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ダンジョン対策課の小宮さん。――無能扱いされた僕は、制度と交渉で最強ギルドを黙らせる  作者: ビッグサム


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第3話 探索者より先に役所が敵だった

市役所に戻ったのは、午後三時を少し回った頃だった。


 防災棟の曇った窓から差し込む西日が、机の上の書類の角だけを妙に白く照らしている。現場帰りの興奮や緊張感は、庁舎の中へ入った途端、別の種類の疲労に変わった。ダンジョンの前では風が強くて肌寒かったのに、課内は紙と古い空調の匂いでむっとしている。


 僕は自分の席に戻るなり、申請書一式と現場確認メモを机へ置いた。

 隣の席の若手職員――確か、朝に書類を抱えて駆け込んできた女性だ――が、ちらりとこちらを見る。


「お疲れさまです」


「どうも」


「初日から現場って、運が悪いですね」


「よく言われます」


「この課では、たぶん褒め言葉です」


 彼女は小さく笑った。朝の慌ただしさの中ではわからなかったが、整った顔立ちに対して目元だけが妙に鋭い。よく眠れていない人間の目だと思った。


「相原です。庶務と事故記録と雑用の全部をやってます」


「全部じゃないですか」


「だいたい合ってます」


 やはりこの課は、本音を半分だけ笑いに包む文化らしい。


 真柴は上着を椅子に放り、現場で取った写真データを端末へ落とし込みながら言った。


「相原、第三南区画の搬入関連、時系列で整理して。住民周知の資料も引っ張れるだけ引っ張る」


「議会答弁用の資料もですか」


「そのうち要る」


「はいはい」


 相原が立ち上がる。手際が早い。課内の空気は相変わらず散らかっているのに、動いている人間だけは慣れきっていた。

 僕も現場確認メモをまとめ始める。搬入車両三台。コンテナ一台。警備員二名。現場管理責任者との口頭やり取り。正式着手前の資材搬入について、市側から停止要請。最低限、後で言った言わないにならない程度には残しておく必要がある。


 そのとき、課のドアが勢いよく開いた。


「真柴さん、部長がお呼びです」


 顔を出した総務課らしい職員が、面倒な伝言だけ置いてすぐ消える。

 真柴は椅子にもたれたまま、目だけで天井を仰いだ。


「早いな……」


「何がですか」


 僕が訊くと、真柴は端末画面から目を離さず言った。


「怒られるのが」


 その一言でだいたい察した。

 現場で黒曜ヘリオスを止めた。少なくとも止めかけた。相手は市内最大手の探索者ギルド企業だ。現場の理屈では当然でも、庁内の理屈では“揉め事を増やした”とも解釈できる。


