は作戦終了後です」


旧南第三までたどれる線は残さない。


健二は資材庫の奥を見る。


機体の認証板には、一人の名前が表示されていた。


> 使用者

> 真柴直樹


「兄ちゃんは、そこから動かさないでください」


通信要員は答えなかった。


その条件を受けるのは、自分ではないからだった。


健二は入室記録簿を閉じた。


「答えないなら、あとで直接言います」


     *


河川側の発進地点には、古い保守車両が一台停められていた。


車体に部隊名はない。


荷室の中へ、操作中継器と予備電源が固定されている。


公民館までは、川沿いに約一・八キロ。


直接見通せる位置ではない。


木立。


堤防。


壊れた倉庫。


倒れた電柱。


相原の通信要員は、それらに紛れさせて三つの中継器を置いていた。


一つ目は、発進地点。


二つ目は、河川管理用の古い監視塔。


三つ目は、公民館から二百メートル離れた排水設備の裏側。


最後の区間だけが不安定になる。


公民館の地下へ入れば、さらに悪くなる。


金属配管。


補強壁。


地下水。


後から増設された設備。


何が電波を遮るか、現存する図面だけでは分からなかった。


整備員が鳥型機を両手で持ち上げる。


翼はまだ閉じている。


「現地展開、完了」


通信要員が報告した。


回線は国境第三へ。


そこから健軍駐屯地地下の基幹中枢へ。


健軍から、久留米の聖マリア病院と富士川混成大隊へ分かれる。


三つの場所がつながった。


河川側の機体。


病室の操縦者。


富士川の通信統制者。


まだ、誰も機体を飛ばしていない。


     *


聖マリア病院の病室では、末安えりが接続記録を確認していた。


宮崎めぐみは、ベッドの端へ座っている。


喉元には薄い保護布。


手の届く位置に、赤い蓋のついた遮断スイッチが置かれていた。


真柴直樹は、椅子へ座っている。


右手は固定具の中にある。


昨日より薄い装具へ変わっていたが、指先の動きはまだ鈍い。


左手には操作グリップ。


足元にはペダル。


目の前には、展開された折り畳み式表示装置。


画面は黒い。


直樹が共有を選ばない限り、めぐみとえりには何も見えない。


えりが訊く。


「痛み」


「四」


「痺れ」


「五」


「握った後は」


「六まで上がります」


「昨日は言わなかったな」


「訊かれていません」


えりは記録板へ数字を書く。


「言い訳する元気はある」


直樹は答えなかった。


めぐみが自分の記録板へ書いた。


> 今日は右手、使わないで。


直樹は読む。


「補助入力には必要です」


めぐみの眉が寄った。


さらに書く。


> 必要と、使いたいは別。


直樹は、その文字を少し長く見た。


右手を感圧パッドから外す。


膝の上へ置いた。


「主操作には使わない」


めぐみは頷いた。


えりが言う。


「今のは記録する」


「何をですか」


「人の話を聞いたこと」


「任務記録に必要ありません」


「珍しいから残す」


直樹はゴーグルを取った。


骨伝導受信器を頬へ固定する。


喉元へ接触型送話器を当てた。


視界を閉じる。


暗闇の中へ、接続表示が浮かぶ。


> 使用者

> 真柴直樹


> 通信統制

> 久世真央 一等陸尉


> 現地機体

> FJ―七一九―甲


> 接続状態

> 待機


