第6話「蠅と狼」
かつて人魔大戦の戦場となった荒野に、ぽつんと砦が建っていた。ずっと昔に放棄されたものであるにも関わらず、その入り口には黒い布で顔の下半分を覆った男が2人、見張りとして立っている。
「なあ……お前はどんなのが良い?」
「金髪で、碧眼が良いな」
「面白みがないな」
「余計なお世話だ」
そんな事を話している2人の所に、一羽のカラスが舞い降りた。
「なんだ、あっちいけ!」
「待てそいつは――」
カラスがどろりと溶けて黒い液体になったかと思うと、その液体は人型のフォルムを形成し、やがて漆黒のローブを纏った狼の獣人へと姿を変えた。
「ベルゼブはいるのか?」
「は、はい……」
見張りの一人がそう言うと獣人はそれ以上何も語らず砦の中へと足を踏み入れた。
「……なんだあいつ、感じわりい」
「バカ、聞こえちまうぞ! あいつは魔族だ……あの牙見ただろ! 怒らせたら頭を丸かじりされちまう!」
獣人は聴覚にも優れているので見張りたちの話は丸聞こえだったが、獣人は反応しなかった。そのように言われるのは慣れているし、今はそれよりも優先すべきことがあるからだ。
――――――――――――――――
砦のかつて執務室だった場所の椅子に、その男は座っていた。全身を黒い甲冑で覆っているためその容姿を窺い知ることはできない。そして、その甲冑は男の体型にオーダーメイドの服の如くピッタリと張り付いており、よく見ると表面が生物のようにざわめいている、不気味で有機的な代物である。
「ベルゼブ」
獣人が話しかけても返事は返ってこない。
「ベルゼブ」
「……」
「蝿の王、ベルゼブ!」
「……おお、なんだ? ゼル=ヴァーク」
ゼルが声を荒げてようやく、ベルゼブと呼ばれた男は気怠げに顔を向ける。
「しらばっくれるな! 話が違うではないか! 今回の作戦はあくまで皇帝に我々の存在を示すだけのものだったはずだ!」
「……それで?」
「私が着いた時にはガラシャが通りを瓦礫の山にしていたぞ! 能力者の少女が止めたようではあったが、下手すれば死人が出ていたレベルの破壊規模だ!」
「……なるほど。ガラシャはどうなった?」
「捕まった。この砦の場所もいずればれるだろう」
「そうか。さっさと出発しねえとな」
「待て!」
ゼルは部屋を後にしようとするベルゼブの背中に怒鳴りつける。
「説明がまだだぞ……!」
「ガラシャのことか? あいつは能力を悪用して凶暴な魔族を名乗って、各地で殺しや盗みを働いていたカスの転生者だからな。助ける必要はない。むしろ報酬が浮いてラッキーだ」
「何故そんな危険人物を……!」
その答えは自分から飛び込んできた。
「ボス! なんか捕まえた女の中に修道女が混じっていたんすけどどうします?」
蠅と髑髏を模した紋章を描いた黒いマスクの男が、修道衣の少女を縛り上げたまま部屋に入ってきた。紋章はベルゼブの部下である証だ。
「修道女か……関係ねえ。同じ牢屋に入れとけ」
「うす」
ごみの分別のやり方でも聞かれたかのようなベルゼブの反応に、ゼルは一瞬言葉を失った。それと同時に、彼はこのやり取りで自分が騙されていたことに気がついた。
「ガラシャは……囮だったのか」
「……」
「拐ったのはあの少女一人ではないだろう。人々を拉致して何をするつもりだ! 答えろ!」
「ぐぅ……くくっ」
ベルゼブは胸倉を掴まれながらも不敵に笑っている。
「答えなかったらどうするつもりだ? 俺を殺すのか?」
「……!」
「過去の戦争の英雄だからな。今更殺した人間の数が一人増えても気にならないか?」
――――――――――――――
絶え間なく響きわたる悲鳴。
焼け落ちていく家屋。
地面に散らばる血と内蔵。
どす黒い血に染まった爪。
叫ぶ声は怒号と爆発音に遮られ
誰にも聞こえない。
――――――――――――――
「……!!」
フラッシュバックから現実に引き戻されたゼルが目にしたのは、自身の爪がベルゼブの喉を鎧ごと貫いている光景だった。ベルゼブは糸の切れた操り人形のようにピクリとも動かない。
衝動的に人を殺めてしまった。ゼルの心臓に冷たい後悔の影が液体のようにまとわりつく。
しかし、その感情に浸る間もなく、恐ろしいことが起こった。
事切れたはずのベルゼブの左手がゼルの右腕をつかんだ。
物理的にあり得ない光景に振りほどく動きが一呼吸遅れてしまう。
時すでに遅く、ベルゼブの右手に握られた黒い三又槍が彼の脇腹を貫いていた。
「ぐっ……!」
ゼルは何とか爪を引き抜いたものの、その場に倒れ込んでしまう。穴の開いた脇腹からどす黒い血が流れ始めていた。
「能力か……!?」
「まぁそんなところだ。分かりあえなくて残念だよ、魔族の英雄さん」
溢れ出した血が血溜まりを作り出し、目の前の光景が白く霞んでいく。
「ーーーるかーーーー牢屋ーー雌ーーも大人しくなるーー」
ベルゼブの独り言ももはや途切れ途切れにしか聞こえない。ベルゼブは絶望と
後悔に心臓を締め付けられる感覚を味わいながら、その意識は闇の底へと沈んでいった。
――第7話に続く。




