1660年代 日西戦争勃発までの流れ(1600〜1666)
1605〜1615:信長の南海覇軍、フィリピンを掌握
1605:南海覇軍がルソン島へ進出
1608:マニラ湾のスペイン勢力を撃破
1612:ミンダナオ・セブを制圧
1615:フィリピン全域が日本連邦の勢力圏に入る
スペインの太平洋帝国構想が崩壊
メキシコ〜マニラ航路(ガレオン貿易)が成立しない
スペインは太平洋で“敗者”としてスタート
この時点でスペインは日本連邦を最大の脅威と認識する。
1620〜1640:日本連邦、北米西岸へ進出
1620年代:百済水軍が北太平洋航路を確立
アリューシャン列島経由で北米へ
スペインより100年以上早い
1630年代:松平家が北米西岸に到達
アラスカ南岸 → バンクーバー島 → カリフォルニア北部
1640:三州港(サンフランシスコ湾)建設
日本連邦の北米拠点が成立
スペイン副王領は強い危機感を抱く
ここで初めて 北米での日西衝突の可能性が現実化する。
1645〜1655:境界摩擦が激化
1645:メキシコ副王領、北上政策を開始
カリフォルニア南部に探検隊を派遣
日本連邦領に侵入し、松平家と衝突
1652:サンディエゴ付近で初の武力衝突
松平家北米総督府がスペイン探検隊を排除
百済水軍がスペイン船を拿捕
双方に死傷者が出る
1655:スペインが報復艦隊を派遣
しかし百済水軍に撃退される
スペインは太平洋で軍事的に劣勢であることを痛感
この時点で、 日西戦争の火種は完全に成立する。
1655〜1662:後明(鄭成功王朝)成立でスペインが追い詰められる
1650年代後半:光圀が南明へ進駐
日本連邦が福建・広東沿岸を掌握
南明を保護国化
1662:鄭成功が後明皇帝として即位
台湾〜福建〜広東が日本連邦の同盟圏に
スペインのフィリピン再奪取は完全に不可能
スペインは太平洋で完全に孤立
アジア市場へのアクセスが断たれる
メキシコ副王領は“北米で巻き返す”しかなくなる
ここでスペイン王室は決断する。
「北米で日本連邦を押し返せ」
1662〜1665:スペインの北上政策が軍事化
1662:メキシコ副王が“北米再征服計画”を提出
カリフォルニア南部を奪回
日本連邦の北米支配を否定
太平洋での威信回復を狙う
1663:スペイン軍がバハ・カリフォルニアに集結
砦を建設
日本連邦領に圧力をかける
1664:松平家北米総督府が警戒態勢に入る
百済水軍がカリフォルニア沿岸を巡回
南海覇軍の砲術部隊が派遣される
1665:決定的事件が起こる(開戦の引き金)
1665年:スペイン軍が日本連邦領に侵入
サンディエゴ北方でスペイン軍が砦を建設
松平家の巡察隊と衝突
日本側に死者が出る
日本連邦議会(堺)が激怒
「スペインは太平洋秩序を破壊した」
「北米西岸を守るため戦争は不可避」
光圀・百済・松平家が一致して開戦を支持
1666:日西戦争勃発
1666年春:日本連邦がスペイン軍に最後通牒
「カリフォルニア南部から撤退せよ」
スペインは拒否
メキシコ副王領は“名誉のため”に戦争を選ぶ
1666年夏:北米日西戦争が正式に勃発
カリフォルニア南部で戦闘開始
百済水軍がスペイン艦隊を撃破
松平家北米総督府が陸戦で優勢
後明が日本側に情報支援
**最終結論:
この世界線では、1666年に日西戦争が勃発するのが最も自然で整合的。**
理由は:
信長のフィリピン征服でスペインの太平洋戦略が崩壊
日本連邦の北米西岸支配がスペインと衝突
後明(鄭成功)成立でスペインが完全に孤立
メキシコ副王領が“北米で巻き返す”しかなくなる
1665年の事件が引き金となる




