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ダンジョン対策課の小宮さん。――無能扱いされた僕は、制度と交渉で最強ギルドを黙らせる  作者: ビッグサム


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第2話 その採掘計画、違反です

公用車の助手席は、想像していたより狭かった。


 狭い上に、車内には紙コップのコーヒーと古い書類の匂いが染みついていて、いかにも「緊急時と残業で酷使されています」という雰囲気があった。防災棟の前を飛び出した白い軽バンは、昼下がりの市街地をやや乱暴に抜けていく。


 ハンドルを握っている真柴は、赤信号で止まるたびに短く舌打ちした。品がないというより、余裕がない音だった。


「配属初日で現場って、よくあるんですか」


「いいや。だいたいは机の前で絶望して終わる」


「じゃあ今日は当たりの日ですね」


「外れだよ」


 即答だった。


 運転席の脇に置かれた無線機が、ときおり雑音混じりに声を吐き出す。搬入車両はすでに第三階層南区画へ続く管理道路の手前まで進んでいるらしい。近隣住民からは、まだ大きな苦情は入っていない。だが、入ってからでは遅いのだと、真柴の横顔が言っていた。


「黒曜ヘリオスって、そんなに強いんですか」


「強いよ。探索者の質も数も、市内じゃ頭一つ抜けてる。市の災害対応でも何度も実績がある。議員受けもいいし、寄付もしてる。新聞に載せるなら、英雄みたいに書かれる側だな」


「それを市役所が止めるんですか」


「止められたら苦労しない。正確には、止める理由を作るんだ」


 その言い方が少し引っかかった。

 理由があるから止めるのではなく、止めるための理由を作る。行政というものは、もっと秩序だったものだと思っていたが、現場に近づくほど、物事の順番は崩れるらしい。


 軽バンは市街地を離れ、山裾の管理道路へ入った。舗装された道の先に、灰色のフェンスと検問ゲートが見えてくる。その向こうに口を開けているのが、水瀬第三ダンジョンの地上搬入口だった。


 遠目にも、現場はもう始まっていた。


 大型トラックが二台。資材搬入用のコンテナ車が一台。誘導員のベストを着た人影が忙しく動き、ギルドのロゴ入り車両が何食わぬ顔で停車している。明後日開始予定の工事現場とは思えない手際の良さだった。


「ほらな」


 真柴が低く言う。


「書類より先に現場が動いてる」


 軽バンがゲート前に止まる。僕らが降りるより早く、黒い制服の警備員が二人近づいてきた。ヘリオスの社章が胸に入っている。


「関係者以外、立ち入りは――」


「水瀬市役所ダンジョン対策課」


 真柴が職員証を突きつけるように見せた。


「採掘拡張に関する現場確認です。責任者呼んで」


 警備員の顔がわずかに曇る。面倒な客が来た、という表情だった。慣れているのだろう。


「責任者は作業中です。後日、正式な手順で――」


「正式な手順を踏んでないのはそっちだろ」


 真柴の声は大きくない。だが、相手の言い逃れを一つずつ潰すような硬さがあった。


「住民説明会前の搬入開始は聞いてない。安全評価保留区画を通常運用前提で動かしてる件も説明してもらう。今」


 警備員はわずかに視線を泳がせた。自分の判断で追い返せる相手ではないとわかったらしい。奥へ連絡を入れに走っていく。


 その背中を見送りながら、僕はゲートの内側を観察した。資材の種類、車両の数、作業員の装備。現場のことは詳しくないが、少なくとも「様子見」の規模ではない。もう始めるつもりの動きだ。


