第百十一話 受領印 改正版
## 第百十一話 受領印
翌朝、旧南第三小学校の資料室では、封印帯が昨日のまま残っていた。
鋼鉄扉。
K―四の端子箱。
外した壁板。
どこにも、新しく触れられた跡はない。
真柴健二は、封印帯に書いた時刻と名前を確認した。
真柴健二。
瀬田ハル。
二人の署名をまたぐように貼った透明テープにも、浮きや切れ目はなかった。
午前六時三十分。
床下で、
かち。
一度目の音。
零点八秒後。
資料室の端子箱で、
かち。
二度目。
その奥。
閉じた扉の向こうからは、何も返らなかった。
浅野悠太は、廊下に置いた椅子へ座っていた。
膝の上の紙に、二つの丸を描く。
三つ目の欄は空けた。
「鳴らない?」
健二が聞く。
「鳴らない」
「聞こえにくいんじゃなくて?」
「待っても来ない」
悠太は空白の丸を指した。
「ここだけ」
隣では、高瀬陸が時刻を書いていた。
六時三十分。
一音目、あり。
二音目、あり。
三音目、なし。
原因不明。
昨日と同じだった。
「書いたことと、考えたことは分けておけよ」
健二が言う。
「分けてる」
陸は「原因不明」の下を空けたままにした。
「人が止めた、とは書いてない」
「それでいい」
「でも、人がいるかもしれない」
「それは考えたことだ」
「書かない?」
「消す必要もない。別の紙へ書け」
陸は新しい紙を一枚出した。
上に、
考えたこと。
と書く。
その下へ、
人が操作した可能性。
設備が壊れた可能性。
自動停止した可能性。
三行を並べた。
どれにも丸はつけなかった。
*
午前八時十三分。
白地に青線の識別布をつけた車両が、北側道路から入ってきた。
前日と同じ車両。
車両番号も、事前連絡で伝えられたものと一致している。
運転席から古賀省吾。
助手席から秋山志保が降りた。
古賀は図面筒のほかに、平たい金属箱を持っている。
秋山の手には、封筒が三つあった。
「おはようございます」
秋山が先に名乗る。
「第三区受入班、秋山志保。要請番号、三区施保二一七。同行一名、古賀省吾。車両番号、三区四八六」
健二は前日に古賀から渡された確認票を見る。
氏名。
要請番号。
車両番号。
同行人数。
すべて合っている。
「確認しました」
健二は校門の鍵を開けた。
古賀が入る。
「毎回やるんですか」
蓮が玄関の奥から聞いた。
「毎回やります」
古賀は答えた。
「昨日来た人でも?」
「昨日と今日が、同じ仕事とは限りません」
「古賀さんが偽物だったら?」
「真柴さんが入れません」
蓮は健二を見る。
「入れない?」
「番号が違えばな」
「怒られても?」
「正規の人間なら、確認されて怒らない」
古賀は工具箱を床へ置いた。
「作業する側も、入った人数と出た人数を残したいので」
「何で」
「事故が起きた時、誰が中にいるか分からなくなるからです」
「敵がいるから?」
蓮が聞いた。
古賀は首を横へ振った。
「火事でも、崩落でも、酸欠でも同じです」
「人に襲われた時は?」
「それは私の専門ではありません」
古賀は曖昧に笑わなかった。
「私に分かるのは、作業する場所が安全か、設備がどう動いたか、誰が入って誰が出たかまでです」
蓮は少し考えた。
「じゃあ、健二さんと違う?」
「違います」
「兄ちゃんとも違う」
健二が言った。
「誰ですか」
「俺の兄だ」
「設備の人?」
「違う」
健二はそれ以上説明しなかった。
*
教室の長机へ、前日に作った記録を並べた。
悠太の音の記録。
陸の時刻表。
花音の音の地図。
蓮が描いた壁板とネジの順番。
健二が撮影した発見時の画像。
瀬田ハルの証言。
美月が感じた足元の冷気。
書類棚を入口から撮影した画像。
古賀は、最初に子どもたちの紙を手に取った。
花音の地図。
旧事務所から始まる線。
廊下。
資料室。
K―四の端子箱。
鋼鉄扉。
線の先は、扉で止まっている。
「この線を描いたのは誰ですか」
花音が手を上げた。
「村瀬花音」
古賀は紙の裏へ、勝手に名前を書かなかった。
「どこまでが、花音さん自身が見たり聞いたりした場所ですか」
花音は旧事務所から資料室までを指でなぞる。
最後に扉を指す。
「扉は見た」
「扉の向こうの線は?」
花音は首を横へ振る。
「描いてない」
