5 詩人が想う夜
おそらく今の彼女は戦えない。輝く力を使えない。
でなければ、やらない理由が無いからだ。
「わらわとしても不本意じゃが、致し方なかろう。今はHPが不足しておる故にな」
「なんだよHPって」
「もちろん“姫様パワー”の略じゃ」
「じゃあ何だ。敵は“魔王パワー”でMPか?」
「うむ。それで構わぬ」
聞くだけで、膝から力が抜けるような心地である。
「俺は構うんだよ。あとそもそも“姫様パワー”って何なんだ?」
「それは端的に言えば、女神の力じゃな」
「女神?」
「うむ。おぬしも知っての通り、創世の神話に語られし――」
「いや、知らねえけど」
「……詩人なのにか?」
呆れを通り越して、若干の軽蔑さえ混じった眼差しだ。
「そんな高尚なものを聞いて育っちゃいねえんだよ」
「これより先は、知らぬが恥と心得よ」
「分かったから、そんな怖い顔で詰め寄るな。あと、足を踏むな」
「ともかく“姫様パワー”にまつわる部分だけ、かいつまんで説明するとじゃな――」
*
太古の時代に、世界を滅ぼそうとする悪神と、他の善なる神々との間で戦争があった。
善なる神々は勝利を収めたが、代償として、前線に立った男神たちは死んで消えた。
生き残った女神たちも、残った世界を修復するために力の殆どを費やした。
女神たちは世界を守る力を後生に託すため、人間との間に子を成した。
*
「その女神に選ばれし人間こそ、それぞれ王族の祖先というわけじゃ」
「つまり、姫さんは女神様の血を引いてるってわけか」
「ふふん。もっと敬ってもよいのじゃぞ」
「言われてみれば、聞いたことあるような気もするな」
どこまでが真実かは分からないが、王家の権威付けとしては順当な内容だ。
そして女神を彷彿とさせる光の力は、ラシュディが目の当たりにした事実でもある。
「ひょっとして、髪と目が茶色くなってるのと関係が?」
「左様。“姫様パワー”は、酷使すれば消耗し、また汚れによっても減じる」
ディアナは目を凝らして、自分の毛先をもてあそぶ。
「どうやったら戻るんだ? というより、戻るのか?」
「王女らしく、高貴なる身なりや振る舞いをすることで回復、維持される」
「……寝て回復したりとかは?」
「眠るにしても天蓋付きの寝台で、肌触りのよい寝間着に袖を通し、ふかふかの布団と枕に包まれておれば、きっと全快するであろう」
「うわ面倒くせえ」
「香でも焚ければなお良い」
「追加注文してんじゃねえよ」
「詩を詠んでくれても構わんのじゃぞ」
「ところでさっきの神話だが、どうにもピンと来ねえんだよな」
おねだりを逸らされて不服そうに頬をふくらませるディアナ。彼女を尻目に、ラシュディはまた歩き始めた。
「悪い神が世界を滅ぼすったって、具体的に何をしたんだ?」
「それは文字通り、跡形も無く消し去るということじゃ。いくらおぬしでも、炎獄線くらいは知っておろう?」
「炎獄線?」
「ほれ、炎立つ世界の端っこじゃ」
追いついてディアナは、手振りで、丸い杯をひっくり返したような形を表した。
「知らぬ者も多いようじゃが、善なる光の神々が創ったこの世界は、実は球状をしておる」
「でも大陸の地図は平らじゃねえか」
「それはそれ、これはこれじゃ。ともかく元は完全な球体だったものが、かの戦争によって南半分が消失した」
「でも地図は平らじゃねえか」
「くどい。そして太陽の通り道に沿う南北の境界だった線上には、絶えることなき炎が立つようになったとされておる」
「ああ、つまり赤道線のことか。俺も見たことはないが」
ラシュディは想像のなかで、地図の下縁をなぞる。
一度だけ見たことがあるという船乗りの話によれば、赤道という名に反して炎は青白く、この世の果てに相応しい不気味さだったという。
「赤道線という呼び方は、ラシュディおぬし、出身は東方か? 思えば黒髪も珍しい」