「小宮くん」


「はい」


「来る?」


「来るなと言われても気になります」


「いい返事だ。じゃあ勉強」


 僕はメモ帳を持って立ち上がった。

 相原がこちらを見て、わずかに眉を上げる。


「初日からですか」


「初日からです」


「おかわいそうに」


「ありがとうございます」


 慰めなのか呪いなのか、微妙な言葉だった。


 市民安全部長室は本庁舎の二階にある。防災棟から戻る渡り廊下は、さっきより少し長く感じた。春の日差しはまだ明るいのに、足取りだけが妙に重い。


 部長室へ入ると、まず室温が違った。

 防災棟の空気が疲れた紙の温度だとしたら、こちらはよく管理された会議室の温度だ。机の上も整っている。観葉植物まで元気そうだった。別の世界に来た気がする。


 奥にいたのは、市民安全部長の柴崎と、その隣に座る見覚えのない男だった。

 五十代半ばくらいの柴崎部長は、いかにも“役所の偉い人”という顔をしている。背筋が妙に正しく、言葉より先に責任回避の手順を考えていそうな顔だ。

 そして隣の男は、四十代前半。黒いスーツに、やりすぎない上質さがある。名刺がなくてもわかる。民間企業側の人間だ。


「失礼します」


 真柴が言うと、柴崎部長は手元の紙から目を上げた。


「座ってください」


 僕らは向かいの椅子に腰を下ろした。

 スーツの男が、営業用の薄い笑みを浮かべる。


「初めまして。黒曜ヘリオス渉外統括の御堂です」


 やはり、そちら側か。


「市としては、本日の現場対応について確認したい」


 柴崎部長はそう言って、机の上の報告メモを軽く叩いた。


「住民説明会前の搬入について、現場で停止を求めたそうですね」


「はい」


 真柴が即答する。


「南区画は安全評価保留中です。拡張申請も審査前段階。正式着手前の先行搬入を確認したため、停止要請を行いました」


 柴崎部長は頷かない。否定も肯定もしない顔で、次の言葉を選んでいる。


「しかし御堂さんの説明では、あくまで準備作業であって、申請内容に抵触するものではないと」


「抵触しないように見せてるだけです」


 真柴が言った。

 御堂の笑みが、ほんの少しだけ動く。


「現場には解釈の幅がありますから」


「便利な言葉ですね、解釈」


 思わず口を挟くと、部長と御堂の視線が同時にこちらを向いた。

 しまった、と一瞬だけ思う。だが、もう遅い。


「君は?」


「小宮です。本日付でダンジョン対策課に異動しました」


「……今日?」


 御堂が、わずかに目を細めた。

 新人風情が、という感情を隠しきれていない。


「はい。今日です」


「それで、現場の解釈に口を出した」


「書類に書いてあることを読んだだけです」


 僕は持ってきた申請書の写しを開いた。


「第三階層南区画の安全評価保留は既知の事実です。その状態で通常運用前提の配置計画を出し、住民説明前に搬入を始めている。これを“開始ではない”と整理するなら、少なくとも市側に事前説明が必要です」


 御堂は腕を組まず、机上に手を置いたまま微笑んだ。

 たぶんこの人は、怒るより先に“穏やかに見下す”タイプなのだろう。


「小宮さん、とおっしゃいましたか。現場には現場の事情があります。資材搬入も、スケジュール確保のための準備にすぎません。市としても、黒曜ヘリオスが水瀬市のダンジョン災害対応に大きく貢献してきたことは、ご存じでしょう」


「知っています」


「なら、もう少し柔軟に見ていただけると助かるのですが」


 柔軟。

 それはたいてい、こちらだけに曲がれと言っているときに使う言葉だ。


「柔軟にするための情報が足りません」


 僕は言った。


「搬入物の内訳、仮置き場所、作業指示系統、安全管理責任者、住民説明前に動かす合理的理由。そこが揃えば整理できます」


「そこまで開示する義務はありません」


「なら、市も整理できません」


 御堂の笑みが、ようやく薄くなった。


 隣で柴崎部長が咳払いを一つする。

 その咳払いには、「余計にこじらせるな」という意味がかなり含まれていた。


「小宮君」


「はい」


「今日はまだ異動初日ですね。対策課の実務には、これから慣れてもらえばいい」


 言い方は穏やかだった。だが、要するに黙れと言っている。


 僕は口を閉じた。

 ここで言い返しても、得るものがないのはわかる。


 真柴が代わりに言う。


「部長、慣れる慣れないの話じゃありません。現場はもう動いていました。しかも、向こうは説明会前に先行させるつもりだった。止めなければ既成事実化されていた可能性が高い」