「新人くん」


 真柴がぼそりと言った。


「はい」


「今日は勉強な。相手は“違反してません”じゃなく、“問題化しないでください”って顔で来る。そこを混同すると負ける」


 なるほど、と頷きかけたところで、奥から男が歩いてきた。


 三十代半ばくらい。黒曜ヘリオスの現場管理責任者らしく、清潔な作業着に、妙に高そうな腕時計をしている。笑顔はあるが、目がまったく笑っていない。


「これはこれは、市役所の皆さん。ご連絡いただければこちらから説明に伺いましたのに」


「来る前に始めてる仕事の説明を?」


 真柴が言うと、男は崩れない笑顔のまま肩をすくめた。


「搬入準備ですよ。開始ではありません。資材の仮置きと安全確認です」


「明後日開始予定の案件で?」


「大型車両の手配には調整が必要でして。先行準備はよくある話です」


 よくある話、という便利な言葉だった。

 みんなやっている。だから問題ない。

 現場ではそうやって、順番の違反が習慣に変わるのだろう。


 真柴が一歩前に出ようとしたところで、僕は手に持っていた申請書を開いた。


「すみません」


 男の視線がこちらへ向く。

 新人の存在を、今ようやく認識した顔だった。


「小宮です。今日付で対策課に配属されました」


「そうですか。大変なお仕事でしょう」


「ええ。初日から勉強になります」


 自分でも少し感じが悪いと思ったが、男は笑みを崩さない。こういう相手は、機嫌ではなく損得で会話する。


 僕は申請書の三枚目を開いた。


「この採掘計画、違反です」


 男の眉が、ほんのわずかに動いた。

 それだけで十分だった。図星を踏んだ人間は、たいていまず顔の筋肉が遅れる。


「違反、とは?」


「第三階層南区画の運用条件です」


 僕は該当箇所を指で示した。


「先月二十八日付で安全評価は保留。追加点検完了まで、採掘行為および重量物搬入は制限対象になっていますよね」


「ええ、ですから本採掘は開始していません。いまは準備段階です」


「その理屈だと、重量物搬入の説明がつきません」


 僕は搬入口の奥に停まるコンテナ車へ視線を向けた。


「仮置きでも、制限区画へ接続する搬送ルートを使う時点で、運用前提が立っています。しかも申請書では人員配置が通常運用基準です。安全評価保留中の区画に対して、前提条件が噛み合っていない」


 男は黙った。

 横で真柴が、面白そうなものを見る顔をしている。


「さらに、住民説明会が来週。開始予定は明後日。開始していないと言い張るにしても、住民周知前に先行搬入している時点で、行政への説明と現場運用が逆です」


「それは、解釈の問題でしょう」


 やっと出てきた反論は、予想通り曖昧だった。


「解釈ではなく順序です」


 僕は自分でも驚くほど平坦な声で言えた。


「もしこれを“開始ではない”と整理するなら、搬入物の内訳、仮置き場所、作業指示系統、安全管理責任者の指示書、全部見せてください。現場準備の範囲か、実質着手か、その場で確認します」


 男の笑顔が、少し薄くなった。


「……そこまで求められる根拠は?」


「求められるような動きをしているからです」


 たぶん、言い方としては最悪だった。

 だが、こういう手合いには、やわらかく言っても“押せば引く相手”と判断されるだけだ。


 風が吹いて、管理フェンスの向こうで警告旗が鳴った。かしゃり、かしゃりと乾いた音がする。現場は止まっていない。フォークリフトが一台、少し離れた場所でコンテナの向きを変えている。


「こちらとしては、適切に手続きを進めているつもりです」


 男が言った。


「つもり、では困ります」


「ではどうしろと?」


「少なくとも今日の搬入は止めてください」


 男の目が細くなる。


「それは現場全体に損害が出ます」


「それを防ぐための順番を飛ばしたのは、そちらです」


 空気が変わった。

 言葉の表面は丁寧なままなのに、互いの腹の底だけが冷えていく感じがある。


 男は僕ではなく、真柴を見た。


「新人教育の一環ですか」


「有望でしょ」


「随分と、強気だ」


「弱気な人間から潰れる職場なんで」


 真柴は事もなげに言った。


 男は小さく息を吐いた。ここで完全に突っぱねれば、市役所側が記録を取り、後で面倒が大きくなる。かといって全面的に引けば、現場側の段取りが狂う。その計算をしている顔だった。


