↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リバース・フロム・ディスペア  作者: rururu-nn


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/18

第9話 戻る

三人は、急がない。


 割れたガラスを踏む音が、かかとから順に鳴る。三人は少しずつ左右へ開いていく。真ん中は、肩を撃たれた男だ。押さえた指のすき間で、黒い布が濡れて光っている。


 カイの頭は、まだ数えている。


 三人とも、手をこちらへ開かない。屋上へ向けたあの手を、カイには向けない。


 殺す気なら、もう光っている。


 生かしたまま、運ぶ気だ。


 ワンの指のそばに立てた缶を、目のはしに一度だけ入れる。それから、走る。


 工場の裏の路地へ。右。左。干したシーツの下を、頭を下げてくぐる。洗濯物を取りこんでいた女が、カイの顔を見るなり、窓を音を立てて閉める。


 曲がり角のたびに、足の裏が次の道を先に知っている。この体は、何年もこのあたりを走り回ってきたらしい。


 背中で、足音が二つに分かれる。一つはまっすぐ追ってくる。もう一つは、どこかへ回りこんでいく。


 肩の男の足音は、ついてこない。




 細い路地の出口に、黒いコートが一人立っている。回りこんだ方だ。


 後ろの足音は、まだ遠い。一対一。


 腕が上がり、肩の前で何かを構える形に固まる。足は勝手に開いて、長い物を握る時のように半歩引く。腕と足が、別々のけんかをしようとしている。


 黒いコートが踏みこむ。


 速い。払った腕ごと、壁に押しつけられる。ひじが、あばらにめりこむ。息が全部、口から押し出される。


 カイも返す。手の甲が布の上から頬を打ち、布の下で歯が鳴る。


 どちらも下がらない。壁と壁が近すぎて、よける場所がない。


 二つ目のひじが、同じ所に入る。


 咳が出る。止まらない。体を折ると、口から黒いものがこぼれて、石だたみの上で犬の形になる。


 タマ。


 黒いコートの目が、下へ落ちる。布の上の目が、跳ねるタマを追いかけている。こいつらには、見えている。


 男が、耳もとの小さな機械に指を当てる。


『寄生体、確認。外に出ている』


 声は落ち着いている。目だけが、タマから離れない。


 そのすきに、体が動く。


 二度もらったひじの角度を、あばらがそっくり覚えている。同じ角度で、同じ速さで、そのまま返す。


 ひじが、布の上からあごに入る。


 骨の砕ける手ごたえが、腕を伝って肩まで来た。


 男の膝が抜ける。壁をこすって、ずるずると座りこむ。何か言おうとして、横にずれたあごが動かない。


「しゃべらなくていい。聞いても、どうせ答えねえだろ」


 耳の機械をむしり取って、かかとで踏みつぶす。小さな部品が、石の間に散る。


 胸に、どん、と重みがぶつかる。タマが戻ってくる。


 角の向こうで、足音が近づく。カイは塀に手をかけ、向こう側へ体を落とす。




 橋の下は、昼でも薄暗い。


 コンクリートの壁には、いつかの夜に石で書きつけた字が、一面に残っている。その前に座りこむと、息を吸うたびにあばらがきしむ。手の甲には、布ごしにぶつけた歯の形が赤く浮いている。


 段ボールが、がさりと鳴る。ひげのじいさんが顔を出し、カイの顔をしばらく眺める。


「ひでえ面だな。壁よりひでえ」


「壁は、まだ消してねえ」


「知ってる。毎晩、見てる」


 じいさんは、水の入ったペットボトルを一本、黙って転がしてよこす。半分ほど減っている。


 ふたを開けて、一口。ぬるい。さびた鉄の味がする。


「金は」


 じいさんは首を横に振る。それから壁の字を端から順に眺めて、段ボールの奥へ戻っていく。ほどなく、いびきが聞こえてくる。


 何があったのか、じいさんは一つも聞かない。聞かれたら、答えの代わりに何が口から出てくるか、カイには分からない。


 日が落ちるのを待つ。胸の中のタマは、朝から一度も動かない。




 工場の前に戻ると、空はもう暗い。


 ロープは張られていない。警察の車が来た跡もない。割れたガラスが、朝の形のまま道に散らばっている。


 向かいの家に明かりがつく。顔を向けると、カーテンがすっと引かれる。


 ワンは、下ろした場所にいる。指のそばの缶も、立ったままだ。


 缶をポケットに入れ、ワンを背負う。


 外階段は一段ごとに鉄の音を返し、そのたびにあばらが同じ所で鳴り、背中のワンは朝よりずっと重く、だらりと下がった腕が一段ごとにカイの腰を軽く叩くので、そのたびに振り返りそうになる首を、手すりをつかむ指の力で前へ向けたまま、最後の段まで上がっていく。


 屋上の床に、黒く焼けた跡が二つある。真ん中と、手すりの前。


 リーは、そのどちらにもいない。小屋の戸の手前でうつぶせになり、片方の腕を戸の方へ伸ばしている。窓から顔を出していたワンを、中へ押し戻しに行く途中の形だ。


 ワンを、リーの隣に寝かせる。ポケットからワンの缶を出して、頭の横に立てる。


 手すりの下に、銃をふいていた布が落ちている。立てかけてあったはずの長い銃は、どこにもない。屋上の端から端まで、二度探す。ない。


 布を二つに裂いて、二人の顔に一枚ずつかける。


 隅に転がっていたワンの包みは、ひもをほどきかけて、やめる。中の重さは、手が知っている。結び直して、ワンの腕に抱かせる。


 二人の前に座る。何か言おうと、口を開ける。何も出てこない。名前だけは、朝、あんなに簡単に出たのに。


 ポケットから、もう一本の缶を出す。朝、リーに振ってみせた缶だ。


 プルタブを起こして、一口。


 甘い。


 二口目も、甘い。


 目は、乾いたまま。


 顔にかけた布のはしが、夜風でめくれる。手を伸ばして直す。少しして、また浮く。また直す。三度目に、飲みかけの缶を重しに置きかけて、やめた。


 指を折って、日を数える。処理場で目を開けた夜から、今日で五日目。


 胸の骨の上を、指で端から順に押していく。骨の裏で、タマは丸くなったまま、爪の先も動かさない。


 どこを押しても、痛む場所は見つからない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。