「可能性、ですね」


 柴崎部長はようやく頷いた。


「しかし、実際には大きな事故も混乱も起きていない。こちらとしては、今後の手順確認と再発防止の申し入れで済ませるのが妥当では?」


 その瞬間、ようやくわかった。

 この人は事実を見ているのではない。

 “どこまでなら波風を立てずに済むか”を見ている。


 対策課が止めたこと自体は否定しない。

 だが、それを正面から支持もしない。

 問題を解決したいのではなく、問題の大きさを管理したいのだ。


 御堂が、横から柔らかく言った。


「こちらとしても、市との関係を不必要に悪化させるつもりはありません。今回の件は行き違いということで、次回から事前説明を丁寧にさせていただく形ではどうでしょう」


 よくできた言い回しだった。

 違反ではなく行き違い。

 停止要請ではなく誤解。

 そして次回から丁寧に、ということは、今回はこちらが飲めという意味だ。


 僕は机の上に置かれた部長の報告メモへ目を落とした。

 現場確認の事実は、もうここに上がっている。なら、この場で全部を丸め込まれたら、その後の記録まで“穏便な行き違い”として残る。


「それ、記録にどう残しますか」


 気づけば、また口を開いていた。


 柴崎部長の眉がぴくりと動く。


「何ですか」


「今回の件です。停止要請の理由、安全評価保留区画との関係、住民説明前搬入の事実。それをどう記録に残すんですか」


 御堂が口を開きかけるより先に、僕は続けた。


「行き違い、と書くなら、何と何の行き違いかを明確にする必要があります。準備作業の認識差異なのか、安全評価の運用解釈なのか、住民周知手順の確認不足なのか。そこを曖昧にすると、次回また同じことが起きたときに比較できません」


 部長室が静まる。

 さっきまで空調の音しか聞こえなかった空間に、少しだけ別の冷たさが落ちた。


 柴崎部長が、ゆっくりと眼鏡を外す。


「小宮君」


「はい」


「君は、記録のために仕事をしているのですか」


「違います」


 僕は答えた。


「でも、記録が曖昧だと、後で責任だけが都合よく消えます」


 その言葉は、思った以上に真っすぐ出た。

 財政課で数字を見ていたときから、何度か感じていたことだ。現場で何が起きたかより、あとで何と書けるかのほうが優先される瞬間がある。そしてそういうとき、たいてい損をするのは立場の弱い側だ。


 御堂の目が少し変わった。

 今度は新人を見る目ではなく、厄介なものを見る目だった。


 柴崎部長は、しばらく黙ってから言った。


「……今回の件は、対策課から詳細な確認メモを提出してください。その上で、市としての整理を検討します」


 ずいぶん後ろ向きな言い方だが、少なくとも“行き違いで終わり”とは言わなかった。


 真柴が軽く頭を下げる。


「承知しました」


 会話はそこで終わった。

 御堂も立ち上がり、名刺だけを置いて微笑む。


「小宮さん」


「はい」


「熱意があるのは結構ですが、現場は理屈だけでは回りません」


「知っています」


 僕は名刺を受け取りながら言った。


「だから、理屈が要るんです」


 御堂は数秒だけ黙り、それから営業用の笑みをもう一度貼って部屋を出ていった。


 部長室を出たあと、真柴は渡り廊下の途中まで無言だった。

 外では風が少し強くなっていて、窓ガラスがときどき細く鳴る。


「小宮くん」


「はい」


「初日から飛ばしすぎ」


「すみません」


「褒めてないけど、怒ってもない」


 真柴は歩きながら、ようやく小さく笑った。


「部長の前であそこまで言うの、普通はもうちょい後だよ」


「普通じゃない部署なんですよね」


「それはそう」


 防災棟へ戻ると、相原がパソコンの前でこちらを見上げた。

 僕らの顔色だけで、だいたい察したらしい。


「どうでした」


「お勉強会」


 真柴が言う。


「なるほど」


 相原はそれ以上聞かなかった。聞かなくても想像がつくのだろう。


 僕は席に着き、さっきの部長室でのやり取りを反芻した。

 現場で相手を止めることと、庁内でその行為を守ることは、別の戦いらしい。むしろ後者のほうが面倒かもしれない。外の企業は利益のために押してくる。けれど内側の人間は、“波風を立てないため”に引かせてくる。どちらも結果として、現場の問題を薄める方向へ働く。


