南北戦争・中盤(1862〜1863)
1. 1862年:戦争が“国際化”し始める
● 太平洋軍団が本格参戦
序盤では義勇軍扱いだった太平洋軍団が、
1862年に入ると北軍の正式な友軍として組織化される。
構成は:
• 黒人義勇兵(元逃亡奴隷)
• 日本連邦系移民
• 百済系移民
• 日本連邦の退役軍人
• 海軍・造船関係者
彼らは 「太平洋第一軍団」 と呼ばれ、
北軍の西部戦線・沿岸戦線で活躍する。
南部はこれを見て確信する。
「日本連邦は北軍の背後にいる!」
● 赤菊社(日本赤十字)が戦場に進出
• 負傷兵の救護
• 衛生管理
• 野戦病院の設置
• 水質管理
• 感染症対策
赤菊社の活動は国際的に高く評価され、
南部の“日本連邦=敵”という宣伝が弱まる。
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2. 1862年:中立州の政治危機が深刻化
メリーランド、デラウェア、ニュージャージーなどの中立州では、
議会で次の案が正式に提出される。
「日本連邦と安全保障協定を結ぶべきではないか」
理由は:
• 北軍の徴兵が重い
• 南軍の侵攻が怖い
• 日本連邦の海軍が沿岸を守ってくれる
• 赤菊社の医療支援が大きい
• 日本連邦の方が安定している
アメリカ連邦政府は激怒し、
「国家分裂の危機」 と認識する。
南部はこれを見てさらに過激化する。
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3. 1862年:南部の“反日本連邦思想”が形成される
南部の新聞・政治家は連日こう主張する。
• 日本連邦は黒人を武装させている
• 日本連邦は東海岸州を支配している
• 日本連邦は太平洋岸を奪った
• 日本連邦はアメリカを包囲している
南部の思想は
「反北部」→「反日本連邦」
へと変質する。
南部の指導者はこう言い始める。
「我々は北部ではなく、日本連邦と戦っているのだ」
これは後の“北米太平洋戦争”の伏線になる。
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4. 1862年後半:北軍の反攻と太平洋軍団の活躍
● シャイローの戦い
太平洋軍団の工兵隊が橋梁を構築し、
北軍の機動力を大幅に改善。
● ニューオーリンズ占領
日本連邦の海軍顧問団が北軍海軍に助言し、
港湾封鎖と河川作戦が成功。
● 半島戦役
赤菊社が負傷兵の救護を行い、
北軍の士気が維持される。
北軍は史実より早く戦況を立て直す。
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5. 1863年:奴隷解放宣言と日本連邦の支持
リンカーンが奴隷解放宣言を出すと、
日本連邦は即座に支持を表明。
理由は:
• 日本連邦は奴隷制を文明に反するとみなす
• 黒人自治コミュニティを保護している
• 太平洋軍団に黒人義勇兵が多い
これにより、
北軍は道義的正当性を国際的に獲得する。
英国も日本連邦の立場に同調し、
南部承認を完全に断念する。
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**6. 1863年:ゲティスバーグの戦い
(この世界線では“太平洋軍団”が決定的役割)**
史実同様、南北戦争最大の激戦だが、
この世界線では以下の違いがある。
● 太平洋軍団第三旅団(黒人義勇兵)が戦線を維持
• 南軍の突撃を食い止める
• 高い士気と政治意識
• 日本連邦式の衛生管理で病死率が低い
● 日本連邦の工兵隊が防御陣地を構築
• 塹壕
• 野戦要塞
• 砲兵陣地
● 赤菊社が負傷兵を大量に救護
史実では医療崩壊が起きたが、
この世界線では死者数が大幅に減る。
● 南軍は「日本連邦の介入だ」と宣伝
しかし国際社会はこれを否定し、
南部は外交的に完全孤立する。