「分かりました」
古賀は秋山を見る。
「原本の作成者欄へ、本人が書くかどうか確認してください」
「名前を書きたくない場合は?」
秋山が尋ねる。
「作成者非公開とします。ただし、誰が作った記録かは、校内の管理票にだけ残す必要があります」
花音は紙を見る。
「名前、書いていい」
「外へ渡す紙にも?」
秋山が確認する。
花音は健二を見る。
「自分で決めていい」
健二が言った。
「でも、名前を書いた紙がどこへ行くかは、先に聞いてからな」
秋山は封筒を一つ開いた。
提出先一覧を見せる。
第三区受入班施設保全係。
証拠保全担当。
複写一部。
広報、教育、受入成果報告への転用不可。
「広報って何?」
花音が聞く。
「外の人へ見せるための資料です」
「この絵を?」
「許可がなければ使いません」
花音は少し考える。
「名前は、この学校の紙には書く」
「外へ渡す複写には?」
「書かない」
秋山がうなずく。
「では、原本には村瀬花音。提出用複写は作成者氏名非開示とします」
花音は自分で、紙の裏へ名前を書いた。
村瀬花音。
秋山はその横へ、
外部複写への氏名記載を希望しない。
と書き、花音へ見せる。
「これで合っていますか」
花音がうなずく。
「合ってる」
*
古賀は悠太の記録を見る。
午前七時三十分。
床下、一回。
壁側、一回。
場所を移動した線。
九時以降、三音目が消えた記録。
「これは、聞いたことだけですか」
「うん」
「二つ目が返事だと思いましたか」
悠太は少し考える。
「返事みたいだった」
「紙には書かなかった?」
「分からなかったから」
古賀はうなずく。
「そのままでいいです」
「返事じゃない?」
「分かりません」
「古賀さんも?」
「私に分かるのは、別の可動部が動いた可能性があるところまでです」
「誰かが動かした?」
「設備が自分で動いたかもしれません」
「じゃあ、どっち?」
「分からないものは、分からないまま記録します」
悠太は記録の空いている欄を見る。
「ここ?」
「そこです」
古賀は悠太の紙へ書き足さなかった。
自分の作業記録に、
聴取者申告。
異なる位置から複数の金属音。
音源機器および作動原因は未確認。
と書く。
子どもの言葉を、自分の推測へ変えなかった。
*
美月は、自分の記録を両手で持っていた。
階段の先で、足首まで冷たかった。
濡れた空気だった。
その二行だけ。
「これも必要?」
古賀へ尋ねる。
「必要かどうかは、後で別の記録と照合します」
「役に立たなかったら?」
「役に立たないと決まるまでは残します」
「川の風かもしれない」
「そうかもしれません」
「違うかもしれない」
「そうですね」
「じゃあ、何て書くの」
古賀は作業記録へ、
階段先で足首付近に湿った冷気を感じたとの申告。
原因不明。
と書く。
「感じたことは残します。原因は決めません」
「子どもの話だから、使わないってならない?」
「なりません」
古賀は美月の記録を机へ戻した。
「ただ、あなたが冷たいと感じたことと、そこに川があったことは別です」
「川って決めたら駄目?」
「確認できるまでは、分けます」
美月は紙の最後へ、
川かどうかは分からない。
と自分で書き足した。
*
陸の時刻表には、数字が並んでいた。
三十分間隔。
零点八秒。
九時。
九時十一分。
三音目のみ。
古賀は数字を読み、首を傾ける。
「この零点八秒は、何回測りましたか」
「四回」
「毎回同じ?」
「零点七から零点九」
「機械で測ったのではなく、時計を押した?」
「うん」
「なら、零点八秒ぴったりとは書かない方がいい」
陸の顔が少し硬くなる。
「間違い?」
「測り方に幅があるだけです」
古賀は別紙へ、
約零点八秒。
計測幅、零点七秒から零点九秒。
手動計測。
と書く。
「数字を消す必要はありません」
「でも、正確じゃない」
「どのくらい正確かを書けば、使えます」
陸は自分の記録の「零点八秒」の前へ、
約。
を加えた。
「これでいい?」
「いいです」
「古賀さんは、これで何が分かる?」
「同時に一つの機械が鳴ったのではなく、順番に複数の部分が動いた可能性があります」
「人が押した?」
「そこまでは分かりません」
「何なら分かるの」
