南北戦争・終盤(1864〜1865)
1. 1864年:中立州がついに“日本連邦保護”を正式要請
メリーランド・デラウェア・ニュージャージーの議会で、
ついに次の決議が可決される。
「日本連邦に治安維持と沿岸防衛の支援を求める」
理由は明確。
• 北軍の徴兵が重すぎる
• 南軍の襲撃が増えている
• 日本連邦の海軍が最も信頼できる
• 赤菊社の医療支援が不可欠
• 日本連邦の方が“文明的で安定”している
日本連邦は慎重に対応しつつ、
「治安維持部隊」 として海軍・憲兵・医療団を派遣する。
これはアメリカ連邦政府から見れば
“外国軍の北米進駐” に等しい。
南部は激怒し、
北部も「国家分裂の危機」と認識する。
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2. 1864年:シャーマンの進軍が“太平洋軍団との共同作戦”になる
史実の「海への進軍」は、この世界線では次のように変質する。
● 太平洋軍団第二軍団(海軍・工兵)が随伴
• 補給線の構築
• 港湾の確保
• 衛生管理
• 逃亡奴隷の保護
● 黒人義勇兵(太平洋第三旅団)が前衛に
彼らは南部黒人から英雄視され、
南部の社会秩序が急速に崩壊する。
● 赤菊社が占領地で医療・衛生を整備
南部住民は北軍よりも赤菊社を信頼するようになる。
南部の宣伝はこう叫ぶ。
「日本連邦が南部を侵略している!」
しかし国際社会はこれを否定し、
南部は外交的に完全孤立する。
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3. 1864年末:南部の“対日恐怖”が頂点に達する
南部の政治思想は完全に変質する。
• 日本連邦は黒人を武装させている
• 日本連邦は東海岸州を支配している
• 日本連邦は太平洋岸を奪った
• 日本連邦はアメリカを包囲している
• 北部は日本連邦の傀儡だ
南部の指導者はこう宣言する。
「我々は北部ではなく、日本連邦と戦っている!」
この思想が、後の“北米太平洋戦争”の直接の火種になる。
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4. 1865年初頭:南部崩壊と“中立州の日本連邦加入論”の爆発
南部が崩壊すると、
中立州の世論は一気に動く。
● 「日本連邦に加入したい」
という住民運動が急拡大。
理由は:
• 日本連邦の方が安定している
• 医療・教育・治安が整っている
• 奴隷制廃止後の黒人政策が優れている
• 太平洋交易の利益が大きい
• アメリカ連邦政府への不信
中立州の議会では、
「日本連邦加入の是非を問う住民投票」 が議論される。
アメリカ政府は激怒し、
軍を派遣して中立州の議会を“保護”しようとする。
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**5. 1865年:アメリカ軍が日本連邦進駐部隊と衝突
(北米太平洋戦争の前哨戦)**
アメリカ軍が中立州に進軍し、
日本連邦の治安維持部隊と接触。
小規模な銃撃戦が発生する。
さらにアメリカ軍は、
太平洋軍団(義勇軍)を“日本連邦の代理軍”と見なし攻撃。
これは日本連邦にとって
「自国民への攻撃」
と認識される。
日本連邦は増派を決定。
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**6. 1865年:南北戦争は終結するが、
同時に“北米太平洋戦争”が始まる**
北軍は南部を制圧し、
南北戦争そのものは終結する。
しかし同時に、
• 中立州の日本連邦加入問題
• 日本軍進駐
• アメリカ軍との衝突
• 太平洋軍団への攻撃
これらが重なり、
アメリカ vs 日本連邦の限定戦争 が始まる。
これが後に
「北米太平洋戦争」
と呼ばれることになる。




