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リバース・フロム・ディスペア  作者: rururu-nn


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第6話 試す

朝の川べりで、検査着を脱ぐ。


 丸めたえりの裏で、何かが光る。縫いつけられた、小さな金属の札。


 776。


「あいつが見てたのは、これか」


 ゆうべ、戸を開けると、レムルはもう電話をしまっていた。忘れ物だよ、と同じ笑い方で袋を差し出して、電話のことは一言も言わない。カイも聞かない。聞けば、聞いたことが向こうに残る。


 札を糸ごと引きちぎって、川へ投げる。小さな音がして、すぐに見えなくなる。


 古着屋の店先の、ひとやま百円のかごから、黒いシャツを一枚引っぱり出す。少しかび臭い。その上に作業着を羽織る。検査着は、ごみ箱へ。


「どうだ」


 胸の中のタマは、何も言わない。




「五十万なら、ここが一番早い」


 昼、ワンに連れられて、町の東のはずれの古い倉庫へ行く。中は金網の囲いで、客席がぐるりと取り巻いている。汗と、こぼれた酒のにおい。


 受付の黒板に、白い字で、勝てば三万。


 受付の男が、帳面から顔を上げる。


「名前」


「カイ」


「番号は」


 手が、えりもとへ行きかける。今朝、川へ捨てた所だ。


「ねえよ」


「なら新入りだ。一戦目は安い相手を回す」


「安い相手って、どのくらい安いんだ」


「お前と同じくらいだ」


 ワンが、横を向いて吹き出す。肩が震えている。


「笑うとこか」


「笑うとこだろ。値札つけられてやんの」




 一戦目の相手は、カイより頭一つ大きい。安い相手の話は、どこへ行ったのか。


 男の大振りの右に、細い線が重なる。半歩ずらして、あごの下に拳をもぐりこませる。男が膝から落ちる。


 三万が、手に来る。


 金網を出ると、ワンが外から指をかけている。


「お前、今、殴ったな」


「殴ったよ」


「前のお前は、殴り合いなんか大っ嫌いだったぞ。離れて撃って、終わり。拳が痛えのはいやだって」


「今日は銃がねえ」


「そういうことじゃねえよ」


 ワンは笑って、券を買いに行く。それきり、そのことは言わない。


 来た三万を、そのまま次の自分に張る。




 二戦目。


 金網の扉が開いて、男が一人入ってくる。灰色がかった肌。肩から腕の肉が、服の上からでも盛り上がって見える。首に、小さな金属の札。


 290。


 カイの指が、自分のえりもとへ伸びる。そこにはもう、何もない。


 男も、カイのえりもとを見ている。何もない所を、じっと。


 客席から、番号を呼ぶ声がそろう。二百九十、二百九十。名前で呼ぶ者は、一人もいない。


 鐘が鳴る。


 足が開く。右足を引いて、腰を落とす。長い柄のついた何かを、両手で握るための足。


 腕は、肩の前で固まる。こっちは、銃を構える形。


 足と腕が、別々のことを言っている。


 290の拳が来る。線が重なるより速い。腕で受ける。骨まで響く。次も、その次も、受けるだけで手一杯だ。


 右の手のひらが、急に熱くなる。小さな骨のかたまりを握りこんで、振る直前の熱。そんなものを握った覚えはない。


 熱に気を取られた一瞬、290の膝が腹に入る。


 息が、全部外へ押し出される。客席の声が遠くなる。床が、近づいてくる。


 290は追ってこない。倒れたカイを見下ろして、首の札を指でいじっている。


「その札、どこでもらった」


 床に頬をつけたまま聞く。290の指が、札の上で止まる。


「もらったんじゃねえ。名前と、取りかえた」


 290が背を向ける。首の付け根から背中へ、縫い目のような古い傷あとが一本、まっすぐ走っている。そのまま、金網を出ていく。


 名前と、取りかえた。


 床の冷たさが、頬から耳へ広がる。こっちは、名前の方だけ持っている。誰かの名前を、誰かの体ごと借りて。取りかえた覚えも、もらった覚えもない。


 あいつは、取りかえて、何をもらったのか。それが、殴られた腹より気になる。


 三万は、来て、すぐに出ていく。


 受付の男が、帳面に何か書きこみながら言う。


「新入り。いい負けっぷりだ。客がよろこぶ。また来い」


「次は勝つ」


「みんなそう言う。言った次の週も来る奴は、半分だ」




 外のベンチで、ワンが缶コーヒーを差し出してくる。ぬるい。ワンの分は、もう半分空いている。


「290に一万張っといた。その儲けで買った」


「お前な」


「保険だよ。友だちが負けた日に、飲み物代くらいは残るように」


「友だちに張れよ」


「張ってたら、二人とも手ぶらじゃん」


 ワンは笑って、残りを一気にあおる。


 腹の左側が、膝の形に痛む。カイは右の手を開いて、見る。熱は、もう引いている。何も残っていない。


 握って、開く。もう一度、握る。


 足は長い何かを知っている。腕は銃を知っている。この手は、骨のかたまりを振る熱を知っている。全部この体の中にあるのに、一つも、こっちの言うことを聞かない。


「何が足りない」


 手に聞いても、返事はない。


 ワンが、空き缶をごみ箱に投げる。外れる。拾いに行かない。


 それから、金網の方を見たまま言う。


「今夜、焼肉な。一個、確かめたいことがある」


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