「設備の蓋を開け、回路を確認すれば、機械の動きは分かるかもしれません」
「人のことは?」
「私の仕事では、設備以上のことは決めません」
陸は「人が操作した可能性」と書いた別紙を裏返した。
捨てなかった。
*
蓮の紙には、外したネジの順番が書かれている。
右板。
中央板。
左板。
上を緩める。
下を外す。
最後に上。
古賀は紙を見た後、壁板へ向かった。
「この順番は、誰が決めましたか」
「俺」
「理由は」
「先に全部外したら落ちるから」
「実際に落ちましたか」
「落ちなかった」
「板の下へ何を置きましたか」
「毛布と廃材」
「戻せますか」
「同じ順番なら」
古賀は蓮を見る。
「これは作業記録として使えます」
「子どもの紙でも?」
「作業した人間の記録です」
「俺は触ってない」
「手順を決め、工具を渡し、順番を記録しています」
「それも作業?」
「作業です」
蓮は口元を少し上げた。
「じゃあ、古賀さんの仕事と同じ?」
「全部ではありません」
「どこが違う」
「私は、板の裏に電線があった時の責任を取ります」
「俺は?」
「工具を止める責任を持てます」
蓮は工具箱を見る。
「止めたら、何もできない」
「止めなければ壊すこともあります」
「古賀さん、止めてばっかり」
「止まるのが仕事の日もあります」
健二は壁際で、そのやり取りを聞いていた。
*
午前十時。
古賀と秋山は、記録を三つに分けた。
一つ目。
旧南第三に残す原本。
二つ目。
第三区受入班施設保全係へ渡す複写。
三つ目。
照合用の作業控え。
原本は持ち出さない。
隠し部屋の書類も、封を解かない。
撮影画像だけを複写する。
古賀が、画像ごとに番号をつける。
K四―写真一。
K四―写真二。
K四―写真三。
蓮が番号を見る。
「人には番号つけないのに、紙はいいの?」
健二が答える前に、古賀が言った。
「紙の番号は、同じ紙が何枚あるか分からなくならないためです」
「人の番号は?」
「人の代わりに番号を使うと、名前がなくなることがあります」
「紙は名前ない?」
「紙には題名と作った人を残せます」
古賀は番号の横へ書く。
資料室壁板・取り外し前。
撮影者、真柴健二。
立会人、瀬田ハル。
撮影時刻。
「番号だけにはしません」
蓮は紙を見る。
「番号と名前」
「そうです」
「人も番号と名前なら?」
古賀は少し考えた。
「病院や作業現場では、同じ名前の人を間違えないために番号を使うことがあります」
「じゃあ、悪くない?」
「番号が名前を消さないなら、道具になります」
「消したら?」
「人を運ぶための札になります」
古賀は隠し部屋の画像を見る。
番号札を差し込む金属溝。
人の名前を書く欄がない書類。
「この部屋では、番号が名前の代わりに使われた可能性があります」
「誰がしたの」
「分かりません」
古賀は、それ以上を言わなかった。
*
複写が終わると、秋山は受領票を出した。
提出元。
旧南第三小学校。
提出者。
真柴健二。
受領者。
第三区受入班、秋山志保。
内容。
隠し設備発見時写真、十二枚。
児童作成位置記録、四枚。
時刻記録、二枚。
施設外観確認記録、六枚。
原本持ち出しなし。
原本保管場所。
旧南第三小学校。
健二は一行ずつ確認した。
「児童作成位置記録、四枚」
「はい」
「氏名は」
「外部複写には記載していません。校内管理票に原本作成者を残しています」
「誰が非開示を決めた」
「本人へ確認しました」
「確認した時刻は」
秋山が時計を見る。
「午前九時二十二分から九時四十一分」
「まとめないで、一人ずつ書いてくれ」
秋山は別紙を出した。
村瀬花音。
外部複写への氏名記載を希望しない。
本人確認、午前九時二十二分。
浅野悠太。
外部複写への氏名記載を希望しない。
本人確認、午前九時二十八分。
高瀬陸。
外部複写への氏名記載を希望しない。
本人確認、午前九時三十四分。
宮原美月。
外部複写への氏名記載を希望しない。
本人確認、午前九時四十一分。
「これを外へ持っていくのか」
「この本人確認票は、旧南第三で保管します」
「第三区は?」
「四名が非開示を希望した事実だけを受領票へ書きます」
健二は確認する。
原本の名前は消えない。
