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ダンジョン対策課の小宮さん。――無能扱いされた僕は、制度と交渉で最強ギルドを黙らせる  作者: ビッグサム


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第1話 左遷先は迷宮より面倒だった

辞令一枚で人生が好転した人間を、僕はまだ知らない。


 少なくとも水瀬市役所では、辞令とはたいてい、誰かの都合を穏便に押しつけるための紙だった。


 四月一日。新年度初日。

 人事課前の廊下には、朝から妙な熱気がこもっていた。異動先に一喜一憂する職員、露骨に落ち込む若手、どうでもよさそうな顔を装って紙を開く中堅。蛍光灯の白い光の下で、みんながそれぞれの春を受け取っていた。


 その中で、僕の手元に来た紙だけが、季節感のない冷たさをしていた。


 市民安全部ダンジョン対策課を命ずる。


 三秒ほど見つめてから、もう一度見た。

 文字は当然ながら変わらない。


「……終わったな」


 背後から、同じ財政課の先輩が小声で言った。慰める気のない声だった。むしろ、現実確認に近い。


「まだ始まってもいませんよ」


「始まる前から終わってる部署ってあるんだよ」


 その言い方に悪意はない。ただ、経験に裏打ちされた乾きがあった。

 ダンジョン対策課。市役所の中でも評判の悪い部署だ。探索者の事故、住民クレーム、大手ギルドとの折衝、補償交渉、メディア火消し、議員対応――面倒なものを煮詰めて、灰汁だけを丁寧に掬い集めたような仕事が、だいたいそこへ行く。


 しかも感謝されない。

 何も起きなければ「暇な部署」と思われ、何か起きれば「なぜ防げなかった」と怒鳴られる。現場の探索者からは机上の役人と嫌われ、庁内からは厄介事の掃き溜めとして使われる。


 要するに、厄介払い先だった。


 僕は辞令を四つ折りにして胸ポケットへしまった。紙は薄いのに、妙に重かった。


「まあ、小宮なら向いてるかもな」


 先輩が、まるで気休めになっていないことを言う。


「揉め事の相手に嫌われる才能、あるし」


「褒めてますか、それ」


「半分は」


 半分は本当らしい。


 思い当たる節がないわけではなかった。先月、財政課で回ってきたダンジョン関連補助金の資料に、少しだけ不自然な数字を見つけた。用途説明のつかない支出、妙に都合のいい差額、前年度比較で不自然に消えた項目。だから確認を入れただけだ。


 確認を入れた結果、異動した。

 市役所では、そういうこともある。


 僕は先輩に軽く会釈し、本庁舎を出た。ダンジョン対策課は別館――古い防災棟の三階にある。本館から渡り廊下を抜ける途中、窓の外に見える春空はやけに明るかった。こういう日に限って、人事は陰気だ。


 防災棟のエレベーターは途中で変な音を立てた。廊下の蛍光灯は一本だけ点滅している。歓迎されている感じは、まったくない。


 課名プレートのかかったドアを開けた瞬間、最初に聞こえたのは怒鳴り声だった。


「だから第三階層南区画の封鎖が先だと言ってるだろ! 書類はあとだ、あと!」


 電話口へ怒鳴っていた男が、受話器を肩で挟んだままこちらを見た。四十前後、寝不足を長年煮詰めたような顔つき。名札には真柴とある。


「あ、新しいの?」


「小宮です。本日付で――」


「ああ、左遷」


 言い切られた。


「異動です」


「そう書くよね、辞令には」


 真柴は受話器に向かって「人が一人増えたところで、状況は悪化しかしません」と告げて電話を切った。人事への敬意が一ミリもない。


 課内は思ったより広かったが、机の上には書類の山がいくつも築かれ、壁のモニターには市内ダンジョンの監視映像が映っていた。画面の端で赤い警告ランプが二つ点滅している。慌ただしいというより、疲弊している空間だった。