富士川から、久世の声が届いた。


『真柴』


「はい」


『今日は訓練じゃない』


「分かっています」


『分かっているなら、先に帰路を出せ』


直樹は、ゴーグル内の地図を開いた。


発進地点。


第一中継器。


第二中継器。


第三中継器。


公民館河川側。


外壁。


排水管。


古い通信管。


順番に線をつなぐ。


「帰路、設定」


『機体を失う地点は』


「第三中継器より先」


『違う』


直樹の目が止まる。


『失っていい地点を聞いたんじゃない』


久世の声は乾いている。


『止める地点を聞いた』


直樹は地図を戻した。


公民館の外壁。


排水管入口。


通信管分岐。


三か所へ停止点を置く。


「設定しました」


『始める』


     *


河川側で、整備員が鳥型機を掲げた。


翼が開く。


小さな駆動音。


機体が両手から離れた。


低く浮く。


一度、右へ流れる。


すぐに姿勢を戻した。


直樹のゴーグルへ、河川の景色が入る。


曇った空。


草の濡れた堤防。


錆びた監視塔。


倒れた電柱。


視線を向けた方向へ、機体が首を振る。


直樹は高度を上げない。


地面から二メートルほどを保ち、木立の陰へ入れる。


『第一中継、安定』


久世が言う。


『映像遅延、〇・二』


「継続」


『風、河川側から東』


直樹は機体の翼角を変えた。


『補正を入れすぎるな』


「機体が押されています」


『押されているのは見えてる』


久世は一拍置く。


『戻る時の電力を使うな』


直樹は補正を一段落とした。


機体が風へ少し流される。


そのまま木立の陰を進む。


正面に、旧川端公民館の屋根が見えた。


瓦の一部が落ちている。


窓は板で塞がれていた。


正面玄関には、新しい鎖。


建物の横には、古い排水設備が残っている。


人影はない。


車両もない。


直樹は、公民館全体の映像を共有しなかった。


河川側の外壁と、排水設備だけを選ぶ。


病室の黒い表示装置に光が入る。


めぐみとえりの前へ、古びた外壁が映った。


壁の下には、錆びた格子。


その奥へ、暗い管が続いている。


めぐみは画面へ目を近づけた。


直樹の呼吸は一定だった。


機体が格子の前へ止まる。


『開口幅、百四十』


久世が言う。


『翼展開では入らない』


直樹は機体を壁へ着地させた。


翼を閉じる。


鉤がコンクリートの縁をつかむ。


機体は身体を細くし、格子の隙間へ入った。


翼では飛ばない。


脚と腹部の小さな駆動輪で、内側へ這っていく。


排水管の中は濡れていた。


古い泥。


落ち葉。


小動物の骨。


水滴が機体の外殻へ当たる。


> た。


> た。


音響表示が小さく跳ねた。


『環境音』


久世が言う。


直樹は答えない。


奥へ進める。


分岐が出た。


左は狭い。


右は下り。


正面は、後から鉄板で塞がれている。


直樹は図面を重ねた。


正式図面には、正面の鉄板がない。


「増設されています」


『時期は』


「分かりません」


『決めるな』


「はい」


右側の下りへ機体を向ける。


久世が止めた。


『中継』


「まだ届いています」


『聞いていない』


直樹は機体を戻した。


分岐の手前へ、小型中継子機を置く。


磁石が配管へ吸いついた。


