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リバース・フロム・ディスペア  作者: rururu-nn


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第13話 資料室

 夜明け前の交差点に、もう死体はない。


 夜のうちに、誰かが運んだ。見た者はいない。アスファルトの線と、斜めにずれた電柱だけが、そのまま残っている。みかんも、胸ポケットの紙の束も、もうない。


 カイは線の前にしゃがみ、指先を近づける。


 知りたい、と思うより早く、針が一本、線の中へ沈んでいく。


《切られたもの》


 ほかには、何も来ない。


 切られた物には、ふつう刃の通った跡が残る。押された側と、裂けた側がある。この線には、どちらもない。入った所も、出た所もない。初めから二つだったものを、ぴったり並べて置いたような切り口だ。


 指が止まる。


 針がほどけて消える。こめかみの奥が、ぎしりときしむ。


 背中で、自転車のベルが鳴る。朝の早い豆腐屋が、線をよけて通っていく。荷台の木箱が、線の上でかたんと跳ねる。


 カイは立ち上がる。


 番号持ちが出てくるなら、番号の元を見に行けばいい。




「研究所の、掃除屋の服だな」


 昼すぎ、レイドがカイの作業着の袖をつまむ。縫いとりの字を、指でなぞっている。橋の下に置かれていた服だ。袖の縫いとりは、どこかの会社の名前だとしか思っていなかった。


「スラムからも、夜の番で何人か通ってる」


「中に入れるのか」


「札があればな。なんで研究所だ」


「番号持ちが出てくる所の、元を見に行く」


「意味が分からねえ」


「俺も、半分しか分からねえ」


「半分で行く奴があるか」


「残りの半分は、行けば分かる」


 レイドは長く煙を吐く。灰を二回に分けて落とし、それから黙って店の電話を取る。


 夕方、やせた若い男が一人、店先に来る。首に、写真つきの白い札を下げている。


「三日、貸してやる。夜の門番は、札の色しか見ねえ」


「なくしたら」


「なくしたって届けりゃいい。おれは来週には、別の町だ」


 男が手を出す。カイは革のケースから紙幣を三枚抜いて、その手にのせる。ケースが、また薄くなる。


「中で番号持ちに会ったら、掃除のふりで通りすぎろ。走るな」


「走らねえ。モップ持って走る掃除屋はいねえ」




 次の夜、研究所の裏門に、掃除の車が並ぶ。


 スラムから東へ、乾いた道を一時間。白い壁は、夜の中でも白い。


 札を機械にかざす。小さな音が鳴る。門番は札の色だけ見て、あくびをかみ殺す。


 廊下は、床も壁も天井も白い。においが、何もない。


 角を曲がると、黒いコートが一人、向こうから歩いてくる。


 カイはモップの先を床に落とし、こする。目は上げない。かかとから鳴る靴音が、すぐ横を通りすぎて、一度も止まらない。


 背中を、汗が一筋つたう。


 ほかの掃除屋が、それぞれの階へ散っていく。年寄りの一人が、すれ違いざまに声を落とす。


「新入りか。地下には下りるなよ。明かりが半分切れてる」


「何かあるのか」


「何もねえ。だから、誰も掃除しねえ」


 非常階段で、地下へ下りる。年寄りの言ったとおり、明かりが半分切れている。


 どこかで、低い鼻歌がする。歌詞のない、同じ節のくり返し。


 廊下の角を、背の高い白い防護服の背中が曲がっていく。処理場で、紙幣のケースと靴をくれた背中だ。返しに来ると言ったのに、今の手にあるのはモップ一本きりだ。


 鼻歌は、背中と一緒に遠ざかって消える。


 資料室の扉は、古い鍵穴のついた扉だ。札をかざす機械はない。


 鍵穴に、針が一本吸いこまれる。中に、小さな金具が五つ。四つ目だけがすり減って、もう引っかからない。


《すり減って、もう噛まない》


 モップの柄から細い金具を二本外す。一本を鍵穴の下に差してねじり、もう一本で、金具を奥から順に押し上げる。四つ目は放っておく。どこで覚えたのか、手が先にやり方を知っている。


 ことり、と軽い手ごたえ。




 灰色の棚に、番号の背が並んでいる。301から始まって、いちばん奥が776。そこだけ、ほこりが薄い。


 開くと、紙の半分が黒く塗りつぶされている。読める行を、指でたどる。


【二核計画 被検体776 胸部右側に媒体を設置 心停止 計測上、失敗 処理場へ】


 ファイルの間から、紙が一枚はみ出している。新兵器の被検体を募る、申しこみの紙。ワンが言っていた、なんとか募集だ。名前の欄だけ、塗り残されている。


 カイ。右上がりの、癖のある字。


 ノートに書く自分の字は、右に上がらない。


 胸に手を当てる。


 心臓が打っている。その少し右で、もう一つ、何かが打っている。二つの音は、ほんの少しずれている。


 胸部右側。紙の字と、手の下の音が、同じ場所を指している。


「いつからだ」


 答える者はいない。


 隣の棚に、手が伸びる。775。774。773。最後の行は、どれも同じだ。


【処分】


 やめられない。番号が小さくなるほど紙は黄ばみ、日付は昔へさかのぼっていく。最後の二文字だけが、同じ大きさのまま変わらない。301まで、全部めくる。指の先が、紙のふちで切れて赤い。


 生き残りは、一冊だけ。


 776に戻る。最後の一枚だけ、紙が新しい。角が、まだとがっている。


 めくりかけた時、背中で扉が閉まる。鍵の回る音が続く。


 振り返る前に、指はもうめくっていた。


【被検体776 生存確認】


【最優先回収対象】


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