「歓迎会はない。予算もない。コーヒーは自腹。質問は?」


「帰っていいですか」


「いい質問だけど駄目です」


 真柴は顎で机を示した。どうやらそこが僕の席らしい。椅子の上に段ボール箱が三つ積まれ、いちばん上に付箋が貼ってある。


 未処理。触ると増える。


「冗談ですよね」


「半分は」


 ここも半分本音で会話する文化らしい。


 僕が椅子を引いたところで、別の職員が慌ただしく入ってきた。二十代後半くらいの女性で、資料の束を抱えている。


「真柴さん、黒曜ヘリオスから採掘拡張の申請書、来ました」


「今日か……」


 真柴が露骨に顔をしかめた。

 黒曜ヘリオス。市内最大手の探索者ギルド企業。戦力、資金、知名度、どれをとっても地元行政が無視できる相手ではない。


「何かまずいんですか」


 僕が訊くと、真柴は書類の束をひったくるように受け取って、一枚目だけ見てため息をついた。


「年度初めの風物詩。合法の顔をした違法祭りだよ」


 その言い方が少し面白くて、僕は思わず書類へ視線を落とした。真柴は気づいたのか、申請書一式をこちらへ放る。


「新人研修だ。読んでみる?」


 僕は立ったまま書類をめくった。

 採掘区域拡張申請。危険物搬出計画。探索者配置表。周辺交通影響評価。形式は整っている。文言もきれいだ。さすが大手で、雑に見えないように作る技術だけは高い。


 けれど、三枚目で手が止まった。


「……あれ」


「何か見えた?」


「第三階層南区画、先月末に安全評価保留が出てますよね」


 真柴の目が少しだけ細くなる。


「出てる」


「なのに、この配置計画は通常運用前提です。しかも危険物搬出量が前月実績より増えてる。封鎖リスク込みなら輸送計画が合いません」


 電話をしていた若手職員の手が止まった。課内がわずかに静まる。


 僕はもう一枚めくる。


「住民説明会、来週開催予定になってますけど、拡張開始は明後日ですね」


「向こうはそのつもりらしい」


「説明前に始める気ですか」


「止められなかったらね」


 僕は申請書を見下ろした。数字の並びに、嫌な手触りがあった。

 役所の書類というのは、未来を予測するために作られることもあるが、多くの場合、すでに決まっていることに筋を通したように見せるために使われる。これは後者だ。しかも、かなり雑な部類に入る。


「差し戻せますか」


 真柴は疲れた人間特有の、少しだけ興味を持った笑い方をした。


「普通はそこで“難しいですね”って言うんだよ、新人くん」


「難しいのと、無理なのは別です」


 言ってから、自分でも少し嫌な言い方だと思った。

 だが、三枚目の数字の嘘くささが妙に腹に障った。


 安全評価保留の区画を通常運用前提で人員配置し、説明会を後回しにし、搬出計画だけ先に通す。

 やることが雑なくせに、雑さを隠す程度には慣れている書類だ。


「差し戻しだけじゃ足りないかもしれません」


「へえ」


「たぶん向こう、もう何か動かしてます」


「根拠は」


「開始前提じゃないと入らない数字が、もう入ってる」


 僕は下段の輸送予定欄を指で叩いた。


「この搬出量、申請通過後に手配したんじゃ間に合いません。倉庫と車両、すでに押さえてるはずです」


 真柴は黙ってこちらを見た。さっきまでの倦怠感が、少しだけ引いている。


「小宮くん」


「はい」


「君、思ったより嫌なタイプだね」


「よく言われます」


「うち向きだ」


 その瞬間、固定電話が鳴った。真柴が取る。二言目で表情が変わった。


「……は? もう搬入車両が動いてる?」


 課内の空気が、一気に張りつめた。

 受話器の向こうで、早口の報告が続いているらしい。真柴は短く応じながら、壁の地図モニターを睨んでいる。


「場所は」「何台」「警備は」「住民からの通報はまだか」


 僕は手元の申請書を見下ろした。

 明後日開始予定。そう印字された紙の上で、数字が急に泥くさく見えた。インクではなく、言い逃れの薄皮みたいだった。


「やってくれるな……」


 真柴が受話器を置いて吐き捨てる。


「どうします」


 若手職員が不安げに訊く。


「どうするも何も、現場確認だ。住民説明前に資材搬入を始めたなら、止めなきゃまずい」


「でも相手、黒曜ヘリオスですよ」


「知ってる。だから面倒なんだよ」


 真柴は早口で指示を飛ばし始めた。現場確認班の手配、記録担当、法務連絡、住民窓口への備え。部署全体が急に動き出す。疲弊していた空気の下に、ぎりぎりの緊張で動いている組織の骨格が見えた。


「小宮くん」


 呼ばれて顔を上げると、真柴が僕を見ていた。


「配属初日だけど、暇じゃなくなった」


「見ればわかります」


「車、乗れる?」


「公用車ならたぶん」


「たぶんで十分。来な」


 僕は申請書を揃えながら、ほんの少しだけ胸の内が冷えていくのを感じた。

 左遷。厄介払い。窓際。そういう言葉は、もっと湿った形でやってくるのだと思っていた。埃っぽい机に座らされ、誰にも期待されず、鈍く腐っていくようなものだと。


 けれど実際に待っていたのは、もっと露骨な現場だった。

 机の上で片づくはずの話が、もう外で動き始めている。書類は追認のためにあり、ルールは踏み越えるために読み込まれている。魔物がどうこうという以前に、人間のほうがよほど手慣れている。


 ダンジョンが危険なのではない。

 ダンジョンを囲んで群がる人間たちが、危険なのだ。


 防災棟の窓の外では、春の風が旗を揺らしていた。穏やかな昼だ。市民の大半は、いつも通りの平日を過ごしている。その一方で、見えない地下では魔物がいて、見える地上では人間がルールを食い荒らしている。


 僕は胸ポケットの辞令を指先で押さえた。

 薄い紙が、まだ妙に硬い。


 辞令一枚で人生が終わることはない。だが、配属初日で面倒な戦争が始まることはある。

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