だが、外へ渡す複写には出さない。
名前を残すことと、誰にでも渡すことは同じではない。
「受領印を」
健二が言った。
秋山は署名欄へ名前を書く。
秋山志保。
受領印を朱肉へ押し、紙の右下へ置いた。
赤い円の中に、
受領。
の二文字が残る。
「控えは」
「同じ内容を一部、旧南第三へ残します」
「受領票にも番号を」
「三区施保二一七―受一」
「複写と原本の枚数が変わったら」
「変更票を作り、元の票は捨てません」
健二は受領票の控えを取った。
「これで、誰が持っていったか残る」
「はい」
「預かったじゃなく、受領した」
「はい」
秋山は面倒そうな顔をしなかった。
*
昼前。
秋山が持ってきた三つの封筒のうち、二つが机の上へ残っていた。
一つ目。
聖マリア病院。
真柴直樹。
二つ目。
東佐賀病院。
宮崎めぐみ。
どちらも、医療記録そのものではない。
連絡調整用の経過票だった。
直樹の封筒には、
右手作業療法継続。
疼痛申告、数値化可能。
補助具着脱時、介助要請あり。
と書かれている。
めぐみの封筒には、
発声訓練継続。
単音発声あり。
自己選択語による訓練実施。
喉頭負担を考慮し、休止判断を共有。
と書かれている。
健二は一枚ずつ読んだ。
二枚を横へ並べる。
重ねない。
三つ目の封筒は、第三区受入班からの照会だった。
表には、
帰還・回復事例統合報告案。
と書かれている。
健二は中身を出す。
真柴直樹。
国際任務経験者。
保護・治療・社会復帰支援。
宮崎めぐみ。
被害者保護。
発声機能回復。
関係者再統合。
その下に、
再会を支援成果として記録。
広報用撮影の可否。
帰属確認式への出席。
と並んでいた。
「何だ、これは」
秋山が机の向かいへ座る。
「中央の調整班から来た案です」
「誰が頼んだ」
「再会調整が進んでいることを知った部署が、事例を一つへまとめようとしています」
「二人の同意は」
「まだ取っていません」
「取る前に書いたのか」
「案です」
「案でも、二人を一つにしてる」
健二は直樹の経過票を左へ置く。
めぐみの経過票を右へ置く。
統合報告案を中央から外した。
「兄ちゃんの手は、兄ちゃんの記録だ」
「はい」
「めぐみの声は、めぐみの記録だ」
「はい」
「再会したから、治療が一つになるわけじゃない」
「その通りです」
「なら、何で持ってきた」
「健二さんが断るなら、その断った記録を残すためです」
健二は秋山を見る。
「最初から断ると思ってたのか」
「帰属式という言葉を見た時点で」
「秋山さんは、どう思う」
「私が決めることではありません」
「個人としては」
秋山はすぐに答えなかった。
「再会する二人が、撮影されたいとは限らないと思います」
「式にも出たいとは限らない」
「はい」
「怒るかもしれない」
「はい」
「会いたくないと言うかもしれない」
「それも、失敗ではありません」
健二は統合報告案の余白へ書いた。
真柴直樹と宮崎めぐみの医療・生活記録を混載しない。
本人同意なく、広報・撮影・成果報告へ使用しない。
再会は帰属確認式としない。
一方の拒否・退出・延期を、治療失敗または支援失敗として扱わない。
書いた後、秋山へ紙を渡す。
「これを回答にする」
「署名をお願いします」
「俺が二人の代わりに同意するわけじゃないぞ」
「拒否条件の提出者としてです」
健二は末尾へ書く。
真柴健二。
立会人欄へ、秋山が署名する。
「受領印を」
秋山が二度目の朱肉を使う。
赤い印が、統合報告案の右下へ置かれた。
その上から、
不同意条件受領。
と書き加えた。
*
末安えりから届いた連絡は、めぐみの経過票とは別の紙だった。
医療用の様式ではない。
白い画用紙を撮影した、小さな画像が一枚。
色の薄い線。
机の角。
椅子の脚。
人の腕らしい曲線。
全体は写っていない。
画像の下に、えりの短い文がある。
本人が描いた。
まだ見せない。
見せる時期は本人が決める。
健二は画像を長く見なかった。
直樹の封筒へ入れようとして、手を止める。
「それは、どちらの記録ですか」
秋山が聞いた。
「めぐみが描いた物だ」
「では、宮崎さん側です」
「兄ちゃんへ見せるための物かもしれない」
「まだ見せないと書いてあります」
