EP 3
交響曲第7番の追跡(宿代の精算)
深夜。ポポロ村の北を囲む暗い森の中を、一台の豪奢な馬車が猛スピードで駆け抜けていた。
「急げ! もっと馬を叩け!! ルナミスの暗殺者が追ってきているかもしれんのだぞ!」
馬車の中で肥え太った体を揺らしながら絶叫しているのは、ルナミス帝国から逃亡してきた悪徳貴族、バルバロス伯爵だ。
死蟲機の残骸を横流しして私腹を肥やしていた彼は、内務卿オルウェルの監視網を逃れ、この中立地帯に潜伏していた。だが、ここ数日、村の中に『嗅ぎ回る猟犬』の気配を感じ、夜陰に紛れて村を脱出したのだ。
馬車を護衛するのは、大金を積んで雇った高位魔法使いと重装甲の傭兵たち。
彼らは馬車を包み込むように強固な『物理・魔法反射障壁』を展開し、周囲を警戒しながら悪路をひた走っていた。
「……標的、視認。これより迎撃に入る」
その馬車の進行方向、森の木の上に音もなく潜む影があった。
ナイトビジョンゴーグルを下ろし、SCAR-Hのスコープで馬車を捉える鮫島だ。
「ユーゴ、護衛の魔法障壁はかなり分厚いぜ。俺のベネリ(散弾)じゃあ、一発で剥がすのは骨が折れそうだ」
「問題ない。LAPD(ロス市警)流のドア・ブリーチングと同じだ。俺の徹甲弾で障壁に亀裂を入れ、その一点に鉛玉を叩き込め。……3秒で片付けるぞ」
鮫島はコーヒーキャンディを飲み込み、呼吸を止めた。
指がトリガーに掛かり、地球の最新鋭銃器がファンタジー世界の魔法障壁を粉砕しようとした――その時だった。
ゴォォォォォォォォォォォン……ッ!!
森の奥底から、地響きのような重低音が響いてきた。
馬車の音ではない。魔法の詠唱音でもない。
それは、数百頭の獣が同時に唸り声を上げているような、野蛮で、暴力的で、圧倒的な『内燃機関』の咆哮だった。
「……なんだ!? まさか、ルナミスの魔導戦車か!?」
「いや、違う! ユーゴ、あれを見ろ!」
ニコラスがナイトビジョン越しに指差した先。
ポポロ村から続く未舗装の悪路を、木々の枝をへし折りながら猛スピードで突進してくる『漆黒の鉄の塊』があった。
角ばった無骨なシルエット。剥き出しのラダーフレーム。
地球の悪路走破における絶対的王者。
【トヨタ・ランドクルーザー 70系】。
「……あのバーテンダーか!」
鮫島が驚愕に目を見開く。
ランクルの運転席。
ワインレッドのタートルネックに漆黒のレザージャケットを羽織った龍魔呂は、片手で重いステアリングを握り、闇夜の森を冷徹な視線で見透かしていた。
メーターパネルの淡い緑色の光が、左手首の『TUDOR ブラックベイ 58 ブロンズ』を妖しく照らし出している。
龍魔呂の足が、アクセルペダルを深く踏み込んだ。
V8ディーゼルターボエンジンが怒号を上げ、2トンを超える鋼鉄の巨体が、泥を跳ね飛ばしながら加速する。
ランクルの重厚な車内空間を満たしているのは、エンジンの駆動音だけではない。
カーステレオから、重く、葬列のように静かで、それでいて圧倒的な熱を秘めたオーケストラが響き渡っていた。
ベートーヴェン『交響曲 第7番 イ長調 Op. 92 第2楽章』。
ダ・ダァン……ダ・ダァン……ダ・ダァン……。
一定のリズムで刻まれる、重厚で悲壮な弦楽器の行進。
それは、龍魔呂が処刑人【DEATH4】として獲物を追い詰める際の、静かなる『儀式』の音楽だった。
「……宿代の、時間だ」
龍魔呂は呟くと、センターコンソールの灰皿に置いたマルボロを指に挟み、深く紫煙を吸い込んだ。
バルバロス伯爵が村に持ち込んだのは、弟の仇とも言える『死蟲』の匂い。
平穏なポポロ村の日常を脅かすゴミは、一つ残らず焼却する。
それが、彼が自分に課した『鬼の龍儀』第2条――【居る地域は守る対象であり、宿代は悪党退治で精算する】。
「ひ、ヒィィッ!? なんだあの黒い鉄の化け物は!?」
「障壁を後ろに回せ! 魔法を撃ち込めェッ!!」
迫り来る漆黒のランクルに気づいた護衛たちが、パニックに陥りながら後方へ向けて炎や氷の魔法を一斉に放つ。
だが、龍魔呂はアクセルを緩めない。
ドゴォォォォンッ!!
ランクルの分厚いフロントグリルが、放たれた魔法ごと、馬車を護衛していた後衛の傭兵数人を容赦なく轢き潰し、宙へと跳ね飛ばした。
「……なっ!?」
木の上からスコープ越しに見ていた鮫島が、思わず息を呑む。
魔法障壁すら物理的な質量(2トンの鋼鉄)で強引に粉砕し、そのまま馬車の横腹にランクルを並走させる龍魔呂。
オーディオのボリュームが上がり、ベートーヴェンの旋律が森の静寂を完全に喰い破る。
龍魔呂が、シフトレバーを叩き込んだ。
交響曲の重厚なリズムに合わせ、最強の処刑人がついに車を降りる。




