4 見せない『手品』
ラシュディは節々の痛みで目を覚ました。
切り傷、擦り傷、打ち身に捻挫。
一つひとつは深くないが全身に渡っている。おまけに、背中にかかる木柱も重たい。
「この程度で済んだだけマシか。さて……」
身をよじってみる。さいわい、骨は無事のようだ。
「おーい、誰かー。誰かいねえのかー!? 助けてくれー。おーい!!」
頬に土の触れる姿勢のまま大声を上げた。
それから耳を澄ませてみるが、変わった人間の反応は無い。
「……よし、誰もいねえな」
それから深く一呼吸すると、ゴリゴリと肩を動かした。
自ら関節を外し、縄との隙間を空けて、芋虫のように這って脱出していく。
肩をはめ直しながら立ち上がると、まばらに枯れ色の交じった木々の向こうでは、空が茜に染まりつつあった。
腰に手を伸ばして、装備を確認――寝るときでも身に着けている、柄尻に紐通し用の穴が空いた両刃ナイフは健在だ。
編み縄のベルトには、手のひら大の鉄針が五本差してある。針とはいっても人差し指ほどの太さがあり、先端には螺旋状の溝が浅く入っている。
見回せば、馬車は近くに転がっていた。馬も一緒に倒れていて、もう息をしていない。
「巻き込んじまって、すまねえな」
馬の亡骸に手を合わせてから、馬車を調べる。すると馬車の装飾の一部が意図的に剥がされていることが分かった。
「森ゴブリンの仕業、か?」
地面を注視し、いくつもの小さな足跡を発見。小鬼とも称される、亜人の一種のものだ。奴らは光る物を集めたがる。
だが加えて、それらが人間らしき靴と争ったような形跡も見てとれる。
「ったく、手を焼かせるぜ」
ラシュディは小さく息を吐くと、腰を落とした姿勢で跡を追った。
獣道を進んで、捜し当てるのは容易だった。
「ええい、離さぬか無礼者め! 触るでない。こら、さーわーるーにゃー!!」
布を裂くようなディアナのキーキー声と、甲虫が鳴くような森ゴブリンたちのギィギィ声が、程なく耳に届いてきたからだ。
こっそり近付いてみれば、五匹のゴブリン――子供程度の体躯に、曲がった背中と鋭い鉤爪が特徴の姿――が人間の娘を後ろ手に縛って連れ去ろうとしている最中だった。
「あれ……姫さん、だよな?」
しかし奇妙だ。
たしかに声や服装、顔かたちなどからして、わめいている娘はディアナ王女だと思われる。
だが、髪と目の色が違う。どちらも焦げ茶色だ。
「どういうこった? ……いや、考えてる場合じゃねえな」
ラシュディは深く息を整えた。
「ギィーッ!! ギィーッ!!」
それからゴブリンの声真似で注意を引きつけ、相手からは見えない場所にまで誘導。ラシュディ自身は音も無く樹上に駆け上る。
すると森ゴブリン五匹のうち、三匹が恐るおそるやって来て、不思議そうに辺りを窺った。
機を見計らい、直上から無防備な肩口めがけて鉄針を打ち落とす。
刺された三匹は小さな悲鳴を上げ、力無く倒れ込んだ。
「ギィ。ギィギィ、ギィ!!」
再度の声真似で誘われてきた四匹目を、飛び降りざまに首を蹴って昏倒させる。今度は呻き声すら出させない。
ラシュディは淡々と、しかし素早く、最後の一匹のもとへ向かった。
ゴブリンはその姿に気付くなり、茶髪の娘を盾にして構えた。
鉤爪を彼女の脇腹に添えて、近付けばこの女のはらわたを引きずり出してやるとでも言いたげだ。
「ラ、ラシュディか? よくぞ参った。早くわらわを助けるがよい」
そして茶髪の彼女は目を合わせるや、人質になっていることも忘れたように、ぴょこぴょこ跳ねた。
「やっぱり姫さんだったか。っていうか、落ち着け」
「痛いではいないか。小鬼のくせに、わらわの玉肌に傷をつけおって」
鉤爪が食い込む。だがこの場合はどちらかと言えば、彼女が勝手に怪我したのだ。下手に動くから。
「言わんこっちゃねえ。何とかパワーはどうした」
「早く助けよ、と命じたはずじゃぞ。おぬしが呆けておるせいで、痕が残ったらどうしてくれよう」
「俺のせいかよ」
「おぬしの、目の前で、わらわが負傷したのじゃぞ」
