1668年 日西戦争・終盤(崩壊と講和の一年)
【1】1668年1〜2月:スペイン軍、補給線が崩壊
メキシコ副王領は総力戦体制を維持しようとするが、 次の問題が一気に噴き出す。
太平洋の制海権を完全に失った
→ 日本連邦が海上封鎖を実施 → メキシコからの補給船が沈められる
陸路補給も困難
→ バハ・カリフォルニアは砂漠地帯 → 水・食料・弾薬が不足
先住民同盟軍が離反
→ 日本連邦の現地民兵の方が待遇が良い → スペイン軍は孤立
スペイン軍は 戦う前に補給で敗北 し始める。
【2】1668年3月:日本連邦、三方面作戦を開始
日本連邦は戦争終結のため、 三方向からスペイン軍を包囲する作戦を実施。
● ① 北方:松平家北米総督府の陸軍
鉄砲隊
騎馬偵察隊
現地民兵 → バハ・カリフォルニア北部から南下
● ② 海上:百済水軍の主力艦隊
海上封鎖
上陸支援
砲撃戦 → スペイン軍の退路を断つ
● ③ 東方:南海覇軍の砲兵部隊
旋回砲台
野戦砲 → スペイン砦を遠距離から破壊
スペイン軍は 三方向から圧迫される。
【3】1668年4月:第二次バハ・カリフォルニア陸戦(決定的陸戦)
スペイン軍は最後の抵抗として、 バハ・カリフォルニア中部の山岳地帯に防衛線を構
築。
しかし――
松平家の鉄砲隊が正面から圧力
百済海兵隊が海岸線から上陸して側面攻撃
南海覇軍の砲兵が砦を破壊
スペイン軍は包囲され、 わずか5日で防衛線が崩壊。
スペイン正規兵の半数が降伏し、 残りは南へ敗走する。
【4】1668年5月:スペイン艦隊、最後の反撃(第三次太平洋海戦)
メキシコ副王領は最後の望みとして、 残存艦隊を総動員して太平洋へ出撃。
しかし――
船は老朽化
船員は疲弊
砲術は百済水軍に劣る
情報は後明(鄭成功)に筒抜け
百済水軍は 夜襲+火砲+分断戦術 でスペイン艦隊を撃破。
ガレオン船3隻沈没
小型船4隻炎上
旗艦は拿捕
スペインの太平洋艦隊は 完全に壊滅 する。
【5】1668年6〜7月:スペイン軍、バハ・カリフォルニア南端へ撤退
スペイン軍は補給も士気も尽き、 半島南端のラパス周辺に籠城する。
しかし――
水がない
食料がない
弾薬がない
海上封鎖で逃げられない
松平家の陸軍と百済海兵隊が包囲し、 スペイン軍は完全に孤立。
【6】1668年8月:スペイン軍、降伏
メキシコ副王領は援軍を送れず、 スペイン王室も太平洋戦線を維持できない。
スペイン軍司令官が降伏
砦・武器・艦船を日本連邦に引き渡す
捕虜は丁重に扱われ、メキシコへ送還
ここで 北米西岸からスペイン軍が完全に消える。
【7】1668年9月:日本連邦、カリフォルニア全域を掌握
三州港
南州港
サンディエゴ
バハ・カリフォルニア北部
すべて日本連邦の支配下に入る。
松平家北米総督府は **「東海岸州(カリフォルニア州)」**として正式に編入。
【8】1668年10月:スペイン王室、講和を受け入れる
スペインは太平洋での敗北を認めざるを得ず、 日本連邦と講和条約を結ぶ。
● 条件
スペインは太平洋での領有権主張を放棄
カリフォルニアを日本連邦領として承認
フィリピン再奪取を断念
太平洋航路で日本連邦の優先権を認める
これは 太平洋覇権の完全な移譲 を意味する。
**【終盤の総括】
日西戦争終盤は“スペイン帝国の太平洋撤退”で終わる**
補給線の崩壊
百済水軍の制海権掌握
松平家の陸戦優位
南海覇軍の火砲革命
後明(鄭成功)の情報支援
これらが重なり、 スペインは太平洋から完全撤退。
そして日本連邦は:
太平洋帝国としての地位を確立する。