「さあ、俺自身が興味ねえからな。実際にどこで生まれたかは、よく知らねえ」
「あ、これ、待つのじゃ」
それ以降は、ラシュディは黙々と足を速めた。
馬車の転がっている場所まで戻る途中で、数十匹のゴブリン集団とすれ違った。集団は耳障りな濁った声で歌いながら、馬の死体を引きずっていた。
それをラシュディたちは茂みに隠れて息をひそめ、見送った。
「先を越されたか」
「おぬし、あの気の毒な馬を食するつもりじゃったのか?」
「馬はな、乗ってよし、愛でてよし、食べてよしの万能動物だ。捨てるところがない」
「後で兵士たちとともに、篤く弔ってやりたかったのじゃが……せめて、魂が速やかに太陽へ還れるように祈ろう」
遙かな月よ、命の火を導きたまえ――そう呟いてディアナは、両手のひらで何かをすくう仕草をしてから、天に向けて放つように腕を開いた。
馬車に着くと、車内のクッションをひっくり返してディアナは恨めしげに叫んだ。
「わ、わらわの焼き菓子まで無くなっておるではないか!! ……ええい、小鬼どもめ、いずれ必ず根絶やしにしてやる。子々孫々まで、今日の悪行を悔やませてくれようぞ」
「たかが菓子くらいで物騒な」
「食べ物の恨みは恐ろしいのじゃぞ」
「菓子が無ければ、パンを食えばいいじゃねえか」
「そのパンさえ奪われておるわ。兵士たちの分も、根こそぎじゃ」
「だったら泥水でもすするんだな」
「食べ物ですらない!?」
「『危険』を『冒す』と書いて『冒険』と読むんだろ?」
「言葉のあやじゃ。……ときに、おぬしは何をしておるのじゃ?」
屋根の上でラシュディは、布の留め具をナイフで壊している。
「半分くらい焼けちまったが、こういう厚くて丈夫で、水濡れにも強い布は何かと便利だからな」
そうして剥ぎ取った布を、ディアナに放り投げた。
「うにゃ」
頭から布を被った彼女は、猫のように後ずさりしてからそれを腕に抱えた。
「とりあえずよ、姫さん。今日はもう遅いぜ」
「野宿か。温かく柔らかい寝床でなくては、回復の足しにはならぬというに」
見上げればいつしか、上弦の月明かりが目立つ頃合いになっている。
「贅沢は言うなよ。伝説の勇者シャロムも通った道だ」
「む……なれば、やむを得まい」
この辺りで雨風が凌げる、例えば手頃な洞窟などは、既にゴブリンたちの縄張りだ。
安全性と快適さの確保が難しい問題を、ラシュディは勇者の名前を使って話の的を逸らし、誤魔化した。
ゴブリン集団がまた残骸漁りに戻ってくるかもしれないことを考慮し、馬車を離れて、木々の隙間に身を置いた。
馬車から持ち出したクッションや布でディアナを風から守り、ラシュディは木に背を預けてあぐらを掻く。
そうしてすっかり月も沈み、闇もさらに深くなった頃、ラシュディは何者かの接近で目を覚ました。
感覚を研ぎ澄ませてみるに、どうやら気配の主はディアナのようだ。
寝ぼけているようで、のそのそと何かを手探りで求めている。
やがてその手がラシュディの膝に触れると、彼女はそこに頬を乗せて落ち着いた。
「よくもまあ、こんな無防備になれるもんだぜ」
まさか王女様を相手に膝枕をすることになるは予想外だったが、わざわざ起こす必要もないだろうと、ラシュディはまた目を閉じようとした。
「……シャロム様」
しかしディアナが身を縮こませながら夢で呼んだ名前に、一気に目が冴える。
白銀の勇者シャロム=レハン。
「姫さんは、あいつがまだ生きてるって、信じてるんだよな?」
死んだはずの人間の姿を、戦いに臨む構えを、美しい剣筋を、闇に浮かべて思い出す。白い雷を操りながら、鋭い突きで的確に相手の動きを止めることが得意だった。
「だけどもしかしたら、お前さんにとっちゃあ、死んでくれていたほうがマシだったかもしれないぜ」
寝息にさえ打ち消されるほど密かな声で呟きながら、ラシュディは少女の髪を撫でた。




