EP 6
ライターの音色
カチッ。
真鍮製のオイルライターが弾ける音が、冷え切った路地裏に木魂した。
小さなオレンジ色の炎が、龍魔呂の顔を妖しく照らし出す。
血の気が失せ、蝋人形のように蒼白になった顔。
その瞳孔は極限まで収縮し、目の前にいる三十名の完全武装した傭兵たちを、路傍の石ころ以下の『ゴミ』としてしか認識していなかった。
龍魔呂の脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする。
地下格闘技場の冷たい床。ゴミ捨て場のひどい悪臭。
そして、徐々に冷たくなっていった弟、ユウの小さな手。
『子供の悲鳴を笑う悪党』。
それが、彼の精神のタガを外す唯一にして絶対のトリガーだった。
温厚なマスターの意識は深海へと沈み、かつて観客を皆殺しにした最凶の殺人機械、処刑人【DEATH4】が完全に浮上する。
「……坊主」
龍魔呂は、へたり込んでいる犬耳族の少年に向かって、ひどく平坦な声で言った。
「目と耳を塞いで、この道をまっすぐ走れ。……振り返るなよ」
「あ……う、うん……っ!」
少年の本能が『この赤い服の男の言う通りにしなければならない』と告げていた。
彼は涙を拭い、弾かれたように立ち上がると、無我夢中で夜の闇へと駆け出していった。
「チッ、ガキが逃げたぞ! 追え!」
ザックが怒鳴るが、部下たちは一歩も動けない。
目の前に立つ龍魔呂の全身から、赤黒い陽炎のような『何か』が噴き出し始めていたからだ。
龍魔呂の右手に嵌められた『鬼王の指輪』が、主人の殺意を食らい、脈動している。
「……な、なんだこいつ! 闘気じゃねえ、魔力でもねえ! なんだこの気味の悪い気配は……!」
「ひっ……!」
ルナミス帝国の過酷な軍事訓練を生き抜いてきた傭兵たちが、ただ一人の男が放つプレッシャーの前に、歯の根をガチガチと鳴らして震えていた。
「怯むなァ!!」
恐怖を振り払うように、ザックが絶叫した。
「相手は丸腰の優男がたった一人だ! 撃て! 蜂の巣にして肉塊に変えてしまえ!!」
その号令で、三十丁の『九九式魔導ライフル』が一斉に火を噴いた。
凄まじい轟音とともに、赤い魔力弾の雨が路地裏を埋め尽くす。
人体など容易く貫通し、背後の石壁ごと粉砕するほどの圧倒的火力。
だが。
『――遅い』
龍魔呂は、タバコを吹かしながら、一歩だけ前に出た。
ジュゥゥゥゥッ!!
魔力弾が龍魔呂の体に触れる寸前。
彼を覆う『赤黒い闘気』に触れた弾丸が、水滴が灼熱の鉄板に落ちたかのように、一瞬で蒸発し、霧散した。
「……は?」
「な、なんだと!?」
「魔導弾が……消えた!?」
ザックたちが絶望的な声を上げる。
『鬼王の指輪』から放たれる闘気は、この世界におけるあらゆる魔法や闘気を【無効化】する特異な波長を持っている。
ルナミスの誇る魔導兵器も、龍魔呂の前ではただの派手な花火に過ぎない。
「化け物……化け物だ! 撃ち続けろ! 弾幕を張れ!!」
パニックに陥った傭兵たちが、無我夢中で引き金を引き続ける。
閃光と轟音が路地裏を包み込む中、龍魔呂は一切のダメージを受けることなく、ただ静かに紫煙を吐き出した。
そして、右耳に付けた漆黒のインカムに、軽く指を触れる。
「……聞こえるか」
通信の先は、ポポロ村ではない。
いや、このアナスタシア世界ですらない。次元の壁を隔てた遥か彼方、難攻不落の鉄壁要塞だ。
『ヒャッハァァァァァァァッ!! 待ってたぜェ、我が神!!』
鼓膜を突き破らんばかりの、テンションの振り切れたダミ声。
ジャンクフードとコーラを愛する天才マッドサイエンティスト、ガジェットの声だった。
「掃除の時間だ」
『了解! さあ、今夜も極上のパーティーの始まりだぜ!』
龍魔呂が短く告げた瞬間。
傭兵たちの頭上、ポポロ村の夜空に、巨大な『亀裂』が走った。
空間そのものがガラスのように割れ、異次元の扉が開く。
「な、なんだ!? 空が……!」
ザックが恐怖に顔を引き攣らせて見上げた先。
次元の裂け目から、真っ黒な巨大コンテナが、地響きを立てて傭兵たちの背後へと落下・展開した。
プシュゥゥゥゥッ!
重厚なロックが外れ、白い冷却ガスが噴き出す。
そこから姿を現したのは、アナスタシアの住人が見たこともない、地球の最新鋭にして狂気の兵器群だった。
「……武器の制限は解除する」
龍魔呂はタバコを石畳に落とし、革靴の底でゆっくりと踏み躙った。
「一つ残らず、塵に変えろ」
静かな、死刑宣告だった。




