第14話 高かった
最後の一枚を抜き、申しこみの紙と一緒に四つに折って、シャツの内側へ押しこむ。
それから、扉に向き直る。取っ手は回らない。鍵穴は、外側にしかない。
窓はない。天井の通気口は、こぶしが一つ入るかどうかの大きさだ。
壁ぎわに、鉄の戸棚が一つ。ガラスの向こうに、指ほどの黒い小びんが並んでいる。どれにも、同じ札が貼ってある。
【出力極大化】
意味は分からない。棚の前の床だけ、ほこりが薄い。誰かがここで、何日も人を待っていた跡だ。
鍵が回る。
入ってくるのは、やせた男だ。首に、何も下がっていないひも。左の金属の指が、鍵束をかちりと鳴らす。
「やあ、兄さん。紙は読めたかい」
レムルは、後ろ手に扉を閉める。
「紙の好きな人は、いつか紙の置き場に来る。僕の勘は、外れたことがないんだ」
「店は、どうした」
「閉めたよ。もう要らないから。十年かけて集めたガラクタの山も、まとめて人にやった。もう、あそこに座って誰かを待たなくていいんだ。それより、あのファイル、いくらで売ったか覚えてる?」
「一万」
「安かったろう。こっちは、ずいぶん高く売れたけどね」
戸のすき間から聞こえた、電話の声。路地の角で鳴った、かちりという音。壁の角をつかんでいた、金属の指。
ばらばらだったものが、一本の線になる。
「ワンくんは、残念だったね。部品の値段を、一度もごまかさない子だった」
胸の奥で、誰かが叫びだす。白い光の朝と、同じ声だ。今度は名前を呼ばない。ただ、怒っている。カイ自身の怒りより先に、その声が胸の内側を叩く。
「あの二人の居場所を、売ったのか」
のどの奥で、声がざらつく。
レムルはまばたきを一つして、それから笑う。
「高かったよ」
首のひもを、指でつまんでみせる。
「番号が下がってるとね、道で人が目をそらさないんだ。ちゃんと、こっちを見てくれる。兄さんには、分からないかな」
何も下がっていないひもの先を、レムルは金属の指でなでる。
「分からねえ。札なら、俺は川に捨てた」
「知ってるよ。だから兄さんは高いんだ」
レムルは、うれしそうに指を折って数えてみせる。
「番号を捨てた男に、すごい値段がつく。番号を欲しがってる僕には、ゼロ。おかしいよね。でも、それが今日で終わる。兄さんを届けたら、僕の首にも札が戻る。札があれば、パン屋の女だって、釣り銭を手渡しでくれる」
「パンの釣りのために、二人売ったのか」
「パンだけじゃないよ。全部だよ」
口の中が、さびた鉄の味になる。
拳が出ている。考えるより先に。
その前に、白いものが割りこむ。
石を殴った音。指の骨に、痛みがはね返る。皮がむけて、血がにじむ。
うすい病衣一枚に、はだしの男が立っている。短く刈った頭。目だけが、ひどく疲れている。拳を受けた腕が、肌ではなく石の色に固まっている。病衣の胸に、縫いつけた番号。255。
「回収係だよ。下っ端だけど、硬いんだ。ワンくんが言ってたとおりだね。カイは怒ると、先に手が出るって」
ワンが言っていたのは、逆だ。前のカイは、殴り合いが大嫌いだったと。
この男は、死んだ者の口まで売る。
胸の奥の声が、もう一段大きくなる。その声に押されて、カイの足がまた前へ出る。
255は何も言わない。右手を、自分の右の脇腹に当てている。
もう一発。あごを狙う。255の首が灰色に変わり、拳はまた石に当たる。眉ひとつ動かない。
「痛くないのか、それ」
答えはない。額から、汗が一つ落ちる。右手の指が、病衣の上から脇腹をかばっている。
横へ回りこもうとする。255が半歩ずれて、道をふさぐ。速くはない。けれど、どこへ回っても、そこにこの体がある。右手は、脇腹から離れない。
左手だけが伸びて、胸ぐらをつかむ。
体が浮く。
「あんまり壊さないでね。値段が下がる」
背中から、鉄の戸棚に叩きつけられる。ガラスが割れ、黒い小びんが床に散らばる。
息が止まる。あばらの、路地でひじをもらった所に、もう一度痛みが走る。中で、細いひびの入る音がした。
床についた指に、ガラスが一つ刺さっている。抜くと、赤い玉がふくらむ。
頭が、手札を数える。拳は通らない。足はふさがれる。扉には鍵。その前に、ひもの男。
勝てる勝負しか、打たない。今の手札では、どこにも張れない。
255が一歩近づく。はだしの足が、ガラスのかけらを踏む。血は出ない。足の裏まで灰色だ。
「靴くらい、はけよ」
255のまぶたが、一回下りて、上がる。返事のつもりらしい。
「ほら、怒らせた」
レムルが、楽しそうに鍵束を鳴らす。
指の先に、黒い小びんが一本、転がってきて止まる。札の字が、こちらを向いている。
何に効くのかも知らない、黒い一本。拳でも足でもない、最後の一枚の札だ。
カイは、その上に手をかぶせる。冷たい。
かちり、と音がする。
255の肩ごしに、レムルが左腕を上げている。金属の指が、拳銃を握っている。
「動かないでくれるかな。生きたまま連れていくと、値段が倍なんだ」
銃口が、まっすぐカイの顔を向いている。