 やがて彼は、営業用の笑みを薄く貼り直した。


「わかりました。責任者と協議します。ただし、現場停止は簡単ではありません」


「簡単じゃないことは知ってます」


 僕は答えた。


「だから今、ここで言ってるんです」


 男はそれ以上何も言わず、踵を返して奥へ戻っていった。警備員たちも引き気味に散る。現場全体が止まったわけではないが、少なくともさっきまでの勢いは削がれていた。


 僕はそこで、ようやく肩の力が入っていたことに気づいた。喉が少し乾いている。


「……今の、まずかったですか」


 小声で訊くと、真柴はゲート脇のフェンスにもたれた。


「半分まずい」


「半分ですか」


「残り半分は、すごく正しい」


 褒められているのかどうか微妙だった。


「でも、あれで引きますか」


「今日のところは多少ね。向こうも証拠を残したくないから」


 真柴はポケットから煙草を出しかけて、敷地内禁煙の看板を見て戻した。


「ただし、これで終わりじゃない。あいつらは“止められた”とは思わない。“次はもっとうまくやる”って思う」


「面倒ですね」


「だから言ったろ。ダンジョンより面倒だって」


 そのとき、搬入口の奥から短い指示声が飛び、コンテナ車の一台がゆっくりと後退を始めた。完全撤収ではないにせよ、少なくとも露骨な先行搬入は一度引かせたらしい。


 真柴がそれを見て、わずかに口元を上げる。


「初日でこれは上出来」


「そういうものですか」


「新人が相手の言い訳を三分で一個減らせたら十分だよ」


 褒め言葉として受け取っていいのだろう。

 たぶん、この課ではそれなりに上等な部類だ。


 僕はフェンスの向こうを見た。山肌に埋め込まれたようなダンジョン搬入口は、昼間でもどこか光を吸う色をしている。あの下には魔物がいて、未踏区域があって、探索者たちは命を賭けて潜るのだろう。


 けれど、いま目の前で動いていたのは魔物ではない。

 順番を飛ばし、責任をぼかし、利益のために紙の意味を書き換えようとする人間たちだった。


 ダンジョン対策課の仕事は、迷宮を管理することではないのかもしれない。

 迷宮を利用して好き勝手しようとする人間の手首を、ぎりぎりのところで掴むこと。たぶん、そのほうが近い。


「小宮くん」


 真柴が軽バンへ戻りながら言う。


「はい」


「配属祝いに教えとく」


「嫌な予感しかしませんね」


「この課で勝ちって言うのはね、相手を倒すことじゃない。面倒を、今日はこのくらいで済ませたって言えることだ」


 あまり景気のいい定義ではなかった。

 でも、妙に腑に落ちた。


 現場の奥で、後退した車両が停止する。動きはまだ完全には止まっていない。今日のところは引いただけで、明日になれば別の手で来るだろう。そういう相手なのだ。


 それでも、ほんの少しだけ、こちらが先に嫌がらせを返した感触はあった。


 軽バンへ乗り込む前、僕はもう一度だけ申請書の三枚目を見た。紙の上のたった数行が、現場のトラック一台を引かせる。その事実が、不思議と胸に残った。


 剣も魔法もない。

 だが、紙にも人を止める力はあるらしい。


 もちろん、その力は放っておけばただの紙切れに戻る。読んで、噛み砕いて、相手の喉元へ持っていく人間がいて、はじめて武器になる。


 たぶん僕は、そういう武器のほうが性に合っていた。


 配属初日。

 左遷先の仕事は、思ったより陰湿で、思ったより即物的で、そして思ったより手応えがあった。


 ダンジョンの入口を背にして軽バンのドアを閉めたとき、僕はようやく、自分がとんでもない部署へ来たのだと実感した。


 そして同時に、少しだけ思ってしまったのだ。

 ――案外、ここは嫌いじゃないかもしれないと。

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