「そうだな」
健二は画像をめぐみの封筒へ戻した。
表へ付箋を貼る。
本人の許可なく、真柴直樹へ提示しない。
「見せるための絵でも?」
秋山が聞く。
「いつ見せるかは、描いた人間が決める」
「分かりました」
健二は直樹の封筒にも付箋を貼った。
宮崎めぐみの同意なく、治療経過を共有しない。
二つの封筒は、同じ机にある。
だが、中身は混ざっていない。
*
午後。
瀬田ハルが旧事務所へ入ってきた。
机の二つの封筒を見る。
「もう会うの?」
「まだ決まってない」
「帰属式って何」
統合報告案に書かれた文字を見つけたらしい。
「国が、この人はここへ戻ったって確認する式だ」
「誰に確認するの」
「国に」
「本人じゃなくて?」
健二は答えなかった。
ハルは統合報告案を見る。
「前にいた場所でも、名前を登録した後に並ばされた」
「同じものかは分からん」
「写真を撮られた」
「今回は撮らせない」
「二人が撮っていいって言ったら?」
「その時は二人が決める」
「健二さんが嫌でも?」
健二は二つの封筒を見る。
「俺は条件を残す。決めるのは本人だ」
「国が駄目って言ったら」
「誰が駄目と言ったか、名前を書かせる」
ハルは赤い受領印を見る。
「印があれば、守られる?」
「印だけで守られるわけじゃない」
「じゃあ、何のため」
「破った時、誰が受け取っていたか分からなくならないためだ」
「後から、聞いてないって言わせない?」
「そういうことだ」
ハルは受領票の控えへ触れなかった。
「紙って、強い?」
「弱い」
健二は答えた。
「燃えるし、破れるし、なくなる」
「じゃあ」
「だから、同じ内容を二か所に残す」
「二か所ともなくなったら」
「誰が見たかを残す」
「見た人もいなくなったら」
健二は少し黙った。
「次の人へ渡す」
ハルは二つの封筒を見る。
「名前を待つみたいに?」
「そうかもしれん」
*
古賀は帰る前に、隠し部屋の封印を確認した。
新しい受領票の番号。
撮影複写の枚数。
校内に残す原本一覧。
外へ持ち出す資料一覧。
一つずつ照合する。
「子どもたちの記録は使えそうですか」
健二が聞いた。
「使えるかどうかではありません」
古賀は花音の地図を見る。
「どこまでが本人の観察で、どこからが大人の判断かを分ければ、記録になります」
「悪意があったかは」
「私には判断できません」
「回線が止まった理由も?」
「設備上の理由を調べることはできます」
「誰かが止めたかは」
「設備を見ただけでは分からないことがあります」
「足跡は」
「出入りがあった可能性は残せます」
「見張られてた可能性は」
古賀は少し考えた。
「私は、見張りを見つける仕事をしたことがありません」
「一般人ってことか」
「施設作業員です」
「十分、普通じゃない」
「真柴さんも、普通の運送業者には見えません」
「兄ちゃんよりは普通だ」
「お兄さんは、何を見ますか」
健二は昨日の地下搬入口を思い出す。
一本しかない傾斜路。
新しい錠。
消えた三音目。
「人がどこに立てば、戻る道を塞げるかを見る」
「私には分かりません」
「俺も全部は分からん」
「それでいいと思います」
「何が」
「分からない人間が、分かったふりをしないことです」
古賀は金属箱を閉じた。
「子どもたちは、音や冷気を見つけました。私は設備として整理した。真柴さんは、戻れるかどうかを判断した」
「その先は」
「その先を読める人が来るまで、記録を残す」
健二は返事をしなかった。
兄ちゃんが戻った時。
この紙を見る。
自分たちが気づかなかった意味を読むかもしれない。
それでも、今は書かない。
敵。
監視。
罠。
どれも、まだ見ていない。
*
夕方。
古賀と秋山の車が校門を出た。
健二は旧事務所へ戻る。
机の上には、二つの封筒が残っていた。
左。
真柴直樹。
右。
宮崎めぐみ。
二つの間に、統合報告案への回答が置かれている。
再会は帰属式ではない。
その一行の下に、
真柴健二。
秋山志保。
二人の署名。
右下には、
不同意条件受領。
の赤い印。
直樹の封筒は、めぐみの封筒へ重なっていない。
めぐみの封筒も、直樹の封筒へ重なっていない。
二つの間で、受領印の赤だけがゆっくり乾いていった。