緑の灯が一度点く。


『中継、確立』


「進みます」


『行け』


     *


管は途中から乾いていた。


壁面の錆も少ない。


人の手が入った跡がある。


古い結束帯。


切断された配線。


新しい擦過痕。


直樹は一つずつ見る。


誰かが通った。


だが、いつかは分からない。


機体が低い段差を越える。


その先で、音がした。


> こつ。


直樹の入力が止まる。


久世は何も言わない。


数秒後。


> こつ。


一度目より、少し近い。


音響波形が二つ並ぶ。


機体は動かしていない。


水滴でもない。


直樹は音の方向へ視線を向けた。


壁の奥。


正式図面では、そこには何もない。


また、音がした。


> こつ。


今度は、間が長かった。


直樹の呼吸が浅くなる。


病室で、めぐみが顔を上げた。


表示装置にはまだ外壁の映像しか出ていない。


何が起きたかは見えない。


久世の声が届く。


『停止』


直樹は機体を配管の継ぎ目へ着地させた。


『音だけ送れ』


直樹は映像帯域を落とす。


音響記録を富士川へ送った。


一度目。


二度目。


三度目。


久世は、富士川に残っていた旧通信設備台帳を開く。


閉鎖前のK系統回路図。


第四支線。


主線側の点検継電器。


末端の機械式受領子。


久世が波形を分けた。


『最初は、K系統主線の点検継電器だ』


一つ目の波形は短い。


埋設管全体へ振動が広がっている。


「まだ動いているんですか」


『電源は死んでる』


久世は回路図を拡大する。


『だが、旧式の蓄圧機構が残ってる。管の圧力変化で点検動作だけが走る』


一つ目の作動が、第四支線へ伝わる。


『二つ目は末端の受領子だ』


一定の機械遅延を置き、第四支線側が一度だけ返している。


二つ目の波形は、一つ目より狭い。


打点の位置も違った。


「では、三つ目は」


久世は答えない。


三つ目の波形だけを拡大する。


立ち上がりが鈍い。


打点が低い。


配管全体ではなく、壁の奥から一方向へ伝わっている。


二つ目との間隔も、受領子の機械周期から外れていた。


『これは点検系統に入っていない』


「三つ目だけ、遅い」


『そうだ』


「二つ目を聞いてから叩いています」


『根拠』


「間です」


直樹は波形を見る。


「主線が鳴る」


左手の指が、操作グリップへ食い込む。


「末端が返す」


二つ目の波形。


「それを聞く」


三つ目までの空白。


「意味を判断する」


直樹の声が低くなる。


「手を伸ばして、叩く」


久世は否定しない。


だが、同意もしない。


『機械でも不規則な遅延は出る』


「同じ場所から、同じ強さでは出ません」


『一回では決められない』


「なら、返します」


『方法』


直樹は機体の脚部を選択した。


配管へ着地した鉤。


力を入れれば、一度だけ金属を叩ける。


「一回」


『意味は』


「確認です」


『こちらから意味を作るな』


「同じ方向から返れば、人間の可能性が上がります」


久世は数秒黙った。


『一回だけだ』


直樹は共有表示を切り替えた。


病室の表示装置へ、三つの音響波形が映る。


めぐみが画面を見る。


一つ目。


二つ目。


少し離れて、三つ目。


記録板へ書いた。


> 返事したの?