どうとでも責任をとれ、ということだ。この理不尽さは、まさしく暴君王女である。
言葉が通じないはずのゴブリンでさえも戸惑っているように見える。
「分かった、分かったよ。あー、でもその前に」
「何じゃ?」
「ちょっと、目を閉じててくれねえかな」
「何故じゃ?」
ディアナは目をぱちくりさせた。
「そのくらい構わねえだろ?」
「構わぬと言えば構わぬが」
仕方なくといった調子で、彼女は指示された通りにした。
「ちゃんと閉じたか?」
「つむった」
「見てねえな?」
「何も見えぬ」
「こっそり薄目とかも無しだぜ」
「しつこいのう。いったい何の意味があるというのじゃ」
「はいよ。終わった」
ディアナの苛立ちがさらに増したところで、ラシュディは事も無げに解決を告げた。
「ふむ?」
怪訝そうに、ゆっくり目を開けたディアナ。
その足元にはゴブリンが、痙攣して突っ伏している。
「もう大丈夫だぜ」
そしてラシュディはというと、彼女の真後ろに立っていた。
「いつの間に? どんな魔法を使ったのじゃ!? 透明化か? 瞬間移動か?」
「秘密だ」
ラシュディはさらりと、ナイフでディアナを解放する。
「いずれにしても僥倖!! 一等級の魔法使いに、今日だけで二人も会えるとはのう。いやはや、実に良き日じゃ」
「姫さんもちょっとは、縛られる側の気持ちが分かったか?」
「む、隠さずともよかろうに。ほれ、見せてみやれ」
「お前、人の話を聞けよ」
「見せよ、とわらわが言っておるのじゃ」
「実は俺、これでもけっこう恥ずかしがり屋さんなんだ」
「そんな気色悪い言い訳はいらぬぞ。ほれほれ」
目を輝かせたディアナに迫られ、ラシュディは面倒くさそうに顔を逸らす。
「俺は昔、手品師をやっていたことがあるんだ。タネは明かせないが、俺のは魔法じゃねえ」
「なんじゃ。つまらぬ」
急に冷めてディアナは、足先でちょんちょんとゴブリンを突いた。
「して、まだ生きておるようじゃが」
「痺れさせただけだからな」
「とどめは刺さぬのか?」
「必要ねえだろ。こいつらだって、たまにちょっと家畜を盗んだり、光り物を奪ったり、女を襲ったりすることがあるけど、根は良い奴なんだぜ」
「良い奴の定義とは?」
「こいつら程度の悪事をする奴なんざ、人間にだってごまんといる。そいつら全部、殺して回ったってどうにもならねえだろ」
「しかし、小鬼は人間ではなかろ?」
「だからだよ。こいつらも生きるのに必死なんだ」
「何故おぬしは、小鬼めの肩を持つのじゃ?」
「生きるのに必死な奴らだからな」
「……同じ事を二度言った?」
ラシュディはゴブリンの脇腹に刺さっていた鉄針を抜き、草葉で拭いた。
「まあ、どうしても殺したけりゃ……肉にして食いたいってんなら話は」
「嫌じゃ。気色悪い」
台詞が終わる前にピシャリと拒否される。
「まあ、俺もおすすめはしねえ」
鉄針に血が残っていないのを確認してから、ベルトに差し直した。
「とりあえず、姫さんも無事みたいだな」
来た道を辿りつつ、改めてディアナの調子を探る。重傷こそ負ってはいないようだが、やはりところどころに小さな怪我は見てとれた。
「うむ。服はいくらか汚れてしもうたが、この通り、首飾りは守り仰せたぞ」
「首飾りの話はしてねえよ」
それでも当の彼女は、ラシュディの心配などどこ吹く風で、ドレスの下に隠していた青玉石を自慢げに見せつけてくるのだ。
「ところで姫さん。あんた、強いのか弱いのか、どっちなんだ?」
ラシュディは残り三本の鉄針を回収しながら、先ほどからの疑問を口にする。
「あれだけ道化師と戦えて、なんでゴブリンなんかに手も足も出ない?」
ゴブリンは、基本的には臆病な性格である。自分たちよりも圧倒的に強いと分かる相手には執着しないし、個々の力だってそこいらの農夫でも武器があれば撃退できる程度だ。
「本気を出せば、何も恐るるに足らんのじゃがな」
「じゃあ出せよ、本気を」
「…………」
「出来ない理由が……あるんだな?」