 探索者より先に、役所が敵。

 朝の時点では言いすぎだと思っていたが、半日でだいぶ現実味が出てきた。


「小宮さん」


 相原がモニター越しに声をかけてくる。


「はい」


「住民説明会、来週予定だったの、実は一回延期してるみたいです」


「延期?」


「会場調整ってことになってますけど、仮押さえ記録がないんです。たぶん別の理由」


 僕は椅子を回して相原の画面を覗き込んだ。

 申請書の日付、会場予約の履歴、メール送信記録。細い糸みたいな違和感が、いくつも並んでいる。


「搬入の件と繋がりそうですか」


「まだ何とも。でも、嫌な感じはします」


 その言い方に妙な親近感を覚えた。

 数字や書類の違和感は、たいてい最初“嫌な感じ”としてしか現れない。そこで見過ごすかどうかで、その後が変わる。


 真柴がデスクに戻り、缶コーヒーを一本こちらへ投げて寄越した。

 反射的に受け取る。


「配属祝い」


「自腹じゃなかったんですか」


「それ、俺の自腹」


「ありがとうございます」


「で、小宮くん」


 真柴は自分の分を開けながら言った。


「この課で一番面倒なのは何だと思う?」


 質問の形をしていたが、たぶん答え合わせではない。


「黒曜ヘリオス」


「違う」


「住民対応」


「それも違う」


「……部長?」


「近い」


 真柴は缶コーヒーを一口飲み、疲れた目のまま笑った。


「何もしないほうが安全だって、みんな知ってることだよ」


 その言葉は、妙に重かった。

 外の相手が強いから黙るのではない。面倒だから触らない。余計な責任を背負いたくない。だから、見なかったことにする。そういう空気そのものが、たぶんこの課のいちばん厄介な敵なのだ。


 僕は缶を開けた。ぬるい。

 でも、少しだけ苦味がちょうどよかった。


 机の上には、黒曜ヘリオスの申請書、現場確認メモ、住民説明会の延期履歴、そして御堂の名刺が並んでいる。初日の仕事にしては、ずいぶん濃い。


 市役所という場所は、もっと鈍くて、もっと退屈な場所だと思っていた。

 けれど実際には、見えないところで誰かが順番をずらし、言葉を書き換え、責任の線を引き直している。その線の引き方一つで、現場の人間が損をし、市民が置き去りにされ、企業だけが得をする。


 もし、この課の仕事がその線を引き直すことなのだとしたら。

 たしかに、探索者より先に役所が敵なのかもしれない。だが同時に、その中でしか変えられないこともある。


 防災棟の窓の向こうでは、夕方の光が少しずつ青みに寄っていた。

 ダンジョンの入口は見えない。けれど、もっと質の悪い迷宮が、もう足元に広がっている気がした。


 そして、その迷宮はたぶん、地図にも載らない。


 僕は御堂の名刺を裏返し、空白に短く書いた。


 説明会延期の理由を確認。


 相原が、こちらを見て小さく言う。


「続けるんですか」


「何をです」


「面倒なことです」


 僕は少しだけ考えた。

 初日でここまで巻き込まれておいて、いまさら“関わりません”で済む気はしない。


「たぶん」


 そう答えると、真柴が書類の向こうで笑った。


「いいね。向いてる」


 まったく嬉しくない評価だった。

 けれど、そのときにはもう、少しだけわかってしまっていた。


 この課の仕事は、迷宮の外で起きる戦いだ。

 剣も魔法もなく、勝っても褒められず、負ければ静かに誰かが切り捨てられる。

 それでも、誰かがやらないといけない。


 そしてたぶん、そういう仕事ほど、いちど手をかけると目が離せなくなる。


 初日の定時は、とっくに過ぎていた。


 けれどダンジョン対策課では、それを気にする人間が誰もいなかった。

 机の上の書類だけが、これからが本番だとでも言いたげに、白く口を開けていた。

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