直樹はゴーグルを額まで持ち上げた。


「まだ分からない」


めぐみは、直樹の左手を見る。


指が強くグリップを握っていた。


さらに書く。


> 返して。


直樹はゴーグルを下ろした。


「めぐみが、返せと言っています」


久世は理由を訊かなかった。


『一回だけだ』


「はい」


直樹は機体の鉤へ、一度だけ力を送った。


> こつ。


音が管の奥へ消える。


何も返らない。


五秒。


十秒。


直樹の右肩が上がる。


感圧パッドには触れていない。


それでも、固定具の中で指が強く曲がっていた。


十五秒。


直樹が機体を前へ動かそうとする。


『待て』


「届いていない可能性があります」


『待て』


「位置を変えます」


『真柴』


入力が止まった。


病室で、めぐみがベッドの端から身体を寄せる。


直樹の左腕へ、両手を添えた。


そのまま、肩の外側へ頬を預ける。


ゴーグルに隠れた直樹の顔は見えない。


めぐみは、喉を一度震わせた。


「なお」


まだ細い声だった。


だが、直樹には届いた。


直樹の肩から、少し力が抜ける。


めぐみは離れなかった。


直樹も、腕を引かなかった。


二十二秒。


管の奥から、音が返った。


> こつ。


一度だけ。


直樹の呼吸が止まる。


めぐみの指が、左腕の布を握った。


富士川で、久世が波形を固定する。


『受信』


直樹はすぐには答えられなかった。


久世が続ける。


『同一方向。同じ打点。手動打音の可能性、高い』


「人です」


『推定だ』


「人が返しました」


『推定だ、真柴』


久世の声は冷たい。


希望を守るための冷たさだった。


『生存も、人数も、所属も決めるな』


直樹は返ってきた波形を見る。


「はい」


『記録できるのは』


「人間による応答の可能性」


『それだけだ』


直樹は一拍置いた。


「最後尾の返し方です」


久世の指が止まる。


『説明しろ』


「正式な共通信号ではありません」


直樹は管の奥を見た。


「声が通らない現場で、前から二度来たら、最後尾が一度返す」


『どこの手順だ』


「手順ではありません」


「班や現場ごとに残る癖です」


久世は答えなかった。


二度の機械音を、前方からの確認として使った。


壁の奥にいる誰かが、


自分はまだ残っていると、一度だけ返した。


画面の中に、一つの波形が残っている。


最後尾。


残っています。


名前も顔も分からない人間が、壁の奥からそれだけを伝えていた。


     *


直樹は機体を前へ進めた。


久世が即座に言う。


『帰投限界』


「あと一枚、壁を越えれば見えます」


『戻せ』


「中継は残っています」


『電力が残っていない』


「予備機があります」


『今の機体に帰路がない』


直樹は壁の奥へ視線を向けた。


打音の位置は近い。


数メートル。


あるいは、壁一枚。


映像には何も見えない。


だが、人がいる可能性がある。


直樹の左手が、前進入力へ触れる。


病室で、めぐみが肩から頬を上げた。


直樹の左腕を二度、軽く叩く。


直樹は前進入力を止め、ゴーグルを額まで持ち上げた。


めぐみが記録板を見せる。


> 見つけても、戻せなければ同じ。


直樹は文字を読んだ。


第117話の訓練で、久世に見せられた扉。


入れる。


しかし、戻せない。


あの時と同じだった。


違うのは、扉の向こうに人がいることだった。


だからこそ、戻る線を消してはいけない。


直樹はゴーグルを下ろした。


前進入力から指を離す。


「戻します」


久世は褒めなかった。


『帰路』


直樹は順番に答える。


「通信管分岐まで後退」


機体が向きを変える。


「中継子機を回収」


配管の壁へ止めた子機が外れた。


「排水管へ戻る」


機体が低い段差を越える。


「外壁で翼を展開」


濡れた管を這う。


「第三中継。第二。第一」


出口の光が見えた。


「河川側発進点へ帰投」


『続けろ』


機体が格子の隙間を抜ける。


外壁へ止まる。


翼を開いた。


曇った空へ飛び出す。


     *


表示装置へ、直樹が選んだ地図が映った。


旧川端公民館。


河川側排水口。


通信管。


K系統第四支線。


正式図面には存在しない空白。


その手前に、小さな赤い点が置かれた。


> 応答位置


生存者とは書かれていない。


救助対象とも書かれていない。


名前もない。


えりが表示を見ながら確認する。


「記録区分は」


直樹が答える。


「人間による応答の可能性」


「生存確認ではない」


「はい」


「所属確認でもない」


「はい」


えりは、その言葉どおりに記録した。


期待を消さない。


断定にも変えない。


久世の声が届く。


『機体、帰投確認』


鳥型機が河川側の整備員の手へ降りた。


翼を閉じる。


脚の鉤に、地下の錆が少しついていた。


『損傷』


「ありません」


『終了時申告。右手』


直樹は固定具の中の指を動かす。


痺れが強くなっていた。


「痺れ、六」


『記録へ入れろ』


「はい」


『次は姿を取る』


直樹は赤い点を見る。


「確認します」


『見つけると言わないのか』


「まだ、見えていません」


短い沈黙。


『それでいい』


回線が切れた。


直樹はゴーグルを外す。


病室の光が戻る。


めぐみは、まだ直樹のすぐ横にいた。


先ほど頬を預けていた左腕へ、今度は肩だけを軽く触れさせる。


記録板へ書いた。


> 待ってる。


直樹は、その文字を読む。


地下の人間のことだと分かった。


それだけではないことも分かった。


「道を作る」


めぐみは小さく頷いた。


直樹の右手には触れない。


代わりに、左手の甲へ自分の手を重ねる。


直樹は逃げなかった。


表示装置の赤い点は、まだ消えていない。


その奥から採取された音が、最後に一度だけ再生された。


> こつ。


三度目は、人の手で返された。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。